散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

車内スマホが三文の損を招く事

2019-11-29 22:23:00 | 日記
2019年11月29日(金)
 「カラスかぁで夜が明けて」と落語などにあるのはよく言ったもので、今朝は5時50分頃に西の方角でカァカァ聞こえる。カーテンを開ければ空はまだ暗いのに、5分と経たないうちに建物の東の壁がほんのり明らんでくる。夜明けを寸前に告げる予鈴のようなものだ。
 一週間ぶりの晴天、しかも雲ひとつない快晴。中央線下り快速の空いた車内で南側のドアにもたれていると、高円寺を出た直後、雪化粧の富士山が不意に出現した。心証としてはドーンと目の前をふさがれたほどの勢いである。あわててスマホを取り出した時には、もう線路沿いの建物に視野を遮られてしまった。
 阿佐ヶ谷を出た後にリベンジを試み、これが精一杯の一枚である。


 トリムして拡大。



 どう頑張っても肉眼の感動に及ばない。江戸/東京は元来、朝な夕な富士を仰いで日を送る街であった。その眺めの回復する秋(とき)が、いずれやって来る。

 車内の座席を9割ほど埋めた人々は、ほぼ全員スマホに目を落として贅沢な眺めに気づく由もない。得した気もちと憂わしさの悩ましい混交。
 西へ向け、もうしばらく乗り越していきたいのをこらえて荻窪下車。その後の一日は、最近になく濃密で緊張をはらむものになった。

Ω



コウケツさん

2019-11-28 17:09:39 | 日記
2019年11月28日(木)
 不覚にもイタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』をまだ読んでいなかったことに気づき、仕事帰りにS書店に寄った。あいにく河出文庫のその一画には目あてのものがなく、代わりに美味しそうな面々が「あたしじゃダメ?」と秋波を送ってくる。こういう時がいちばん危ない。
 危ない危ないと呟きながら、結局カルヴィーノ 2冊、ウンベルト・エーコ 2冊、カート・ヴォネガットも2冊、ついでに『ラテンアメリカ怪談集』まで籠に入ってきた。今は文庫本も安くはないのに。

 軽く昂ぶりながら、一階のカウンターに7冊ドンと置いて、
 「カバー、要りません。」
 「恐れ入ります、袋にまとめますか?」
 「お願いします。お勘定はクレジットカードで」
 「かしこまりました。」
 その時、スリムな女性店員の制服の名札が目に止まった。ほう・・・
 だいぶ視力が落ちたこととて、よく確かめ考えてから、
 「私の親しい友人に」
 「はい?」
 「コウケツ君というのがいます。」
 「あ、ホントですか?!」
 破顔一笑、ああ良かった。
 「珍しいですよね」
 「なかなか読んでもらえません…暗証番号をお願いします」
 「確か、由緒正しいお名前だったような」
 「はい…こちらお客様控えです」
 「絞り染め、でしたっけ?」
 「あ、そうです、よくご存じですね」
 「友達のことがあったので、以前調べてみたんです」
 女性は笑顔を抑え、伸び上がるようにして建物の外の暗がりを見やった。
 「雨除けのビニールはいかがなさいますか?」
 「ああ、助かります。」

 丁寧にビニールのかかった紙袋を受け取り、出口近くでにわか展示の傘を一本購った。こんな日に傘を持たずに出てくるのが不用心というものだが、以前も同じ場所で買った傘を気に入って長く使ったことがあり、それはそれで幸運の香りがする。気に入りの傘をさして歩くと、雨の煩わしさがあらかた消えるようだ。
 僕は一つ嘘を言った。コウケツという姓は僕の友人の中にはない。次男の学校の保護者会でこの姓の人に出会い、挨拶を交わした記憶があるだけだ。姓の由来が気になって、帰宅後に調べたのは本当のことである。

***

 纐纈: こうけち、または、こうけつ。奈良時代に行われた絞り染めの名。布を糸でくくり、模様を染め出すもの。



「文学は、生きていくための実学である」(誰?)

