素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

👣 恵林寺付近散策 👣

2018年11月16日 | 古寺巡礼
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山梨県甲州市塩山小屋敷地区と松里地区の秋らしい所をブラブラ探して来ました。                 上小屋敷には武田 信玄の菩提寺である、臨済宗妙心寺派の山号「乾徳山」恵林寺がありす。

                                           また、この付近には柿畑が沢山見られ大きな柿の実を見ているだけで、充分秋が感じられました。

この地で信玄公は、臨済禅に深く帰依し、永禄 7年(1564)に 300貫の寺領を寄進して、恵林寺を菩提寺と定めた。そして美濃出身の快川紹喜(かいせんしょうき)招き、公私にわたって師事した。

                                              快川は信玄公の死後、武田 勝頼に仕えて織田・徳川との和睦工作をしたが失敗、武田家は織田 信長軍に滅ぼされました。

                                           快川は、100余人の僧侶と共に山門楼上で安禅不必須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず)滅却心頭火自涼(しんとうをめっきゃくすればひもおのずからすずしと唱え焚死(ふんし)した。 快川の唱えた、この詩は有名である。

                                           のち徳川 家康によって再建されました。

恵林寺の近くには、真言宗の古刹、山号「高橋山」放光寺があります。           こちらは元暦元年(1184)新羅三郎義光の孫 清光の子 安田義定が賀賢(がけん)上人を開山として創建した。

                                           戦国時代には、武田 信玄の祈願所として篤い崇敬と保護を受けた。やはり織田 信長の兵火により焼失し、その後 慶長年間に再建された。

小屋敷地区のとなり、松里地区も歩いてみました。 とても柿畑が多いのが分かります。   柿は葉は落ちるが実は落ちないのですね。ですから良く目立つのです。

ころ柿(枯露柿)という看板がありました。                              解説に「ころ柿」という名は、柿を乾かす時に、まんべんなく陽が当たるようにコロコロ位置を変える作業をすることによると言われています。

                                           武田 信玄公の時代に奨励され、美濃の国から蜂屋柿(岐阜県美濃加茂市蜂屋町原産の渋柿)を移植して増産をはかったそうです。

                                                                                そしてこの松里地区が気象条件に適していたことなどから、甲州百目柿を中心に、ころ柿作りが盛んで、11月~12月にかけて民家の軒先に吊るされた「ころ柿のすだれ」 は、甲州を代表する秋の風物詩です。

 解説文については、前回のものと同じです。

   

 

コメント (3)
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