素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

京の夏の風物詩『納涼床』

2009年08月26日 | 京都の四季

夏の風物詩「納涼床」。その始まりは江戸時代にさかのぼるようです。       当初は裕福な商人などが中州や浅瀬に床机を置き、趣味趣向として遠来の客をもてなしていたようです。 

それが後の寛文年間に治水工事が行われ、東西両岸に石積みの護岸ができたことから、茶店や物売りの屋台が出現、営業目的とした形態が始まったとの事です。                                             『ところてん』・『西瓜の切り売り』・『豆腐田楽』、さらには『びいどろ』や『手品』・『綱渡り』などなど、鴨川畔は毎日が縁日のように賑やかであったようです。

納涼床の発展の背景には、冬の底冷えと好対照をなす、京都盆地の夏の暑さがあります。三方を山に囲まれて風が通らず、空気に水滴を感じるほどの高湿度。                                         宝暦6年(1756)に来京した本居宣長の日記にも「都の残暑は、いとしのぎがたし」と綴られているとの事です。                                                                                                        そんな中、川のせせらぎ、水面を渡る風、冴えた月明かりは、心にも響く涼しさであったようです。 

市街地をまっすぐに流れる鴨川の美しさも、納涼床の魅力。                                                 河畔は四季折々の美しさを見せてくれます。                         特に夏は、山々を借景とした水辺の風景が人々の目を爽やかに潤してくれるようです。

現在、納涼床の期間は5月1日~9月30日で二条大橋より五条大橋の辺りまでずらりと連なります。                                                                                                                          その一軒一軒に、大らかで粋な町衆文化が、今もしっかり受け継がれております。

私達は先斗町の『山とみ』さんの納涼床を利用させて頂きました。                                  川風がとても涼しく、お料理も美味しく頂きました。 

 

 

 

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奥嵯峨・鳥居本を歩く。

2009年08月25日 | 史跡・名勝探訪

洛西「嵯峨野」は美しい竹林とのどかな田園風景が広がっています。                 今なお、そこかしこに世捨人が住んだ昔をしのぶ事ができ、その風情を求めて訪れる人があとを絶たない人気のエリアです。

今回、奥嵯峨の愛宕古道街道(あたごふるみちかいどう)にある鳥居本の古い町並みを訪ねてみた。                                                                                                                              ここ鳥居本は愛宕神社の門前集落として栄えたところで、昔の姿を良く残し、伝統的建造物群保存地区に指定されている。

                                                    集落の真ん中に立つ一の鳥居の脇にノレンを掲げているのは鮎料理で知られる「平野屋」さんと「つたや」さん。

                                                   店頭の縁台に腰掛け、抹茶で一服しながら愛宕詣での参拝客で賑わったと言う往時をしのんでみた。

例年、8月23~24日の両日の夕べに、竹と和紙を使った手作り大小の灯篭を街道筋に数多く並べた「愛宕古道街道灯し(あたごふるみちかいどうとぼし)が開催されました。  

両日は近在の方はもとより遠来の方々の力作の絵や書などで街道筋は一大展覧会場となり、京の夏の終りを告げる幽玄の世界を是非ご体験くださいとありましたが、夜の帰り道で迷うといけないので、昼間の内に付近を歩いてみました。 

この街道沿いには化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)があります。                                              境内には八千余りの石仏が並び、寺名から言っても化ける野と書き化野(あだしの)や念仏などと夜になると怖い感じですね。

 

 

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夏の嵐山

2009年08月25日 | 史跡・名勝探訪

大宮人が屋形船で遊んだ昔から、景勝地としてその名を知られた嵐山。

今も豊かな自然が残り、その四季折々の風情が楽しめる。

京都府の中央部丹波高地に源を発し、山間を巡りめぐって園部から亀岡市に至り、再び山間の峡谷16kmを流れて天下の名勝「嵐山」につき、鴨川と合流して淀川に入る。

                                              この川の亀岡から嵯峨嵐山(京都市右京区)までを、峡谷の美と舟下りで有名な保津川と言うようです。そして渡月橋より下流は桂川となります。

保津川下りは船頭さんのユーモアあふれるガイドを聞きながら約2時間の船旅のようですが、時間の無い方には嵐山通船が良いようです。                                        乗船場は京料理「吉兆」の南側と対岸の渡月小橋南詰の2ヵ所にあり、乗船時間は30分なので、御座船で嵐峡の雰囲気を手軽に楽しめます。