Ω

「法王」あらため「教皇」来日

2019-11-25 07:48:45 | 日記
2019年11月25日(月)
 フランシスコ教皇来日中。長崎、広島、東京と非常なハードスケジュールで移動しつつ、核廃絶に向けて明確で力強いメッセージを発信している。
 兵庫の義弟夫婦は連休を利用して長崎へ飛んだ。神奈川の義妹は本日東京ドームでミサにあずかる予定。カトリックの信徒にとって記念すべき人生の一日である。いわゆるプロテスタントの間では相当の温度差がありそうだが、個人的にはかねがね畏敬と親愛の念を抱くところ。義弟妹にとっては敬愛するパパ様、僕には本家の偉い伯父さんぐらいの感じだろうか。
 30年前にカトリックの親戚が大量にできた時、最初に知ったのが彼らは決して「法王」とは呼ばない、あくまでバチカンの「教皇様」であることだった。一方、僕の幼時の記憶には「ローマ法王パウロ6世」の印象が鮮烈である。在位1963~78年、第二バチカン公会議(1962~5年)の最中に急逝したヨハネ23世の衣鉢を継ぎ、ベトナム戦争の難しい時代に世界を駆け回る様子が、家庭に普及しつつあった白黒テレビのブラウン管に頻繁に登場した。
 以来、世間並に「ローマ法王」とばかり思っていたから、信徒も教会も「教皇」としか言わないのは驚きで、それにもかかわらずメディアが一貫して「法王」と呼び続けるのが不思議だった。
 状況が突然変わったのが、本2019年11月20日である。


 記事によれば変更の理由は、① カトリック関係者らが「教皇」を使っていること、② バチカンも変更に異論なしと確認できたこと、この二点に集約される。遡って、そもそもこれまで「法王」を使っていたのは、在東京「ローマ法王庁大使館」の呼称に準じたからだとある。

 この点について「ローマ教皇庁大使館」の web site には、記事も紹介する通り以下の記載がある。
 「日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。そのため、外務省をはじめ政府は「法王」を公式の呼称として用い、マスコミ各社もこれに従っています。 」

 ただし、同じページにこのようにも書かれており、こちらは記事に紹介されていない。
 「以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。 」
 
 そういう次第なら2019年11月20日の変更は、実際には1981年に行われてよかったはずで、それが38年ほど遅れたということになる。1981年以降、カトリック教会の側から名称変更の申請を行ったかどうか等は書かれておらず、遅れの原因がどちらにあるのかよくわからない。
 いずれにせよ、当事者らは一致して「教皇」と呼び、政府やメディアはあいも変わらず「法王」と呼ぶという愚かしい状態が40年近くも続いてきた訳で、こんなところにも我々の社会の悪弊が顔を出しているようである。「言葉と現実の一致を維持することに関する不熱心」とでも呼ぶべき悪弊である。この括りでは「かちあげ」問題と微妙に通底するのが面白い。
 もう一つ、当事者や現場の実情より、手続きや文書の整合性が優先される例にも、数えられそうである。

 いずれにせよフランシスコ教皇の来日は良い是正のきっかけを与えてくれた。内なる声に鈍感、外からの刺激に敏感なのも我らが通弊。
 バチカンの伯父さん、今日もどうぞ御元気で !



Ω

「苦言」に苦言

2019-11-23 09:50:40 | 日記
2019年11月26日(火)
 この件はもう書かないつもりだったが、新聞記事が目に入っちゃったので。

 

