橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #265≪距離を測る≫

2013年02月14日 | EHAGAKI

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お世話になります

年齢を重ねてきたせいか 理解出来るものへの愛着が増し理解出来ないものへの恐れが増しているように思います

分かりにくいですね

たとえば

単純に私の趣味嗜好の問題では「露出計もオートフォーカスもない古いフィルムカメラへの愛着が増し、最新デジカメを煩わしく思う」というのが今の私の頭の中であります

ただこれでは前例を頑なに守り 新しいコトに挑戦しようとしない頑固オヤジになってしまいますね

一人の頑固オヤジであれば「勝手にしなはれ」で済むのですが集団となるとそんなことは言ってられません

今回のお題は「距離を測る」であります
カメラの話題ではありません

■カメラの距離計
■原理
■軍用測距儀
■戦艦大和の距離計※
■大艦巨砲主義※
■日本人の思考の盲点※
■賢人は一井にあり※
■自分中心の集団?※
■参考図書)めざすはライカ!

※の項目は参考図書よりの引用です

めざすはライカ! ある技術の書いた日本カメラ史 めざすはライカ! ある技術者の書いた日本カメラ史
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2003-11-01

■ ■ ■ ■ ■

■カメラの距離計

レンジファインダー(Range Finder)=距離計
レンジファインダー式カメラ 私の好きな形式なのですがデジカメでもそのフォルムが見直されているようです
一眼レフカメラが登場するまではレンジファインダー式カメラが主役であった訳です

■原理

左右に離れた2個のレンズで取り込んだ画像を距離計に連動して回転する鏡(またはプリズム)によって合成しファインダーから覗いて左右の画像を重ね合わせて距離を測定します

これが光学視差式距離計でかつての距離測定はこの手法が主流であったようです

カメラサイズですから左右のレンズ間の距離(基線長)は数センチから大きいものでも10cm程でしょう このが基線長が長い程 正確に距離が測れることになります

■軍用測距儀

距離計の大型のものは測距儀と言うそうです

日本海海戦の戦艦「三笠」に搭載されたものは基線長1.5mだったそうですが大きな大砲 長い射程距離をかせぐ為 次第に大型化

戦艦「大和」の主砲四六センチ砲の測距儀は日本光学工業(現・ニコン)製でなんと15mあったそうです

30キロ遠方の大海の中の一点を狙う? 
戦後 様々な研究がなされていますが懐疑的な論調がほとんどの様です

■戦艦大和の距離計※

第二次大戦中の日本光学で戦艦大和の測距儀などの光学兵器の開発にかかわり、戦後ニコンカメラに携わり世界のニコンを作った故 更田正彦さんから聞いた話

「先輩たちの話によると、日本海海戦のころは、東郷平八郎は3000メートルまで敵艦がくるまで撃たなかったそうですね。遠くからでは当たらないことを知っていた。

ところが、その後、海戦が起こるごとに遠距離から撃ち合う大鑑巨砲の時代になっていった。

射程が伸びたという言い方はほんとうはおかしいのです。無理して射程を延ばしたんです(笑)。

射程が伸びると命中率が下がります。当たり前のことですよ。海軍にはそれを知ってた東郷さんが居られたのにね。」

「伝え聞けば、大和の測距儀は大がかりなものでしたが新しい発想はなく、ただ従来のものを大きくするというだけのものでした。なにしろ15メートルもあるのですから、自重だけでも撓(しな)ってしまう。

戦闘態勢の軍艦は高速で移動していますから、その振動や反動やなにかで測距儀の像はいつもガタガタ震えていますし、狂ってしまいます。
温度変化でも反ったり曲がったりしますから、それは大変だったようですよ。」

「それを重箱の隅をつつくように、小さな改造を重ねていった。 ぼくらの先輩がね。」

そんな日本人独特のきめ細かい改良主義は、戦後から五十年たつ今日まで続いています。

大和のものは恐らくドイツやアメリカ以上だったんでしょうね。

「戦時中にドイツのグラフシュペー号が日本にやってきました。そのときの測距儀を見せてもらったら、意外なくらい簡素なものでしたね。」

東郷さんのように、彼らは軍艦の大砲が何十キロの彼方からでは当たらないことを知っていたのでしょうね。

■大艦巨砲主義※

私はかねがね不思議に思っていたことがある。

日本の陸軍は、アメリカとの戦争でも旧式の三八銃でドンパチやり、最後は突撃して白兵戦で勝敗を決するという戦法を中心に置いていた。

これに対して海軍は大鑑巨砲主義で、むやみに大砲を大きくし遠くから敵艦を射撃しようと考えた。海軍の巨砲射撃はニ階から目薬のようだとは思うが、陸と海とでその用兵思想がまるで違うのだ。

