kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

1月の終りの詩。

2015-01-31 22:21:39 | 詩的なつぶやき

「早いもので今年も一ヶ月が過ぎました」との常套句ではじめても

おもしろ味もありません。

ならば「冬の薔薇」や「古道」の続きをつぶやこうかと思いましたが、

今日の健康診断に備えて朝メシ抜きその体で小父さん宅の粗大ごみ出し

を手伝って、保健所に行ってバリユムをのんでレントゲン技士のおねえ

さんの声が聴きづらく、何回も体を回し、やっと終わって、急いでたら

ふくお腹に入れて、一休みしてから歩いた距離が2万5千歩分。

 

というわけで、短く「1月31日の詩」

 

     私の耳は貝のから

     海の響をなつかしむ

                 堀口大學訳、コクトー

          大岡信『折々のうた  三六五日』 より。 

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古道を歩くということ。

2015-01-30 21:53:09 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道コース

○現在地 新潟に到着しました。次の目的地目指してがんばりましょう。

○次の目的地  出雲崎

○次の目的地までの距離  58.3km

○次の目的地までの歩数  79,159歩で達成です。

昨日の歩数13,909歩 出雲崎

      

昨日の「薩摩街道巡り隊」の川畑千鶴子さんのお話を聴いて、本棚

から引っ張り出した雑誌の特集「古道を探検する」を拾い読みして

みました。こんな言葉が目にとまりました。

 「日本の古道は、空にも海にも陸にもある。いずれも時間を超え、

空間をつなぐ。わけても、陸の古道は、空想を事実にする。

   この世は、三つの間、つまりタテ軸としての時間とヨコ軸として

の空間、それに軌跡をなす人間から成り立つ。時間と空間とをつな

ぐのが道であり、人間は道を開き、道は人を導く。」 

 

   十七世紀の芭蕉も歌枕を尋ね、21世紀の川畑さんも街道の跡を

訪ねつつこんな思いを抱いているのかな、とふと思い仮定の「おく

のほそ道」ではなく実際に歩いみたいと思いました。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「てんがらもん151回」 薩摩への道。

2015-01-29 23:04:18 | 「てんがらもんラジオ」

今回のゲスト・川畑千鶴子さんは1級建築士です。でもお話はもう一つの「薩摩

街道めぐり隊」という肩書での内容でした。

番組はここで ⇒ http://www.ustream.tv/recorded/58152540 

 

私の住んでいる三浦半島は、ヤマトタケルの伝説の地・横須賀の走水(はしりみず)

に抜ける道・古東海道があったと考えられています。葉山町の葉山という地名も当

時の駅におかれていた駅馬(はゆま)に由来するという説もあります。

そんなことで以前から「道」に関心を持っていましたので、川畑さんと斎藤さんの

お話を大変興味深く聞きました。 そして、歴史家とか考古学者の語る道路の話だけ

でなく、建築の専門家によって語られることで道の話はいっそう興味深くなるもの

だと感じました。人の生活を結び付けるのが道ですから、当然建物との関係は深い

わけです。

 

薩摩街道についての話で確か伊集院でのことだったか、街道の跡を訪ね人つてに

聞き探して行ったら竹やぶのなかで陥没していたとのことでした。

街道巡りが決して出来ている道路を歩くだけでなく「道なき道を探り歩く、よじ

登る、沼地をビニールで足を包み抜けて行く」などの道程だそうです。それは、

現代人としてここが先人の歩いた道だ、と確認しあらためて道の掘り起こしをす

る作業だと感じます。

 

何よりも興味深く聞いたのは、薩摩街道を歩き抜け、江戸・東京日本橋に向けて

歩き、現在山陽道の広島まで歩き着いたというお話です。川畑さんがその様子を

ご自分のブログなどで報告しておられたら、と思ったりします。

 

さて、この薩摩街道をめぐる見所は向井さんの知恵袋のなかに入っているでしょう

か。話を聞けば聞くほど薩摩の国・鹿児島にひかれる度合いが増すばかりです。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の薔薇 ー 7 ー 成長する人と俳句。

2015-01-28 21:21:39 | kaeruの五七五

この頁は本の 「あとがきにかえて」 の部分です。それは凛君の母 ・ 史さん

が書かれました。

この頁の前で史さんは凜君の俳句を四句記し、説明を付け加えています。

       革靴の黒光りしておらが春  

凛君の中学校進学にあたり、家族の方々はいじめが尾を引くことを懸念し、

私立中学に入ります。 しかしそこでもいじめにあいます。 その時の句、

       天国の雲より落ちて春の暮

史さんの言葉「この句を口にした凜の心中を思うと胸が痛かった。」

そして、転校。 「市内の公立中学校に通い、先生方の理解を得て生き生きと

学んでいる。 授業中に野鳥が飛び込んで来た日」の句、

       迷い来て野鳥も授業受ける夏

「また、校庭に捨てられていた子猫が、翌日死んでいるのを見て、先生方とお墓

を作り手を合わせた。」

       猫の墓師と手向けたるすみれ草

「学校生活が想像できるような凜の句に、家族は今までの心労が吹き飛んだ。」

  

