遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『翼をください Freedom in the Sky』  原田マハ  毎日新聞社

2021-03-06 16:45:00 | レビュー
 冒頭の本書カバーに使われている写真はこの小説を読んだ後、ネット検索で調べていて、実在した女性飛行士アメリア・イアハートの写真であることを知った。1931年オートジャイロでの最高到達高度記録を樹立、1932年大西洋単独横断飛行に成功、1937年5月赤道上世界一周飛行に挑戦し、7月2日アメリカ領ハウランド島を目指す飛行途中で消息を絶った、という。
 さらに、本書でもう一つの史実を知った。1939年(昭和14年)8月26日東京を起点に機長を含む7名の乗組員が純国産の双発プロペラ機「ニッポン」号で世界一周飛行に挑戦し、10月20日東京に帰還したという事実である。こちらは現在の毎日新聞社の前身である大阪毎日新聞社と東京日日新聞社が企画し、社有機で為し遂げた世界一周記録だ。手許にある高校生向けの日本史年表や学習参考書にはこの事実は載っていない。序でに、載っていることを書き出すと「1939年 チェコスロバキア解体。独軍、ポーランド侵入、第二次世界大戦始まる」という世界の時代背景がある。

 この小説は、世界の飛行史に残るこの2つの史実をモデルにして、巧妙かつ意外な組み合わせの着想を加えて一つのフィクション、つまり世界一周飛行物語を描き出した。史実の大凡がストーリーの中に取り込まれ、それがフィクションとして潤色されている。ストーリーの構成における一捻りが読ませどころとなっていく。
 この小説には、実在した歴史上の人物が数名フィクションの中に織り込まれている。アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領、物理学者アインシュタイン、日本海軍次官山本五十六である。これらの人物がこのストーリーの中で果たす役割がこのフィクションにリアル感を加えているように思う。

