素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🔶 長いトンネルの出口かも? 🔶

2021年09月27日 | 出来事

新型コロナウイルスが現れてから1年9ヵ月、第一波から第五波までの山を越え、ようやく感染者数の減少傾向が見られるようになって来ました。

でもまだ、専門家の先生方のお話では、これから冬に向かい第六波も来そうな話をされており、気を緩めるのは早計かもしれません。

冬に入る前に、感染対策の更なる準備を進めたり、政府の楽観的なコロナ対策で招かれた医療崩壊など再び同じ道を歩むことのない様にして頂きたい。

最近では、在宅医療で薬や酸素を投与できたことで救えた命が有ったと報道がありました。

テレビでは「ホテル療養より体育館の様な広い場所を宿泊療養施設、臨時医療施設(野戦病院)の様な、自宅と病院の中間施設を充実させ、そこに患者を集めた方が医療者の目が届き易くより安全に療養できる。」と医療専門家の意見を伝えています。

先般、菅総理が「軽症者や中等症の人は自宅療養とする。」と発言されてから、都内では7月下旬から感染が急拡大し、病床が逼迫して中等症以上でも入院できない患者さんが続出し、自宅療養者はピーク時の8月21日には2万6千人に達した。との報道がありました。                     でも現在は、感染者数の減少に伴い自宅療養者数も4千人以下に減っているそうです。

今でこそ感染者数は減少しているものの、自宅療養中に容体が急変して亡くなった方が続出しています。                                           特に肥満の方や糖尿病などを抱えている方々は、より注意が必要とのことです。       また、基礎疾患のない40代女性が亡くなったとの報道もありました。                     リスク要因のある方々は、若い人でも症状が悪化し易いので注意が必要とのことです。

 

国民は、                                            自宅で見殺しにされようとしている。                                       今も、ひとりで亡くなっている人がいる。              新型コロナ                              涙がでる。                                               怒りと悲しみでいっぱいになる。                                  この国はいつから、こんなことになってしまったのか。                           命は自分で守るしかないのか。                    宝島社 

 

急増する自宅療養者は「自宅放置」とも表現され8月中に東京都で44人が自宅で亡くなったと発表されました。9月に入っても5人が亡くなられています。(9月23日現在)

この現実を見て見ぬふり、国会も開かず「コロナ対応に専念するため」と空々しい言い訳をして去る菅総理。一時は記者の質問に対して「時期が来たら当然、総裁選に出馬します。」と怒り顔で言い、延命策を色々講じたが全て失敗、退陣に追いやられた。                      現在は外遊中(卒業旅行)ですが、コロナ対応として目の前の苦境を脱するような施策に取り組んでほしいと思います。

今、総裁選真っ盛りで総裁候補4名の方々が「私ならこうします。」と競い合われていますが、菅総理が官房長官時代から口癖のように語られていた「仮定のことについてはお答えできません。」これが現政権の後手後手政策であったように思います。                      そんなことで新型コロナウイルスが1年9ヵ月も長期に亘りはびこり、多くの方々が苦境に追いやられているように思います。

新総理には前長期政権を顧みて現職国会議員が逮捕された場合の「任命責任」そして不正を疑われるような事象が発生した場合の国民に対する「説明責任」をハッキリと取って頂きたい。

それに説明する際には虚偽答弁は行わない。これは人として当然のことであり、国家公務員、地方公務員等の中には皆無であると思っています。

コロナ禍を歩き始めて1年9ヵ月、ウイルスの感染について海外から色々な研究成果が報告されています。                                        そんな中ですが、皆さんもきっと感じられているのではないかと思います。        『危機に弱い日本』

コロナがウイルス戦争であったとしたら、PCR 検査数やワクチン接種のスピードが先進国といわれる中で、日本は最下位だったようです。 これでは?

最近、地震も増えています。噂される南海トラフ地震、首都直下型地震などが発生した時に、今の日本政府はどこまで国民を守ってくれるのでしょうか?

