散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

「ワクチン不要論」のとてつもない危険

2020-05-31 09:12:33 | 日記
2020年5月31日(日)
 道草連発。
 下記は是非とも読んで(読ませて)おきたい記事で、わかりやすくよく書かれている。結核に関して、わが国が先進国レベルに達していないことなども、あわせて知っておきたい。

【東洋経済オンライン 「ワクチン不要論」を信じる人の心理とは?】

Ω

さらに道草

2020-05-31 07:18:45 | 日記
2020年5月31日(日)
 健康心理学会は東北学院大学での開催を断念した。11月にバーチャルで開催する旨、ニューズレターを送ってきた封筒に大書されている。この規模の学会をバーチャルでどう運営するのか、御苦労を察しつつ興味津々である。



 「新型コロナウイルス感染症の現状鑑み」とあるのが少々残念、「現状鑑み」が正しい。見渡せば誤用例が急増しており、いずれ悪貨が良貨を駆逐することになるのかもしれないが。

 一方、まさしく感染症の現状に鑑みて中断されていた名人戦リーグは、6月から再開される。2ヶ月のブランクを埋めるべく強行日程が組まれており、これがどんな影響を及ぼすか。この間、新聞の観戦記欄も新規対局を掲載することができず、過去の名局の解説で食いつないでいた。それが、かえって嬉しかったりする。
 今朝からは1998年の第23期名人戦挑戦手合い七番勝負、大三冠(二度目)の趙治勲名人に、リーグ戦8戦全勝の王立誠九段が挑んだ。名人の2勝1敗で迎えた第4局、「七大タイトル戦史上初の珍事が起こる」と記事の予告。そうか、あの一件か。

 勝負所でコウが生じ、考慮していた趙が「僕の取り番?」と記録係に尋ね、「はい」との返事に応じてコウを抜いた。これがマチガイで実際にはコウダテする手順だったのである。
 素人碁なら盤側から指摘が入り、「ゴメンゴメン」で打ち直すところだが、プロの公式対局では反則負けの可能性がある。記録係に尋ねたのが趙さんらしいところで、記録係もこの大棋士相手に「僕の役目じゃありません、訊かないでください」などとはとても言えない。「いいえ、コウダテする番です」と答えるべきところ、うっかり「はい」と言ってしまった。気の毒な話でもあり、いかにも趙治勲らしい逸話でもある。
 結局、立会人裁定でこの一局は無勝負、これを機に記録係は手番に関する質問に答える義務のないことが確認され、あわせて番碁の記録係は二名置くことになった・・・ように記憶する。細かいこととはいえ制度変更のきっかけとなった、そして内容的には迫力満点の一局である。

 「王はこの年の3月、世界戦LG杯で優勝するなど上昇気流に乗っていた。絶好調の源は、1992年頃から通い出した呉清源の研究会にあったという。
 「碁を見てもらうと、瞬時にこう打つべしと斬新な手を示されました。当時の先生が示された手を、現在AIが打っています。すごい先生でした。」」
(内藤由起子記者)

Ω

【付記】
 上記はマチガイ、この一件は、あの一件ではなかった。
→ https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/0a5375d05f3a0041c1cdae7d45dc6e9c


落ち穂拾い

2020-05-30 11:57:08 | 日記
2020年5月29日(金)
 「続き」へ進む前に、落ち穂を拾っておく。

● その1
 

 「誰かの小説に、都立大学駅周辺の様子を懐かしく描き込んだものがあった。題名に「恋」の字が含まれた、サスペンス仕立てのものだったように記憶するが、珍しくタイトルも著者も思い出せない。」
~ 1960年代前半の東急沿線
 
 思い出した、というより、たまたま新聞か何かを眺めていて思い当たった。
 小池真理子 『恋』 、第114回直木賞受賞作。
https://ja.wikipedia.org/wiki/恋_(小池真理子)