 2007年、アメリカ中部、カンザスシティの空港をレンタカーで出た青山翔子がアチソンに住むことまでは確かめられた山田順平を探しに向かうシーンからストーリーが始まる。
 青山翔子は暁星新聞社の長野支局から東京本社社会部に異動したばかりの記者である。彼女は暁星新聞社創立135周年記念企画記事のテーマを考える会議に組み込まれる。そして、社会部デスクの森川から暁星新聞主筆の岡林泰三にインタビューし記事を書くことを指示される。インタビューを終えた時、青山は岡林から「君、記者やめなさい」と言われる。「自分の主張に相手を引っぱり込もうとする。それじゃ、僕のインタビューじゃない。君のインタビューだろ」と。その岡林が「わが社の黄金期を創った社員は何人かいます。戦前、航空部所属カメラマンだった山田順平などは、歴史に置き去りにされてしまった人物・・・・もっと評価されていもいいのではないでしょうか」と語ったのだ。青山の書いた原稿のこの個所に着目した森川は、青山に山田順平という人物を洗ってみろと指示する。
 森川の指示を受け青山は山田順平についてリサーチを始める。資料室司書の協力を得て「ニッポン 世界一周より帰還、羽田にて、昭和14年10月20日」というキャプションの記事に山田順平の名を発見する。それは国際親善飛行の世界一周だった。それは近づく戦争に向けて列強が軍備を増強していた時代の渦中で世界一周を試みるという挑戦だった。
 資料として残る山田順平の撮った写真の中から、翔子は風変わりな1枚の写真を見つける。ニッポン号から降りてきた乗組員が歓迎を受けている場面の写真。だがそこに奇妙な塗りつぶしがあることに気づいたのだ。この一枚の写真からすべてがスタートしていく。
 青山は同期の鮎川亮の協力で、画像処理により塗りつぶしの背後に黒髪の少年の首が写っていることを発見する。また、別の山田順平が写っている写真を部分拡大しもう一つの重要なヒントを見つけだす。それは翼の形をした小さなプレートに見えるAmy. E という文字である。そこからエイミー・イーグルウィングという女性パイロット名にたどり着く。
 その結果が青山をアチソンに向かわせることになる。アチソン到着の翌日偶然にも山田順平の居所を知ることができた。90歳近い年齢になっている山田順平を訪ね青山はインタビューする。山田順平は、1928年のカンザス州アチソンに溯った時点から話を始める。山田順平が語る回想は、大きくとらえると二部構成の形でその時代に進行する現在のストーリーとして描かれていく。
 前半はエイミー・イーグルウィングに関わるストーリーである。1928年、エイミーがカナダ東部のニューファンドランド、ハーバー・グレースから飛び立ち大西洋をノンストップで横断する飛行記録を樹立し、カンザス州アチソンの自宅に戻っている場面から始まる。エイミーは女性飛行士として脚光を浴びる。
 この記録の樹立は、副操縦士ビル・スタート、整備士兼副操縦士ボビー・マコーミック、地上通信士のトビアス・ブラウンとのチームの成果だった。そこには辣腕プロデューサーで、飛行資金のスポンサーを集めてくるジョナサン・マックウェルが背後に居た。彼は出版社を経営する一方、航空ショーをはじめ、様々な飛行記録への計画をエイミーに準備していく。だが、エイミーとジョナサンの間には何時しか齟齬が生まれていく。
 エイミーは、なぜ飛ぶのかというインタビュー質問に対し、「世界はひとつである、それを証明するためです。」「私たちは孤立してはいけない。ひとつの世界を生きる人類として、栄光と自由、そして平和を分かち合わなければならいのです。」と答える。「世界はひとつである」がエイミーの信念となっていく。
 前半のエイミーのストーリーでは、エイミーの大西洋単独横断飛行記録の達成、ルーズベルト大統領との面談、アインシュタインとの偶然の出会いと会話が続きに描かれる。アインシュタインはエイミーに言う。「世界はひとつじゃないんだ。だからこそ・・・大事なのは・・・・共存すること」と。ストーリーは、赤道上世界一周飛行計画の準備進展とその実行へと展開して行く。この世界一周計画を、アメリカ海軍が全面的にサポートし、さらにこの飛行計画に対し米国領のホーランド島にこの飛行のための専用の滑走路を造るという。エイミーとビル・スタートはこの世界一周飛行計画に疑問を抱き始める。疑問を抱きつつもエイミーは、ボビーをナビゲーターとして同乗させるというジョナサンの考えを受け入れ、世界一周飛行に飛び立って行く。その飛行途中で、疑問だった謎に気づくことになる。そして、ホーランド島への飛行の途次に失踪する。このエイミーが抱いた謎の解明プロセスがひとつの読ませどころである。

 後半のストーリーに山田順平が登場する。1937年朝丘新聞の専用機「神風」が訪欧飛行に成功した。暁星新聞社航空部部員で操縦士の八百川玄作と部員でカメラマンの山田順平は競争相手に先を越されたことを悔しがる。その時山田はその先の世界一周を話題にする。この発案が社長の英断で実現へと歩み出す。瓢箪から駒のような進展だが、山田順平が想定した世界一周へのアイデアが動き始めていく。暁星新聞社の奥村社長は日本海軍の山本五十六中将を訪問し、海軍の飛行機・九六式陸上攻撃機の貸与を交渉する。山本は奥村に一つの条件をつける。海軍機を世界一周用の民間機に転用すべく三菱重工に発注され、暁星新聞社の社有機が生まれていく。一方で世界一周飛行の乗組員の厳選が始まる。この初期段階が一つの読ませどころとなっている。
 1939年に世界親善飛行として、世界一周飛行がスタートする。中尾機長を筆頭に計7名の乗組員が決まる。その中に操縦士・機関士として八百川、カメラマンとして山田順平が選抜されていた。
 三菱重工名古屋工場の格納庫で、完成した世界一周機、後に公募で「ニッポン」号と名付けられる飛行機に中尾、山田らは試乗する。この時、山田は乗組員7人に対し、彼の座席の後ろにもう一つ空席があることに気づく。それに疑問を抱く・・・・・。
 この後半の世界一周飛行は、史実の「ニッポン世界一周飛行記録(1939.8.26~10.20)」に則りながら、暁星新聞社で選抜された乗組員による世界一周飛行の歓喜と辛酸、チームワークの発揮を描くフィクションとして進展していく。重要なファクターとして、山田順平が疑問に感じた第8番目の席の意味が明らかになっていく。
 この世界一周飛行には、微妙な世界情勢の変化が影を投げかけていく。読者はストーリーを通じてこの時代の状況の変化と雰囲気を感じとることになる。

