旧知の県職員(土木部ではない)に、「北川村温泉ゆずの宿」の前で出会う。
ホントにご苦労さんです。
がんばってもらって感謝してます。
大変ですけど、この先もがんばってください。
そういう旨の言葉をかけてもらった。
「やっと先が見えてきたので、もう少し辛抱してください」と私。
「いや、ホントにくれぐれも気をつけてくださいよ」と彼。
と短い会話で別れた。
おおかたの同業者がそうであるように、私は公共土木という仕事の「無名性」というやつがイヤではない。
「住民にありがとうといってもらう」と「工事の目的」に謳いながらも、それは単にモティベーションを上げるための動機づけであり、また、向かなければならないところを敢えて明らかにするための言葉であって、別に「ありがとう」を強要するつもりもないし、「我々は感謝されなければならない」とかなんとかいって、声高に主張するつもりもない(白状する、以前はあった)。しかし、というかだからこそ、こちらから情報は発信しようネとは主張するのだ。
ただそう強がっていても、労(ねぎら)いの言葉や感謝の言葉をかけられることほど、心に染みるものはない。
ここへ来て、連日のようにそういう声をかけてもらっている。こちらこそ、ありがとうございますなのだ。