素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 根場(ねんば)集落から鬼ヶ岳へ ▲

2021年11月30日 | 私の見た山・登った山

鬼ヶ岳(標高 1738m)や王岳(標高 1623m)は御坂山塊の御坂山から黒岳に通じる尾根を南西に進んだ最後の方に聳えています。

西湖の西側に『いやしの里 根場(ねんば)という「かぶと造り」の茅葺き集落があります。                                         そこは観光施設であり、大きく整備された駐車場がありますが、その更に西側に登山者専用駐車場が準備されています。

今回の周回コースは反時計回りで下の地図の右手の緑のコースを登り、鍵掛峠まで進み、そこからは赤のコースに入り王岳へ、そこから根場の駐車場に戻りました。

根場の駐車場に到着、7時10分。直ぐ登山準備を始め、7時半出発。                      初めて目指す山で登山口が判らず、 地図を見ながら本通りに出て東に進む。               そこで「十二ヶ岳登山口」の標示板を発見、自分の目指す山ではないが、その登山口に進んだ。

更に進むと、自分の向かう通過地点の標示板が現れ、間違いなしと確信し前進。           東入川に沿って、広く緩やかな斜面を登って行くと東入川の堰堤横を通過。

約25分ほど歩いて東入川堰堤広場に出た。7時55分通過。

堰堤広場に出てからは、東入川を横切り雪頭ヶ岳への登りが始まる。

8時半を過ぎた頃から登山道に日差しが入って来た。

徐々に斜度が増し、足取りが重くなる。 9時13分「ブナ原生林」 の標示板通過。

この時期は木々の葉が落ちているので明るく周りの景色が少しづつ見えてくる。          本栖湖方面に目をやると、左に大室山(標高 1468m)、右の方には尖ったピークの竜ヶ岳(標高 1485m)と奥の毛無山(標高 1945m)などの山々を望むことができた。

山の斜面は厳しさを増し、岩場が現れロープが設置されていた。                 崩れ易そうな岩場であり、慎重に取り付いた。

岩場を登り切ったら、見晴らし良い場所に出た。9時55分。

南側には富士山と手前、富士五湖の西湖。

東側方向に目をやれば河口湖とドーム状の尾根を見せる杓子山(標高 1597m)。

暖かい見晴らしの良い場所からの景色を充分に楽しんでから、北側へと進路を取った。          細い尾根上の登山道に変わり、そこのピークが雪頭ヶ岳(標高 1710m)であった。10時着。

5分ほど休憩したが、田の畔ほどの細い尾根状の山頂でバランスを崩すと危険なので写真のみ撮って移動開始。山頂より、これから進む山並みを俯瞰す。

鬼ヶ岳に向かう尾根上からは遠く、右から甲斐駒、鳳凰三山、白峰三山が遠望できた。

10時10分。鬼ヶ岳に向かう尾根上にハシゴが現れた。                               風があると怖いけど好天なのでルンルン気分でキョロキョロしながしながら慎重に登る。

10時15分、鬼ヶ岳に登頂。                                           山頂には大きな岩が沢山あり、北東の尾根上に有る金山(標高 1686m)方向から見ると、その岩が鬼の角の様に見えるとのことから付いた山名の様です。

   次に鬼ヶ岳から鍵掛峠経由、王岳へと進みます。

 

 

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🍂 醍醐寺の秋 🍂

2021年11月25日 | 世界遺産

秀吉が 花の宴 を開いた、山科の名刹。

醍醐寺といえば桜。                                              ときは慶長3(1598)年3月15日、ここで一世一代の花見をしたのが、太閤秀吉。          でも当時は桜の名所ではなかったようです。                              ですが名所でなければ名所にすればいいだけのことと、吉野山から選りすぐりの桜、およそ700本を移植したのだそうです。

その様な、あまりにも桜で有名な醍醐寺ですが、紅葉 も楽しむことができます。

金堂は醍醐天皇の御願により、延長4年(926)に創建された建物とのことです。

当時は釈迦堂といわれていたが、永仁、文明年間に二度 焼失。                              現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)の満願寺から移築したお堂で、正面7間・側面5間の入母屋造りの平安末期の建物だそうです。                        この金堂が、醍醐寺の主なお堂であり、安置されている薬師如来坐像が御本尊です。

金堂の横から五重塔を眺める。

五重塔は醍醐天皇の御冥福を祈るために建立。天暦5年(951)に完成したとのことです。                               初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。                                          高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が搭の三分の一を占め安定感を与えています。

京都府下で最も古い木造建築物となっており、国宝に指定されています。

紅葉やイチョウが色づく季節は朱塗りの弁天堂 が水面とよく合う紅葉の名所となっています。

堂内には音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁財天(七福神の一つ)が祀られています。

観音堂を中心に広がる林泉(林や泉水などのある庭園)及び弁天堂、鐘楼、伝法学院などを総称して大伝法院と呼ばれています。観音堂の水煙とイチョウ。

これらの諸堂は醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものだそうです。

   

 

 

