散日拾遺

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漢字の音読みからふと考えること

2021-12-28 18:13:55 | 日記
2021年12月28日(火)

 漢字の音読みに呉音と漢音がある。ついでに唐音というのもある。たとえば「明」の字については、「ミョウ」が呉音、「メイ」が漢音、「ミン」が唐音である。
 わが国には上述の順に伝来した。7〜8世紀に遣唐使や留学僧がもち帰ったもの、つまり唐の時代に長安周辺で採録された発音が漢音(紛らわしいが唐音ではない)。それ以前に既に定着していた、ということは百済経由あるいは中国南部から直接伝わったと考えられるものが呉音。漢音よりさらに下って鎌倉時代以降に、禅宗の留学僧や商人によってもたらされたものが唐音。
 呉音は良いとして、漢音は唐音、唐音は宋音とでも言い換えた方が実情に合っていそうだが、そこはよくある歴史の致し方ないアヤである。今ふと考えたのは、そこではなくて…

 韓国・朝鮮語は日本語と違い、漢字の読みが一通りに決まっている。漢字の使用を大幅に制限してしまったので字面では分からないものの、由来を明かせば彼らの語彙の70%を占めるとも言われる漢字語(日本語ではこの比率はもっと少ないらしい、なぜだろう?)、それを構成する個々の漢字は読み方がただ一つなのである。その「一つ」の読みは、いつ、どのような経緯で半島に入ったのか?それは日本語の何音に近いのか?

 こんなことは、知る人はとっくに知っているに違いないが、簡単に訊かずに考えるのが楽しいのである。さてどうだろう?
 上述の「明」は「ミョン」、明洞(ミョンドン)のミョンである。「男」は「ナム」女は「ヨ」、これらを初めとしてパッと見たところ呉音に近いものが多いように思われるが、「それはそうだろう、何しろ半島の百済人が呉音を伝えたのだから」とは必ずしも言えない。7世紀に半島を制圧したのは新羅である。百済語と新羅語がどの程度似ていたか分からないし、日本と連合した百済を、唐と提携して倒したのが新羅なのだから、新羅が文化的にも唐に(従って漢音に)傾斜したとしても不思議はない。
 さらに、新羅語固有の発音の都合もあったはずで、たとえばネットの一覧表によれば「大」は「ダイ」が呉音で「タイ」が漢音、「美」は「ミ」が呉音で「ビ」が漢音などとあるが、現代の韓国・朝鮮語では ㄷ や ㅁ は語頭では清音だが語中では濁音になる(少なくとも僕にはそう聞こえる)から、そもそも区別する意味がない。
 このあたり、やはりその道の専門家に教わるに如くはないということか。

 韓国・朝鮮語話者にしてみれば、漢字に複数の 〜 しばしば三つ四つもの読み方を許す日本語は、学ぶに厄介であり奇妙不可解でもあるだろう。それは日本文化の形成過程がいかに重層的であったかの端的な証左であるが、それというのも中国という巨大文化圏とある程度の距離を保ち、従ってその影響を波状・間欠的にのみ受けてきた「緩さ」の結果に他ならない。
 韓国・朝鮮の中国との関係は、それとは全く違っていた。三韓鼎立の昔から今日に至るまで、その関係は常に密接に連動して寸分の緩さもありはしなかったのである。

Ω

ガソリンタンクの食養生

2021-12-06 08:14:02 | 日記
2021年12月6日(月)

 …体調管理やスタミナ確保にも関心を寄せ、登板した夜は水分補給のみで何も食べずに就寝し、翌日の軽食から次第に食事を増やして、登板前日には当時1枚3000円もするステーキなどボリューム満点のものを口にし、焼いたニンニクをガリガリとかじった。時間をかけてゆっくり食べる「米田ディナー」は、金田のキャンプ時代の鍋と共に有名。この米田ディナーのカギを握っていたのが、元松竹の映画女優であった夫人で、急なリリーフの場合を除き、先発予定日に合わせて食材を用意。ローテーションが変わったり、登板日が読めなくなると、監督の西本に直接電話して夫がマウンドに登る日を聞きだすとまで言われていた。
Wikipedia

 朝刊を見ていたら、2年ぶり開催のシニア甲子園に能代OBの先発として山田久志が登板したという記事があり、そこから始まる日本昔話。なるほど山田は凄かったが、同じ阪急に凄い投手はいろいろいた。元祖サブマリンの足立光宏は日本シリーズにめっぽう強く、初めは巨人、江川事件以来ヤクルトファンの当方にはいつも憎らしい壁だった。やや遡って梶本、そして米田である。
 生涯通算勝利数、山田284(歴代7位)、足立187(同30位)、梶本254(同9位)、米田350(同2位)!

 米田哲也、1938年生まれ。鳥取県出身。プロ野球歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。通算先発626登板、通算1940失点、通算1659自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打の日本記録保持者。その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれた。
 勝利数だけでなく、通算敗戦数でも左腕では金田が、右腕では米田がそれぞれ歴代1位。他にも奪三振、投球回数、被安打、与四死球はこの二人が左右の投手のそれぞれ歴代1位(与四死球に関しては米田のほうが多い)である。
 「たくさん勝っているは僕もそうだけど、カネさん、小山正明さん、鈴木啓示と弱いチームに長くいた選手が多い。強いチームに勝ちたいという反骨心が必要なんでしょうね。」
 現役22年で肘や肩の故障はほとんどなかったことが誇りというが、その裏には周到な節制があり、パートナーの支えがあった。

 この項、以上はすべてWikipediaのコピペである。伝記作家が本格的に調べて書いたら、さぞ面白い豪傑伝が生まれることだろう。

 

マウンドに仁王立ちする阪急時代の米田哲也(1968年)。この年は29勝(写真=共同通信) 

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