散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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今日この頃の synchronism ~ ムカデとギンナンからモルモットの脂肪肝まで

2021-09-30 10:33:09 | 日記
2021年9月18日(土)から29日(水)にかけてのつれづれ


 風雨の夜が明け、門前に吹き散らされた銀杏の葉やギンナンを掃く手がふと止まった。舗装路の真ん中でムカデが大の字ならぬ、S の形にのびている。ゆっくり身をよじるばかりで自慢の百足は動きもせず、「もうダメ」と言いたげである。傷を負った様子もないのに、いったい何が君を弱らせたのか?
 ひょっとして、ギンナン?それとも銀杏の葉?
 銀杏の葉は防虫剤に用いられる。シキミ酸と呼ばれる有機酸が多量に含まれるそうな。ギンナンの方はビタミンが豊富というぐらいしか知らないが、生きた化石ともいわれる銀杏のこと、何か不思議がありそうだ。
 竹箒で掃き飛ばすに忍びなく、坂道をそこで引き返す。見あげる眼に台風一過の空の青さが恐ろしいようである。

 「ムカデとギンナン、もっけの不思議」と呟きながら玄関をあがり、ふと自分の声を聞きとがめた。「もっけ」という言葉は、ほとんど「もっけの幸い」専用になっているが、「もっけの不思議」という言い回しのあることをある時知ったのである。あれは…そう、朝ドラで漫才の脚本家が主人公になった時だ。
 主人公の両親が愉快な関西人夫婦、中村嘉葎雄と野川由美子が好演した。その息子が思い続けてきた女性がめでたく嫁にやってくる、これが藤谷美和子。もともと親しい間柄で、二人の女性の間に世代を超えて安定した友情の絆があるかに見えたのに、いざ嫁に入ってからは些細なことでいざこざが絶えない。中村嘉葎雄の舅がこれを見て眼を丸くし、「嫁姑の仲良しは、もっけの不思議と言うが、ホンマやなぁ」と嘆ずるのである。(『心はいつもラムネ色』1984-85年)
 「もっけ」はもともと「物怪」つまり「物の怪」だという。妖怪変化に思いがけず出くわす、その思いがけなさにウェイトが傾き、予期せざる幸いを言い表すようになったのだと。そう考えれば「もっけの不思議」も理解できる。ムカデという生きものは身近な小妖怪、それが道の真ん中で大往生なんて、どうしてやっぱりもっけの不思議。

 室内に戻れば、COVID-19 の在宅患者に往診で治療薬を提供する場面がTVに映っている。今後の積極活用を訴えるマジメで有用な映像なんだが、ふと見ればモザイク処理で顔をぼかした患者さんのTシャツのロゴが、

Do nothing, you will live longer.

 偶然のイタズラとはこのことだが、気がついた視聴者は何人いたのかな。
 「公に発信されるメッセージの矛盾」がコロナ禍/五輪で取りざたされた。誰かがそれを故意に織り込んだとすれば、イグ・ユーモア賞の有力候補である。

・ 中島みゆき
 田舎の家に積まれていた『てんとう虫』九月号、斎藤愼爾が『青春抒情愛唱歌』で中島みゆきの『異国』を採りあげている。行を追って絶句した。
 「(山形県人の)母親が療養のため実家に帰省していた昭和四十一年九月、山形市六中三年六組に転入。その頃からピアノを弾き、作った曲の譜を音楽教師に見せていたとか。四ヶ月後に高校受験を前に帯広に帰郷。」
 同じ筆法で当方は、
 「(愛媛県人の)父親が仕事のため赴任していた昭和四十四年四月、山形市六中一年八組に入学。その頃はバイオリンを止めていたが、クラス歌の作曲を音楽教師に褒めてもらった。四ヶ月後に一学期を終え名古屋に転出。」
 残念ながら酷似するのはこの一断面だけ、先様は23歳で『時代』を世に出し、こちらは23歳で学生に逆戻りである。それにしても山六中のあの校舎あの教室、龍山おろしに校庭の熱気、今も胸底をむずむずくすぐる妖気の向こうに、未来の歌姫の残り香があったとは!

