kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「大みそかが一年のはじまり」だったそうです。

2021-12-31 22:11:00 | 三浦半島



年のはじまりが元日・1月1日、月のはじまりは毎月の1日です。ならば日のはじまりは?
夜中の12時を過ぎた時ということに何の疑問も持って来ませんでしたが、この本『正月はなぜめでたいか—暮らしの中の民俗学』の「大みそか が 一年のはじまり」というのです。

江戸時代から、一日のはじまりを「夜中の12時を過ぎた時」と、「朝の目覚めをもって一日のはじまり」とする見方があったと書かれています。前者を天の昼夜、後者を人の昼夜と呼んでいたそうです。

そして、もう一つ一日の区分を立てる方法について本の記述をそのまま写します。



「このような日の区分については『古事記』をはじめ、平安朝の日記文学・物語作品から〜」と、例をあげればきりがないとのことです。いずれにしても現時刻—22:09—ですでに新年という感覚が日本人のなかで共有されていた時代があった、というのは楽しい話です。




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「塩田平に鎌倉を見る」、 二つの訂正。

2021-12-30 22:00:00 | 三浦半島

昨日「つぶやき」ましたなかに二ヶ所違っていました。訂正済みですが関連して「つぶやき」たくなりましたので蛇足的に……。
はじめの部分で、

ここは『信州奇人伝』ではなく『信州奇人考』でした、昨日の見出し写真にありますね。

ここでは「串田孫一さん」ではなく「井出孫六さん」でした。

さて「つぶやき」たくなったのは今日の見出し写真です。
この本が頭にあったのでつい『信州奇人伝』としていたのです。本の書名は『信州奇人伝』ではなく『信濃畸人傳』で続編含め二冊です。
どんな人物が取り上げられているか、こちらを



この人達については別の日に紹介します(それまでに読んでおきます)。

もう1ヶ所について、「井出孫六 - Wikipedia
井出さんが書かれた『信州奇人考』


を私は持っていないのです。昨日「目次」ページとして紹介したのはその本の目次ページです。それに「塩田平——信州の学海」の該当ページのコピー(14ページ分)が添付されています。

これがなぜ私の手元にあるのか、思い出せないのです。
井出孫六を串田孫一に間違えたのはなぜ? 
脳の回線内を点検してみないと分かりませんし、点検不可能ですので全く不明です。
ただ、同様のことはままあることです。


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塩田平に鎌倉を見る。

2021-12-30 00:31:00 | 三浦半島
こちらは1955年刊行の井出孫六著『信州奇人考』の「塩田平——信州の学海」が記されている目次です。


書き出しに「信州は盆地の寄り集まった合州国のようなものである。各盆地の特質は、その盆地から仰ぎ見ることのできる山によって決するようなところがある」として「信州に数ある盆地のなかで、上田盆地だけは外に向かって誇れるような名山に恵まれない土地柄といってもよいかもしれない」と……、肝心なのは次。
「とはいえ、屏風のように立ちはだかる山岳に鎧(よろ)われていないこの穏和な盆地が、古来、信濃国の中心として位置づけられ、ここに国府ならびに国分寺が置かれたのは故ないことではない」と記しています。
 
「鎌倉殿と13人」を頭に置いて「鎌倉」をキーワードに拾い読みしてみると……。
「源氏にとって代わった鎌倉北条氏が塩田荘を重視したのは、宗家につぐ家格を持つ北条重時を守護に任じていることにも示されている。都の貴族、社寺への重い貢納に疲弊していた塩田平のあちこちに槌音がひびき始めたのは、このころからのことにちがいない。荒廃していた寺院がつぎつぎに再建され、華麗な三重の塔が建てられていく塩田平には中世の明るさがみなぎっていたのではないだろうか。〜いつしか塩田平に〝信州の学海〟という異名が寄せられることになり〜」と。
 
さらに「海水浴などという娯楽を知らない鎌倉武士や五山の僧侶たちにとって、夏の鎌倉は暑気と湿気が高く必ずしも住みよい首都とはいいがたかった。とすれば、一族の重鎮北条重時が信濃国の守護に任じられて赴いた塩田荘の七久里の湯(別所温泉)を別荘と考え別墅(べっしょ)と呼んだとしても、そう不思議ではない」
 
北条重時は「鎌倉殿と13人」の主人公・北条義時の三男ですからドラマに13世紀の塩田平が出現することはないでしょう。それだけに上田といえば真田、真田と言えば幸村という17世紀上田観を400年ほどさかのぼって13世紀の塩田平に、「広大な中世学術都市が存在していたのではないかしきりに思われてくる」という井出孫六さんと思いを共にしたいと考えます。
 
 
 
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鎌倉殿と13人 ー 01 ー

2021-12-28 23:08:00 | 三浦半島
1月9日からの「鎌倉殿と13人」、kaeruの注目は三浦。鎌倉を鎌倉たらしめた東国武士団なかでも三浦一族をこの一年間追ってみようと、本を買って来ました



二冊並べましたが『つわものの賦』は9月に読み終わってます。
これを読んでみて下さい、


こちらは『つわものの賦』の裏表紙で、裏表紙の「鎌倉幕府の成立は……」にはじまる一文と帯の「もし日本に……」から記される(あとがきより)の短文です。誰が鎌倉幕府を開いたか? に対して源頼朝という声が返ってきます。それを「日本史上最大の変革・鎌倉幕府を成立させたものは」と変えれば……、その答えを追った一年になるでしょう。