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🍂 琵琶湖疏水付近の散策 🍂

2021年11月18日 | 京都の四季

春と秋、大人気の散策路。

南禅寺の近くから銀閣寺前の参道まで続く、疏水べりの約2Kmの散策路  ❝哲学の道❞

哲学者『西田幾多郎』博士らが、ここを歩きながら思索にふけったことから、そう呼ばれるようになったとのことです。

近くに京都大学がありますから、当時は学者の方々が良く散策されたようです。

春は桜のトンネルが延々と続き、桜吹雪が疏水に降り注ぎ、秋にはモミジが枝を水面の方に大きく張り出している。

 

西田幾多郎博士が京大の教授を務めていたのは大正時代、その頃は今ほど人家は無く、ノンビリと散策が楽しめたのだと思います。

川の流れは、自然であれば高い所から低い所へと流れます。                       ですから京都の川は鴨川を含め、全て北から南へ流れています。何気なく見ていると気付かないのですが、ここは南から北に流れているのです。                              土木工学者『田辺朔郎』博士が設計施工した人口の川だからなのです。

道すがらには、サツキの美しい「安楽寺」、椿が咲く「霊鑑寺」、さらに浄土宗を興した法然上人ゆかりのお寺「法然院」などが並んでいます。

11月中旬頃の紅葉の時期は、「もみじの永観堂」の名にふさわしい眺めを楽しませてくれますが、あまりに多くの参拝者に驚き「見返り阿弥陀」様の拝観も落ち着いてできず、京都五山の最高位に列せられた南禅寺へ。

勅使門~三門~法堂~方丈と一直線に並び、それらを塔頭が取り囲む臨済宗南禅寺派の大本山。

境内にはアーチ橋の上を疏水が流れるレンガ造りの水路閣が建ち、桜と紅葉の名所でもあります。

こちらは永観堂ほどの混雑はなく、枯山水庭園を歩きました。

 

 

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🍂 秋澄む 🍂

2021年11月13日 | 郷土の秋

里の秋。

お花が散って 実が熟れて、

その実が落ちて 葉が落ちて、

それから芽が出て 花が咲く。

そうして何べん まわったら、

この木は御用が すむか知ら。

金子みすゞ名詩集より 『木』

 

 

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▲ 乾徳山から国師ヶ原経由徳和に戻る ▲

2021年11月08日 | 私の見た山・登った山

乾徳山は狭い岩場の山頂で、登山者が増えて来たので11時55分、下山開始。

山頂付近の登山道は狭いし岩場にクサリなどで、登山者が多いと渋滞するので皆さんが休んでいる時には行動を開始する。                                             山頂から最後の富士山を眺める。

今回は周回のコース取りをしたので、戻らずに北側の黒金山方向へ下る。               大きな岩場の下りであり水のタル迄は慎重に進む。水のタル通過 12時05分。

岩場の終わった鞍部を通過 12時10分。 ホッと一呼吸 

この鞍部から左へ下るルートがあり、これを下れば乾徳山の西側を巻いて国師ヶ原に出る。

下り始めは樹林帯の中の岩と木の根が入り混じった急な下りであり、足元には充分注意して慎重に下る。

下る途中でも青空に紅葉がとても綺麗に映えていた。

斜度が緩くなり国師ヶ原近くになると、木漏れ日の当たる苔の綺麗な道を進む。

 

 

国師ヶ原高原に建つ高原ヒュッテ通過 13時10分。

国師ヶ原の標示板を通過 13時15分。

今日一日雲一つない好天で、国師ヶ原から素晴らしい乾徳山の山姿を拝むことができた。

国師ヶ原から少し下った所の錦晶水通過 13時35分。  冷たい水であった。

錦晶水を過ぎてからは徳和川沿いの登山口まで、樹林帯の中の薄暗いガレ場下りが延々と続いた。 登山口通過 14時20分。

徳和集落で見られた甲州独特の突上屋根型の住宅。

徳和集落の野球場臨時駐車場に14時40分。無事戻りました。               着替えてから山岳遭難防止キャンペーンのアンケートに記入を済ませ、集落の投函ボックスに投入し帰途についた。

 

 

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▲ 徳和集落から道満尾根経由乾徳山へ ▲

2021年11月05日 | 私の見た山・登った山

山頂部の岩場のスリルと360度の展望が楽しめる山です。

乾徳山は甲府盆地の北東部、笛吹川の右岸にそそり立ち、下部は混交樹林、中腹はなだらかなカヤトの原、山頂部はキリリとした岩峰で変化に富んだコースが魅力の山であります。

乾徳山登山口バス停のそばに20台ほど止められる無料駐車場があるが、6時45分に到着した時は土曜日であり、既に満車状態。

仕方なく50mほど下った所の野球場が臨時駐車場になっており、そこに止めた。           直ぐに準備をはじめ7時15分出発。                                      徳和公園の所で警察官の方々が山岳遭難防止キャンペーンを実施されており、アンケート用紙とポケットティッシュ、ホカロンを頂いた。

