橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #408 ≪混浴のあった文明≫

2021年02月11日 | EHAGAKI

お世話になります

COVID-19、引き続きご用心下さい

さて、前回紹介した「逝きし世の面影」から
予告していた「混浴」についてであります

下世話で面白そうな気がして、読む前に予告していた「混浴」
読んでみると

ここ数日よく聞く
「日本人として恥ずかしい」的な話題

相手の立場をわきまえる
多様性を尊重する寛容さ
そして我々が失ってしまった文明について

そんなことに繋がる異邦人による幕末・明治のリポートであります

参考図書)
「逝きし世の面影」
渡辺京二:著 平凡社ライブラリー(2005/9/1)

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 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


1854年(安政元年)
◆ウィリアムズ Samuel Wells Williams
ペリ ー艦隊に通訳として同行/下田にて

私が見聞した異教徒諸国の中では
この国が一番みだらだと思う
慎しみを知らないといっても過言ではない

婦人たちは胸を隠そうとはしないし
歩くたびに大腿まで覗かせる

男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き
気にもとめていない

裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体なぞおかまいなしに
等しく混浴の銭湯へ通っている

みだらな身ぶりとか、春画とか、猥談などは
庶民の下劣な行為や想念の表現として度を過している

この民族の暗愚で頽廃した心を
啓示された真理の光が照らし得るよう
神に望み、かつ祈る

と日記に書いた
傲慢な宣教師根性の持主だったから
日本の庶民のあけっぴろげな服装を
可能なかぎり歪曲して誤読したのは仕方ない


1856年(安政3年)
◆ハイネ Peter B.W.Heine
ペリー艦隊に随行したドイツ人画家
ピューリタニズムの眼鏡がかかっていないので
その記述は淡々として客観的

浴場は共同利用、老若男女、子供を問わず
ごそごそとうごめき合っている
外人が入って来ても、この裸ん坊たちは一向に驚かない

ハイネの方も一向に驚いたた形跡はない
日本人の「極端な綺麗好き」の例証として
入浴シ ーンを紹介しているにすぎない

むしろハイネが驚いているのは湯加減の極端な熱さだった


1856年(安政3年)
◆トロンソン J.M. Tronson
英艦バラク ータの将校

上陸するや早速浴場を訪ねた一人
もちろん「この奇妙な施設」については
さんざん聞かされていた

そこでは男女も子供も、惜しみなく湯を使っていたが
トロンソンたち一行が入って行っても、誰も気にしなかった

人為的な習慣をもつ我々は
日本人の原始的な素朴さに仰天し
こんなに体をさらけ出して若い男女に道徳上の悪い影響がないのか
と思ってしまう


1856年(安政3年)
◆ハリス  Townsend Harris

何事にも間違いのない国民が
どうしてこのように品の悪いことをするのか
判断に苦しんでいる

ハリスは幕吏から
「この露出こそ 、神秘と困難によって
募る欲情の力を弱めるものだ」という言い訳を聞かされ

混浴が女性の貞操を危うくするものと考えられていない
ということだけは確からしい
と判断した

そしてある温泉を訪ねてはじめて、その無邪気な実相を知った

湯には子づれの女が入っていた
彼女は少しの不安気もなく、微笑をうかべながら
私に「オハヨ ー 」と言った

彼女の皮膚は大変奇麗で、ほとんどサーカシア人のように白かった


1859年(安政6年)
◆ホームズ Henry Holmes

町を散策中
あだっぽい娘が全裸で家からとび出して
家の前の約12フィートのところにある長方形の桶に
とびこむのを目撃した

彼女はあやうく船長と衝突するところだったが
顔も赤らめず
びっくりしている彼を、桶の中からくすくす笑っていた

ホームズ船長はスミス主教のように憤慨はしなかった
それどころか
彼は街頭で見かけた夢のような光景を
いつまでも頭のなかに追いながら茫然と歩み続けたのである

※余談ですが(すべてが余談のメールですが)
この英国商船のホームズ船長は安政6年、交易を求めて長崎に来航
早朝、町へ出かけて、人びとが寝ている家へあがりこんだ

家へ入るには裏戸を押すだけでよかった
ロックもボルトもなかった

彼がいうには
その家族は機嫌よく迎えてくれ
彼は、家人たちと朝早くからふざけ合い
その家だけでなく他の家でも
家族の人びとと一緒に、ごろごろと床の上をころげまわったり
ひっくり返ったりして遊んだ

この信じがたい冒険談のような話は措くとしても
日本の家が外部に対して開放されていたのは確かの様である


1859年(安政6年)
◆ティリー Henry Arthur Tilley

「礼節」という言葉の正しい定義は何だろう
私が初めて日本の風呂屋へ入った時に自問した

あらゆる年齢の男、そして婦人、少女、子どもが何十人となく
まるでお茶でも飲んでいるように
平然と立ったまま体を洗っていた

そして入って来たヨ ーロッパ人も同様に気にもされない

スタール夫人は、同行の若い士官から
「慎しみが大そう欠けているとお思いになりませんか」
と尋ねられ、こう答えた

慎しみがないというのは、見る方の眼の問題なのね

そういう次第で
日本の裸の礼節に、何も怪しからぬ点はない
と私は考えることに決めた


1861年(文久元年)
◆スミス主教

老いも若きも男も女も
慎しみ、道徳という分別をそなえている様子をまるで示さず
恥もなく、いっしょに混じりあって入浴している

人前で見境もなく入浴する慣習を、原始的習慣の無邪気な素朴さとみなし
国によって道徳的によいことと悪いことには大きな差異がある
と説くことによって、弁護しようとする人がいる

