素晴らしい風景!!

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◎ 當麻寺(たいまでら)参拝 ◎

2017年02月11日 | 古寺巡礼

葛城市當麻(たいま)の名を知らせる名刹で、二上山(にじょうさん)のこんもりとした樹影を背景に、静かなたたずまいを見せています。

                                                  地図や本では当麻と表示されていますが、この辺りでは駅名以外、でわなくを使われているようです。                                                                                                           西名阪自動車道の香芝 ICを出て、国道 168号線を南下し、當麻の交差点を右折、近鉄線の線路と国道 165号線をこえれば正面に見えます。

當麻寺の創建は、用明天皇の皇子「麻呂子(まろこ)王」が推古天皇 20年(612)に河内(大阪)に建てた万宝蔵院に始まり、その後 天武天皇 白鳳 11年(681)に麻呂子王の孫 當麻国見が現在地に移して、この地方の豪族 當麻氏の氏寺として整備したと伝えられているようです。

金堂、講堂が南北に一直線に並び、金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ち、更に本堂・薬師堂・仁王門などが独特の伽藍配置で建ち並んでいます。

                                               現在、西側の三重塔は修復中(右端)であります。

このお寺は、境内の参拝は自由ですが、本堂・金堂・講堂 中之坊 西南院 奥院 と四ヶ所に別々の拝観料が必要になります。

當麻寺の名が知られる伝説について                                   中将姫の伝説と綴織(つづれおり)の曼荼羅(まんだら)で、この女人伝説と曼荼羅によって中世以降、浄土信仰の熱烈な霊場となったとのことです。                                          そのお話ですが、中将姫とは藤原 豊成(704~765)の娘さんです。

                                                   豊成は藤原南家の祖 武智麻呂(むちまろ)の長男で右大臣になった人物。                      姫は継母の冷たい仕打ちに世の無常を感じ当寺で出家する。                   「ひたすら仏を敬い、生身の阿弥陀仏を拝したい」と願う姫の前に一人の比丘尼(びくに)が現れ、「百駄の蓮茎を集めよ」という。

                                                    その蓮より糸を取り染めると、またもう一人の美しい尼僧が姫のそばに来て、比丘尼と共に色鮮やかな蓮糸から曼荼羅を織り出したのである。                    夜の八時から暁の四時までかけて完成させる。そして比丘尼は姫にその絵の意味を説いて聞かせ、二人は西の空へ去った。                             比丘尼は阿弥陀如来、美しい尼は観音菩薩であった。

                                                 以後、中将姫は曼荼羅に描かれた浄土変相図の教えを広く人々に説き 伝える日々を過ごし、やがて諸仏と共に來迎した阿弥陀により極楽に往生した。

                                                 この伝説の曼荼羅が本堂の御本尊となるが、公開されていない。                                  幾度も複製がつくられて、そのうちの一つが厨子におさまり、私たちはそれを見て来ました。 (参考図書⇒奈良の寺社150を歩く 槇野 修著)

 

 


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