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(未完)の続き……。

2021-12-27 23:52:00 | 病は道連れ
この一文は2年前に「つぶやき」かけ(未完)としていたものです。今日はこの続きにすべきことがありましたので「続き」です。


いま読んでみて時系列で追ってみると繋がらないところがあるのですが、2019年の12月に3度目の手術をした後は順調に3ヶ月検査を重ねてきました。今日の検査結果では次からは6ヶ月毎にしましょう、ということになりました。日常生活では頻尿が気になるくらいですが、検査の前日は「ウム、明日は」という気分になっていたので、「今日は良き日」という思いです。
夕食どきワインで乾杯しましたが、やはりお酒が良いと仏壇に供えているお酒の小瓶の封をあけて呑み直し、妻はワインで杯を重ねていました。
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初明かり

2021-12-27 07:23:00 | どこまで続くかこのブログ
「初明かり」とは俳句の季語で元旦の日の出前を言いますから、この写真では遅すぎでしょう。
 
 


歳時記の説明文「元日の朝、東の空がほのぼのとさしてくる曙光をいう。海辺や山頂に出向き、それを待つ人々もあり、冷気のなかに現れることでなおのこと、曙光は荘厳な気を感じさせるだろう。新しい一年の始まりを意識することで、人はリフレッシュして生きようとする」(『角川俳句大歳時記 新年』)
さて上の写真の上辺左側にポッツンと、何だと思ったら……、


今週の土曜日(2022年1月1日)の日の出前、どんな夜明け前になるでしょう。



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全世界の一人として……。

2021-12-24 23:41:51 | 病は道連れ

タイトル入力しながら、なにか大仰なこと言い出したなと……、

でもねこちら日本国のコロナ感染者数のグラフ、

2020年1月24日からはじまって昨日12月23日までです。一気に収縮期に入ったという感じです、しかしというのがこの表・世界全体ではどうなっているかというグラフです、

上と同じ日からはじまって昨日まで、この状況が私たちの共通の住処である地球社会でのコロナ感染状況です。12月23日の数値が示すように1日970,817 人という数値がこの期間の最大数です。

「コロナ、来るな!」と呪文を唱えたりお札を貼ってもダメなことくらいは理解している文明国の日本人ですから、仮にこんな状況になかで口にすべき言葉は、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」でしょう。

詳しくはこちらを、

宮沢賢治『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』

外来の患者さんの4人に1人から、「先生、今朝の信濃毎日新聞の一面に出てましたね」と言われ、最初は何の内容か分からず、びびってました。 が、緊...

toshiro-inaba

 

 

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オミクロン株が心配な私が知りたいので……。

2021-12-23 21:03:35 | 病は道連れ

年末で早くも「おめでとう」の文字が目に入りますが、気持ちはそうなりません、このままお正月が来ても……、という人も多いのではないでしょうか。その人と私のためにこの記事をどーぞ!  

オミクロン株が心配な人に知ってほしい最新事情 | 新型コロナ、「新しい日常」への前進

オミクロン株の感染が世界中で拡大している。筆者が考えるオミクロン株の主要な論点について議論したい。私の最大の関心事だ。11月に南アフリカでオ...

東洋経済オンライン

 

 

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風邪模様ならぬ風模様、風紋です。

2021-12-22 21:30:05 | 病は道連れ

風邪模様ならぬ風模様、風が砂丘に描き出す自然の芸術が風紋です。

風邪がどうやら悪化せず、治ったようで余裕が出てきた証でしょう、芸術的なことに気持ちが向きました。手話も風紋の景を背に見ていると芸術的に見えてきます、御照覧あれ!

風紋(ふうもん)~手話による鳥取砂丘ガイド~

 

youtube#video

 

 

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1970年代の鎌倉市長戦の歴史が示すこと。

2021-12-21 10:36:07 | せいじの政治カフェ
この投稿文は鎌倉の「腰越九条ニュース」の最近号に寄せられたもので、ニュースはメールに送られて来ました。この投稿文の写真「大内兵衛氏のポケット判小冊子」の脇に「昭和46年5月3日 鎌倉市長 正木千冬」とあります。

その正木市長が誕生した時(1970年8月)の写真がこれで、真ん中が正木さん右脇が大内兵衛さんで、この時神奈川県ではじめて革新市長が実現したのです。

「憲法を暮らしの中に」という小冊子は革新市政誕生の翌年に発行されたわけで、ここには市民の暮らしの中に憲法を生かす市政を、という正木市長とそれを生み出した市民運動の理念が込められていました。

正木さんを市長候補として公認し、選挙戦を戦った「鎌倉市民連合」はこの写真に記されているように「市民の良識を結集し、反共反動勢力に勝利」したのです。首長選挙での統一戦線の重要性は言うまでもなく、憲法を暮らしのなかで生かすためには日常的に地域で統一戦線運動が追求されなければならないでしょう。

正木市政は2期目も大差で勝利しましたが、3期目で敗れています。当時の政治情勢は今日とは大きく異なっていますが、統一戦線の重要性は一層増しています。今回の総選挙での「市民連合」の掲げた政策(6柱20項目)を、共闘に参加した政党が政策課題としてその実現に取り組むと併せ、「市民連合」自身の運動課題として日常的に追求し組織としても運動を担い発展させ得る力量を情勢は求めています。

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