 なぜ、前半で女性パイロットのエイミー・イーグルウィングの半生が詳細に描き出されていくのか。そのプロセスを楽しみながら読み進めつつも、疑問を抱いたまま、後半を読み継ぐことになる。場面がゴロリと転換する。全く別のストーリーが日本国内の状況として始まって行く。
 東京を出発した「ニッポン」号は当初日本の最終離陸地を根室として飛行したが当日の気象状態により、札幌飛行場に着陸する。つまり札幌が最終離陸地となる。この日深夜零時過ぎに中尾機長が緊急会議を招集する。中尾がこの会議で第8番目の席の意味を明らかにする。8人目の乗組員を「ボーイ」と称して、メンバーに引き合わせたのだ。
 ニッポン号は8人の乗組員で札幌を離陸していく。それが山田順平のその後の人生に大きく影響を及ぼしていく。

 このストーリー、2つの史実の断片的記録が残る事実の空隙に、重要な仮説を組み込んで、大きく想像力を羽ばたかせフィクション化している。空を飛ぶということの辛苦と歓喜を技術面・身体面・心理面から描き込む。飛行機の乗組員とそのサポート要員の姿と絆をチームとして描き込んでいく。チームワークという側面、飛行のプロセスで培われる絆という側面がこのストーリーの読ませどころの一つになっている。
 一方、ストーリーの中に幾人かの恋心の有り様を織り込んでいく。こちらの側面もまた読ませどころである。誰が誰に対してなのかは、本書を開いてお楽しみいただきたい。読み方によっては、こちらこそと言うべきかもしれない・・・・。
このストーリー、その流れに感情移入していくと、数カ所で泣かせる物語でもある。その点も味わっていただくことになるだろう。体験から言えること・・・・。

 エイミーとアインシュタインに語らせた「世界はひとつ」「大事なのは共存」という言葉がストーリーの基調となっていく。
 本書のタイトルは「翼をください」である。一方、そこに「Freedom in the Sky」というフレーズが付記されている。 このふたつの照応関係に大きな意味があるように思う。

 「あとがき」を読むと、この作品自体が筆者を支えるプロジェクト・チームとの絆があって生み出されたことがわかる。著者の独創力だけで生み出された小説ではなく、作品として結実する背景にもチームワークがあったのだ。

 本書は2009年9月に単行本が出版され、2015年1月に文庫本となっている。
 
 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。その一部を一覧にしておきたい。
新しい女性像のシンボル アメリア・イアハート :「THE RAKE」
女性飛行士アメリア・イアハート「遺体はカニに食べられた!?」―その可能性:「Eaquire」
アメリア・イアハート  :ウィキペディア
ギャラリー:消えた伝説の女性飛行士アメリア・イアハート、今も続く探索 写真9点
:「NATIONAL GEOGRAPHIC」
80年前に消えた伝説の女性飛行士、今も続く探索  :「NATIONAL GEOGRAPHIC」
伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上 :「NATIONAL GEOGRAPHIC」
ニッポン(航空機)  :ウィキペディア
ニッポン世界一周大飛行  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
   11~14コマ目に本書末尾に掲載の「ニッポン世界一周大飛行記録図」が載っている。
世界一周機ニッポンと乘員  :「ニュースパーク 日本新聞博物館」
東日・大毎機ニッポン 世界一周大飛行コース:「ニュースパーク 日本新聞博物館」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『モダン The Modern』   文藝春秋


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