・ 照ノ富士と白鵬
 序二段から戻ってきた照ノ富士、新横綱の場所で13勝2敗、5回目の優勝。
 「土俵の上で頑張っている姿を見せるのが、お相撲さんの仕事」
 と優勝後のインタビュー。「お相撲さん」という言葉を何と久しぶりに、何と嬉しく聞くことか。そういえば『心はいつもラムネ色』の中で「漫才さん」という言い方が出てきたな。
 翌日、白鵬引退の報。この人の偉いのは、四股・すり足・テッポウという相撲の基本を人の十倍もくり返して、理想的な体と技をつくりあげたことだ。四つ身に組んだ形の美しさには実に惚れ惚れしたものである。粗暴な立ち会いで晩節を汚したこと、残念でならない。

・モルモットの脂肪肝
 統合失調症の陰性症状に加えて交通外傷で前頭葉を痛め、自発性というものをすっかり失ってしまったように見える患者さんと、月に一度の面談をくり返す。過ぐる一ヶ月間、「特に何もありませんでした」と毎度の答えに、まぁまぁそうおっしゃらずと話題を探すのがいつものこと。
 今回、同伴のお母さんが「話題、あったじゃないの」とつついて語られたのが、
 「Nさんがですね、モルモットにバターばっかり食べさせていたら、脂肪肝で死んじゃったんです。」
 突っ込みどころ満載の逸話を、あちらからこちらからと突っ込んで時間を過ごしたが、立ち去った後しばらくして語った彼の表情が強く思い出された。
 確かに笑っていた。そしてその笑いには、笑いきれない哀しさも、敢えて笑う辛辣さも、見え隠れに確かに備わっていた。この種の笑いとこれらのニュアンスが前頭葉の働きでなくして何だろうか。
 彼の笑いをもっと見たい。もっともっと笑わせてみたい。

・サル
 郷里の父が上京する者のタクシーを見送り、前庭に面した椅子で日向ぼっこしていると、右手の奥庭から白塗りの屏の瓦屋根の上をひょこひょこやってきた。
 サルである。
 父は目をこすった。戦前の子ども時代、仕事を引いて戻って以来の30年、この地にサルを見た覚えもなく、サルが出たと聞いた覚えもない。自分がボケて幻覚を見るようになったのか。
 否、見まがうべくもない正真正銘のおサルが、屏の屋根伝いに西から東へ、見守る父を警戒するでもなければ威嚇するでもなく、一瞥すら与えずその前を横ぎり、二階建ての納屋の屋根にかるがると上がって東の方へ姿を消した。
 後でやってきたケアマネさんにそのことを話すと、「西の方では出よると聞きましたが、ここらにも現れましたんかな」と驚く風でもない。
 翌日の電話でこのことを聞いて嘆息した。
 「イノシシにマムシ、今度はサルだってさ、うちの庭は動物園かな。ときどきキジも見るよね、桃太郎さんかい。田舎はいよいよたいへんだ」
 「田舎だけじゃないよ」
 奇しくも同じ今日この日、東京大田区の洗足池で数日前にサルが目撃されたことが、職場で伝えられたというのである。何がどうなっている?
 キジ・イノシシ・マムシ、これらは農村の過疎化に伴って里山が荒れ、野生動物の前線が人の生活圏に押し出してきたことで説明される。しかしニホンザルはもともと北予の山野には生息しないものだから、これは話を混ぜられない。どこかのサル山で飼われていたものが逃げ出したに違いなく、同様の話は以前から各地で知られていた。里山荒廃とは別の問題である。
 それにしてもこの synchronism、これらの話題からどんな絵を描いたものか。まずは書くだけ書き留めておこう。

Ω

訃報の偶然/居の一字

2021-09-09 06:31:48 | 日記
2021年9月9日(木)

    

 ジャン・ポール・ベルモンド、9月6日没(88歳)
 色川大吉、9月7日没(96歳)

 二件の訃報が、同じ面の上下に並んだ。例によって意味のある偶然とでも言いたいところ。ベルモンドに熱狂する若者たちをポカンと口開けて眺める小学生、生協書籍部に並んだ講談社文庫『明治精神史』を見るなり手を伸ばす大学生、個人的な昭和の記憶がいちいち紐づいている。それで訃報に目がいくのか。

***

 

 いい場面、いい写真。
 ただ、写真の下の隠れた見出しは「大谷、ダルビッシュと再会」である。「大谷とダルビッシュ再会」あるいは長幼の序に沿って「ダルビッシュと大谷再会」でもよかろうに、時めいている存在を中心に置き、それを主語にするのがメディアの常道。
 それに発憤したわけでもあるまいが、翌日ダルビッシュは6回投げて奪三振7、失点1の見事な内容で8勝目を挙げた。なぜか大谷の出番はなし。なぜ?

