橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI#412≪文士の見た世紀の祭典≫

2021年06月26日 | EHAGAKI

お世話になります

COVID-19にはくれぐれもご用心下さい
と、枕言葉はいつまで続くのでしょうかねぇ

東京オリンピック
まもなく開催されるのでしょうか?

私自身は
「リスクが増し、多くの命が失われる可能性がある」
その1点のみで反対です

でも、はじまってしまうと
その面白さに熱中してしまうのも間違いない
より複雑であります

さて、1964年の東京オリンピックはどうだったのでしょうか?

今回のお題は「1964年、文士の見た東京オリンピック」であります
スポーツとしての感動、その面白い部分ではなく
斜に構えた断片を拾ってみました

参考図書)
東京オリンピック
文学者の見た世紀の祭典

講談社文芸文庫(2014/1/11)

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

◆キャッチコピー

世紀の祭典が生んだ、煌びやかな文学者の競演
錚々たる当代の名手たちが、文学者の視点で
五輪に沸いた1964年東京のすべてを活写し
話題をさらった貴重なルポルタージュ集。
2020年東京オリンピック開確決定を機に、待望の刊行。

1964年
佐藤春生、堀口大學、井上靖、獅子文六
石坂洋次郎、石川達三、三島由紀夫、石原慎太郎
杉本苑子、北杜夫、小田実、大江健三郎
亀井勝一郎、井上友一郎、柴田錬三郎、菊村到
阿川弘之、富田常雄、檀一雄、有馬頼義
曾野綾子、安岡章太郎、平岩弓枝、尾崎一雄
永井龍男、山口瞳、田村泰次郎、瀬戸内晴美
有吉佐和子、水上勉、松本清張、小林秀雄
村松剛、大岡昇平、奥野健夫、中野好夫
草野心平、遠藤周作、平林たい子、武田泰淳

◆作家たちのオリンピック(解説)
高橋源一郎(2014年)

作家の総動員態勢
一つのイベントに、これだけ大量の作家が集った例は他にない
例外は「太平洋戦争」

「戦争」とオリンピックを同一視するのか?
と思われるかもしれないが
「似てるよなぁ」という思いを禁じ得ない

その中身も似ている
もともと反対していたが
「やる」と決まったからには、文句を言わない

これと同じようなフレーズが
この本の中に幾度となく出てくる

今度決まった2度目の東京オリンピックでも
同じことが起こるのだろうか?

閉幕日に書かれた菊村到の文章↓


◆やってみてよかった 菊村到 (1964/10/24)

こんどのオリンピックは
筆のオリンピックなどともいわれた

ずいぶん、大勢の小説家、評論家が
オリンピックについて、なにかを書いてきた

こんなにも多くの文士が、ひとつの行事に対して
いっせいに勝手なことを書きちらした

だが、オリンピックに対して
誰もがそんなに言いたいことを
たくさん持っているはずはないのだ

オリンピックは、あまり文句を言わずに
のんきに、ながめていれば、それでいいものであり
精神の衛生のためには、そうすべきであろう

やはりオリンピックはやってみてよかったようだ
富士山に登るのと同じで、一度はやってみるべきだろう
ただし、二度やるのはバカだ


◆ 「ふつう」の文章

解説 高橋源一郎(2014)

記者やライターたちにだけでは
同じようなものばかり読むことになる
「書く」ことが専門の作家に任せてみよう
と思ったのかもしれない

その結果、作家たちが「動員」される
作家は「芸術的」文章を書く人である
どのように「芸術的」な文章を書いたのか

読んでみると、なんか違う?

みなさん「ふつう」の文章を書いていらっしゃる

中には
なんだか場違いなところに来たので
恥ずかしがってる文章もある

異彩を放っているのが三島由紀夫
さすが「世界のミシマ」


◆空間の壁抜け男 三島由紀夫

その一瞬に目に焼きついた姿は
飛んでもいず、ころがりもせず
人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のような
その四肢を正確に動かして、
正しく「人間が走っている姿」をとっていた

その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を
どうしてああも、神速に駆け抜けることができるのだろう

彼は空間の壁抜けをやってのけたのだ

※陸上百メートルで優勝したヘイズ選手について


◆彼女も泣いた、私も泣いた 三島由紀夫

バレーポールのコートは、みがき上げた板の上に塗った
みがき上げた人工の芝生だ

そこには白い運動グツもよくうつる
赤いパンツもうつる
審判がさし出す黄いろい旗も鮮明にうつる

だから日本チームの女子選手たちは
まるで「つやぶきん」をかけるように
試合中たびたび緑のバンツからタオルを出して
汗にぬれた床を、女らしくそっとふく

川西はすばらしいホステスで
多ぜいの客のどのグラスが空になっているか
どの客がまだサラに首を突っ込んでいるかを
一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに
ぬかりないサービスを命ずるのである


◆解説 高橋源一郎(2014)

他の作家たちが
「素人臭さ」満載の文章を書いているのを尻目に
三島だけが「芸術」している


◆あすの祈念 杉本苑子

20年前のやはり10月
同じ競技場に私はいた
女子学生のひとりであった

出征してゆく学徒兵たちを
秋雨のグラウンドに立って
見送ったのである

場内のもようはまったく変わったが
トラックの大きさは変わらない
位置も20年前と同じだという

オリンピック開会式の進行とダブって
出陣学徒壮行会の日の記憶が
いやおうなくよみがえってくるのを
私は押えることができなかった

天皇、皇后がご臨席になった
ロイヤルポックスのあたりには
東条英機首相が立って
敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した

