散日拾遺

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著者見参

2019-11-03 18:48:32 | 日記
2019年11月3日(日)
 プロテスタント教会の多くは、11月の第一日曜日に永眠者記念礼拝を行う。カトリックでは11月1日を「諸聖人の日」、続く2日を「死者の日」とする。
 意味は違うが既に地上から召された人々にまつわる点は共通で、そもそもルーツが同じなのだから当然のこと・・・などという書き方をすると、カトリックに叱られそうだ。ことの順序が違うでしょう、と。
 降誕節の扱いからも分かる通り、プロテスタントはその教派的伝統を整える中で、諸聖日を直近の日曜日に移すということをした。日曜日が主の復活を記念する日であることを、何より貴しとしたのである。それで11月の第一日曜日が永眠者を覚える日となった。同時に「聖人」というシステムを廃したので、「諸聖人の日」と「死者の日」が一体化する。信仰のうちに召された人々は全て小聖人であると考えるなら、西方教会の連続性は実質にも及んでいる。
 ちなみに「諸聖人の日」は嘗て「万聖節」と呼ばれた。これとハロウィーンの関係には極めて興味深いものがあり、「ケルトの古層」「抑圧されたものの回帰」といったところがこの関係を解きほぐすキーワードになる。よく囁かれるとおり、ハロウィーンそのものは異教起源だが、Halloween という言葉はキリスト教(徒)的命名である云々。
 そんな次第で東京でも松山でも、今日は永眠者記念礼拝がもたれている。東京は次男に任せ、こちらは松山で出席した。あわせて母他界の(約)一周年の小宴を催し、これをもって世間の一周忌に代える。父方の親族とわがつれあいの母と、計8人が東京・関西・地元から集って会食歓談、四国島内にある母の弟妹らは高齢や健康問題でいずれも不参加という家族風景。

***
 
 会食に先立つ午前の礼拝説教の中で、「永眠は永久に眠るの意ではない」とM牧師。そうそう、そこが大事なところ。
 「仏教には輪廻転生という考え方があり、おわりのない循環から解脱して涅槃に入ることを目的としますが、これに対してキリスト教では・・・」
 牧師の所説が、死生学の教科書に自分の書いたことと基本的に同じなので安心した。もちろん丁寧に調べて書いたことだが、牧師というその道の専門家(?)の口から聞くと、別して確信がもてる。
 ところが礼拝後にM師が笑顔でやってきて・・・
 「お父様からね、石丸さんのお書きになった教科書をいただいたんです。それで勉強しましてね。」
 は?
 「仏教のことはよく知りませんからね、パクらせていただきました。先ほどは講壇で『ヤバい、著者が来てる』と。」
 知らんがな。

Ω