kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

大阪の大人の恋物語

2020-01-14 00:04:00 | 私の寅さん
男はつらいよ 27作 浪花の恋の寅次郎
 
 
 
佐藤利明著『みんなの寅さん from 1969』p21
レコード「愛の水中花」が大ヒットしていた、松竹を代表する女優・松坂慶子さんがマドンナをつとめました。広島県は大崎下島で、日傘を差した美しい女性と出会った寅さん、ひととき会話をします。その雰囲気から、彼女の仕事を工場勤めか、郵便局員かと思い込んだ寅さんでしたが、実は、大阪は北の新地の美しい芸者さんだったのです。この後、船着場での別れ際、寅さんはおふみさんに「じゃぁな、幸せにやれよ」と声をかけます。浪花の恋は、この瞬間に始まったのかもしれません。(2015年9月26日)
 
『同』p 392
さて、寅さんは大阪に来て一週間、肝心の商売はパッとしません。生駒山のふもとの石切剱箭神社で「水中花」のバイをしているところに現れたのが、寅さんが岡山県の大崎下島で出会った美しい女性でした。寅さんは彼女が大阪で働いていると聞いて、郵便局員かと思い込んでいましたが、実は北の新地で芸者をしている浜田ふみ(松坂慶子)です。
 ふみは、よほど寅さんに会いたかったと見えて、顔を輝かせ、心の底から喜んでいます。それは寅さんとて同じこと。大崎下島でおばあちゃんのお墓に手を合わせている、清々しいふみと、ことばを交わし、船着場でまだ見送ってもらっただけの関係ですが、そのときのことがお互いのこころに、深く残って、もしかしたら……と思って寅さんは大阪に逗留していたのかもしれません。
 (略)一見して、華やかな芸者の世界に生きるふみですが、子供の頃から苦労を重ね、生き別れになった弟との再会を夢見ています。
 寅さんとの出会いで、行動を起こすことになるのですが、弟の死という悲しい現実に直面します。幼くして分かれた弟は、大阪でまじめに頑張っていましたが、つい最近に亡くなったことを聞かされます。その弟には結婚を約束した女性もいたことがわかり、その無念さが、ふみにも、寅さんにも、観客にも悲しみとして広がっていきます。
 ふみは「でもあの子可哀想やねえ、恋人に死なれて、これからどうないするんやろう」と、弟の彼女の心配をします。寅さんは優しく、「今は悲しいだろうけれど、ね、月日が経ちゃあ、どんどん忘れていくもんなんだよ」と話しかけてくれます
 悲しみにくれるふみに優しく寄り添い「忘れるってのは、本当にいいことだなぁ」と寅さんのことばは、実に深いです。大阪の夜にひっそりと咲いた、寅さんとふみの恋。シリーズのなかでも忘れがたい、しっとりとしたおとなの物語が展開されてゆくのです。
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車寅次郎と荒畑寒村ー二人を結ぶ女

2020-01-12 21:34:00 | 私の寅さん
この本で荒畑寒村が対談に出ているのには驚きました。寒村は日本近代史の男であると同時に現代史の男でもあったのだと認識を改めました。
それは1976年1月号の雑誌『婦人公論』で当時33歳の樹木希林(当時の芸名悠木千帆)が47歳の渥美清と対談し、12月号で89歳の荒畑寒村と対談していたからです。



12月号では荒畑寒村に女房歴を語らせていた。



悠木千帆は他に10人の男を相手に対談、その視点は
「わたしは男の値打ちっていうものをね、女の人とのかかわり合い方とか、暮し方、そして別れ方というところできめておる……」というところに置いての話の引出し。

渥美さんとはこんな感じで、
悠木 女と男と見ていると、どんな感じしますか。女の方が強い感じします?
渥美 やっぱり女の人、強いんじゃないかね。生き抜いていくからね。
悠木 わたし、今のこの世の中で自分が男に生まれたら死んじまう。
渥美 女の人は強い。傷つかない部分がありますからね。
悠木 それを考えると、男の人がちょっと気の毒になったりするの。
渥美 男はブスッと刺すと、イタイタっていうところがあるね。女の人はゴムみた
   いにずっとへっこむと、プッと出てきちゃうみたいなもの。いい意味である
   んじゃないでしょうか。  
悠木 悪い意味でもありますけど。
渥美 それでなかったら、子ども育てて、食べ与えてできない。
  