日本海軍はかつて日本海海戦では三六年式という国産の無線通信機を作り、いち早く連合艦隊三ニ隻の軍艦すべてに装備して実戦に役立てたという。

ところが以降は、なぜか電波オンチになって、光学兵器ばかりに走った。

海軍は長年、光学兵器という鬱蒼とした大掛かりな技術に執着し、技術習得に長い修行のような年月を重ねてた。これが私には不思議でならない。

こうした光学兵器よりも安上がりで性能の高い電波兵器というハイテクに、なぜ注目しなかったのだろうか。

「日本海軍はね、目的に合ったものを作れじゃなくて、とにかく大きい測距儀を作れ!だったんですね。

大鑑巨砲主義に凝り固まって、デカイ大砲の開発にばかりエネルギーを使っていた。

デカイ大砲にはデカイ測距儀が要る。本心ではだれもがおかしいなと思ってたんでしょうね。しかしそれをだれもが言いだせなかった・・・・」

更田さんはそのように分析された。

■日本人の思考の盲点※

日本人というのは、そんな思考の盲点を今も昔ももっていたのか。

横並びで格好だけをつける。時代が変わっても考えを変えない。

事の本質を疑うものはいないし、疑うものは異端者となる。

だが歴史とは予想しない結果をもたらすものだ。

軍艦の測距儀で代表されるさまざまな光学兵器の技術を習得したことが、戦後、日本のカメラを下支えする技術として復活の日を迎えたのであるから。

■賢人は市井にあり※

筆者は千代田光学精工に勤めた海軍服の検査部長は戦争中は海軍航空技術厩の光学部長していた村田美穂元大佐から聞いた話

戦艦の主砲は『初弾効果』といって第一弾だけはどうしても手前に落ちる艦政本部では侃々諤々(カンカンガクガク)の議論をしたが原因は不明

ある時 一人の水兵が原因を知っていると言い出した 実弾射撃をしたあとは大砲内部を油で洗いグリースを塗っておくことになっていた その水兵はグリースの影響で第一弾は射程が伸びない という

艦長はお偉方に この水兵の話の検討を依頼するが埒が明かない 専門家に解らないことが 水兵ごときに解けてたまるか ということか

しかし艦長ものめりこみ一度実験することを具申 結果水兵が正しかった

「簡単に言えばね。弾丸発射時、グリースの影響で弾丸の初速度が落ちる。結果がわかってしまうと、今度は本部の頭のいい人たちが、初弾効果の原因をグリースとする報告書を数式や数字をいっぱい並べて送ってきたというんだ。

こんなことってあるんだよ。水兵、、ここでいうなら工員や現場の人たちを馬鹿にしてはいけないよ。彼らは思わぬことを知っている。だが、それは表に出てこない。賢人は市井にありだ」

■自分中心の集団?※

私は大佐にこんなことも聞いてみた。

「今度の戦争で、開戦劈頭ハワイに攻撃を加え、戦艦を何隻も沈めたのは日本の空母から発進した航空隊でした。その後のマレー沖ではイギリス戦艦を二隻も沈めました。もう航空の時代なのに、なぜもっと航空機に力を入れなかったのですか」

「うーん。キミ、そう簡単には方向を変えられんよ。ボクは航空本部の『空技厩』にいたのだが、古くから海軍部内に、大鑑巨砲主義と航空主兵論というのがあってね。横須賀の砲術学校と『横空』といってた実験航空隊の士官たちがいつも議論ばかりしていた。意地の張り合いみたいだったね。

ミッドウェイで空母がやられ後は軍艦ばかりが残って、飛行機が足りないのに艦本(艦政本部)から航本(航空本部)に技術者をまわさない。

たった三人が来ただけだ。軍人だったボクがこんなこと言うのはおかしいのだがね。

軍もやはり所詮はは自分中心の集団だったんだよ、キミ、、、」

■参考図書)めざすはライカ!
神尾健三(著) 草思社

敗戦後の廃墟の中からいち早く日本のモノ作りの力を世界に向けて証明してみせたのが「カメラ」であった。

戦後間もなく技術者としてカメラ会社に入社した著者が、ミノルタをはじめニコンやキヤノンなどの設計・製造の現場で活躍する人びとの姿を描きつつ、日本カメラの発展の軌跡を追いかける。カメラ技術者たちの究極の目標は「ライカ」だった。

知恵と技能の限りを尽くして高度な精密機械の完成をめざすカメラ各社。

ところがその針路は、ある時期を境にライカから一眼レフへと一斉に変更される。そして家電製品のようなエレクトロニクスを搭載したカメラが世界市場を席巻していくことになる。

戦後50年のあいだに日本カメラは何を生み出し、何を失っていったのか。日本のモノ作りの世界の神髄が描き出されていく。(データベースより)

■ ■ ■ ■ 

ということでした

ある方から「カメラが好きならどうぞ。」と譲って頂いたカメラ本の中にこの「めざすはライカ!」という本がありました
メインのカメラの話題(これが面白いんですが)とは別に気になったエピソードを取上げてみました

当時の目的を成す為には組織として 重点項目がズレていた それは国家 軍 海軍・陸軍 その各部署・・・

震災以降 同じような組織の問題が取り上げられています
組織・リーダーシップ そして私たち一人一人

歴史は繰り返す傾向にあるのでしょうか 決して繰り返してはいけないと思う歴史があります

我々日本人は「お天道様が見ている」や今年話題の「ならぬことはならぬものです」という価値観を持っている(いた?)ハズなんですが それだけでは防ぐことは出来ません

日本人として 様々なことを踏まえ これからのの距離をしっかり測りたいものです

大切なのは “あきらめないで工夫すること” と 愚考する次第です

 ではまた