素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

●迷いと悟りの源光庵●

2012年08月31日 | 京都の四季

京都府南丹市美山町の茅葺きの里を訪ねた帰り、国道162号(周山街道)で京都市内に戻り、途中から洛北経由で大原に向かおうと、狭い道に入ったら鷹峰(たかがみね)の地名が目に付いた。

遥か昔、狭い道を走り、やっとの思いで参拝した記憶が甦り、そうだこの辺りには「光悦寺」や「源光庵」があるんだと思っていたら、源光庵駐車場の看板が目に入り、そのまま入場した。

道はカーブが多かったので、ノンビリ休憩を兼ねて参拝した。

源光庵と言えば、まず思い浮かぶのが本堂の『迷いの窓』『悟りの窓』。 670年ほど前に作庭された「鶴亀の庭」と呼ばれる枯山水庭園が、本堂前に広がっている。                                      この庭自体、紅葉の景色などで知られる見事なものですが、2つの窓はその庭を眺めるためのものでありながら、庭そのものよりも有名である。

『迷いの窓』は四角いガラスの引き戸で、人の一生における苦しみを象徴し、「生老病死四苦八苦」を表すと言われ、また『悟りの窓』は正確な真円を描く丸窓であり、禅における悟りの境地を表していると言われています。

 

四角と丸、それぞれに切り取られた庭の風景をノンビリ鑑賞、そこには新緑のモミジが見えた。                                     これが秋になると、またまた素晴らしい。広い本堂の畳に正座し、窓外を眺める。  ただ何と言うことも無い窓であるが、寺を後にしても不思議と心に残っている。

ここには、もう1つ本堂の天井が血天井である事でも知られています。                            京都には伏見城から移築した血天井を持つ寺が幾つかあるようですが、源光庵も伏見城の遺構を伝える寺の1つだそうです。

                                                                 伏見城ゆかりの血天井とは、豊臣から徳川へ移る動乱期、関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき戦いでの、戦国武将「鳥居元忠」の戦死を伝えるもの。             この時伏見城の留守居役であった元忠は、石田三成軍の攻撃に対し良く耐えたが、力尽き、一党380余名と共に自刃、全城を朱に染めたようです。

明治維新後に伏見城は解体され、その遺材が京都の寺などに用いられたため、いわくつきの血天井がアチコチに有るとの事です。                                                       源光庵では本堂廊下の天井がそれで、黒い染みとなった血痕や足跡などがハッキリ見えます。城守できなかった無念さが伝わります。                             とてもカメラを向ける気にはなれませんでした。

  

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🐾 かやぶきの里「美山」を散策 🐾

2012年08月27日 | 史跡・名勝探訪

京都の北西部、若狭湾に近い、南丹市美山町を訪ねてみた。                                 この美山町(知井)北村は富山県の五箇山や岐阜県の白川郷と同様に平成5年12月、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、日本の原風景の1つで1度見てみたいと考えていた。

北村は谷間のゆるい傾斜地に住まいがひとかたまりに密集した山村で、どこからでも全体が一望できるまとまりの良い村です。                           その家々は山の斜面と山裾、街道沿いに配置され、中心部はひな壇状の展開になっています。                                      空間を大事にした屋敷割りで、家と家の間を基本的に、塀や生け垣で囲わない開放性が大きな特徴との事です。                              また、水路と谷、お宮の森、前景の水田、中景の屋敷地と家、里道や畑が一体になってまとまり、カドの松や柿の木などの植生を含め、生活の姿の見える村並も大きな特長の様です。

北村は現在50戸の集落ですが、その内、住宅32棟、民俗資料館や店舗など6棟の合計38棟が茅葺き屋根の建築で、集落でのかやぶき建築数は岐阜県白川村荻町、福島県下郷町大内宿に次いで全国第3位との事です。    

 

かやぶきの里「北村」は五箇山や白川郷と同様に、現実に生活をされています。    失礼の無いよう里道から見学させて頂き、建物内部や歴史文化については美山民俗資料館にて説明して頂きました。

地区住民の方々は村並を壊さないよう、保存と再生に努め、「売らない・壊さない」を協定の柱にすえ、田や畑、山を大事にしながら次世代につなぐ努力をされているとの事です。

地理的には昔の丹波国に属すようですが、京都と日本海の玄関口の若狭小浜との中間に位置し、建築や生活文化には色々な地域の影響が見られるようです。          北村の現在の茅葺き家屋は寛政8年(1796)建築のものが最古ですが、19世紀中頃までの建物が18戸と江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類される特徴を良く伝えているようです。

荘園時代の昔から山稼ぎが暮らしの中心だった村であり、建材はほとんど周りの山から調達するのが当たり前のことでした。                            自分たちの手で守り育てた自然の恵みを頂いて建てた家に住み、周りの田畑山野から四季の恵みを頂いて囲炉裏を囲む。                             かつてはごく当たり前だったそのような暮らしを、一旦は失いかけて、いま再び、新しい形で取り戻しつつあるのが、美山町北村の現況であるようです。

日本の原風景が末永く続き、村人の方々が出資設立された「有限会社かやぶきの里」が繁栄されることを祈ります。

 

 