こういった寛大な理屈に対する明白な答えは
日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだ、ということだ


1862年(文久2年)
◆パンペリー Raphael Pumpelly

北海道の鉱山に滞在中風呂に入ると
鉱山頭の妻とその子どもたちが入浴していた

彼が引き返そうとすると
彼女は湯から上がってきて
自分たちは別の浴室へ行くからと、彼に入浴をすすめた

むろん彼女は裸だったのである
いっさいが奥ゆかしく運ばれ
彼女の方にはいささかの困惑もなかったため
パンペリ ーはしばし混乱に陥った

そして彼は結論を下した

思い邪なる者に災あれ

混浴は、ヨーロッパ人にはショッキングなものに思われるが
日本人の謙虚さと礼儀正しさとは完全に両立する?


1863年(文久3年)
◆アンベ ール Aime Humbert

裸体や混浴の習慣が自分たちにとって奇異なものでも
日本人自身はそれに非難される面があるなどとは思っていない

家庭生活の慣例と完全に調和し
道徳的見地からも言い分のないものと信じていた

ヨーロッパ人が風呂屋に足を踏み入れ
彼らを見てくすくすと笑った、そのときまで

誰の目にも至極当然なこととしてきたコトを
ふさわしからぬもの、にしてしまった

パリ万国博覧会に参加した日本人が語った言葉
「我々なら夜でも人前では許されないことが
白昼公然とパリの真中で行われるのを見せていただいた」


1863年(文久3年)
◆オールコック Ruther Ford Alcock
初代駐日英国公使

この偉大な入浴施設が
世論の源泉だとすれば
他のすべての議会には欠けている
男女両性の権利や平等を全面的に認めている
という点で推奨に値する


1864年(元治元年)
◆リンダウ Rudoif Lindau

風俗の退廃と羞恥心の欠如との間には大きな違いがある
子供は恥を知らない
だからといって恥知らずではない

羞恥心とは、ルソ ーが言うように「社会制度」なのである

各々の人種はその道徳教育、習慣において
自分達の礼儀に適している

あるいはそうではないと思われることで、規準を作っている

率直に言って
自分の祖国において
その中で育てられた社会的約束を何一つ犯していない個人を
恥知らず者呼ばわりすべきではない

この上なく繊細で厳格な日本人でも
人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても
不快には思わない

風呂に入るために銭湯に集まるどんな年齢の男女も
恥ずかしい行為をしているとはいまだ思ったことがないのである


1866年(慶応2年)
◆スエンソン Edouard Suenson

日本女性は慎しみ深さを欠いていると、ずいぶん非難されている
西欧人の視点では、その欠け具合は並大抵ではない

とはいえそれは
本当に倫理的な意味での不道徳というよりは
むしろごく自然な稚拙さによる

日本女性は
自分の身体の長所をさらけ出すような真似を決してしない
風呂を浴びるとか化粧をするとかの
自然な行為をする時に限って
人目をはばからないだけなのである

慎みを欠いているという非難は
むしろ
それら裸体の光景を避けずに
しげしげと見に行き、野卑な視線で眺めては
「これはみだらだ」「叱責すべきだ」と

恥知らずにも非難している外国人
その外国人に向けられるべきである


1877年(明治10年)
◆モース Edward Syiver Morse

日光旅行の際
同行のマレー博士が温泉の温度を計るのを手伝った

「オハヨー」とほがらかな声のする方を見ると
前日出会った遠慮深い二人連れの娘が入湯中でドギマギした

次々に浴場の温度を調べて廻ると
老若男女が何をするのか不思議に思って、ぞろぞろとついて来た

ついて来る人は入浴者を気にかけず
入浴者はついて来る人達を気にかけなかった

我々に比して優雅な丁重さを持ち
態度は静かで気質は愛らしいこの日本人であるなら
裸体が無作法であるとは全然考えない

全く考えないのだから、我々外国人でさえも
日本人が裸体を恥じぬのと同じく恥しく思わず
そして
我々にとっては乱暴だと思われることでも
日本人にはそうではない、との結論に達する

たった一つ無作法なのは
外国人が彼らの裸体を見ようとする行為だ
彼等はこれを憤り、そして顔をそむける

都会でも田舎でも
男が娘の踵や脚を眺めているのは見たことがない
また、女が深く胸の出るような着物を着ているのも見たことがない

彼はそのことを
若い娘が白昼公然と肉に喰いこむような海水着を着て
より僅かを身にまとった男達と
砂の上をブラリブラリしている母国の風俗と比べずにはおれなかっ

そして

日本人が見る我々は
我々が見る日本人よりも
無限に無作法で慎みがないのである


1881年(明治14年)
◆クロウ Arthur H. Crow

小田原付近の漁村にて

あちこちで自分の家の前で
熱い湯につかったあと
すがすがしくさっぱりした父親が
小さい子供をあやしながら立っていた

幸せと満足を絵にしたようである

多くの男や女や子供たちが
木の桶で風呂を浴びている

桶は家の後ろや前、そして村の通りにさえある
大きな桶の中に、時には一家族が幸せそうに入っている


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

今や古いシステムに入るかも知れない「メール」
適度な一方通行だと愚考しております
※このEHAGAKIはメール配信しております


引き続き厳しい時は続きます
皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい


ではまた