 ついでに記事の中の残念な表現について:
 「投げているボールもすごいし、立ち振る舞いもかっこいい。一番好きなピッチャーでした。」
 サンディエゴ遠征前に大谷がダルビッシュについて語ったとされる言葉だが、どこがおかしいか?中学入試レベル。もとより、大谷ではなく記者の言語感覚を問う。

 「立ち振る舞い」などという言葉はない。「立ち居振る舞い」に決まっている。
 一字抜けて何が悪いか?大いに悪い。「居」の一字は「座る」という意味である。「立つ」のと「座る」のとセットで「立ち居」、「行住坐臥」の「行/住」「坐/臥」などと同じく二つ一組で、「立ち振る舞い」では意味をなさない。おまけに「タチイフルマイ」という七字のリズムが欠けてぐらぐら、意味も音もぶち壊しである。
 「居」について、面接授業で必ず紹介するのが「居ても立ってもいられない」という言い回し。冒頭「居ても」の「居る」と後半「いられない」の「いる」は、それぞれ sit と be にあたる別の言葉であり、全体として「座っても落ち着かず、立っても落ち着かず、どうにもこうにも落ち着かない」という意味になる。焦燥感の苦しさつらさを鮮やかに表した、市井の名表現である。
 一字をおろそかにする者に、一文を草する資格はない。いえ、私自身のことなのでした。

***

 ダビデの信仰がありさえすればとつねづね思ってきたが、ソロモンの知恵の欠片にでもあやかりたいこの初秋。

Ω

コメント御礼 ~ シンカイ先生のこと

2021-09-05 09:26:33 | 日記
2021年9月5日(日)


ザリガニの件(↑)について、8月末にいただいたコメントを転記する。

***

「ブログに書かれていたザリガニのことです.わたくしは信州で高校まで過ごしていましたが,小学校の低学年だったころ(今から60年ほど前)近くの田んぼで偶然にアメリカザリガニを捕まえて,一緒に行った友達と大喜びをした記憶があります.当時ここではこのザリガニはまだ珍しく,自分も含めて初めてみた子供達も多かったと思います.それが今では先生のお話のようになっているのが現実です.
 以前から問題になっていた外来種はアメリカザリガニやミシシッピーアカミミガメ以外にも,ブラックバスやブルーギルなどの魚類,アライグマ,ウシガエル,ヒアリなど実に多種多用です.また,日本国内だけではなく,北米大陸ではコイが同様な生物として扱われているようです.さらに,野原や河原,林や森など人との繫がりがある場所の野生植物のみならず,公園の花も農作物なども多くが移入されたもの(外来種)であり,固有種は少ないように思われます.
 このような現状は意図的であるか否かは別にして,人為的な行為によって引き起こされたものであり,専門家を含め多くの人たちが危惧している,地球上の生態系への影響に直結してくる大問題だと思います.実際,何人かの研究者は今日の生態系の変化(打撃)が地球規模での「大量絶滅」に繋がるリスクを指摘しています.」

***

 文は人とやら、生物学者としての確かな見識とあわせ、穏やかで考え深いお人柄が彷彿され、心寛ぐところがある。実名を明かすお許しをいただいているが、インターネットでは同姓同名の別の研究者にすぐに飛んでしまう。御迷惑をかけたくない意味もあり、ここでは懐かしさをこめてシンカイ先生とだけ呼ばせていただくことにする。
 ワシントン大学への留学が決まったとき、行った先では形態学的な研究法が中心であると知って、渡航までの期間にせっせと予習に励んだ。中で最もお世話になったのがシンカイ先生で、紹介を得て厚かましくも研究室に入り浸り、うるさくつきまとって教えを請うた。先生にとっては何の得にもならないのに、御多忙の中うるさがりもせず、資料の固定から包埋切削まで懇切丁寧に教えてくださった。後々それがどれほど役立ったかわからない。
 嬉しいことに、当方の渡米後ほどなくしてシンカイ先生もまた、アメリカの別の街へ留学なさることになった。中西部から東海岸まで休暇にいそいそと出かけ、家族ぐるみで御歓待いただいた四半世紀前が昨日のようである。

 コメントにもある通り、先生の生まれ育った信州の浩然の気が、いつも先生をとりまいていた。デスクには「ずく出せや」と書かれたメモが貼ってあったが、これは由緒正しい信州弁なのですよね?
 1994年正月明け早々のある日、昼休みに研究所の中を移動していると、敷地の一画で賑やかに餅を搗いている。その中心にいる筋骨逞しい男性がシンカイ先生その人だった。
 重い杵を振るって餅をつく動作は、日本の農村生活の粋である。四股に通じる腰割りの姿勢ができていないと、鍬打ちもできず杵もあがらない。無理をすればあっけなく腰を痛めるだけだが、逆にこれができていれば、小柄な者や年長者もよく労作に耐えるのである。シンカイ先生は昼休みの間中、餅つきに精を出し、午後はまた涼しい表情で実験を教えてくださった。伝統の所作は先生の身体にしっかりしみこんでいるものと確信された。

