kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「天災も天才も、忘れないうちにやって来る」

2022-08-31 18:55:39 | kaeruの『資本論』

天災は忘れた頃にやって来る、とは寺田寅彦の言葉だそうです。天才の方はどうなんでしょう、まずこういう言葉はないでしょうが、あったとして現在に言い返せばタイトルのように言えると思います。

天災については言を俟たないでしょう、では天才の方は……、

最近某御婦人と天才を巡ってLINE上意見交換をしているのですが、その人からの一文です(赤色部分 13才の天才とは、

13歳の天才少年が大学卒業に続き博士号取得へ 「最終目標は大学教授になること」   はkaeru)

藤井聡太5冠のお師匠様の杉本8段の話しを時々聞いてると、ああこの、師匠にしてこの弟子有りかと思います。このお師匠様だからこそ藤井5冠の才能を潰さなかったのだと。13才の天才少年も才能もさることながら周りの環境もよかったのでしょうね。

そうなんです。才能による個人差は当然あるでしょうが、彼あるいは彼女をめぐる環境の相違がある意味では決定的でしょう。持っている才能が環境によって歪められることも有り得ます。人間の成長発展は個人レベルと環境条件を考察することを統一させなければ、見えてこないでしょう。社会とその構成員としての個人が、成長発展を促進し合える関係にしていく方向性を探り実現させる運動が社会科学と社会運動だと思います。

さて、天才といえばマルクスの頭脳についてひと言触れざるを得ません。

1883年3月14日、マルクスが永遠の眠りについた時「人類は頭ひとつだけ低くなったのだ。しかも、人類がこんにちもっていた最も大切な頭だけ」とエンゲルスは戦友への手紙に書きました。

ひとりの頭脳の死が人類の頭ひとつを低くするような頭脳の持つ主を、人々はこう評価しました……、

この部分での石川康宏講師の話した内容、

この部分を石川講師の声で聴くには、こちらをクリックしてYouTubeの該当部分を視聴して下さい。

 

取り敢えず 『資本論』……。 - kaeruのつぶやき

昨日は孫に本を贈ると「つぶやき」ましたが、孫娘へ贈るのは先送りしたけど孫息子には既に贈っている本があるのです。2年前の正月に彼からジジの本棚から歴史か哲学の本を...

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私はこれを聴きながら、19世紀のひとりの天才に比し21世紀では「集団的な天才」と称すべき人々が生まれているのではないかと感じました。人類の頭ひとつを低くした天才も脳細胞の総数では、約860億個という個数は変わらないでしょう。21世紀を生きる者のネットワークで繋がった個々の頭脳は、各々が860億個のなかに情報を共有し瞬時瞬時に起承転結を繰り返しています。

21世紀を青年期として生きる孫世代は、自己の人生をSNSの繋がりのなかで「集団的天才」のひとりとして活かすことができます。個人個人が社会の構成員として、社会の未来への展望を自分の人生の方向としてし見定め生活に方向性を設定出来ます。その為には自然科学を包含した社会科学の発展が必要です、それを展望したとき『資本論』がその基点となると思うのです。

日本語で書かれた『新版 資本論』が、マルクスの書こうとした『資本論』に現時点では一番近いであろうと思うとき、マルクスが1858年10月8日にエンゲルスに送った手紙を思い起こします。それは「世界はまるいので、このこと(ブルジョア社会の本来の任務、世界市場を作りだすこと)は 〜 日本の開国で終結するように見える」です。この年、徳川幕府は日米修好通商条約をはじめ、日蘭、日露、日英、日仏の修好通商条約を調印してます。ブルジョア社会の世界市場づくりは、日本社会が世界市場へ開かれることをもって閉じられました。

その日本社会の激動が、170年後世界に『新版 資本論』を送り出しました、世界史の弁証法とでも称することができるでしょう。

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何を言いたいのか、 考えたいのか

2022-08-30 23:34:28 | kaeruの『資本論』

昨日の「つぶやき」は、ワイコマさんのコメントに関連したのですが、今日も、です。

哲学・人間社会学 (カエル)2022-08-30 21:19:59

「自然科学や工学技術」を担っているのも社会科学の
推進者も人間自身だが、人間は社会の産物になる相当
以前に自然の産物として地球という産院で育った。

人間以外の生物(動物、植物)は自然という産院から
抜け出すことなく大人になり子供をつくり自分達は死
んでいった。人間だけは産院のなかに自然の産院を真
似ながら社会という保育所を手作りし、死ぬ率を少な
くし、他の生き物の領域をも己れのものにしていっ
た。保育所の周りに農地をつくり食べ物を作るように         
なると領域の拡大は人間同士の領域争いになった。

(なんか長くなりそう)要は人間社会学というのは哲
学と歴史学の範疇に入るのではないかということと、
人間社会の変化流動とはその全構成物の動きの総和で
あるということを言いたかったのです。その辺を科学
とはじめて明らかにしたのがマルクスで、主書『資本
論』です、これによって始めて社会を科学の対象とし
て理解できるようになった、ということ。自然科学と
の差は100年なんていうものではないが、自然科学を
通じて科学的視点を得ている人間にとって、社会を科
学的に認識する条件は飛躍的に広がっている筈です。

このkaeruなる20世紀前半生まれの人間が、こういう
ことをつぶやき社会に発信している事実がその一事例
だと思って下さい。】

話が外れるのですが、石垣島に帰った孫娘からばあちゃんにメールがあってコロナに感染した、と。実は近く葉山にくる予定の孫息子が、葉山に寄るが庭でみんなに会って帰路につくというのです、コロナの感染予防だと言って。そこで妹は3泊して無事帰った、2日ぐらい泊まる予定で来てくれ、と連絡を入れたばかりでした。

家で3泊しかなりの時間行動を共にして、無事着いたが実はコロナ感染者になっていた……、だとすれば孫息子が気にして庭で会って「さようなら」どころかジジババに会うこと自体が危なくなってきたのです。

これが今日の「つぶやきます」とどう関係するかですが、もちろん直接どうこうというわけではありませんが、コロナ感染は個人としては医療という自然科学に関わることに、同時に感染は社会現象であり医療制度や政治問題という社会科学の領域に入る問題です。

自然科学と社会科学の狭間で右往左往することでなく、我身のPCR検査を視野におきながら、激動の社会に対していく心構えを社会科学の基盤に据えることでしょう。

そんなことを考えていたら頭に浮かんだのがこの本でした。

久しぶりに手にして、現在のロシアでイリインのこの本がどう読まれているのか気になりました。この本ばかりでなくロシア革命が切り開いた人類社会への制度上の貢献をはじめ積極的な成果を、受け継ぎ発展させていかねばなりません。「産湯と一緒に赤子を流す」という諺を「流すな」の教訓として肝に銘じましょう。そのためにも、社会科学の科学性を確立した『資本論』への接近の必要性を痛感します。

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ワイコマさんのコメントから、 「数学と算数と算術」

2022-08-29 21:18:10 | kaeruの『資本論』

昨日の「つぶやき」へのワイコマさんのコメントのタイトルですが、昔の記憶に算術という文字があった、と思い出したのです。そしてこのところ量子力学などという分野に首を突っ込んでいる孫息子と、元高校で数学を教えていた御婦人とラインでやりとりしているうちに、「0.999999……」問題に引っかかってしまっているのです。

そして数学というものに触れさせられて愕然とと言うか、呆然というか、私の頭にある数学を数学と称したとすれば孫息子や某御婦人の言う数学は超数学と称すべきと思うのです。

夕飯を食いながら見ていた海底9,801メートルに着いた乗物とか月面に向かう乗物の話も実は数学があっての話なのです。この場合の数学はカエル基準で言えば超超数学なのでしょう、その成果の上にはじめて実現する計画であるはずです。

だとすれば自然科学の数学畑にとどまっていては、昨日の「スマホと量子力学」の終わりの部分、

ここ、「自然科学や工学技術の発展に、社会科学や政治の世界が後れを取ってはならない」この指摘の通りです。孫息子や某御婦人の数学水準に対し算術で向きあうなどドンキホーテ的立ち向かいでした。ここは「政治の世界」と入力すると「清司の世界」と表示されるように清司!遅れをとるな!社会科学の世界に戻れ!ということなのです。

そこで、例の問題に対する孫息子の解答を記して、数学話は〆にします。

(某御婦人の評価では、解答1は算数水準、解答2が数学水準だそうです)

 

大学生の孫息子の 

解答1
厳密でない解答と聞いたことがありますが、分かり易いので以下解答 

1/3=0.333・・・
1/3×3=0.999・・・=1

解答2
1≠0.99・・・とすると、任意の微少数σをいて
1>0.99・・・>1-σ
が成り立つ。ここでσをどんなに小さくしてもこの式は成り立つことからσの極限を考える。
lim σ→0とすると、
1>0.99・・・>1
を得る。
これより0.99・・・=1 

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「資本論話」の途中ですが……。

2022-08-28 22:33:32 | kaeruの『資本論』

今日は「資本論話」としてこの話を持ち込もうと考えていたのですが、

これは次に回して、数学の問題を出したくなりました。

 

問題 

「0.999999……」は数値「1」か、

1に無限に近いが「1」とは別の数値か?

 

この問題には思い出がありまして、忘れていなかったのですが

昨日同じような問題をある御婦人から出されて思い出したのです。

かなり広まっているようで、答えを承知している方もおられるでしょう。

昔、娘が大学生の頃この問題を出したら私には分からない積分だか微分だかの数式を書いて解答して来ました。兄の方はよく分からぬ、という風な言い方でした。

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取り敢えず 『資本論』 石川康宏講座 補修(映画予告編)

2022-08-27 07:57:36 | kaeruの『資本論』

石川康宏講座で観られなかった2分間です、

 

これは、昨日の「つぶやき」へのワイコマさんのコメントへのカエルの返信です。

寅さんと『資本論』 

山田洋次監督の胸のなかに、このテーマで撮りたいと
いう思いがあったとすれば……、てなことを考えると
マドンナは誰だろうか。そして舞台はどこの駅からは
じまるだろうか。あるいは海が山が川が、思い切って
今夜のような小島、沖縄の最も人口の少ないような島
を舞台に一冊の『資本論』をめぐって寅さんが恋に落
ち入る。商品にいたる人対人の取引と恋愛における駆
け引きには、映像化されるものがあるのではないか。

今夜の「男はつらいよ 第46作 寅次郎の縁談」ははじめて観ました。それで一寸刺激されこんな返信をしてみました。島国日本からはじまった『資本論』の進化、なにやら寅さんが出会いの予感のような、そして失恋ではなく世界史的な成婚に結びつく予感がするのです。

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取り敢えず 『資本論』……。

2022-08-26 23:11:22 | kaeruの『資本論』

昨日は孫に本を贈ると「つぶやき」ましたが、孫娘へ贈るのは先送りしたけど孫息子には既に贈っている本があるのです。2年前の正月に彼からジジの本棚から歴史か哲学の本を送ってくれ、とメールがありました。

私の本棚を見ていたのでそんな注文になったのでしょう。俳句の本という注文はなかったのは量子力学などという分野に首を突っ込んでいるからでしょう。

さて、何を贈るか、歴史と哲学を兼ねたものをということで『新版 資本論 第1分冊』とNHKの「一週間de『資本論』」を何の説明を加えず送りました。彼から、お礼と「薄い方(NHKの本)は冬休み中に読みます、厚い方(『新版 資本論』)の方はそれから」というような返信がありました。それで何か言ってくると思っていましたが、それ以後「資本論話」は聞こえてきません。

実はこの度この石川康宏さんの講座を見て、これはこのままほっといて返信は来ないかも……、と気づいたのです。そして、kaeruの『資本論』もそれきりにしておいて孫息子の動きを気にしている場合ではない、ということになります。

あまり構えて『資本論』をやるぞ!という風にすると疲れますので、孫に顔向けができる程度に、「とりあえず『資本論』」です。宜しけれがご一緒に。

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孫のことを神頼み

2022-08-25 21:10:51 | kaeruの孫録

昨夜孫娘から帰りの予定を聞いてジジババも成田空港まで見送ろう、と今朝は6時起き、朝飯は昼飯と兼ねて空港のどっかで食べる事にしてお茶一杯で出発。

成田空港まで一本で行く線があることは知っていましたが、乗って知るのとは違います、空港と言ったら羽田という認識が改まりました。2時間半ほどですが、昨夜、じいちゃん電車内で2時間以上だけどトイレ大丈夫? と心配してくれて「まあ大丈夫だろう」と言った通り大丈夫でしたが、その孫娘が車中でじいちゃんこれ頼むとキャリーバックを私の前に、人をかき分けトイレへ。ジジの同行が救いの神になったのです。

かなり余裕を持って出てきたので食事後も、場所を移してかなり話し合う時間がとれてババさんもゆっくり話が出来てよかったね、と。話しながら私のバックのなかの本を渡すのを後にしようと考えました。一つはジジだけでなくババと共有の思いを伝えようと思ったことです、そのためには本をばあちゃんにも読んでもらわねばなりません。

もう一つは本人がいま取り組んでいることの関連で『私のひまわり戦記』の内容について当方で深めておきたいし、もう一冊の『日本軍と戦争マラリア』もよく読んで2冊の内容を前提に2人の孫に共通の思いを伝える。来月くる予定の孫息子を迎え話し合いを通じて、ジジババ世代が孫世代に託すこと、祖父母としての私たちと亡くなった娘の2人の子としての孫2人、その父親に何を託すのか何を伝えるのか、よりはっきりしてくるでしょう。

