橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #387≪泣いてたまるか≫

2020年01月20日 | EHAGAKI

寅さんの最新作が上映されてます
最近は「AI美空ひばり」だの寅さんの最新作だの複雑な思いがあります

寅さんシリーズ
若い頃はあまり見向きもしませんでしたが
歳を重ねるにつれ「いいもんだなぁ」と、思っております

子どもの頃、テレビドラマで「泣いてたまるか」を見ていました
一話完結のほろ苦いお話、うろ覚えております

渥美清さんといえば、そのイメージがあり
寅さんは、観もせず勝手にノー天気なイメージを持っておりました

さて、今回のお題は「寅さんの名言」であります

過去には、東大の入試問題(1992年)に
なったモノもあったそうです

「男はつらいよ」公式サイト

◆ ◆ ◆ ◆

※写真はすべて柴又にて撮影


ザマ見ろぃ、人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ

第1作:男はつらいよ



満男:
じゃ、何のために勉強するのかな?

寅さん:
え、そう言う難しい事は聞くなって言ったろ
つまり、あれだよ
ほら、人間長い間生きてりゃ
いろんな事にぶつかるだろう

な、そんな時オレみてぇに勉強してない奴は
この振ったサイコロの出た目で決めるとか
その時の気分で決めるよりしょうがない

ところが、勉強した奴は自分の頭でキチンと筋道を立てて
はて、こういう時はどうしたらいいかな
と考えることが出来るんだ

だからみな大学へ行くんじゃないか
そうだろ

第40作:男はつらいよ・寅次郎サラダ記念日



インテリというのは自分で考えすぎますからね
そのうち俺は何を考えていただろうって
分かんなくなってくるんです

つまり、このテレビの裏っ方でいいますと
配線がガチャガチャにこみ入っているわけなんですよね、ええ

その点、私なんか線が一本だけですから、まァ
いってみりゃ空っポといいましょうか
叩けばコーンと澄んだ音がしますよ、なぐってみましょうか

第3作:男はつらいよ・フーテンの寅
※1992年の東大国語入試問題



寅さん:
いや頭の方じゃ分かっているけどね
気持ちの方が、そうついてきちゃくれないんだよ、ねぇ
だから、これはオレのせいじゃねえよ

さくら:
だって、その気持ちだってお兄ちゃんのものでしょう?

寅さん:
いや、そこが違うんだよ、早え話がだよ
俺はもう二度とこの柴又へもどってこねえとそう思ってもだ、な
気持ちの方はそう考えちゃくれねぇんだよ

アッと思うと
またオレはここへもどってきちゃうんだよ

本当に困った話だよ

第6作:男はつらいよ・純情篇



俺とお前は、お風呂のおならだ

前と後ろに泣き別れ

第37作:男はつらいよ・幸福の青い鳥



俺はな、学問つうもんがないから
上手い事はいえねえけれども
博がいつか俺にこう言ってくれたぞ

自分を醜いと知った人間は
決してもう、醜くねえって

第42作:男はつらいよ・ぼくの伯父さん



寅さん:
大丈夫だよ
オレだって他人の奥さんに懸想するほどバカじゃねぇよ
今だってよ
もう一人のオレによおく言い聞かせたんだよ

さくら:
で、もう一人のお兄ちゃん、ちゃんと納得したの

寅さん:
やっとな

さくら:
そう、よかったね

第8作:男はつらいよ・寅次郎恋歌



散歩先生:
俺が我慢ならんことは
お前なんかより少しばかり頭がよいばかりに
お前なんかの何倍もの悪いことをしている奴が
ウジャウジャいることだ
こいつは許せん、実に許せん馬鹿どもだ、寅

寅さん:
私より馬鹿がおりますか

第2作:続・男はつらいよ



青年、女にフラれた時は
じっと耐えて、一言も口を利かず
黙って背中を見せて去るのが
男というものじゃないか

第21作:男はつらいよ・寅次郎わが道をゆく



上等、上等
あったかい味噌汁さえありゃ充分よ
あとはおしんこと海苔とタラコ一腹ね
辛子のきいた納豆
これにはね、生ねぎを細かく刻んでたっぷり入れてくれよ
あとは塩昆布に生卵でもそえてくれりゃ
もう何もいらねえよ、おばちゃん

第5作:男はつらいよ・望郷篇



テキヤ殺すにゃ刃物はいらぬ
雨の三日も降ればいいってね

第33作:男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎



寅さん:
わかんねえもんだな、人の命なんてものは
はやい話がだよ、このオレが今晩ぐっすり寝て
明日の朝、パチッて目を覚ましたら
死んでいるかもしれねえからな

満男:
死んでたら目を覚まさないよ

第28作:男はつらいよ・寅次郎紙風船



どこにいたって、愛がありゃあ
天国なんじゃないの?