乾徳山へは周回コースやピストン、一部周回など自由なコース取りができる所であり、私は色々な景色の楽しめる周回コースを計画した。

徳和公園~徳和峠~道満山~大平高原分岐~月見岩~扇平~乾徳山~水のタル~国師ヶ原~乾徳山登山口~徳和公園  昭文社の「山と高原地図」のコースタイムは6時間50分。

計画通り徳和峠に向かう、その途中より眺めた徳和集落。

林道を登ると獣除けの柵が造られていたが、上から下って来た軽トラのおじさんが柵を開けて下さり、お礼と少しの会話をしたら「紅葉がいいぞ。」と教えてくれた。

少し登ったら徳和峠に付く前に道満尾根への道標があり、そちらに進む。通過 7時30分。

道満尾根に出るまできつい登りが続いたが、足慣らしでゆっくりと登る。

尾根に出てからも道満山(標高 1314m)までは厳しかった。 道満山通過 8時35分。

道満山から大平高原分岐までは、意外と楽な尾根歩きが続いた。登りが遅いので、ここは闊歩した。

大平高原分岐通過 9時20分。ここは国師ヶ原への分岐でもあるが、直に月見岩に向けて登る。

月見岩に向けての登りは、道満山への登りと同様、厳しい登りであった。 ただこの前後の木々の黄葉が素晴らしく何度も立ち止まり眺めた。

9時40分頃、森林限界を越えたように見晴らしがとても良くなった。南アルプス遠望。

そして富士山も顔を出してくれた。

道は緩やかになり 

林を抜けたら、目指す乾徳山が目の前に現れた。

カヤト原の月見岩着 10時丁度。暖かくて気持ち良い。

乾徳山よりの扇平に10時10分着。 ベンチに良さそうな石が幾つもあり10分ほど休憩をした。

南方向に甲府市街や富士山が綺麗に見えた。

天気に恵まれ、休んでいてもポカポカと暖かかった。

山でのミカン最高でした。

ここからいよいよ岩混じりの登山道に取り付く。

コメツガの樹林の中、木の根につかまり体を引き上げ、岩につかまってバランスを取る。

所々に展望の良い場所があるが、チラリと見るくらいで楽しむ余裕はない。 

クサリにつかまり飛び出した岩を避けながら登って行く。

それを越えると山頂直下までは緩い登りとなり、最後の岩場が見えてくる          鳳岩着 11時15分。

長いクサリが垂れ下がり、クサリを手にしたら岩の細い割れ目に足を掛け、体が振られない様に慎重に登る。

巨岩が積み重なった山頂に立てば苦労して登り切った充実感に、周りの素晴らしい展望の満足感が加わり最高です。  乾徳山登頂 11時20分。

延々と続く奥秩父の山並み、甲府盆地と御坂の山々の向うには霊峰 富士山や南アルプスの峰々が雄大に広がっている。 

土曜日であり、狭い山頂大混雑、素早く昼食 を済ませ、下山開始 11時55分。

 

次に、乾徳山から国師ヶ原経由、徳和集落に下ります。

 

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🍂 石山寺の秋 🍂

2021年11月02日 | 古寺巡礼

滋賀県大津の南端、琵琶湖から流れ出る瀬田川の西岸に位置する、真言宗の大本山。

『寺は石山、仏は如意輪』といわれるとおり、霊験あらたかな観音様として奈良時代より広く信仰されてきました。

石山寺は、天平19年(747)聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって建立されました。    その名の通り、石の山の上に建つお寺です。

 

境内の本堂前には大きな岩が聳え立っています。

こちらは天然記念物の『硅灰石(けいかいせき)』というもので、世界的にも珍しいものだそうです。     本堂や多宝塔は、この『硅灰石』の上に立てられています。

「この山の上に八葉の蓮華のような大きな岩があり、そこは紫雲たなびく美しい場所である。ここが観音の聖地である。」❝石山寺縁起絵巻❞第一巻には、近江の守護神 比良明神が石山の地について、この様に述べる場面が描かれています。

このことから、石山寺は古来より神聖な土地として人々の信仰を集めていたようです。    松尾芭蕉翁も何度も足を運ばれたようです。

石山の 石にたばしる 霰かな ❞ 

石山寺の名の由来でもある巨大な硅灰石の上にあられが激しく降り注いでいる光景を詠まれた句だそうです。

源頼朝の寄進により建立されたと伝わる国宝の多宝塔。

                   

上下二層のバランスや軒の曲線の美しさで日本が誇る最古最美の多宝塔として知られています。

 平安時代に観音信仰が広まると、京の都からほど近い石山寺へ参拝する石山詣でが貴族の間で流行したようです。                                                 毘沙門堂の紅葉。

その中でも、文学者が多く参詣されました。

かの有名な紫式部は、当山に参籠(さんろう)した際、湖面に映る月を見て『源氏物語』の構想を思いついたと❝石山寺縁起絵巻❞に記されているとのことです。

他にも『蜻蛉日記』の作者 藤原道綱の母、『更級日記』の作者 菅原孝標の女も石山寺に参籠し、その時のことを作品中に描いているそうです。

 

 

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