 「九州場所で優勝した白鵬が立ち合いで見せる張り手やかちあげについて、横綱審議委員会が25日、苦言を呈し、日本相撲協会に指導するよう要請した。ともに禁じ手ではないが、矢野弘典委員長は「横綱の振る舞いとして見苦しい、と(委員の)ほとんど全員から意見が出た」と話した。横審は2年前にも白鵬のかちあげなどに苦言を呈している。」
***
 これではダメです。白鵬がこの記事を読んだとして、注目するのは「ともに禁じ手ではないが」という部分だけだ。禁じ手でないなら勝手にさせていただきましょう、その余はいっさい御意見御無用、こちらは体を張って勝ちに行ってるのでねと、歯牙にもかけるものではない。
 「張り手」はなるほど張り手ではあろうが、「かちあげ」は用語の誤り、白鵬のやってるのは「かちあげ」ではなく「肘打ち」だというのが、どうしてわかんないのかな。本来の「かちあげ」は立派な技で、相撲の醍醐味の一つですらある。「肘打ち」は外道、相撲の技にあらず。
 「張り手」は見苦しい、「肘打ち」は禁じ手、はっきりそう言わないことには白鵬、耳など貸しはしない。一、二場所はおとなしくするかもしれないが、すぐまたバチコン始めるに決まっている。横審も相撲協会も、腹の底では舐めきっていること、過去の言動から明らかだ。現に2年前の「苦言」がどれほどの効果があったか、皆さんよくよく御存じだろうに。
***
 記事の前の方で紹介された白鵬の言葉:
 「自分の喜びより、(ファンの)みなさんが喜んでくれるのが一番」
 ファンが喜んでくれるように、それで張り手に肘打ちですか。横審や協会ばかりかファンも舐められきっているわけだ。
 
 大相撲を見、友だちと相撲を取りながら育ってきた日本の子どもとして、真に真に残念至極。
Ω

三度で最後、カチアゲにあらず

2019-11-22 06:43:27 | 日記
2019年11月22日(金)
 「しかし、白鵬の心は揺らがなかった。「自分の一番だけに集中していた。まず起こしてから攻めたかったと、立ち合いで右から強烈にかちあげた。遠藤の体が起きないと見るや、右、左と矢継ぎ早にほおを張った。最後は上からつぶすようにして遠藤をはわせた。」
(朝日新聞朝刊スポーツ面)
 まあ阿るものだが、これって褒めてるんですか?
 とてもそうは読めない文面だが、人がこれを読んで「素晴らしい」と感じることが想定されているとしたら、こちらがよほどズレているんだろう。的確な描写で取り口の粗暴さがよく伝わるが、一点異議あり。
 添えられた写真に「遠藤(左)に右ひじを入れる白鵬」とあり、その通り90度に曲げた肘が首筋に食い込む瞬間が鮮やかに示されている。これが証拠写真。(白鵬の右ひじが遠藤の左ひじより上にあることに注意。下記のように定義されるカチアゲならば、これは逆でなければならない。)

 そもそも、かちあげ【×搗ち上げ】 とは、
 相撲で、立ち合いに相手が頭を低くして出る時、ひじを直角に曲げて相手の上半身を下からはね上げ、相手の上体を起こす技。
 https://dictionary.goo.ne.jp/word/搗ち上げ/ 

 白鵬のそれは常に正面から水平に(時には上から下に向けて)相手の頭部・顔面を強打しており、上半身を下からはね上げるものではない。力を加える方向が全く違うのである。でなければ、あんなふうに鼻血が飛び散ったりはしない。昨日解説の舞ノ海さん、日頃めったに批判がましいことを言わない人が、
 「白鵬のあのかち上げ・・・ひじ打ちは後味が良くないですね、歴代の横綱はこういうことはしませんでした。」
 と珍しく苦言を呈し、その際正しくも「ひじ打ち」と言い直した。あれを「かちあげ」と呼ぶことが、この言葉と相撲の技を歪めているのである。言葉は正しく使いたい。
 僕の知る中で、この点を最も明晰に指摘したのが境川親方だった。いつでもどこでも、骨のある人である。
 「あらためてカチアゲにあらず/境川親方」(2018年1月19日)
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/6b25442d19749ae21dfef17881bd0ce7

 拳(こぶし)を固めて殴るのが禁じ手なら、肘鉄をかますのも禁じ手であるのが当然の道理というものだ。

Ω