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▲ ナイトハイク明神・明星 ▲

2012年08月24日 | 私の見た山・登った山

最近、自分の周りでも山を歩かれる方が増加し、嬉しい限りである。                                   私が山に入った頃は、小屋に泊まるにしても米持参であったが、今では三千m級のアルプスでも自販機あり、ジョッキの生ビールあり、食事も比べものにならないほど美味しくなった。それにトイレも水洗が増えて来てビックリである。

先日、仲間と日帰りのハイキングをやろうと話が持ち上がり、「計画するよ。」と言ったものの毎日のこの暑さを考えると、汗かきの自分は気が進まなかった。        その時、以前正月に道了尊に初詣をした足で明神が岳に初日の出登山をした話をしたら、皆がそれにしようと全員一致で決定した。

新緑萌える春や秋の陽だまりハイクには良いコースですが、夏は暑い。        なので夜登れば少しは楽かなと考え実行しました。                      伊豆箱根鉄道「大雄山駅」に午前0時集合、参加者6名。タクシーで道了尊へ上がった。

正月と違い、この時期は誰もいない。                       その静かな参道を進み、山門横から明神が岳(1,169m)ハイキングコースの標示板を横目に登山道に取りついた。                            登り始めはキツイ急登を一気に登り、2回ほど林道を横切り見晴小屋へ。         ここまでは、ほとんど樹林帯の中であったが、小屋付近からは足柄平野の夜景が目に入った。

                                                                  全員でライトを消し、見上げる空に満天の星、流れ星も見る事が出来た。

                                                                     また、この時期の低山ハイクは初めてで、夜と言えども結構の汗をかいた。       その上、夜露で周りの草木が濡れておりズボンを含め足元がびしょ濡れになった。

山頂では汗が冷えるので、木陰に入り、ホットコーヒーを飲んだり、おでんを温めたりして時を過ごし日の出を待った。                        夜中はガスが出たり、雲の流れが結構あったが、日の出と共に青空が現れ、感動の楽しいナイトハイクでした。

 

 

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☆東京ディズニーシー☆

2012年08月21日 | 

初めて、東京ディズニーシーを訪問してみた。                                            京都から来た子供たちが家でトイ・ストーリーを興味深げに見ていたので、是非ディズニーシーでトイ・ストーリー・マニアを見せてあげたいと思ったのが、訪問のきっかけでした。

現地では、すぐに入園できるようにとインターネットでチケットを購入し、自宅のプリンターでチケットを印刷した。                               その方が、入園券を並んで買うよりも早いと考えたからである。

  

会場は凄く広くて、初めての私達には会場マップを頂いたからと言って、現在地が直ぐに分かる訳ではない。                                子供達が先にトイ・ストーリーの会場に走ったが、自分はディズニーシー内の別世界の景色をカメラに納めていた。

そんな事で早速、迷子の1人になってしまった。                        日陰を捜し、入口で頂いた地図を広げ、私は今どこにいるんだろう?        大雑把な会場案内の地図では良く判らず、通りかかった係員の方に地図上の現在地を尋ね、納得。                                    そこから直ぐに電話をして、今いる場所の地図上の番号を聞き、暑さに耐えながら、その番号に向かった。

 

確かに、この辺りだ。と思っても建物あり、階段あり、橋や池も有ったり、目には楽しい景色だが、人を探すのは大変な場所である。                  私は、どんな山の中に入っても道に迷った記憶はないが、こう言う所は好きでない。                    かくれんぼをするつもりはなかったが、結構楽しめた。                      4歳の孫に「じっちゃん、迷子にならないでね。」と釘を刺された。

そこでトイ・ストーリーのアトラクションは400分待ちで当日券も発券終了と聞き、ビックリした。                                 5分か10分で終わるものに400分も待てないので、諦めた。

周りの景色を楽しみながら、短時間で乗車できそうな乗り物を捜し、フライング・フィッシュコースターと言う小型のジェットコースターに乗り、それも一番前の席で満面の笑みで、声を張り上げ楽しそな姿を見て、遠方からだが連れて来てあげて良かったと思った。4歳なので泣き出すかと思いきや、いやいや現代人である。

その様子をビデオに収めたが、同時に空が暗い雲に覆われ風が出て雷雨を感じたので、急いで建物内のアトラクションブースへ逃げ込んだ。                      そこはマーメイドラグーンと言うコーナーでコーヒーカップが回る様な「ワールプール」やクラゲが上下する「ジャンピン・ジェリーフィッシュ」、ふくらんだフグたちのレース「ブローフィッシュ・バルーンレース」に乗り、またリトル・マーメイドのミュージカル「マーメイドラグーンシアター」を大迫力で見られ感動しました。  

                                                                  ここも、当初は10分待ちとなっていたが、雨で逃げ込む人が増加し30分待ちから50分待ちへと徐々に伸び、息苦しさを感じた。 

外の暑さに比べたら、屋内会場はとても涼しく、2時間ほどいたら寒くなり、再び外の様子を確認したら、何と嘘のように晴れに戻っており、屋外を散策することにした。   暑くとも次々に目新しい景色が現れ驚きと感動の連続である。 

16時過ぎからメインのメディテレーニアンハーバーで行われた海上のアトラクションは素晴らしかった。                               ディズニーのキャラクターが乗った船が何艘も現れ、素晴らしい音響の中で船上での踊り、噴水、花火と息つく暇も無いほど次から次へと船上ショーが繰り広げられ、感動しきりでした。

 

 

 

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