そういうもんだよ

第33作:男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎



泣きたいなら、いくらでも
気のすむまで泣いたらいいんだよ

第27作:男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎


俺には、むずかしいことはよく分からないけどね
あんた幸せになってくれりゃいいと思ってるよ

第16作:男はつらいよ・葛飾立志編



梅の花が咲いております
どこからともなく聞こえてくる谷川のせせらぎの音も
何か春近きを思わせる今日この頃でございます

旅から旅へのしがない渡世の私共が
粋がってオーバーも着ずに歩いておりますが
本当のところ
あの春を待ちわびて鳴く小鳥のように
暖かい陽ざしのさす季節に、恋い焦がれているのでございます

第4作:新・男はつらいよ
※1992年の東大国語入試問題



何と言うかな
あー、生まれてきてよかった
そう思うことが何べんかあるだろう

そのために
人間生きてんじゃねえか

第39作:男はつらいよ・寅次郎物語



寂しさなんてのはなぁ
歩いているうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ

第44作:男はつらいよ・寅次郎の告白



どこの川の流れも同じだなぁ
流れ流れて、どこかの海に注ぐんだろう

第41作:男はつらいよ・寅次郎心の旅路



青年、行け!

第43作:男はつらいよ・寅次郎の休日

◆ ◆ ◆ ◆


ということでした

テレビドラマ「泣いてたまるか」の最終回のタイトルは
ズバリ
「男はつらい」であった、とのことです

脚本:山田洋次
主演:渥美清

後の「男はつらいよ」の原型ともいうべき
キャラクターやストーリーが登場している、とのことです

「泣いてたまるか」最終話は
映画「男はつらいよ」の原型である→ 寅さんとわたし


ではまた


EHAGAKI #386 ≪謹賀新年・自由であれ≫

2020年01月01日 | EHAGAKI
 
新年あけましておめでとうございます
2020年(令和2年)本年も宜しくお願い致します
 
◆ ◆
 
さて 
昨年末、たまたま通りがかったBOOKOFFにふらりと入りました
それほど安くないなぁと思いながら一通り眺め
100円からのコーナーへ
 
目についたのは「 動的平衡2」210円也
何も買わないのも悪いと思いそれをレジに
 
以前に読んだ「動的平衡」の続編でした
 
◆ ◆ ◆
 
第一章「自由であれ」という命令

新年にふさわしい
面白そうなタイトルであります
以下、この第一章のみでのメモであります
 
◆ 生命とは何か
 
生命の唯一無二の目的は子孫を残すコト
 
生命の定義は「自己複製するもの」とされている
自己複製の単位は遺伝子
 
「遺伝子は生物の個体を乗り物にしているにすぎない」
 
◇リチャード・ドーレンス「利己的な遺伝子」 
 
これ今も有効ですか?
もう少しリラックスして生命を提えなおすべきでは?
 
映画「男はつらいよ」の寅さんは
効率なんて気にせず、ゆったりした時間の中で
自由気ままに暮らしている
 
実に魅力的な人間
 
 
◆働かない働きアリ
 
「働かないアリに意義ある」という本
私たちはアリを働き者の代名詞のように思っているが
実は
彼らの二割ぐらいは働かずに遊んでいるという
 
著者の長谷川英祐氏のグループは
1匹の女王と150匹の働きアリからなる実験コロニーを複数作った
 
すべての働きアリを個体識別し
すべての個体の行動を一日に3回ずつ記録した
 
1カ月後、働きアリごとに記録を集計し
仕事をしていた割合を計算
 
結果
すべてのコロニーで、アリごとに仕事をした割合が大きく違った
 
何もしていない「働かない働きアリ」から
行動の9割以上が仕事であるような「よく働く働きアリ』まで
 
実験はここで終わらない
「働く、働かない」がそのアリの天性の資質なのかどうか
 
第二段階
「よく働く」アリをだけのコロニー
「働かない」アリだけのコロニー
それぞれ女王と共にさらに一カ月飼育観察した
 
すると、どちらも
一部がよく働き、一部はほとんど働かない
 
つまり
元のコロニーと同じような労働頻度の分布を示す
 
「働く、働かない」は天性のもの、つまり遺伝子ではなかった
少なくとも
アリの世界では「パレートの法則」実在する現象だった
 
 
◆パレートの法則  

◇イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発表した経済法則(100年程前)
 
社会の富の8割は2割の高額所得者に集中し
残りの2割の富が8割の低所得者に配分される
というモノ
 
以後、この「パレートの法則」は多くの社会現象や
自然現象を語るのに使われる
 
会社の売上の8割は、2割の従業員が生かみ出している
などと言われる
 
どうしてこういう現象が起こるのか
 
 
大胆な仮説
二割ぐらいの遊軍を残しておいた方が
イザという時、その労働力を使える
危機に対処しやすい
 
しかし「いつ」「イザ」という時がやってくる?
 