 このタイトルは最初に浮かんだのに、amazon に「恋」とだけ入れるとコミックやらエッセイやらが溢れ出し、小池作品はどこかに埋もれて見つからないのである。著者名とあわせて検索したら、ようやくKindle版が出てきた。
 手許に実物がないので件の描写を転記できないが、もちろん1960年代前半よりはずっと後の風景のはずである。

● その2
 「許してください、不意にやってきたりして。でも、僕はあなたにお目にかからないでは、一日だって過ごせないんです」
 彼は例によってフランス語でいった。それは、ふたりにとってたまらないほど冷たい響きをもつロシア語のあなたという言葉と、これまた危険なおまえという呼びかけを避けるためであった。
(トルストイ『アンナ・カレーニナ』新潮文庫版(上) P.459)

 ロシア語にもフランス語にも敬称と親称の別がある。それを踏まえて二つの言語にまたがる「使い分け」を駆使して見せた点で、最高の用例として推すべき一場面である。 
~ キチイの克己、ヴロンスキーの苦心

 読み進めていったら、以下のような場面に出会った。トルストイの十八番と見えるが、当時のロシアの作家には案外ありふれたテクニックだったのかもしれない。

 彼(カレーニン)は妻に対する呼びかけの言葉を書かずに、フランス語で『あなた』という代名詞を用いながら、書いていった。この言葉はロシア語の場合ほど冷やかな響きをもっていなかったからである。
(前掲書(中) P.116-7)

Ω

キチイの克己、ヴロンスキーの苦心

2020-05-24 16:48:42 | 読書メモ
2020年5月25日(月)

 電車内は小説を読み進める格好の空間・時間であったところ、stay home でこの時間がほとんどゼロになってしまい、そのため『アンナ・カレーニナ』が先へ進まない。読みたければ、読むための時間をことさら設けないといけない ~ 新型コロナが私的な生活にもたらした小変化の一つである。

***

 初めのうちは、キチイも、すべての肺病患者に対してと同様、彼に対して感じた嫌悪を克服しようと努めたことや、どんな話をしようかと話題を考えるのに苦心したことなども思い起こした。
(上 P.554)

 病気とそれを病む者に対する嫌悪は、今に始まったわけではないし精神疾患に限ったものでもない。あれほど忌み嫌われたハンセン病が実際には感染力の弱いものであり、はるかに感染性の強い結核の患者が生活空間内に存在し続けたという皮肉も思い出される。結核の有病率はかなり高いもので、多くの家庭が患者を抱えていた。
 文学にあらわれた結核患者の総覧をつくったら、どんなものになるだろうか。『魔の山』のハンス・カストルプ、『罪と罰』に登場するカチェリーナ・イワノブナ(=ソーニャの母)、本朝では幸田文の「弟」などがまず思い出される。子規の『病牀六尺』は別格として。
 他家や遠くのことばかり見回していたが、父方の祖父の弟がこの病気で早世していたことを最近知った。温厚な人柄で関西の学校に学んだが、二十歳そこそこの若さで病魔に屈したという。「肺病」は誰にとっても他人事ではなかった。

***

 「許してください、不意にやってきたりして。でも、僕はあなたにお目にかからないでは、一日だって過ごせないんです」
 彼は例によってフランス語でいった。それは、ふたりにとってたまらないほど冷たい響きをもつロシア語のあなたという言葉と、これまた危険なおまえという呼びかけを避けるためであった。
(上 P.459)

 ヨーロッパ諸語における敬称と親称の使い分けは、多くの名場面を演出してきた。今日ではどこでも親称の使用範囲が大いに拡張されているが、かつては夫婦・恋人など別して親しい関係に厳密に限られ、逆に親称を用いることがそのような近しさの証明となった事情が背景にある。
 ロシア語にもフランス語にもこの別がある。それを踏まえて二つの言語にまたがる「使い分け」を駆使して見せた点で、最高の用例として推すべき一場面である。当時のロシア貴族が外国語とりわけフランス語を自在に用いたことは、諸家の作品から知られる通り。