寒村さんとは、
悠木 お見合をすすめられて、その方とだけお見合いしたんですか。
寒村 そうです。
悠木 どんなところに惚れられたんですか。
寒村 別に惚れもしないですけれども。
悠木 不安はないんですか。悪い女じゃないだろうかとか(笑)。
寒村 ぼくは結婚するのには、その女は美人でなくていいから、達者な人物、病気な
   んぞしない女という、そういう条件でした。(略)  
悠木 それはやっぱり前の奥さんが先に亡くなられたから、達者ということが第一に
   頭にあったんでしょう。
寒村 ええ、前の女房がね、五年も中風でいられちゃつらいですよ。しかも、あんた、
   寝ている女房の枕もとから、昭和十二年暮のいわゆる人民戦線事件で拘引された
   んですからね。もうこんどはかまわんから丈夫ということをね(笑)。一緒に 
   なってみたらば、美人でもない何でもありませんしね。
             
荒畑寒村について 


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昨日のカエルはここにいた = 第十七作「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」

2020-01-11 22:42:00 | 私の寅さん
 


東京は足立区西新井大師の縁日での啖呵売が昨日のカエルの図でした、この予告篇はYouTubeで見られます。さてこちらは昨日のカエルの予告しました「チームワークの中身」についての山田監督の書かれている言葉を紹介します。
 
    山田組のコーヒータイム 
           ー「ドキュメント男はつらいよ」刊行に寄せて
                              山田 洋次
 
 私の組のロケーション撮影では、午前と午後、コーヒーが出ることになっている。
 いつの頃からそうなったのかよく憶えがないが、多分七年、八年前からだろう。別に頼んだわけでもない。なんとなく、いつの間にかそういう習慣ができたのだ。
 もちろん、ハリウッドのようにキッチンカーなどというものがあるわけではない。ロケーションにはつきものの、照明用大型ジュネレーター(発電機)を積んだトラックの運転手の太田さんという人が、仕事の合い間に、お手のものの電気を使って店舗用の大きなコーヒーメーカーで沸かしてくれるのだ。
 ところで、太田さんは松竹の社員ではなく、映画器材のレンタルを商売にしている会社から派遣された人である。だからスタッフの為にコーヒーを沸かすという仕事はまったくこの人の好意なのである。確かコーヒー豆は組の予算で買っているはずだが、コーヒーメーカーや砂糖、紙コップなどはこの人の支出なのか、器材会社の金で買うのか、その辺のことはよく尋ねたこともない。ただ、山田組の仕事の時は、器材会社で必ず太田さんを派遣してくれることになっているし、だから太田さんは殆どスタッフの一員のように、当人も我々も考えていることは事実だ。
 私の組のスタッフの半分は松竹の社員であり、残りは一本毎の契約者や太田さんのような形で他所の会社から派遣された人たちだが、その殆ど全員が、最低三年か四年は一緒に仕事をして来た、いわば〝仕事仲間〟なのだ。だから、四十人前後のスタッフは、お互いに気心や性格、簡単な家族の状況程度のことは理解し合っているのである。そして、その全員が、寅さん映画に参加していることに誇りを抱いてくれている。
 こういう形で映画を作れるということは、日本だけでなく、世界でも珍しいことなのではないか、と思う。寅さんシリーズが長続きしている理由は、と問われることが多いが、私はまっ先にそのことを挙げたい。ながい年月をかけて築き上げられたスタッフの人間関係、つまりチームワークは、金に換算できない、高価な財産である。
 ロケ先、たとえば曇り空で天気待ちの時など、なんともいいタイミングでコーヒーが出てくる。私のコップは少量の砂糖でミルクなし、カメラマンは砂糖とミルク、照明技師はブラックと、それぞれの好みまでスタッフは心得てくれている。
 紙コップの暖かいコーヒーを飲みながら、そんな風にして仕事を続けていられる幸運を、私はしみじみ思うのである。
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これは第何作目だったか? 

2020-01-10 19:18:00 | 私の寅さん

このカエルが寅さんの稼ぎに少しでも役立っていたらうれしいのですが……。

それにしてもどこの神社か、第何作目の誰に惚れた時なのか思い出せません。
そのうちわかる時がありましたら「つぶやき」ましょう。
あるいは御覧になっている方で、第何作目だよと教えてくれる方がおられましたら
コメントに書き込んで下さい。
 
本棚にかなり以前のものですが、ありましたこの本、
 
 
奥付に「1987年12月25日 初版」とあります。
1987年・昭和62年12月は第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」でした。
 
この本に第一作から39作までのポスターが載ってます、その最後のページ、
 


本の中身も紹介したいのですが、何よりも裏表紙の山田洋次さんの言葉は是非読んでいただきたいのです。
 
 
このチームワークの中身を山田さんが本で披露しています、少し長くなりますので明日紹介させてもらいます。
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人生と「後悔」

2020-01-09 02:03:00 | 私の寅さん

「第十七作 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼」でこのシーンを見直したいと思うのがこのセリフの場面です。


