散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

「破落戸」解題

2022-11-23 15:14:51 | 日記
2022年11月23日(水・祝)

 F.Y.さんより来信:

 「散日拾遺」11月18日付を拝読しました。「破落戸」に興味津々です。
 手元の諸橋轍次著『大漢和辞典』(正確には「漢」と「辞」は本字です)の巻八に「破落戸」がありました。後日、当該ページを複写してお届けいたします。
 字義・語源の部分の記事は次の通りです。

【破落戸】ハラクコ 良民の害をなす遊蕩無頼の者。ごろつき。ならずもの。
 もと、おちぶれた家の門弟を意味し、転じて、其の家の無頼の子弟をいひ、更に一般的の意味に用ひるに至った。(続いて『水滸伝』等の出典記載あり。)

 今朝は思いがけず、昔取った杵柄、東洋史の香りを懐しみました。
 感謝とともに

***

 「おちぶれた家の門弟」となれば、ドラマ中の大院君が不遇を嘆くに最適の言葉であり、「破落戸」の表記も理解しやすくなる。御教示いただき、こちらこそ大感謝。
 あわせて『漢和大辞典』という驚くべき書物の存在を初めて知った。全15巻の圧倒的な迫力は、漢字という世界文化史上の偉業を卓上に再現する金字塔である。
 これをお手許に備えておいでの F.Y. さん、失礼ながら何者でいらっしゃいますか?



Ω

「破落戸」で何と読むか?

2022-11-17 22:48:41 | 日記
2022年11月18日(金)

  「破落戸」と書いて「ならずもの」と読む。高校二年、冬の教室の朝の驚き。
 誰かが難読語を見つけてくると、別の誰かがその上を見つけて倍返しする、16歳の本能に駆られて応酬を繰返した末、ここに至って皆が黙り込んだ。何をどう読んだら「ならずもの」になるのか、意味から迫ろうにも手がかりがない。
 「ただ(無料)」のことをなぜロハというか?今どき「ロハ」が死語だからクイズ自体が成立しないが、漢字の「只(ただ)」を分解して「ロハ」というのが通説である。それを「先立つイがないからさ」とやってのけたのは、例によって異能の悪友Rの機知の閃きだったが、これも今では通じそうもない。「先立つものがない」という慣用句が、持ち金不足の婉曲表現として通用した時代の昔話である。
 ともかく「ロハ」ならこうした分解が可能だけれど「破落戸」はどうにもならず、辞書を見ても埒があかない。生涯残りそうな小さな謎として記憶の片隅にあり続けた。

 時移って21世紀、令和の御代のとある朝、「あっ!」と時ならぬ叫びを挙げたのは韓国ドラマの一場面。字幕に「破落戸」の文字が現れ、同時にはっきり聞こえたのは…
 「パラッコ」
 半世紀越しの謎の扉が突然、半分開いた瞬間である。
 言葉を発したのはドラマの中の大院君(テウォングン)、李氏朝鮮末期の守旧派の巨魁として、日清戦争の伏線あたりで日本史にも顔を出すあの大院君である。金一族に圧倒されて不遇の日々に、半ば韜晦、半ば本音の自虐として自身を
 「パラッコ」
 と評した、その場面である。文脈からは「ならずもの」の粗暴さより「役立たず/無駄飯喰らい」の意味合いと思われるが、十二分に通底する。そして「破落戸」という漢字語を日本語で「ならずもの」と訓読するのは全く不可だが、「パラッコ」はこの三文字を韓国流に音読したものであること間違いない。
 さっそく確認、ありました!