 写真の頁のなかの史さんの言葉です。

「私立中学の在籍したのは、実質三週間ほどだったが、ずっしりと重い鞄を肩に、

通勤ラッシュの電車を乗り換えて1時間半の通学は、凛にとって大きな大きなプラス

だった。体格もがっしりとし、一皮剥けたような成長だった。

   吸い込まれ押し出され行き春の駅


 小さく生まれ、神経をすり減らすほどに守るべき存在だった息子の手は、今や私の

肩をもんでくれる。 家族もまた、教育現場の違いを知ることができたのだ。

 彼の俳句は、成長と共に変化を見せてきた。季節の移ろいや生き物を詠む自然詠

の句から、心情を詠むようになった。喜びも悲しみも、五・七・五の十七文字で 「自己

表現」 する凛は、喜びを倍に、悲しみは半減させてくれる。

 心ない言葉に家族で何度も悔し涙をながしたが、今や俳句で家族に希望を与えて

くれるのだ。」

 

 写真の終り色紙の一句は長谷川櫂さんの句です。

    虫のこころ解する君に春動く

 小野江小学校の一丸さんの感想文を詠み返してました。

「小さくてあまり目立たない虫の気持ちが書いてあるので、虫の気持ちになって

いるだと気づきました。」 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬の薔薇」ー6ー 俳句がつなぐもの。

2015-01-27 22:20:39 | ブログ仲間

小野江小学校の草分先生の小林凜さんへ、という手紙のなかに生徒が

松尾芭蕉や高浜虚子の俳句より凜君の俳句に興味を持ち感想文も書い

たというのです。

この本で俳人の金子兜太さんが「小林凜君の俳句によせて」に書いて

います。「子どもと俳句の結びつきに、凜君ははっきりとした希望を

与えてくれたと思います。~凜君の俳句を小学校の教科書に載せてもら

いたいぐらいです。」

 

私もそう思います。教科書に載せなくても先生がプリントを作ればい

いのです。芭蕉や虚子の俳句は「俳句とはこういうものです」と子供

に教えたいので教科書に載せているのです。凜君の俳句は、小学生の

心はこういうものです、それを言葉にしたのがこの俳句です、という

ものです。

たから、一丸さんが昨日の感想文のように考え気がつき凜君への関心

へと思いを発展させることができたのです。見事に成長する現場を見

せてもらいました。学校とは教室とは子供が成長する現場です。

 

こんなことをつぶやきながら、肝心の凜君の俳句について触れていま

せんでした、明日は幾つかの句を紹介したいと思います。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬の薔薇」ー5ー 小野江小学校から。

2015-01-26 19:23:30 | kaeruの五七五

ー4ー(24日分)に紹介した写真では、読めないと思いますので「小

林凜さんへ」という小野江小学校六年の担任の草分先生の文章をそ

のまま記します。

《小林凜さんへ

三重県松阪市にある小野江小学校の6年生です。

6年生で俳句を勉強したとき、凜さんの『ランドセル俳人の五・七

・五』を教材に使わせていただきました。いくつかの俳句を抜粋さ

せていただいたのですが、教科書に掲載されている松尾芭蕉や高浜

虚子といった俳人の句より、ずっと興味を持ち、一生懸命感想も書

きました。みんな俳句が大好きになりましたよ。凜さんのおかげで

す。そして、元気と勇気をもらいました。ありがとう。

勉強させていただいたので、感想を手紙にしました。同じ6年生の

凜さんに、みんなが元気をもらって勉強させてもらったことが伝わ

ればいいなと思っています。

うちのクラスは、元気すぎてケンカや衝突もよく起きてしまいます

が、休み時間はみんなで遊んでいます。イジメとか言葉の暴力につ

いても考えさせられました。いろいろあっても、みんなやさしい気

持ちを持っています。

凜さんがうちのクラスに遊びに来てくれたら、みんな大喜びで歓迎

します。遊びに来てもらえたら嬉しいです。

             小野江小学校6年担任    草分京子  》

 

感想文のひとつ

《小林凜さんへ     小野江小学校6年    一丸由衣

私は『ランドセル俳人の五・七・五』の俳句を詠(ママ)んで、凜さん

が虫のことが好きで、こんな俳句を作っているのかなと思いました。

よく読んでみたら、小さくてあまり目立たない虫の気持ちが書いてあ

るので、虫の気持ちになっているんだと気づきました。でも、少し疑

問に思ったのは、「成虫になれず無念のかぶと虫」や「捨てられし菜

のはな瓶でよみがえり」という俳句で、「無念」とか「捨てられし」

とあって、幸せの感情を感じられませんでした。その後、凜さんがい

じめを受けていたことがわかりました。それを知って、「苦境でも力

一杯姫女苑」の意味を理解しました。雨の中、風の中でもくたばらず

力一杯生きているという俳句なのかなと思いました。あまり思いつか

ないような俳句が書いてあってすごいなと思います。私も凜さんみた

いにすごい俳句を作ってみたいです。》

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホより。

2015-01-25 21:20:06 | どこまで続くかこのブログ

すへてはあしたに。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬の薔薇」ー4ー、小林凜君の学校。

2015-01-24 21:26:08 | kaeruの五七五

   タイトルの内容で「つぶやき」作業途中です。

『ランドセル俳人の五・七・五』出版御も学校でのいじめは続き、凜君

は卒業式にはでませんでした。

   しかし、三重の小野江小学校六年生の友達は、凜君を学友として迎え、

彼のために卒業式をやってくれました。

 そのことをもっと書くつもりでしたが、何時もの不調でひとまずここま

でしておきます。

  