先日のタリバンが制圧したアフガニスタンの首都カブールの空港からの脱出騒動のように大使館員(日本政府)は早々に退避し、邦人や関係者(国民)は取り残される。そんな感じがしてなりません。

想定(仮定)はしづらい事態であっても想定しておかなければならないと思うのです。    新総理には従来の「根拠なき楽観論」でなく、先を読み危機に強い日本政府を目指してほしいと心から願っています。

ワクチン接種を2回済まされても、コロナ感染防止は万全ではないとのことであり、これからどこまで続くのか分かりませんが、十分に注意していきたいと思います。

 

 

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🈰 花の運動公園 🈰

2021年09月22日 | 日本の四季

知らない土地を歩き、新しい発見、新しい出会いには、いつも感動しています。

片道切符を持ち歩き始めて来た人生、道半ばを過ぎましたが、まだまだ自分の足で歩きたい。

そんな思いがあり、今でもできることは何でもやろうと考え、その中の1つとして走っています。

長い距離を走れた時には各地の登山競争やフルマラソン、ハーフマラソンに何度も参加しました。 練習で遠くまで走って不調になり、なんでこんな所まで来ちゃったんだろうと後悔したこともありました。

そんな経験を活かしながら最近では無理せずに走り、その時の景色や目に付いた花々など見ながら走るようにしています。

運動公園の回りはミカン畑と梅林に囲まれ、芝生のピクニック広場、展望広場、そしてゲートボール場、野球場、サッカーのできる多目的広場、調整池、テニスコート8面に広い駐車場が2ヵ所といった広い公園で外周は1.5Km位ありそうです。

小高い山の斜面に造られた公園であり、舗装道や山道の様な未舗装路を走るトレイルランです。

スタートすると、まず良く腕を振って急坂を登ります。

急坂の横ではヒガンバナが応援してくれています。

登り切ると右折し、公園とミカン畑の間を緩く登って行きます。

左手はミカン畑ですが、右手の公園内には滑り台などがあります。

公園の南側になる、一番高い尾根上の道。登り切ってホッとする所です。

畑と道の間にはヤブランが咲いていました。

公園の一番高い道の右手はピクニック広場になっており、桜の時期は最高の場所です。

200mほどで舗装道が終わり、森の中に入ってアップダウンが続きます。

下り切ると右手に梅林とテニスコートが広がりますが、コースは直進で苦しい登りが待っています。

苦手な登りは良く腕を振り、ピッチ走法を心掛けています。

登り切るまでは絶対に歩かないよう頑張っています。

登り切ってからの下りはデコボコ道、ここは山と同様一歩踏み出す足の位置が、斜めか 穴か 浮き石か 尖った石か 不動石か 滑り易いか 瞬時に見極める練習になる。                             こういう練習は色々な状況の山を自分の足で何度も歩いてみないと中々判りません。

ここを下り切ると舗装された農道に突き当たり、右折し多目的広場に向かう。

多目的広場を右に回り込むように野球場や第一駐車場に向かって走る。

その道の左手には可憐に咲くツユクサを見つけた。

その先の道路脇には植樹されたツツジ並木を覆うように咲くセンニンソウを見た。      つる性の植物で十字型の白い花を沢山つける。

全コースの三分の二を走って第一駐車場とテニスコートの見える所まで来た。

そこから第一駐車場に入り、野球場のメインスタンド側から調整池の方へ進む。

調整池には綺麗なスイレンが咲いており、近寄ると鯉が沢山寄って来るのに驚きました。

またゲートボール場の山側には真っ赤なヒガンバナが綺麗に咲いていました。野のあちこちに群れて咲く様子は日本の秋の代表的な光景となっています。白い花もありました。 

クロアゲハの舞う姿をノンビリ眺めているのもホッとした気分になれます。

距離は1.5Km位だと思いますが、1周の平均タイムは16分。これを目安に走っています。自分では走っているつもりですが、周りの人が見たらもがいている様に見えるかもしれません。

でも人目は気にせず3~4周走るようにし、徐々に伸ばせたら良いと思っています。

 

 

   ※ ご訪問、ありがとうございます。

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▲ 懐かしの西鎌尾根 ▲

2021年09月16日 | 北アルプス

槍ヶ岳は槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢という4つの沢と東鎌尾根、西鎌尾根、北鎌尾根、穂高縦走路の4つの尾根に囲まれています。

 

