散日拾遺

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テレビっ子の鬱憤 ~ 「若輩者」から東日本女子駅伝まで

2019-11-10 18:40:44 | 日記
2019年11月9日(土)〜10日(日)
 要するに、TVなんか見なきゃいいんだけどね。
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 朝の再放送を何となく点けたら、とたんに聞こえてきたのが、
 「意気揚々と事業に乗り出したものの、ジャクハイモノの起業家に金を貸してくれる相手など誰もなかった」
 いきなりこれだ。
 若輩の輩は「やから」すなわち人の意味なんですから、「若輩」だけで「若造」「青二才」「未熟者」の意味になるんです。「ワカゾウモノ」とか「アオニサイモノ」とか、「ミジュクモノモノ」とか言わないでしょ?「先輩もの」「後輩もの」などとも言わないよね。
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 日中出かけて夕方帰宅、また何となくテレビを点けたら今度はこれ、
 「被災者は行くところがなく、イヤガオウニモここにいるしかありません」
 「否が応でも」と「弥が上にも」の混用なんでしょうね。細かすぎる?そうですか、書けないマジックで画用紙をこすられたような不快感が、僕には起きますけれど。ちなみにここは単に「イヤでも」とか、「望むと望まざるとにかかわらず」とかいうところなんだろう。こんなことを気にしたおかげで、番組の印象はかえって強く残ったのが皮肉である。被災地域の深刻な困難を伝え、内容的には大事な報道。
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 以上いずれも「否が応でも」法律に従って受信料を払わせずにはおかない某局の放送、発語者はたまたまマイクを向けられた素人さんなどではない、歴としたプロである。
 お金、いくらかでも返してもらえません?
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 文句ばっかり言ってると思われるのは心外なので、逆の例を挙げておく。あっけなく終わった日本シリーズの第一戦、受信料を取らない某局の中継のゲストにラグビー日本代表が招かれた。そこでアナウンサー、
 「Nさんは今では日本を代表するラガーですが、中学校までは野球のキャッチャーをなさってたんですよね?」
 瞬間、脳が喜んだ。ああ嬉しい、いい言葉を聞いた、「なさる」なんて死語になったかと思ってた。受信料を取る局ならアナさま一同、判で押したように「キャッチャーをされてたんですよね」というところ。先の例と違って間違いとはいえないが、実用的(文脈によっては尊敬と受け身の区別が付かない)にも美的にも品下れることこのうえない。このとおり哀れなわが脳ミソは、TVから出る一つ一つの言葉によって一喜一憂やむことがないのである。
 
***
 
 とはいえ、これらは所詮言葉の問題で「フツーの人は気にしないのね」と言われれば吹き飛ばされそうな話である。それとはちょっと違った意味で報道の見識を問いたい、昨日の小さなできごと。
 日曜ながら全員出席の校務あり、早めに出かけてカンファ室に入ると、S先生が長い脚をソファの背にあずけてTVを見ている。画面は東日本女子駅伝、聞けばお嬢さんが県代表の一員として走るのだという。
 「わお、素晴らしい、一緒に応援させてください!」
 「いや、それが…」
 令嬢の出走は6区だが、既に5区にさしかかって先頭から最下位まで数分の大差。下位を争うH県代表は少し前から全然映してもらえないのだという。
 「でも、中継所で映るよね?」
 「…」
 「だって正月の箱根駅伝中継は、繰り上げスタート後に辿り着いたランナーまで、全員ちゃんと映すもんね?」
 「……」
 驚いたことに、S先生の懸念は的中。
 先頭集団の通過後、画面はしばらく先頭と中継所を交互に映す。その後は上位ランナーをアップにして、画面左下の囲みに中継所の映像を併映。その囲みの奥の向こうに最下位集団と思しき白や赤のユニフォームが見え始めたと思った、その瞬間に囲み映像は消え、それっきり映されることがなかった。お嬢さんを含む下位のランナー達は、一度も画面に現れることがなかったのである。
 
 何ですか、これは?
 せめて最後のランナーが襷を渡すまでの数分間、中継所の小映像を消さずにおくことができないのか。郷土の期待を背負って力走するランナー達、それをテレビ桟敷で応援する津々浦々の老若男女、たとえ数秒でも全ランナーを一度は映すことで、そうした思いに報いようという気概はないのか。この種の番組で、映さないとのは存在を認めないのと同じである。下位チームは参加しなかったのと同じ扱い、それでいいのかテレビのモラルは!
 映らないお嬢さんの力走を心眼で見守るS先生の傍らで、残り少ない怒髪を思いきり逆立てて毒づくのだった。ちなみにこちらは、受信料を取らない局の一つがH県を含む地方局と連携して配信する番組である。第6中継所で実況を伝えたのはテレビHのアナウンサー、地元代表にどんな言葉をかけたのだろう?
 
Ω