知らない町でガイドをしてもらえるほど嬉しいものは有りません。                                  若いお兄さんが一所懸命に穴場を案内してくれます。そう人力車です。

 

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苔の寺『西芳寺』

2009年08月15日 | 世界遺産

まるでじゅうたんを敷きつめた様に境内に百二十余種の青苔が一面を覆い、通称『苔寺』の名で親しまれている。                            山号を洪隠山(こういんさん)といい、臨済宗に属するお寺との事です。

平成6年(1994)には世界文化遺産に登録されました。

昔は総門を通れましたが、現在は総門から参道へは通行できません。              総門の横には高浜虚子の句碑が見えました。                           「禅寺の苔をついばむ小鳥かな」

奈良時代、聖武天皇の詔(みことのり)により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられているようです。

兵乱での荒廃の後、暦応二年(1339)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた夢窓国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修行の道場となった。

                                              夢窓国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめ、ここを訪れて座禅に励んだ人も多かったようです。

私達は予約票を持ち衆妙門より境内に 入り、本堂に案内されました。        本堂には座卓が用意され、そこに座り太鼓の音頭に合わせ住職と共に「般若心経」や「座禅和讃」と言う経文を唱和する宗教行事に参加しました。              最後には写経を行い、今一番叶えたい気持ち・希望を塔婆に書いて下さいと言われ、思いを一つ書き納めて来ました。                            その後、ノンビリ庭園の散策をして来ました。

拝観制限も、周辺環境と苔を守るための措置。                        実際に訪問し、この世のものとは思えないモスグリーンの世界が実感でき、素晴らしいです。

本堂左手には大仏次郎の文学碑が見られました。

 苔寺にて                                    お互いの祖先の日本人がその時々に築き上げて遺(のこ)したものを今の若い人たちがどんな風に見ているのか尋ねたいことである。                    亡びたものをただ美的な興味で眺めているのか、それともこう乱雑になった世の中にも自分たちの生活や血につながりのあるものとしてなつかしみ受け取ろうとする心が残っているのか確かめてみたい。              大仏 次郎作

 

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鈴虫の鳴き声を聞きに「鈴虫寺」へ

2009年08月14日 | 史跡・名勝探訪

このお寺の正式名は妙徳山・「華厳寺」と言います。

真夏の強い日差しの照り付ける中、西京区の松尾大社から苔寺付近を歩いてみた。   日陰が有れば、わずかな日陰でも、その下を歩いた。                 夏の京都は嬉しいほど暖かい、アスファルトの照り返しもあったが、午前中なのに既に30℃を超えていた。フウ~ッ

西芳寺川沿いを南西に進み、参道の長い階段を上がると山門脇にたたずむ、どんな願い事も叶えてくれると言う草鞋履きの幸福地蔵様が出迎えてくれた。

このお寺は通年鈴虫の鳴き声を聞くことができ、その上他では無い御住職のユーモアあふれる説法が聞けるのです。                            受付で朱印帳に御朱印を頂き書院に案内され、入室したら既に50名以上の参拝者が御住職の説法に耳を傾けていました。

観光寺院と呼ばれるお寺も増えた昨今、鈴虫寺では寺院本来のあり方を常々大切にされ、参拝者の私達にお寺の事やお参りの仕方、あるいは日々の心の持ち方等についてお話して下さいます。

 

                                             話法もけして堅苦しいものでは無くユーモア有りの説法で皆さん聞き入っていました。 自分たちは途中からでしたが、機会あればまた最初から聞いてみたいと思います。

 

 

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*洛西「長岡天満宮」*

2009年08月13日 | 史跡・名勝探訪

長岡天満宮の御鎮座地 長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平(ありはらなりひら)らと共に、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深い所だそうです。

道真公が大宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが長岡天満宮創立の由縁だそうです。

以来皇室の崇敬が厚く、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって門前に八条が池が築造されました。                               その中堤に植えられた樹齢百数十年のキリシマツツジが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わいます。

                                              キリシマツツジの見頃は、ゴールデンウィ-クではちょっと遅くて4月中旬位からが最高のようです。これは是非、一見の価値は充分あります。

今回は長岡京市の中国の友好都市「寧波市」から贈られたという紅蓮を見て来ました。咲き始めは7月始め頃からのようですが、8月9日でも充分見られました。              しとしと雨の中でも中々綺麗なものです。

 

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