 

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬の薔薇」ー3ー、本をつくる喜び。

2015-01-23 23:02:41 | kaeruの五七五

   「冬の薔薇~」の出版社の編集担当・小宮さんの文章から、

「小野江小学校との交流」

「神様はちゃんと見ているのだ。」

    第一作目『ランドセル俳人の五・七・五』の発売から数ヶ月、反響が

日に日に高まるにつれ、私はそう感じていました。凜君が受けてきたい

じめは、あまりにも残酷で、親子が辛酸を舐めてきた六年間を思えば、

「与えられた経験に意味のないことなど一つもない」などと能天気なこ

とは、とても言えません。しかしながら、編集部に「うちの息子も凜君

と同じようにいじめられて孤独な人生だったが、この本で救われた。親

子で読んで涙している」「娘が自殺してから数年、絶望の淵に生きてい

たが、凜君を応援することで、私はもう一度生きられる」といった内容

のお手紙やお電話を頂戴するたびに、小林凜という少年が与えられた「使

命」について、意識せざるを得ませんでした。いじめを受け、不登校とな

り、句作に励んだ小林凜の一冊の句集が、同じようにいじめによって心の

傷を受けた、見知らぬ遠くの誰かを助けていく、そして、その方からの励ま

しの言葉によってまた、小林凜本人が救われていく、ーー日野原先生が書か

れたように、「命とは、自分のためではなく、誰かのために使える時間」の

こと、その「使命」を全うできているかとうかを、神様はちゃんと見ている

のかもしれない。

    そんな想いをめぐらせていた2013年の夏の日、一通の大きな封筒が

届きました。それは、小野江小学校6年生の皆さんからの感想文集でした。

担任の草分京子先生からのお手紙が左記(別頁)です。本がなければ、出

会うこともなかったであろう同じ6年生同士の「誰かのために使える時間」

の交換が、ここから始まりました。凜君は、「涙腺が空になった」と、新た

な友との出逢いを綴りました。小野江小学校に招かれ、一緒に給食を食べた

時、凜君の表情から暗い雲がぱっと消え去り、台風一過の秋の空のような顔

になりました。こんなふうに笑う子だったのだと初めて知りました。涙がで

ました。

    三重と大阪の空は繋がっていました。いえ、励ましのメッセージを送って

下さった皆さんの空とも一つに繋がっています。これからも、優しい青空が

繋がりますように、草分先生と小野江小学校の皆さんの笑顔も、ずっと続き

ますように。

                                                                担当編集・小宮亜里

 

『冬の薔薇  立ち向かうこと  恐れずに』の該当頁を写しました。

本をつくる喜びがそのまま伝わってきます。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「てんがらもん150回」、いいね 「こどもの里」。

2015-01-22 17:00:13 | 「てんがらもんラジオ」

 「てんがらもん150回」 です、クリックしてみて下さい。

 今回のゲストの話に関連しチーフパーソナリティの村永さんのブログから

写真を二枚お借りしました。まず「こども村」の案内です。

 次は、この取り組みをすすめている人達の考えの元になっているこども

への親社会の国際的な約束です。

 

 お話を聞いてゲストの柿木淑江さんが代表をつとめる 「かごしまこども文

化の郷」 がある郡山町とはどんなところか、Gooマップで見ました。

 鹿児島県鹿児島市郡山町 ← どーぞ。

 村永さんの散歩コースになる甲突川の源です。市内からみるとかなり奥

に入る地域かと思いますが、それだけ自然豊かな山地なのでしょう。

 町が鹿児島市に合併されていない頃、柿木さんがこの町を訪れる機会が

あった時、廃止された保育園を取り壊す話を聞き、こどもの交流の場として使

いたい、ということで、当時の町長の理解も得て作られました。

 その かごしまこども文化の里 のHPです、のぞいてみました。

 ここが去年7月の「てんがらもん」に出られた山本清洋さんの話のなかにでた

「トムソーヤ」 の遊びの場でした。 ここに行けば後期高齢者も子供に戻れそう

です。それでさらに見ましたら宿泊も出来るようで、大人1泊500円となってい

ます。 ここで泊まれたら二泊三日をさらに二泊三日出来そうだと半分冗談、半

分本気で思いました。

 さて、ここ 鹿児島県子ども劇場協議会 には演劇に魅せら見入るこどもの顔

が写っています、柿木さんたちの活力の源です。そして私たちを惹きつける力で

もあります。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする