刑事・鳴沢了シリーズは本作品で一応完結している。尚、『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』という関連作品が書かれている。こちらは後日、印象記をまとめたい。
新潟県警を振り出しに始まったこのシリーズ、警視庁の西八王子署刑事課に所属する刑事のままで幕を閉じることになる。
最後の場面は鳴沢が病院に入院しているところで終わる。その病室に元新聞記者の長瀬が鳴沢を見舞いに来て、こんなやりとりをする。
「取材なら、パスだ」
「別に新聞や雑誌に売りこもうっていうわけじゃないんです。あなたをモデルに小説を書こうと思っている。タイトルはもう決まってるんですよ。『雪虫』っていうんですけどね」
鳴沢は「何だい、それ」と問いかけて、長瀬の返事を聞くなり即座に「断る」と反応するというシーンである。
この挿入は著者の遊び心なのだろう・・・・。これで『久遠』が第1作『雪虫』に連環していくことになる。『雪虫』は元新聞記者・長瀬が書いた小説という形に・・・・。ちょっと楽しい感じ。
そして、このシリーズ最後の最後は次の2文で終わる。
「だが今初めて、自分の人生そのものを正面から見詰めなければならないのだと意識する。それが今の私に課せられた唯一の責任なのだ。」
この最後の段落は4つの文でまとめられているのだが、前2文を書くと一種ネタばれにつながるので書くのを控える。最後の2文は、鳴沢が己の生き様を変えるという選択を決意したということなのだ。
このシリーズは10作で、5作目の『帰郷』とこの『久遠』だけが、私の知る範囲では多分語彙として辞書に載っている言葉だろう。シリーズを振り返ると、鳴沢が帰郷したときの事件は、記憶では親子三代の刑事一課という彼の人生の始まりと関係があった。鳴沢了の節目だった。この最終作もそうである。一つの総決算ともいえる。
「久遠」という語彙を辞書で引くと、「(仏教語)時間的にきわまりのないこと。遠い過去。遠い未来。」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。つまり、鳴沢了の人生も時間的にはこれからも続く。だが、祖父から始まる親子三代の刑事人生という柵における鳴沢の過去は、鳴沢の生き様として、鳴沢の選択と決意により、この巻末において「遠い過去」として区切られる。そして、鳴沢は命の続く限りの「遠い未来」への一歩をこのシリーズが終わった時点から始めるのだ。
鳴沢了は、多分刑事・鳴沢了であり続けるのだろうが、刑事としての生き様は変わるのだろう。いつか、鳴沢了の新シリーズが出るのだろうか・・・・。
さて、このシリーズ最終作の読後印象を少しまとめて、ご紹介したい。
文庫本で上・下巻という長編である。2冊本として出るのは、このシリーズではこの小説だけだ。まず全体の構成から触れると、4部構成となっている。
「第1部 容疑」「第2部 加速」「第3部 逆襲」「第4部 命」である。
早朝5時に電話の呼び出し音で眠気を吹き飛ばされた鳴沢了は、その直後にインタフォンを鳴らされる。玄関に出た了の前に現れたのは青山署の刑事2人だった。了に強引に任意同行を求めたのである。青山署2階の取調室で、了は質問攻めにあう。了は殺人事件の容疑者として同行を求められたことを知る。三井刑事が了に言った被害者の名前は岩隈哲郎だった。数時間前まで、了は岩隈に会っていた。了を陥れようとしている匿名の情報提供者がいる? 了に新たな疑問が襲う。こんな局面からストーリーが展開し始める。
罠に嵌められたことを了が己自身で証明しなければならない。何から、どのように始めなければならないのか? だれか協力者が得られるのか? 了の独自の行動が始まる。そして、それはどんどん意外な展開に発展するところが、読ませどころである。さまざまな局面がぐるぐると螺旋状に現出して、追究すればすべてが核心に連鎖していくというイメージである。
日曜日に傷害事件の発生で呼び出された了は、西八王子署で帰り支度を始めていた午後6時過ぎに岩隈から電話を受けた。了は青山で岩隈に会う。岩隈は今度のネタはでかいと言い、一番簡単な模式図として、A・B・Cを太い線で結ぶ三角形を示した。それはBとCを結ぶ底辺は太い二重の線で結んだ形となっていた。
鳴沢は、己にかけられた容疑をはらし、岩隈を殺害した人間を見つけるために行動を取り始める。鳴沢の相棒である藤田刑事は、なぜか本庁の指示でCF(キャットフィシュ/なまず)事件の応援にかり出されてしまっていた。つまり、鳴沢が信頼できる藤田を頼れない状況が生まれていた。了が信頼している相棒が、なぜか切り離されたのだ。これは偶然なのか? 警察内部に何か関係があるのか・・・・。了が孤立して行動を取らざるを得なくなる。
了は西八王子署生活安全課の山口美鈴の父であり、岩隈のことを了に教えた公安部の山口刑事にコンタクトを取る。山口は「息を潜めて隠れていなくちゃいけない時もあるよ。そういうタイミングを見誤っちゃいけない」と了に助言する。山口は了に彼が関わる案件の絡みで時間が取れないので、夕方6時ぐらいに再度連絡してくれという。だが、その山口刑事とは遂に会うことができない事態に展開していく。
警視庁とは関係がなくて、しかも手がかりを得られる情報を入手できる方法はないか?その可能性がある一人を幸運にも了は見出した。新潟県警時代の後輩で、東京で研修を受けている大西海だった。大西が有力な協力者となっていく。
大西と会った夜、了は多摩都市モノレールで終点の一つ手前、松が谷駅で下車して帰宅するが、その途中で車により襲われる羽目になる。たまたま団地の奧にある「村山モータース」の息子が車で来合わせたことにより、難を逃れることができる。村山の息子は車の特徴を視認していた。
更に、了が会う予定だった山口刑事が殺害される。山口刑事に電話連絡していた了に、再び嫌疑が掛けられていく。了の知りようのない局面で罠が仕掛けられていくという展開だ。しかし、山口もまた了がかつて関わりを持った人物である。
見えない敵により了はますます危険な立場に陥っていく。
そんな最中に、勇樹が「ファミリーアフェア」のプロモーションのために、スタッフと来日していて、日本の主要地を回るというハードなスケジュールをこなしていた。勇樹は了に直接会い、直に話をしたいことがあるという。了は身軽に動けない状況にどんどん追い込まれていく。アメリカで発生した事件のこともあり、勇樹の周辺で異常な事態が起こらないかということも、了は気にかけねばならない。しかし、勇樹のために動けないというジレンマ。電話連絡だけのつながり。勇樹が直接了に伝えたいこととは? 最後の局面まで、このことが気がかりになるというところが、じれったい。巧みな設定になっている。
了は殺された岩隈が東京に借りていたウィークリー・マンションの管理会社での聞き込みから始め、岩隈の実家のある静岡市へと聞き込みの範囲を広げていく。岩隈の幼馴染みの一人、市役所に勤める浜岡から、飛行機嫌いの岩隈がアメリカに出かけるつもりでいたことを知る。そこまでしようと思っていたということは、岩隈がよほど大きなネタを掴んでいたことなのかもしれないということだ。
静岡からの帰路、東名で了は後をつけている車に気づく。了の車にはいつか不明だが発信機が何者かにより取り付けられていた。つまり見えざる敵は用意周到な連中なのだ。
帰路、了は三島の万年寺に、刑事を辞めて実家の寺の坊主となった今を訪ねる。今との対話の中で、己の置かれた状況を整理分析する。今との対話の中で、鳴沢了に罠を張り陥れようとするやり方が中途半端なものに見える故に、逆にある仮説が導き出されてくる。それはかつて鳴沢が今とともに関わった警察機構内部に存在する疎ましいインフォーマルな勢力の確執問題だった。鳴沢はそのトップにいた人間を洗い出し、決着をつけたはずだった。今はある推測を鳴沢に告げる。そしてあるアイデアを提案する。
このあたりから、少しずつ構図の一端が見え始める。
了の推理はどんどん「加速」していくが、一方で了を罠に嵌めようとする見えない敵の動きも「加速」していく。何者かが山口美鈴を拉致したと言い、鳴沢を呼び出す。その結果鳴沢は発砲されるまでに至る。了の想定外の状況が生み出されたのだ。了の陥れられている事態は一層錯綜したものだった。
了が孤立し、危険が迫ることにより、一方で相手の正体が徐々に見えて来る。了は専守防衛に転じていく。第3部は鳴沢の「逆襲」である。鳴沢の警察官としての過去の人生で関わってきた人々が交錯しつつ、あらためて様々な関わりを持っていく形になる。
このあたり、鳴沢了シリーズの総決算として包括的に鳴沢了に関わった人間の全体像、思わぬ人のつながりが組み込まれていくという広がりに興味深さを感じる。
第3部での主な登場人物を列挙しておこう。捜査1課長を務めていて3月から西新宿署長に転出している水城。東京地検の野崎検事。野崎検事の紹介という形で鳴沢に接触してきた横浜地検の城戸検事。警察大学校に研修に来ている新潟県警の大西海。捜査1課の橋田良晴係長。警察官OBで山口刑事が新米の交番勤務時代から知っていてつきあいがあったという原。原の紹介で会うことになる公安部の片岡刑事。ニューヨーク市警の日系二世内藤七海。捜査1課の横山刑事。大西海が信用できる人として鳴沢に紹介する捜査共助課の若林。などである。勿論これらの登場人物が第4部へと繋がっていく。
第4部は、鳴沢に協力を頼まれそれを断った小野寺冴が鳴沢の問題に巻き込まれるところから始まって行く。そして、意外なところから、岩隈が己の保険としてしかけておいたブツが発見される。それが重要な手がかりとなり、謎が解け始め急展開し始める。
岩隈の死、山口刑事の死、横浜地検の城戸検事の登場などがすべて複雑な絡まりの中で一つの問題に関わりを持っていく。
この小説のおもしろいところは、重大な隠蔽工作のために、鳴沢の刑事としてのプライドを踏みにじりたいという欲求で鳴沢を罠にかけようとした筋書きが破綻していくところにある。了が過去の事件で暴き出し潰した筈の警察機構内のインフォーマルな勢力が地中のマグマの如く隠然と巣くい、力を蓄えて鳴沢打倒のために噴出し襲いかかる。だがそれだけではないところに、この小説の構想の巧みさ、しかけがある。そこに鳴沢の過去の人間関係がすべて大なり小なり複雑に関わり合っているという構図がある。そして、勇樹の来日は、ストーリー展開では最後まで深く潜行しながら、鳴沢了の生き様を大きく変えるトリガーとなるのだ。
鳴沢が罠にはめられる一方で、危地に身を置く状況に投げ込まれた原因は日本だけにとどまらず、アメリカとの関わりにも連結していた。鳴沢了を容疑者に想定する殺人事件はブツと罠の複雑に交錯する二重奏ストーリーだった。最後の局面で、「ブツ」の意味合いが明らかになり、それが原因となり、思惑の連鎖反応が巧妙に導かれていたというおもしろさがわかる。文庫本上下巻の長編となった構想がうなずける。
ご一読ありがとうございます。
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徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『疑装 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『被匿 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』 中公文庫
新潟県警を振り出しに始まったこのシリーズ、警視庁の西八王子署刑事課に所属する刑事のままで幕を閉じることになる。
最後の場面は鳴沢が病院に入院しているところで終わる。その病室に元新聞記者の長瀬が鳴沢を見舞いに来て、こんなやりとりをする。
「取材なら、パスだ」
「別に新聞や雑誌に売りこもうっていうわけじゃないんです。あなたをモデルに小説を書こうと思っている。タイトルはもう決まってるんですよ。『雪虫』っていうんですけどね」
鳴沢は「何だい、それ」と問いかけて、長瀬の返事を聞くなり即座に「断る」と反応するというシーンである。
この挿入は著者の遊び心なのだろう・・・・。これで『久遠』が第1作『雪虫』に連環していくことになる。『雪虫』は元新聞記者・長瀬が書いた小説という形に・・・・。ちょっと楽しい感じ。
そして、このシリーズ最後の最後は次の2文で終わる。
「だが今初めて、自分の人生そのものを正面から見詰めなければならないのだと意識する。それが今の私に課せられた唯一の責任なのだ。」
この最後の段落は4つの文でまとめられているのだが、前2文を書くと一種ネタばれにつながるので書くのを控える。最後の2文は、鳴沢が己の生き様を変えるという選択を決意したということなのだ。
このシリーズは10作で、5作目の『帰郷』とこの『久遠』だけが、私の知る範囲では多分語彙として辞書に載っている言葉だろう。シリーズを振り返ると、鳴沢が帰郷したときの事件は、記憶では親子三代の刑事一課という彼の人生の始まりと関係があった。鳴沢了の節目だった。この最終作もそうである。一つの総決算ともいえる。
「久遠」という語彙を辞書で引くと、「(仏教語)時間的にきわまりのないこと。遠い過去。遠い未来。」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。つまり、鳴沢了の人生も時間的にはこれからも続く。だが、祖父から始まる親子三代の刑事人生という柵における鳴沢の過去は、鳴沢の生き様として、鳴沢の選択と決意により、この巻末において「遠い過去」として区切られる。そして、鳴沢は命の続く限りの「遠い未来」への一歩をこのシリーズが終わった時点から始めるのだ。
鳴沢了は、多分刑事・鳴沢了であり続けるのだろうが、刑事としての生き様は変わるのだろう。いつか、鳴沢了の新シリーズが出るのだろうか・・・・。
さて、このシリーズ最終作の読後印象を少しまとめて、ご紹介したい。
文庫本で上・下巻という長編である。2冊本として出るのは、このシリーズではこの小説だけだ。まず全体の構成から触れると、4部構成となっている。
「第1部 容疑」「第2部 加速」「第3部 逆襲」「第4部 命」である。
早朝5時に電話の呼び出し音で眠気を吹き飛ばされた鳴沢了は、その直後にインタフォンを鳴らされる。玄関に出た了の前に現れたのは青山署の刑事2人だった。了に強引に任意同行を求めたのである。青山署2階の取調室で、了は質問攻めにあう。了は殺人事件の容疑者として同行を求められたことを知る。三井刑事が了に言った被害者の名前は岩隈哲郎だった。数時間前まで、了は岩隈に会っていた。了を陥れようとしている匿名の情報提供者がいる? 了に新たな疑問が襲う。こんな局面からストーリーが展開し始める。
罠に嵌められたことを了が己自身で証明しなければならない。何から、どのように始めなければならないのか? だれか協力者が得られるのか? 了の独自の行動が始まる。そして、それはどんどん意外な展開に発展するところが、読ませどころである。さまざまな局面がぐるぐると螺旋状に現出して、追究すればすべてが核心に連鎖していくというイメージである。
日曜日に傷害事件の発生で呼び出された了は、西八王子署で帰り支度を始めていた午後6時過ぎに岩隈から電話を受けた。了は青山で岩隈に会う。岩隈は今度のネタはでかいと言い、一番簡単な模式図として、A・B・Cを太い線で結ぶ三角形を示した。それはBとCを結ぶ底辺は太い二重の線で結んだ形となっていた。
鳴沢は、己にかけられた容疑をはらし、岩隈を殺害した人間を見つけるために行動を取り始める。鳴沢の相棒である藤田刑事は、なぜか本庁の指示でCF(キャットフィシュ/なまず)事件の応援にかり出されてしまっていた。つまり、鳴沢が信頼できる藤田を頼れない状況が生まれていた。了が信頼している相棒が、なぜか切り離されたのだ。これは偶然なのか? 警察内部に何か関係があるのか・・・・。了が孤立して行動を取らざるを得なくなる。
了は西八王子署生活安全課の山口美鈴の父であり、岩隈のことを了に教えた公安部の山口刑事にコンタクトを取る。山口は「息を潜めて隠れていなくちゃいけない時もあるよ。そういうタイミングを見誤っちゃいけない」と了に助言する。山口は了に彼が関わる案件の絡みで時間が取れないので、夕方6時ぐらいに再度連絡してくれという。だが、その山口刑事とは遂に会うことができない事態に展開していく。
警視庁とは関係がなくて、しかも手がかりを得られる情報を入手できる方法はないか?その可能性がある一人を幸運にも了は見出した。新潟県警時代の後輩で、東京で研修を受けている大西海だった。大西が有力な協力者となっていく。
大西と会った夜、了は多摩都市モノレールで終点の一つ手前、松が谷駅で下車して帰宅するが、その途中で車により襲われる羽目になる。たまたま団地の奧にある「村山モータース」の息子が車で来合わせたことにより、難を逃れることができる。村山の息子は車の特徴を視認していた。
更に、了が会う予定だった山口刑事が殺害される。山口刑事に電話連絡していた了に、再び嫌疑が掛けられていく。了の知りようのない局面で罠が仕掛けられていくという展開だ。しかし、山口もまた了がかつて関わりを持った人物である。
見えない敵により了はますます危険な立場に陥っていく。
そんな最中に、勇樹が「ファミリーアフェア」のプロモーションのために、スタッフと来日していて、日本の主要地を回るというハードなスケジュールをこなしていた。勇樹は了に直接会い、直に話をしたいことがあるという。了は身軽に動けない状況にどんどん追い込まれていく。アメリカで発生した事件のこともあり、勇樹の周辺で異常な事態が起こらないかということも、了は気にかけねばならない。しかし、勇樹のために動けないというジレンマ。電話連絡だけのつながり。勇樹が直接了に伝えたいこととは? 最後の局面まで、このことが気がかりになるというところが、じれったい。巧みな設定になっている。
了は殺された岩隈が東京に借りていたウィークリー・マンションの管理会社での聞き込みから始め、岩隈の実家のある静岡市へと聞き込みの範囲を広げていく。岩隈の幼馴染みの一人、市役所に勤める浜岡から、飛行機嫌いの岩隈がアメリカに出かけるつもりでいたことを知る。そこまでしようと思っていたということは、岩隈がよほど大きなネタを掴んでいたことなのかもしれないということだ。
静岡からの帰路、東名で了は後をつけている車に気づく。了の車にはいつか不明だが発信機が何者かにより取り付けられていた。つまり見えざる敵は用意周到な連中なのだ。
帰路、了は三島の万年寺に、刑事を辞めて実家の寺の坊主となった今を訪ねる。今との対話の中で、己の置かれた状況を整理分析する。今との対話の中で、鳴沢了に罠を張り陥れようとするやり方が中途半端なものに見える故に、逆にある仮説が導き出されてくる。それはかつて鳴沢が今とともに関わった警察機構内部に存在する疎ましいインフォーマルな勢力の確執問題だった。鳴沢はそのトップにいた人間を洗い出し、決着をつけたはずだった。今はある推測を鳴沢に告げる。そしてあるアイデアを提案する。
このあたりから、少しずつ構図の一端が見え始める。
了の推理はどんどん「加速」していくが、一方で了を罠に嵌めようとする見えない敵の動きも「加速」していく。何者かが山口美鈴を拉致したと言い、鳴沢を呼び出す。その結果鳴沢は発砲されるまでに至る。了の想定外の状況が生み出されたのだ。了の陥れられている事態は一層錯綜したものだった。
了が孤立し、危険が迫ることにより、一方で相手の正体が徐々に見えて来る。了は専守防衛に転じていく。第3部は鳴沢の「逆襲」である。鳴沢の警察官としての過去の人生で関わってきた人々が交錯しつつ、あらためて様々な関わりを持っていく形になる。
このあたり、鳴沢了シリーズの総決算として包括的に鳴沢了に関わった人間の全体像、思わぬ人のつながりが組み込まれていくという広がりに興味深さを感じる。
第3部での主な登場人物を列挙しておこう。捜査1課長を務めていて3月から西新宿署長に転出している水城。東京地検の野崎検事。野崎検事の紹介という形で鳴沢に接触してきた横浜地検の城戸検事。警察大学校に研修に来ている新潟県警の大西海。捜査1課の橋田良晴係長。警察官OBで山口刑事が新米の交番勤務時代から知っていてつきあいがあったという原。原の紹介で会うことになる公安部の片岡刑事。ニューヨーク市警の日系二世内藤七海。捜査1課の横山刑事。大西海が信用できる人として鳴沢に紹介する捜査共助課の若林。などである。勿論これらの登場人物が第4部へと繋がっていく。
第4部は、鳴沢に協力を頼まれそれを断った小野寺冴が鳴沢の問題に巻き込まれるところから始まって行く。そして、意外なところから、岩隈が己の保険としてしかけておいたブツが発見される。それが重要な手がかりとなり、謎が解け始め急展開し始める。
岩隈の死、山口刑事の死、横浜地検の城戸検事の登場などがすべて複雑な絡まりの中で一つの問題に関わりを持っていく。
この小説のおもしろいところは、重大な隠蔽工作のために、鳴沢の刑事としてのプライドを踏みにじりたいという欲求で鳴沢を罠にかけようとした筋書きが破綻していくところにある。了が過去の事件で暴き出し潰した筈の警察機構内のインフォーマルな勢力が地中のマグマの如く隠然と巣くい、力を蓄えて鳴沢打倒のために噴出し襲いかかる。だがそれだけではないところに、この小説の構想の巧みさ、しかけがある。そこに鳴沢の過去の人間関係がすべて大なり小なり複雑に関わり合っているという構図がある。そして、勇樹の来日は、ストーリー展開では最後まで深く潜行しながら、鳴沢了の生き様を大きく変えるトリガーとなるのだ。
鳴沢が罠にはめられる一方で、危地に身を置く状況に投げ込まれた原因は日本だけにとどまらず、アメリカとの関わりにも連結していた。鳴沢了を容疑者に想定する殺人事件はブツと罠の複雑に交錯する二重奏ストーリーだった。最後の局面で、「ブツ」の意味合いが明らかになり、それが原因となり、思惑の連鎖反応が巧妙に導かれていたというおもしろさがわかる。文庫本上下巻の長編となった構想がうなずける。
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