 多年にわたって生命科学の研究に従事なさった後、今は文系の大学生に生物学を講じておられる。比類なく大事な仕事である。これからまた、いろいろと教えていただけることだろう。
 
「現在,絶滅とか絶滅危惧とかいろいろにぎやかです.このこと自体は良いことだと思っていますが,過去(江戸時代やそれ以前も含む)に国内にどのような生物が生存し,それが現在どのようになっているのかについては,残っている書籍が少ないということもありますが,網羅的にまとめた文献はあまり見つかりません.わが国では昔から本草学が発達していますので,先人達の書き残した資料を見直し,その地域での生物種の興隆や衰退・絶滅などについて,現在も含めた時間経過を考えながら調べてみたいと思っています.
 といいましても,対象があまりにも広大すぎますので,生物について書かれたの資料が多い地域からスタートしようと考えています.」

 先生、どうぞズク出してください!

Ω

夜の王者を鼻で追う

2021-09-04 16:15:17 | 日記
2021年7月26日(月)



 滅多に姿を見せないのによくぞ撮れたものだ。
 すばしこく賢く用心深い生きものに讃仰の念すら抱くけれども、残念ながら一つ屋根の下で共存するわけにはどうしてもいかない。
 この夏は長い戦いだった。それを通じて知ったのは、嗅覚というものの絶大な効用である。自分の鼻がこんなに役立つとは思わなかった。
 美食や嗜好のためにあるのではない、見えないところに隠れ潜む獲物や敵、それらの出没した痕跡、障害物の陰の異物の存在などを敏感かつ的確に察知し、生き延びる可能性を飛躍的に高める飛び道具がハナくんくんである。
 大脳皮質はもともと嗅覚上皮に由来する。とりわけ夜行性の哺乳類でよく発達しているが、昼の世界に拡がったヒトの脳の基層にもちゃんと標準装備されている。
 一動物としての self esteem をいささか回復した気分。進化論的自尊心?
 
Ω

Taste of Honey

2021-09-01 10:46:50 | 日記
2021年8月21日(土)
 この夏の郷里は記憶にないほど雨が多い。そのせいもあってかどうか、ハチの巣を一度も見なかった…と書こうとした途端に遭遇。
 アシナガバチはよくわかっていて、細くてもしっかりした枝を選んで巣をかける。目につきにくいところというのも外せない条件で、草刈りを怠って樹木の低い枝が夏草に蔽われた部分などは、第一級の候補地になる。それに気づかず、不用意に草むらに踏み込んで刺されるのだ。マムシを踏みつけるのも同じパターンらしく、ヤブヘビとはよく言ったもの。とはいえ、藪や草むらをつつかないでは草刈りにならない。長柄の鎌や草刈り機など道具や機械で離れてつつきながら草を平らげ、安全を確認しつつ踏み入るのである。
 春先からほったらかしの甘夏柑の樹を、背丈ほども伸びた草むらから救出すべく、樹を周回しながら刈っていたら、やおら目の前にアシナガバチが2匹、ついと浮上してホバリングする。観察するような威嚇するような。いったん離れて外側から少しずつ刈っていくと、甘夏の枝の低いところに小さからぬ巣が透けて見えた。

 どこ?

 ここ!

 やあ!

 お元気でしたね!百穴は下らない、立派なお住まいとお見受けしました。

2021年8月22日(日)
 アゲハチョウはミカンやカラタチを好んで産卵するから、界隈にアゲハチョウが多いのは当然、アシナガバチはアゲハチョウの幼虫を好餌とするから、アシナガバチが栄えるのもまた当然である。
 アゲハチョウが庭に咲いた花を順に訪れる中で、どうやらノウゼンカズラが好みらしい。


 休んでは蜜を吸うことをくり返していたが、よほど気に入ったと見えて面白いことが起きた。


 見ての通り、頭を突っ込んで蜜を吸い始めたのである。その姿勢のまま動かない。5mほど離れた縁側から見ていたが、これならひょっとして写真に撮れるかとカメラを取ってきて前庭に降り、ぐるっと回って近づくまで30秒あまり、その間ずっとこの状態である。天敵に襲われたらひとたまりもあるまいに、お構いなしの没頭ぶり。

 さほどに蜜の甘くあるらし。この夏一番の奇観である。

Ω