表銀座コースと呼ばれる東鎌尾根と穂高連峰からの縦走路は人気の高いコースですが、ここでは裏銀座コースに当たる西鎌尾根のご紹介です。

                 ※ 2011(H23)年8月に撮影。

西鎌尾根は槍ヶ岳の北西に派生する尾根で、登山者は少なく静かな山歩きが楽しめます。   双六岳(標高 2860m)を背負った双六小屋と双六池。 双六小屋出発 6時。

双六小屋から槍ヶ岳に向かって樅沢岳(標高 2755m)に登り広いなだらかな尾根歩きから始まります。 樅沢岳着、6時45分。

槍直下は岩むき出しの荒々しいヤセ尾根の急登が待ち構えていますが、クサリ場があるような岩場は少なく、時間は掛かるものの歩き易い雲上の大縦走路であります。

樅沢岳山頂から見た笠ヶ岳と鏡平山荘。  右手のピークが笠ヶ岳(標高 2897m)。

 下は望遠で見た鏡平山荘。 上の写真の雲海の中の丸い山頂の左下です。

稜線上に咲くダイニチアザミ。 右手のピークは鷲羽岳(標高 2924m) 中央は祖父岳(標高 2825m)、アザミの下のピークは三俣蓮華岳(標高 2841m)、一番奥の山は薬師岳(標高 2926m)の山々です。

森林限界(標高 2500m位)を超えた稜線歩きなので展望最高。 自然に足取りが軽くなる。

槍穂高連峰の稜線シルエット。

これから進む西鎌尾根と目指す槍ヶ岳 (標高 3180m)。

今まで歩いて来た尾根を振り返る。遠方の右のピークは鷲羽岳(標高 2924m)。

樅沢岳から1時間歩いた尾根上からも鏡平山荘が見えた。

見晴らしの良い尾根歩きなので気持ち良く歩けるのだが、目標の槍はまだまだ遠い。

ハイマツにおおわれた稜線右側の緩やかな道を進んでいたら、ヒョッコリとライチョウが現れ、ビックリした。 好天時に姿を見せるのは危険なのにと思ったが、元気そうであった。

双六小屋から歩き始めて2時間50分、振り返ったら右手に赤褐色の荒々しい岩肌をした硫黄尾根が見えた。

槍ヶ岳に近くなると足場の悪い登山道が続くので気が抜けない。

右側の切れ落ちたガレ場の登山道を慎重に進む。

尾根上に出ると槍ヶ岳本峰から続く尾根が見えた。あの稜線の左側に回り込めば千丈沢乗越だ。

着いた。 千丈沢乗越。双六小屋から3時間半。西鎌尾根を詰めると小槍が見えた。

千丈沢乗越に立つと、目の前に槍ヶ岳が覆いかぶさるように迫って見える。

千丈沢乗越を過ぎると、いよいよ槍ヶ岳の肩までの急登が始まる。                    稜線通しに急な斜面を登って行く。道は稜線から右に移り、ガレ場の斜面を浮き石に注意しながらジグザグに登る。

左手に回り込んで行くと小槍が間近に見えてくる。左下に細く見えるのは、今歩いて来た西鎌尾根である。

童謡の アルプス一万尺 の一番に❝アルプス一万尺 小槍の上でアルペン踊りを サァ踊りましょ(ヘイ)ランラララ・・・・・❞                                 自分も歌った記憶はあるんですが、今まで小槍を見たことが無く、感動しました。

上高地の方から槍沢を登って来ても小槍は見えないんですよね。近くで見えて良かった。   小槍の横を通過した20分後の10時半に槍ヶ岳山荘のある槍の肩に到着した。

槍ヶ岳山荘に荷を預け槍の肩でブラブラ休憩、飛騨乗越へ下った所でトウヤクリンドウを発見。

槍ヶ岳山荘前のテラスから槍沢に建つ殺生ヒュッテと東鎌尾根を登って来ると通過する雷鳥平に建つヒュッテ大槍が俯瞰できた。

この時は槍ヶ岳には登らず、30分休憩後の11時、氷河公園に向け出発。

大喰岳(おおばみだけ)中岳、天狗のコルから天狗原稜線を下り氷河公園に立ち寄り、槍沢経由で横尾へ下った。

 

 

