kaeruのつぶやき

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3選挙区で共闘の力発揮‼️

2024-04-28 22:19:41 | 時代の現場

 

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マルクスとホームズ

2024-04-28 07:24:39 | kaeruの『資本論』

マルクスは『資本論』のカール・マルクスで、ホームズはコナン・ドイルの『シャイロック・ホームズ』なのですが、なんでこの2人が並んでタイトルになっているのか?

我が家の本棚に文庫本で一冊『シャイロック・ホームズ』ものがあって、かなり前に読んだ時、ホームズとワトソンが活躍していた当時のロンドンでマルクスとエンゲルスも活躍していた、と思ったことがありました。

もちろんホームズは小説上の人物ですから、マルクスやエンゲルスがロンドンのある街角で会ったかもという「物語」、住まいが両者ともロンドンで19世紀末の「物語」としてです。

その辺を知る為には、『シャイロック・ホームズ』を読まねば、図書館に行って来よう、と考えていた矢先、

こんなURLに出会いました。

コンプリート・シャーロック・ホームズ

コンプリート・シャーロック・ホームズ

 

 

クリックしますと、

『シャイロック・ホームズ』シリーズが全部読める❗️これは嬉しい‼️

早速『緋色の研究』を読み出して、冒頭から

1878年と1880年7月27日が出てきて、マルクスが亡くなる5年ほど前からの物語だと頭に入れたのですが、その頃の舞台はロンドンではない。

登場人物のワトソンがアフガンで負傷し帰国、

ロンドンに舞台を移して、ある年の、

3月4日という日付が出てきます。すでにロンドンは「ベーカー街221Bの部屋」にホームズと同居しています、この3月は何年の3月なのか?

マルクスが亡くなったのは1883年3月14日、仮にその年だとすればマルクスの死の直前の日々の中の3月4日となります。『緋色の研究』を読み進めていけば年が特定できるかも知れませんが、ここまでの歳月の動きからは1881年ではないかと推測してます。

この年の12月2日マルクスの妻イェニーが長い病の床を経て亡くなっていますが、マルクス自身も重い病で妻の葬儀に立ち会えませんでした。妻の死は、マルクスの病状を更に重くしていきます。

何れにしてもこの時期、イギリス国の首都ロンドンを舞台に人類史上稀にみると言ってもいい偉大な頭脳が一つ無くなり、一つ生じていたのです。無くなったのは現実で、生じたのは作品のなかですが。マルクスの頭脳をエンゲルスは「人類が今日持っていたもっとも非凡な頭」と書いています。シャイロック・ホームズは自分について、「僕は観察と推理の両方の天分に恵まれている」ので「おそらく世界でただ一人」の「専門的な助言をする探偵」と紹介しています。

ホームズの類い稀な観察眼と推理力によって書き出される19世紀末期前後のロンドンの姿は、マルクスとエンゲルスが生きていた世界です。『資本論』の行間を読むに、当時の人々の息遣いを感じることにも通じるでしょう。

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珠洲市民から学ぶ

2024-04-26 20:27:27 | kaeruの近現代史

今日のワイコマさんのブログです、

 

能登半島地震の原発避難について - 日本の屋根裏人のワイコマ日記です

今朝の信州は気温が9度と少し涼しく感じる朝、空は午前中は晴で午後から天気は下り坂のようです。「電力業界の旗振り役」と綽名される嶋田隆首相秘書官(旧通商産業省)と結...

goo blog

 

私のコメントでも触れていますが、土曜日曜の二日間は学びの多かったフクシマ行きでした。

何より現地で生の事を運動の中心にいる人から学ぶことの大切さを深めたことで、その一つ政府や自治体の「伝承」ではなく住民自身の運動としての「伝承を!」の立場に立っている、

ここ、「おれたちの伝承館」

そのなかの写真の一枚、

ワイコマさんのブログで能登半島地震、そこからフクシマに続き珠洲市民の原発阻止に思いが飛びました。

珠洲原発反対運動の歴史(簡略版)

珠洲原発反対運動の歴史(簡略版)

本ページは『石川県教組珠洲支部50年誌 いばらの歩み』(発行:珠洲支部)より引用してあります元の文章も「珠洲たの」管理人が作成したので、著作権は大丈夫です(^^;) 珠洲...

珠洲たのしい授業の会

 
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4月の終わり近くに……。

2024-04-25 23:05:46 | kaeruの『資本論』

長く休んでいて、ある日遅れて授業中の教室に入るようなかなり気恥ずかしい気持ち、ある意味では懐かしいような気持ちでブログに指を動かすのもそう悪いものでもありません。

3月2日の「つぶやき」で「緑内障の心配」をつぶやいていますが、逗子駅前の眼科からの紹介で鎌倉小町通りの眼科に2回通っています。どうやら両方とも白内障での手術になるとのこと。もう二十年ぶりかくらいで視力を計って右の1.0は変わっていませんでしたが、左が0.1だったのが0.05になっていました。

何やら近年の健康問題の悪くなる傾向を一手に引き受けていたのが左目だったか、という状況でした。確かにこの一年くらい左目がかすみ、常時三分の一くらい閉じている感じが続いていました。病院ではしっかり開いています、と言われるし鏡をみると確かに開いています。何やら丈夫そうでも内面弱っている身体を象徴しているのかも知れません。

カテゴリーに「Karriの資本論」としています、タイトルも目の話ではありません、あくまでも「この長い休みの言い訳」です。

本題は「資本論」。

まあ、自分の目で読める「最後の資本論です」という思いが無意識のうちに目の話から入ったのかも知れません。

日本共産党発行の雑誌に「月刊学習」というのがあるのですが、その3月号から「独習『資本論』」という連載が始まりました。“不破哲三著『「資本論」全三部を読む 新版』を導きに”と言います。

全国で新学期が始まる4月、4人の孫の最年少が大学進学で入学式の写真がラインで送られて来て3月中旬に会った時の少年顔が、一気に青年顔になっていて驚いたのです。石垣島の孫の兄の方は大学院に進み、妹は奨学金を受けて北京の外国語大学に留学生で行ってます。その子からのLINE電話がうちのばあちゃんの楽しみで、ビデオ電話で40分も話し込んで無料。有り難いことで隣のうちと垣根越しに話している感じです。世界は隣同士だと思える、そういう時代に爺婆として孫世代と共に生きている。

ならば、これからの世界は? どういう世界にしていくのか、して行くことが出来るのか。そういうことになると矢張り『資本論』を頭に入れて置きたくなります。特にこの間『資本論』は、日本共産党の研究を中心に新たな発見を盛り込んで「新版」として刊行されています。更に不破哲三著『「資本論」全三部を読む』も『新版資本論』を受けて「新版」として全7分冊が刊行されました。

「資本論」をめぐる環境の進化に加え、孫たちの各々が新しい日々を歩んでいる息遣いを感じながらなら、「難解資本論」に向かう励みになるというものです。

 

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