そんな思いを持ちながら、空港で孫娘と別れ途中下車して成田山新勝寺に寄りました、はじめての参拝です、ここではこの2枚、

門を背にこちらを向いている人がばあちゃんです、

 

孫が迎えるそれぞれの試練は本人の奮闘努力の結果によるのですが、ジジババとしてはこれです。ばあちゃんが孫娘の受験の、ジジが孫息子の学業への成就を願ったのです。

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孫娘への期待——託すべきもの。

2022-08-24 18:39:09 | kaeruの孫録

一昨日孫娘を迎えこの3年間の「成長」を実感しています。彼女に託す期待がこの本を贈ることにあるのです。

本を買う時点で石垣島の孫に贈ろうという思いはありました、それは2人とも小学生の頃だったと思います。書き手の宮良ルリさんも石垣島の人ですし、ルリさんの宮良と孫たちの宮良の繋がりはわかりませんが、何にしても同姓であれば狭い島社会のなかで何らかの繋がりが考えられます。とは言え3年前にはそんな思いは浮かびもしませんでした。ただ母親を失った思春期の彼女がこれからどう進むのかに気持ちが奪われていました。

この3年間2人の孫にとってババさんは本当に支えでした。そして見事二人とも母親の死を受け入れ、生きる力にしてきたと思います。それだけに娘が母親として子供の成長を期してきた地域・石垣島に自分自身を知るきっかけを示す役割がジジにあると思うのです。 

実はもう一冊著者宮良名の本があります。

『沖縄戦の記録 日本軍と戦争マラリア』宮良 作 著です。書名と著者の控はあるのですが、肝心の本が見当たらないのです。こちらの方はかなり後から買った記憶があります、こっちは孫息子に贈ろうと最初から考えました。

本を通じて何を託したいのか、それは著者の思いに共鳴してそれを次世代に託していきたいからです。『私のひめゆり戦記』で言えばこれです、

ロシア軍によるウクライナ侵攻が半年間になろうとしている現時点で、21世紀を担う孫世代がジジババ世代の声を心に届ける努力が急がれます。そして台湾をめぐる緊迫した情勢です、歴史から学びつつ21世紀を展望する視野をどう作りあげていくか、ジジ世代として己の視野もそれに重ねあわせるものでなければと思います。

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人生100歳時代と孫世代

2022-08-23 22:09:04 | kaeruの孫録

自分の祖父母と言うと父方の父親の写真が兄の家に飾られていますが、いつ亡くなったのかもその歳も全く知りませんし、これを書くまで無関心でした。祖母となるとまったく……、知る手がかりがあるのだろうか? 知る必要があるのだろうか? 実に無関係のなかにいます。

母方の祖父母のうち母の母親、お婆ちゃんは遥か昔の上田の母の実家、東京から疎開して、少し落ち着いたころ母は当然小池家一同で挨拶に行っているでしょう。その時のという記憶では無いのですが、奥まった部屋に背中を丸めた老婦人を思い浮かべることは出来ます。祖父はすでに亡くなっていたでしょう。

私ども夫婦の孫は4人、2人は20歳代後の2人も20歳に2年3年というこれから世代です。さてこの世代へ、何をどう託していくか。明日は孫娘とジジババで考えてみよう。人生100歳時代とはジジババ世代が自分の言葉で直接語りあえる時代だということ、私どもがジジババについて無知であった時代とは隔世の感あり、で世代間に橋をかける直接の工事者である、責任も負っているでしょう。

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「八月の五句」 から、 孫が来た。

2022-08-22 18:36:08 | kaeruの五七五

 昨日の「つぶやき」の〆でここで「もう一つ」つぶやくと「つぶやき」ましたが、その準備ができなく先延ばしになります。その言い訳も含めて、先日の句会の五句を載せます。

·

一句目の箒草の句は、3人から点が入りました(最高6点)。5番目は1点句で、言い訳の説明になる句です。

石垣の孫娘が東京で中国語の検定試験に来ているとは知っていましたが、思ったより早く我が家に来てしばらく滞在する、ばあちゃんの予定には入っていたようで全然慌てることもないのですが、私は慌ててまずこの言い訳、部屋の片付けも途中なので身体の動きをそちらに移すことになりました。

3年ぶりの孫娘の再会に一句

 孫娘夏の光のままに立つ

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