 파락호 【破落戸】ならず者、ごろつき(小学館「韓日辞典」)
 
 漢字語つまり中国語由来の「破落戸」という言葉があり、これを朝鮮では「パラッコ」と音読し、本朝では意味をとって「ならずもの」とした、そういうことらしい。
 さてそうなると、本家の中国語に「破落戸」という言葉が実在するかどうか、これが謎の本丸ということになるが、残念ながらすぐには検証できない。利用可能な手許の辞書では出てこないようである。
 韓国ドラマを原語の音声で聞いていると、ときどき思いがけない発見がある。そのきわめつけの例として、さしあたり書き留めておく。

Ω

拙著御案内 ~ 『老いと祝福』

2022-11-17 11:32:32 | 日記
2022年11月17日(木)
 「せっかく出たのに、ブログに載せないんですか?」と言ってくれる人があり、励まされて恥ずかしながら…


 『老いと祝福』(日本基督教団出版局)11月1日発売

 そもそも「祝福」とはどういうことかという年来の自問から説き起こし、講演で話してきたことを基に、思いつくままあれこれ書いてみた。
 出版元からも分るとおり、聖書の信仰を共有する人々を想定してのものなので、自ずと読者は限定されるかと覚悟していた。それが思いのほか、広範囲の読み手から好意的な反応を早々に受けとり、まずは嬉しい驚きを感じつつある。
 二年前の下記のものから、反対極へ跳んだねと笑われた。次は真ん中?何だろう、死生観かな、スピリチュアリティか…


『神さまが見守る子どもの成長』(日本基督教団出版局)2020年

Ω

在庫と嗚咽

2022-11-10 07:59:06 | 日記
2022年11月10日(木)
 「在庫」とは「倉庫に在る」ということで、goo 辞書だと以下のような説明になる。
 1  商品が倉庫などにあること。また、その商品。「―がきれる」
 2  原材料・仕掛品・製品などが企業に保有されていること。また、それらの財貨。
 ともかく商取引用語のはずなのだが、これを「手持の残薬」という意味で使う人が、ちらほら出てきた。
 「パキシルとマイスリーを前回同様2週間?」
 「マイスリーはまだ在庫がありますので大丈夫です」
 といった具合。
 初めて聞いたときは冗談めかしてわざと言っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。意味は分るし国語の教室ではないからことさら訂正もしないが、首筋に軽く鳥肌の立つ感じは否めない。

 医師専用のwebサイトを眺めていたら、「おえつ」という言葉を「吐き気」や「悪心」という意味で使う患者さんがいるという発言に、「いる」「いた」「いるいる」と反応続出。これは僕も経験している。
 同じく goo辞書によれば…
 お‐えつ〔ヲ‐〕【×嗚▽咽】
[名](スル)声をつまらせて泣くこと。むせび泣き。「遺体にすがって―する」
 「おえつ」という言葉がつらい心身状態に関わるという漠然とした認識と、「おえっ」という擬音語(?)の連想から生じた誤用と思われるが、これなど十年後には正しい用法として定着しているかもしれない。
 僕が経験した最初の誤用場面では、男性が苦痛に満ちた家族別れを経験しており、そのことを考えると「おえつ」がしてくるということだったから、てっきり本来の意味での嗚咽だと初めは思った。それでも「おえつ」が「する」はヘンだなと思ううちに、「おえつを抑える薬をください」「それは薬で抑えるよりも」などと次第にやりとりがちぐはぐになり、やがて誤用に気づいたのである。

 コミュニケーションは医療の命、些細なことのようでも言葉の点検は、あだやおろそかにできない。

Ω

作品(art)

2022-11-10 07:28:18 | 日記
2022年11月4日(金)


 外来を訪れた、ある人の贈り物である。一つ一つ丁寧にラップされ、全体が緩衝材で念入りに包装されている。悔しいことにカメラのピントがぴったり合わず、一つ一つの精緻なディテイルが再現できない。光も足りない…


 これが通常なんと呼ばれるものかは、どうでも良いことのように思われてくる。「作品」というだけで十分、art という言葉はそうしたもののためにある。自然 nature/natural と対置される人為の作品 art/artificial 、人の手がそこに介在していることだけが明らかであり、ついでながら食べて味わうこともできる。

Ω