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🌸 レンゲツツジの霧ヶ峰 🌺

2021年09月09日 | 日本百名山

レンゲツツジ、湿原、展望、緑うねる爽快な高原漫歩。        ※写真は2004年6月撮影。

長野県の中央部に位置し、八ヶ岳中信高原国定公園にある霧ヶ峰は、標高 1925mの車山を頂点とする広大な溶岩台地の上にあります。

霧ヶ峰は春のレンゲツツジ、コバイケイソウから夏のニッコウキスゲなど、沢山の花が広大な高原を埋め尽くす景色は圧巻であります。

高原に樹林はほどんどなく、穏やかな起伏の草原が広がり、美しい湿原が点在しています。

車山高原駐車場には花の時期、リフトが運行されており子供さんからお年寄りまで、気持ち良い高原散策が楽しめます。

夏山リフト山頂駅から、ほんの少し歩けば気象レーダー観測所のある車山山頂に到着です。  360度の素晴らしい展望が楽しめます。

ただ、名前のごとく霧の発生が多く、数m先が見えなくなることも有りますので、十分な注意が必要です。

また国定公園内であり、散策路の両側にはグリーンロープが張られているので迷うことはありません。

1981(昭和56)年に ビーナスライン が開通して以来、観光地化した感はぬぐえないが、その景観の素晴らしさ、抜群の展望、花の種類は第一級の山岳であります。

天気と時間 に余裕があれば、霧ヶ峰の車山から八島湿原の周回コースをノンビリと高原の風 を感じながらの散策がお薦めです。

木道を進むと直ぐに小さな鎌ヶ池の畔に出る。6月頃にはアヤメ、カキツバタが咲き、鮮やかなレンゲツツジが彩りを添え、ワタスゲが白い穂を風になびかせている。

           

 

    ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

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🌟 六千人の命のビザ 🌟

2021年09月03日 | 偉人

『六千人の命のビザ』はリトアニア大使館に勤務していた外交官「杉原千畝」氏の夫人が書かれた本のタイトルであります。

「命のビザ」は第二次世界大戦下でリトアニアにいた外交官『杉原千畝(ちうね)』に助けを求めて領事館を囲んだユダヤ人難民に、日本通過ビザを杉原氏は独断で出国ビザを発給し続けた。

杉原千畝の画像

妻『幸子(ゆきこ)』氏の書かれた「六千人の命のビザ」の中に杉原氏の言葉が有ります。

私を頼ってくる人々を見捨てる訳にはいかない。でなければ私は神に背く。

杉原氏の行為が心を打つのは、人としての倫理観がそこにあるからであります。

                      

米国がアフガニスタンから撤退して、僅か一週間ほどでイスラム主義勢力タリバンによって制圧されてしまいました。

アフガニスタンの首都カブールの空港から一刻も早く脱出しようと、我先にと飛行機にしがみつく人々の姿をテレビで見ました。地獄絵の様な光景でした。

アフガニスタン駐在の英国大使ブリストウ氏は、部下の大使館員たちが出国した後もカブールに残り、通訳など英国に協力してきたアフガニスタン人らに出国ビザを発給し続けたそうです。 そして英国軍と共に最後に帰国したとのことです。

日本政府はカブール陥落から8日後の8月23日、輸送機や自衛隊員の派遣を決定した。    実際に国外へ移送できたのは、米国から依頼された旧政権の政府関係者ら14人のアフガニスタン人と、退避対象者1人だけだったようです。                                自衛隊機もカブールに向かったが、現地スタッフやその家族ら500人の退避は出来なかった。

また別の英国軍機で、日本人大使館員12人は早々にアラブ首長国連邦に退避していた。   まだアフガ二スタン国内に邦人や関係者が多数残っているにもかかわらずである。

残されている、日本のために活動されていた皆様を早期に確実なる退避ができるよう日本国政府は外交を通じて全員救出の努力を続けて欲しい。

外交官杉原千畝氏の業務遂行は大使館員の鏡であります。                 今回の大使館員の行動は日本国民の安全を守るほか大きな災害が発生した場合は、その国の支援を行うことも含まれるようで、その辺が果たされなかったように思います。

 

戦後、杉原氏はイスラエル政府より受勲されています。

ただ、今の日本政府は衆議院選挙や自民党総裁選などを最優先とし、有事のコロナやワクチン接種の遅れ、医療崩壊などガタガタであり、わが身大切な政治家集団では、救出は非常に厳しい。

 

   ※ご 訪問、ありがとうございます。

 

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