岡田嘉子演ずる志乃が宇野重吉の青観に言う、
「私、この頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。ああすりゃよかったなあ、ていう後悔と、もう一つは、どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔……」
 
志乃のこの言葉の前に、青観の
「ぼくは、あなたの人生に責任がある」という言葉があり、
志乃が
「仮に、あなたがもう一つの生き方をしたら、後悔しないと言いきれますか?」と受けて、先の言葉に続くのでした。
 
この会話を頭に置いてラストシーンを振り返ると、次の場面で示された青観の真意を見せてくれたと思えます。



 
下の青観のセリフは、寅が芸者ぼたんのために止むに止まれぬ思いで青観に絵を描いてもらいたいと頼み込んだことへの返事です。   

一時断った絵描きが己の故郷で「人生に責任」を負った人の言葉を受け、寅次郎の「真剣勝負」に画家としての真剣勝負で応えたのです。
 
【使わせてもらいましたぼたんと青観のセリフと映像は、
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今夜も寅さんワールドに……。

2020-01-06 19:49:34 | 私の寅さん
21時からの「男はつらいよ17作」は「寅次郎夕焼け小焼け」です。
 
 
 
それが終われば、
 
今夜も忙しく楽しみます。
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三が日は寅さん漬け……。

2020-01-04 23:34:35 | 私の寅さん

元旦はこの三本、

 

(昔、新宿で三本立てを観、映画館を出て早朝の街中を帰って来たことがあった、ナー)。やはり映画は映画館で観るべきと思いつつ、五時間テレビの前にいました。
 
二日目はこれです、

この映像はこちらから、
 
 
第16作は1975年12月、いつ頃からだったか正月は妻と「寅さん」を観にいくのが恒例になっていましたから、この映画もその頃に入ると思います。
そんなことを思い出しながら、この本を、
 

めくってみました、風天というのは寅さん渥美清さんの俳号です。特にこの頁、
 
 
山田監督へのインタビューは、この次の頁へと、
くなってしまった。でも、周りは残ってる。映画の観客や俳句を詠む人にとってはいつまでも生きている。それが渥美さんの生き方だったんじゃないかな」
 「入れ子」とは寸法の違う同形の箱などを組み合わせ、大きなものに小さなものが重なって収まるようにしたものである。
 「田所康雄はそーっと消える、彼はそれが理想だということを奥さんの正子さんに言っていたそうですね。いつの間にかいなくなって町で誰かが噂している。渥美清っていたなあ、どうしたんだって言うと、あれ、一昨年、死んだよ、ああそうかという消え方が理想なんだけれども、なかなかそうはいかない、『僕も一応現役だからマスコミに死んだということを知らせる前に骨にしておきなさい』と奥さんに言い置いて亡くなり、奥さんもそのとおりにした。大騒ぎして死ぬのがイヤだったんでしょうね」
「渥美さんは晩年のインタビューはいつも寅次郎の格好をしていた。世間には車寅次郎のままでいたい、田所康雄はみんなが気がつかないうちに消えてしまいたいという思いがあったんじゃないのかな」
 渥美さんは「芝居も暮らしも贅肉がない人」と言われました。俳句も言葉を削ぎ落として作ります。
「短い言葉で本質や情景をスパッと言い切る。渥美さんはそれが非常に得意だった。まさしく俳人たる資格かもしれませんね。鮮やかな表現で人間や景色や天気を言い当てる。いいところだね、というのを実にうまく表現する。本質をえぐりとるような言い方、スパッと斬って切り口を見せてくれるような言い方」
 それでいて余韻がある。
「そういえば、こんなことを思い出しました。『男はつらいよ』シリーズが十四、五回を超えたころかな、批評家にマンネリズムだ、と新聞にやたら悪口を書かれました。北海道のロケ先で林の中を渥美さんと二人きりで歩いているとき、ウン、バサバサと落ち葉を踏む音まで覚えていますが、僕は「とにかく僕たちは一生懸命作っている。それを批評家は何故わざわざ悪口を言うのか。気に入らない、評価しないと言うのなら無視すればいい。わざわざ書かないで欲しいと思うよ」とぼやいたんです。すると彼はこう言ったのです。
「作り手が自信を持ったときは、彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、傍から見ればどこか傲慢に見えたりするもんなんです」
 そんな言い方で慰めてくれた。僕は哲学者に話を聞いているような気がして、なるほどなあ、と感心したものです」
 
そんなことで、ほぼ1日哲学者にして俳人の田所康雄という人のことを読んでいました。それで三日目の昨日はこんなところへ飛躍して、
 
この本は直接田所康雄さんについての話ではありませんが、田所さんの死因が肺がんであったこともあって私のなかではつながってきて、今年は「がん哲学」にこだわりそうな予感がします。
コメント (2)
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