天災は忘れた頃にやって来る、とは寺田寅彦の言葉だそうです。天才の方はどうなんでしょう、まずこういう言葉はないでしょうが、あったとして現在に言い返せばタイトルのように言えると思います。
天災については言を俟たないでしょう、では天才の方は……、
最近某御婦人と天才を巡ってLINE上意見交換をしているのですが、その人からの一文です(赤色部分 13才の天才とは、
13歳の天才少年が大学卒業に続き博士号取得へ 「最終目標は大学教授になること」 緑はkaeru)
藤井聡太5冠のお師匠様の杉本8段の話しを時々聞いてると、ああこの、師匠にしてこの弟子有りかと思います。このお師匠様だからこそ藤井5冠の才能を潰さなかったのだと。13才の天才少年も才能もさることながら周りの環境もよかったのでしょうね。
そうなんです。才能による個人差は当然あるでしょうが、彼あるいは彼女をめぐる環境の相違がある意味では決定的でしょう。持っている才能が環境によって歪められることも有り得ます。人間の成長発展は個人レベルと環境条件を考察することを統一させなければ、見えてこないでしょう。社会とその構成員としての個人が、成長発展を促進し合える関係にしていく方向性を探り実現させる運動が社会科学と社会運動だと思います。
さて、天才といえばマルクスの頭脳についてひと言触れざるを得ません。
1883年3月14日、マルクスが永遠の眠りについた時「人類は頭ひとつだけ低くなったのだ。しかも、人類がこんにちもっていた最も大切な頭だけ」とエンゲルスは戦友への手紙に書きました。
ひとりの頭脳の死が人類の頭ひとつを低くするような頭脳の持つ主を、人々はこう評価しました……、
この部分での石川康宏講師の話した内容、
この部分を石川講師の声で聴くには、こちらをクリックしてYouTubeの該当部分を視聴して下さい。
私はこれを聴きながら、19世紀のひとりの天才に比し21世紀では「集団的な天才」と称すべき人々が生まれているのではないかと感じました。人類の頭ひとつを低くした天才も脳細胞の総数では、約860億個という個数は変わらないでしょう。21世紀を生きる者のネットワークで繋がった個々の頭脳は、各々が860億個のなかに情報を共有し瞬時瞬時に起承転結を繰り返しています。
21世紀を青年期として生きる孫世代は、自己の人生をSNSの繋がりのなかで「集団的天才」のひとりとして活かすことができます。個人個人が社会の構成員として、社会の未来への展望を自分の人生の方向としてし見定め生活に方向性を設定出来ます。その為には自然科学を包含した社会科学の発展が必要です、それを展望したとき『資本論』がその基点となると思うのです。
日本語で書かれた『新版 資本論』が、マルクスの書こうとした『資本論』に現時点では一番近いであろうと思うとき、マルクスが1858年10月8日にエンゲルスに送った手紙を思い起こします。それは「世界はまるいので、このこと(ブルジョア社会の本来の任務、世界市場を作りだすこと)は 〜 日本の開国で終結するように見える」です。この年、徳川幕府は日米修好通商条約をはじめ、日蘭、日露、日英、日仏の修好通商条約を調印してます。ブルジョア社会の世界市場づくりは、日本社会が世界市場へ開かれることをもって閉じられました。
その日本社会の激動が、170年後世界に『新版 資本論』を送り出しました、世界史の弁証法とでも称することができるでしょう。