今日のオリンピックはあの日につながり
あの日も今日につながっている
私にはそれが恐ろしい


◆ 解説 高橋源一郎(2014)

他の作家たちも知っている事実であるはずなのに
この感慨をもらしたのは杉本ひとりであった

作家たちが
いや日本人が忘れやすいのか
それとも、めでたい日に忌まわしいことを思い出したくない
と忘れた「ふり」をしていただけだったのかはわからない

◆ オリンピック逃避行 中野好夫

どうせ東京にいたところで
会場へ行って見る気は、たとえ首に縄をつけてひつばられても
ぜんぜんなかったし、同じテレビでみるなら
むしろ派生する雑音、狂騒から、一切離されたところで見るのが
いちばん楽しいのに決っているから
そうすることにしたにすぎない

だから開会式の前日にこちらへ来て
閉会式の翌日には帰るつもりである
頑固者である

これだけの金、これだけの努力が
もしこの十年、国民生活の改善に向けられていたら

誰かが書いていたが
隅田川が競技場のそばを流れていなかったのが悲しい不運だった
もしそばをさえ流れていたら、今頃はまた
白魚のとれる隅田川になっていたかもしれない、と言うのだ

すべてスポーツは大好きだか、その周辺はきらいなことばかりである
テレビ画像でそのスポーツだけを純粋無雑に見ているにかぎる

遠くにありて思うべきものは
どうやら故里だけではなかったようである


◆祭のあと 遠藤周作

実際はそうではないのだが
オリンピックの日本開催がきまってから
われわれ東京に住む者には、 随分、長い、うるさい毎日が
続いたような気がする

「国民の総意でもないのに、こういうものを押しつけるのは
けしからん」という意見もあった
「いや、きまった以上は立派にやりましょう」という人もいた

そのうち、家がこわされ、あちこちで工事がくり広げられ
そのため東京は大きなゴミためのようになり
車は至る所で詰り、やかましくイライラした四年間だった

 いよいよ、オリンピックが始った
戦争中の報道班員のようにみんなが駆りだされていく

私のような男まで水泳競技場につれていかれたが
背泳を見たあと
「選手はスタート台に立った、うしろむきに飛びこんだ」
とうっかり書いてしまったためクビになってしまった

しかし
そんな私だってテレビに毎日かじりついていたのだから
スポーツ好きの連中は仕事も何もできはしなかったろう
とにかく、それも終った

今日、東京を歩くと
祭のあとの空虚感が既に人々の表情や秋風のなかに感じられる
これから、君は何をたよりに生きていくつもりか 

今日まではオリンピックを目標にして
皆を巻きこみ、カンカン、ガンガン騒ぎたててくれたが

オリンピックのあとに、どんなゴミくずが出るか
汚職のような事件が起きないとも限らない
失業問題か不景気とともに大きく浮びあがってこないか

それよりも、もっと深い不安を感じる人もいる
この半カ月の間、世界には色々な大きな事件が続いて起った
日本の運命に直接ひびいてくる中共の原爆実験もあった

そうした間題もオリンピックのお祭で
すりかえられてしまった感じがする

みんなが気ぬけしたようになった来年は
日本の政治はどうなるのだろう

せっかく作った新道路やホテルに
弱々しい秋の午後の日があたっているのを見ていると
なにか空虚なものを感じるが、この空虚感が来年
どうなっていくかと考えるのは私一人だけではないだろう

 
◆ナショナリズムと五輪 小田実

ナショナリズムに酔うこと自体が悪いというのではない
酔うことによって
たとえば
酔わない人、酔えない人を「なんだこいつは」
と白い目で見始めることが恐ろしいのである

その白い目で取り巻かれる時
酔わない人もまた
酔ったというポーズを取らなければならない
そして
そのポーズをとっているうちに
その人もまた、本当に酔い始める


◆国家目標はどこへ 小田実

オリンピ ックに参加した多くの加盟国にと って
オリンピ ックはあくまでナショナリズムにむすびついたものであり
また、そこにおいてのみ意味があるのだろう

私もまた開会式で戦後に独立したアジア・アフリカ 諸国の選手が
国旗をかかげスタジアムにはいって来るのを見たとき、そのことを理解した

けれどもまた
私たちは同時に、解毒剤を用意してかかる必要がある

私はこれまでに
新興国のナショナリズムに無批判にかぶれてしまった

それを賛美すること以外、なにもしていないような人たちにも
数多く会ってきたのである

彼らのナショナリズムもまた、それは出発点であり
これからどのような方向にも動くものであるのだ

そういえば
このオリンピック自体にも、そのことはいえるだろう

オリンピックを運動会だとみなす考え方も
これは解毒剤としてきわめて必要だろう
 
いまもしオリンピッ クが重大な行事だとしても
それはすくなくとも目的ではなかったはずだ

ここ二、三年
日本の国家目標がオリンピックだとすれば
それはあまりにもわびしすぎよう

さて、 そう、さて
オリンピックは終わった
さて、そう、 さて
これからの日本はどんなふうに動くのだろうか
 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 

ということでした

57年前の文章たちですが
そのままコピペしても
今回にも通じるのでは、と

さて、そう、 さて
さて、 そう、さて、これからの数ヶ月
自分で考え、恐れたいと愚考する次第です

厳しい時は続きます

皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい


お前たちを取り巻く
もっと大きな自然で起きている
変化に気づくことができなくなるほど
一つの小さい自然に決して集中してはいけない
(ストーキング・ウルフ)

ではまた