おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
先週の1月19日の日本新聞の夕刊に日本の「自殺者 8年連続減少」の記事が出ていました。
警察庁のまとめによれば、昨年の自殺者数は21,140人で、統計を始めた1978年からすると、最少を2年連続で更新したことが報じられていました。
ただ、細かく見ると、19歳以下が増え、原因が「学校問題」だというのが気がかりな点です。
ところで、私は1998年から2011年までの14年間の自殺者数をずっと注視していたのですが、この期間は自殺者数が毎年3万人以上で、ピークの2012年は3万4千人にも達していました。
この14年間に自殺によって失われた人口は、金沢市 46万、長崎市 44万、 富山市 42万、 高松市 42万 の県庁所在地の人口にほぼ匹敵していました。
それだけ異常な事態だったわけです。
アルフレッド・アドラーは『生きるために大切なこと(原著:The Science of Living)』(桜田直美訳、方丈社)で16歳の子どもが学校を退学になり、絶望して自殺するケースをもとに「自殺は一種の復讐であり、社会に対する告発だ」と書いています。
私はアドラーの「復讐と告発の自殺」をもとに、14年間続いた3万人以上の自殺者を輩出する社会風潮を「勇気欠乏症」とみなしていました。
「勇気欠乏症」の症状が緩和しているのは、それなりにうれしいことではあります。
話は少し変わって、私は最近、「復讐と告発」とは違った自殺の見解を目にしました。
2018年1月22日 7時1分配信の スポーツ報知 に保守派の論客でもある「西部邁さん、昨年末友人に『僕は年明けに死ぬ』と打ち明けていた」との記事が載っていました。
2018.1.21 20:19産経ニュース【西部邁さん死去】「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め… では、一部次のように書かれていました。
平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。
昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。
「自裁死」の選択?
これは「復讐と告発」とは縁遠いものです。
ここで思い出したのは、もう一人の保守派の論客、江藤淳氏 (1932~1999) のことです。
江藤氏は、1999年7月21日、鎌倉市西御門の自宅浴室で剃刀を用い、手首を切って自殺、66歳没。
妻の葬儀のあとのことで、自身も脳梗塞の後遺症に悩んでいた。
と記されています。
江藤淳氏の遺書には「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」と書かれていたらしいです。
2人に共通するのは、「保守派の論客」だけでなく「妻の後追い自裁死」であることです。
「復讐と告発の自殺」とは違った「自裁死」のあり方と共に、日本を代表する「保守派の論客」にいかに妻の存在が大きかったことか、と考えさせられました。
<お目休めコーナー>1月の花(20)
(クリックして勇気づけを)
配偶者に先立たれた女性は、自殺することが稀であるのに、男性は脆弱性があり、勇気づけが必要であるとのご意見は、社会学者らしいです。
ありがとうございました。