 ところで、「敬称と親称の使い分け」というのはいかにも好みのネタであるのに、書いたつもりでこれまでブログで扱ってこなかった(らしい)のには、少々訳がある。

(続く)
Ω

久々のリアル礼拝から

2020-05-24 10:20:53 | 聖書と教会
2020年5月25日(日)

 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。
 「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
 (マタイ19:13-15)

 よく知られた箇所で、マルコとルカに並行記事がある。ルカでは「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た」(ルカ18:15)とあり、子供たち(παιδια)が乳飲み子(βρεφη)に拡張されている。βρεφος は文脈次第では胎児までも含む言葉だという。

 「叱った」と訳されている επιτιμαω は、「値踏みする」の原意から転じて
 ① 非難する/叱責する
 ② 勧告する/諫める
 権威の序列に照らせば ①は上から下へ、②は水平ないし(文脈によっては)下から上へ、両義的な対照である。

 マタイ福音書の用例を見ると、①の系列として
 「起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」(8:26)
 「イエスがお叱りになると悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。」(17:18)
 「群衆は(二人の盲人を)叱りつけて黙らせようとした」(20:31)

 ②の系列としては何と言っても
 「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。」(16:22)

 以下はどうだろう。
 「イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。」(12:15-16)
 権威の方向としては上から下へだが、叱責ではなく噛んで含める教諭である。上述の①、②が現に行われている行為の中止や変更を迫るのに対して、予めの禁止である点でもユニークな用例だ。

 以上を勘案すれば、弟子たちがこの人々を「叱った」のが①の趣旨であることは疑いない。それにしても、何をなぜ「叱った」のか。

 13節冒頭は「そのとき」と始まる。直前の3~12節は「離縁」をめぐる教義問答で、例によってファリサイ派が律法解釈をめぐる難題をイエスに吹っかけ、これに対してイエスが律法の真意を説き明かす流れだから、「そのとき」とはそのように「律法に関する重要な議論が交わされていたとき」と言い換えられる。
 「おとなが大事な話をしているのだから、こどもの出る幕ではない、そのように弟子達は叱ったのですね」とM師。
 
 旧約の共同体において、母親は子らの心身を育むのに対して、父親は子らを共同体のメンバーたらしむべく宗教教育を授けることを責務とした。子らは5歳からそのような教育を受け、段階を踏んで15歳でこれを完了する。「バル・ミツワー(בר מצוה, Bar Mitzvah) 」はユダヤの成人式などと呼ばれるが、この語そのものは「律法の子」を意味しており、そのことからも彼らの共同体における「成人」の意義が知られる。(この儀式自体は、カトリックの堅信礼が刺激となって、比較的後代に盛んになったらしい。)
 イエスの許に連れてこられた子供たちは「律法未満」の存在であり、共同体メンバーとしては員数外である。だから弟子たちは蚊帳の外に止めようとし、それを逆にイエスが制した。「叱る」弟子たちをさらに「戒め」たのであるが、ここでも律法の相対化というイエスのライフワークが確かな一歩を進めている。
 律法未満の存在とは、罪の現実に囚われたわれわれ自身に他ならない。その未熟なわれわれが、律法において人と成ることを経ぬまま、直接主の許に慕い寄ることを許される。それが福音であり、だからこそ主は「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と断言された。(マルコ10:15、ルカ18:17、マタイはなぜこの重要な言葉を省いたか。

 説教の中で灰谷健次郎への言及があり、さらに下記の言葉が紹介された。

 「神を教えない教育は、悪魔をつくることである」 (トルストイ)

 これで段取りよく、トルストイに戻っていける。それにしても、マスクをかけて讃美歌を歌うのはしんどいな・・・

Ω
 【付記】
 「神なき知育は、知恵ある悪魔をつくる」(小原國芳)について、下記参照
https://www.tamagawa.jp/social/useful/tamagawa_trivia/tamagawa_trivia-76.html