生物の集団が、将来役立つかも知れない準備は出来ない
と考えられている


遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
 
◇オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ(「ホモ・ルーデンス」1938年)

ヒトの学名ホモ・サピエンス(Homo sapiens)は「知恵のある人」を意味する
人間とは何か」に対する生物学からの回答の一つが
ホモ・サピエンス」と言ってもいい
 
ホモ・ルーデンスという言葉
「ルーデンス(ludens)」とは「遊ぶ」という意味
loose = いい加減、適当、緩い、と語源を同じくする
 
人間社会の法律や経済、生活様式といった仕組み
その起源はいずれも遊び(ゲーム)に行き着くのではないか

人間以外の動物も遊ぶが、人間はダントツに遊ぶ
だから、人間は遊ぶ存在である
 
日本の平安時代末期の歌謡集「梁塵秘抄」に
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」
と詠われている


ホモ・ルーデンス論を検証発展させた

◇フランスの批評家ロジェ・カイヨワ(「遊びと人間」1958年)
 
人間の行動は
本能と混乱と野蛮な暴力から解き放とうとするとき
はじめて人間の行動となる

そのことを判定するたしかな基準とは、ほかならぬ遊びの精神
 
・明るい興奮
・誰しもが持たねばならぬ創意
・任意の規則の自由意志にもとづく尊重

これら三つの要素の入り混じったものが存在しているかどうか
である

 
◆いやいや違う
 
ホイジンガから約40年、 カイヨワから20年ほどが過ぎた1976年
ドーキンスはホモ・ルーデンス論に真っ向から異を唱えた
(「利己的な遺伝子」1976年)
 
われわれは生存機械
遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく
盲目的にプログラムされたロポット機械なのだ

人間を含むすべての生物は
自己複製を目的とする遺伝子の乗り物にすぎず
その行動は遺伝子に支配されている
遺伝子は競争を経て選抜され続ける
それが進化ということだ
 
進化の原動力はただ一つ「遺伝子」上に生じる変異である
そして変異はランダムに起こり、そこには目的性や指向性は存在しない

 
◆そうですかぁ
 
しかし、このダーウィニズムには、説明しきれない弱点がある
 
複雑で精巧な仕組みであればあるほど、それは複合的なシステム
各サプシステムが連携し初めて全体の複合システムが機能する
 
たとえば
目は水品体というレンズで光を集め、それを網膜に映す
そこには光を感知するための網膜細胞がないといけない

さらに網膜に入った信号が視神経によって集められ
脳の中の視細胞に送られなければならない

そこで初めて画像が解釈され、モノが見える
視覚は、水品体や網膜、視神経といった
各サプシステムから成り立っている
 
 
◆ダーウィニズム的に言うと
 
そういう高度で複雑な仕組みは、膨大な時間をかけて
少しずつサプシステムが改良されて出来上がったと説明される
 
たしかに個々のサプシステムは
他の仕組みとうまく適合するように進化しているように見える


◆しかしながら

いくらレンズが完成しても、網膜や視神経と繋がらないと見えない
レンズだけが出来ても、網膜だけが出来ても、意味がない
 
つまり各サプシステムは途中段階では機能を持たない
機能を持たない限りは自然選択によって、それが有利な形質だと選ばれようがない
 
水晶体だけが出来てもまだ視覚を得てはいない
機能しないサプシステムは繁殖戦略にとって有利に働きようがない
 
それゆえ
サプシステムは全体が完成する前には自然選択の対象にはなりえない
ところが、生命現象ではこのような複合的システムで成立している
 
これは一体どうして?
 
 
ダーウィニズムの「適者生存」という論理だけでは説明しきれない
 
私たちは常に
生理的な要求、脳が命じる行動
あるいは性的な欲求に突き動かされ、束縛されている
これは遺伝子の命令である
これがドーキンスの利己的遺伝子論の源泉
 
だが
生命現象や進化は
突然変異と自然選択の原理以外の
何かによっても制御されているのではないだろうか
 
生命現象を特徴づけるものは自己複製だけではなく
むしろ
合成と分解を繰り返しつつ一定の恒常性を維持するあり方
つまり「動的平衡」にあるのではないか

※橋長注
動的平衡
分子レベルでみると流れていて
流れが少し淀んでいる状態が我々生物であるようです

 
 
 
◆私たちは逆らう
 
私たちはその命令を相対化し、それに背くこともできる
 
私たちは結婚しないでいることもできる
家庭を持たないでいることもできる
子どもをつくらないでいることもできる

「できる」ということは
つまり
そのような可能性・可変性もまた生物の有り様の一つなのだと考えてよい
 
とすれば
遺伝子の中には「産めよ殖やせよ」という命令の他に
あらかじめ別の種類の命令が含まれていることになる

それは「自由であれ」という命令
 
 
◆遺伝子は音楽における楽譜

記された音符の一つ一つは同じでも
誰がどのように演奏するかで違う音楽になる

遺伝子はある情報で私たちを規定すると同時に
「自由であれ」とも言っている

そう考えたほうが、私たちは豊かに生きられるのではないか
 
 


◆ ◆ ◆

ということでした

「自由であれ」という命令の由来を考えることが
この本「動的平衡2」の課題だそうです

最初に勤めた会社でリゾートの企画を担当していました
会員制の分譲リゾートホテルを立ち上げることとなり
そのネーミング案に
ルーデンスクラブLludens Club)を提案したのですが
あえなく却下されたことを思い出しました
 
令和二年、「遊び」を常に意識していきたい
と愚考する次第です
 
 
ではまた