散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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読書メモ 034: 影をなくした男

2014-07-24 20:30:58 | 日記
2014年7月24日(木)

 うさこさんが関先生のクラスで読んだという『影をなくした男』、さっそくアマゾンで取り寄せて読んでみた。(もちろん日本語、岩波文庫)
 ネタをバラすなら、『ファウスト』と同型の物語である。悪魔が言葉巧みに男の影を買い取る。金は手にしたものの、影がなくては人間世界を渡っていけないことに気づき、悪魔を追い回して影を取り戻そうとする。それにつけこんで、今度は影と引き換えにお目当ての魂を手に入れようとする悪魔の誘惑を、主人公ぎりぎりのところで耐え忍び、人としての生を全うする。
 『ファウスト』第一部公刊は1808年、第二部はゲーテ没の翌1833年である。シャミッソー『影をなくした男』(Peter Schlemihls Wundersame Geschichte 「ペーター・シュレミールの不思議な物語」)は1814年で、ほぼ同年代なのが面白い。ファウスト伝説そのものは中世に由来する古いもので、これを19世紀初頭にドイツ語圏の近代人が再発見することに、何か歴史必然的な意味があったんだろうか。
 『ファウスト』はゲーテ畢生の大作、『影をなくした男』はシャミッソーが(たぶん)ずっと軽い気分で書いたものだから、力みかえって比較するようなことでもない。ただ、後者のうちにひとつ考えさせられるものがあって。

 影のない人間が自分の周りにいたら、どう感じるか。
 不気味、ないしは恐怖が標準的な反応というものだ。
 影がないのは実体がない証拠だから「幽霊」「亡霊」「幻影」といった連想が働くし、そうした理論化以前に総毛立って怖気をふるうのが相場である。
 しかしシャミッソーの描く登場人物は、ただの一人もそのような反応を示さない。その代わりに認められるのは顰蹙とか軽蔑とかいったもので、それゆえ主人公は身を屈して日の光を避け、自分が影をもたないことを秘匿せねばならないのである。

 「きゃつめはすぐさま私に影がないことに気づいたのです。やおら大声で場末の腕白どもに告げだてしたものですから、連中は早速からかったり馬糞を投げつけたりし始めました。『ちゃんとした人間なら、おてんとうさまが出りゃあ影ができるのを知らねえか』」

 「生まれながらにそなわっていた影をそんなふうにないがしろにする人には、しょせん(画家が影を描いてやっても)役立たずというものでしょう。影がなければお陽さまの下に出ないこと、それがもっとも利口で安全な策でしょうな」

 「いったい、なんてことだろう、影のないおかたにお仕えしなくてはならないなんて!」

 「召使ふぜいでもまともな人間でございましてね、影のない主人に奉公するのはまっぴらですよ。とにかくお暇をちょうだいしたいもので」

 「まったく、なんてこった!そうだろう、むく犬だって影ぐらいはもっているというのに、大事な大事な一人娘のお相手が影のない男だなんて・・・。いや、もうあんな男のことは忘れよう」

 いずれも同工異曲、主人公は「れっきとした市民なら当然もっているべきものを、不心得から失ってしまった恥ずべき人間」として、徹底的に表の社会から疎外されているのである。周囲の人間には「恐れ」などみじんもなく、仮借のない軽蔑と糾弾がすべての関係者に一貫している。例外は二人だけ、主人への同情と忠誠心からどこまでも仕え続ける従僕ベンデルと、愛ゆえに相手の大きな欠損を許そうとする娘ミーナのみであるのも、必然的な設定だ。

 「影」は何の象徴だろうか?
 それをなくしたものが市民社会でかくも疎外されるような何ものか・・・何であってもよいのだろう。
 ハンセン病の患者、あるいは被差別民、僕らの社会の「影なき人々」としてまず連想したのはそういう人々だったが、むろんこの人々が影を失ったのは何ら彼ら自身の咎ではなく、社会の側が一方的に刻印を施したのに過ぎない。
 訳者・池内紀氏「あとがき」によれば、この種の詮索は誰でもすることと見え、シャミッソーの個人的な事情と重ねて「祖国」と解されることが多かったという。
 フランスの貴族の末に生まれたシャミッソーは、フランス革命によってフランスを追われ、ベルリンに難を逃れた。少年シャミッソーはフランス好きの公妃の小姓に召し抱えられ、やがてプロシア軍士官となって「ドイツ人化」していく。
 1806年にはナポレオン戦争に駆り出され、ハーメルンの戦いで捕虜になるが、解放されるやベルリンではなくフランスに移ったのは「祖国」への郷愁ゆえと推察される。しかし故郷の城は廃棄され、親類縁者はこの「ドイツ人」に冷淡であった。遍歴の末、1812年(ナポレオンがロシアで大敗した年)には「選びとった故郷」であるベルリンに移り、その後はドイツ文化圏で植物学者として生涯を送ることになる。
 しかし、彼のドイツ語は終生フランス訛りが抜けず、計数や詩作ではまずフランス語が口に浮かび、ついでそれをドイツ語に置き換えたという。haimatlos というドイツ語が思い出される。

 シャミッソー自身は、「影とは何のことか」と繰り返し訊かれて閉口したらしい。1834年、本作第3版にはわざわざ序詩を書き、そこにこうあるという。

 ぼくは生まれついての影をもっている
 自分の影をなくしたりはしなかった

 「影=祖国」はインパクトのある仮説だし、昨今かえって使いでのある寓意とも思えるが、あくまで一つの読み方に過ぎない。繰り返すが、これを何の象徴として読んでも構わないのである。
 疎外は常に僕らの外にあり、内にある。

 

小さな煙突掃除屋さん ~ その4 風見鶏

2014-07-24 11:06:08 | 日記

 ある日、町の人たちは教会の風見鶏が斜めに傾いているのに気づきました。
 「あれじゃ、落っこちてしまう」と皆は言いました。
 「何とかしなくっちゃ」
 そこで市長さんは、とっても高い梯子をさがしてきて教会に据えました。
 「誰かが登って行かなくてはならん!」と市長さんが号令しました。
 けれども、誰も登って行こうとはしません。いつも皆に筋肉もりもりを自慢している勇敢なヴィヒターリッヒさんも、登ろうとしません。
 「私が行きましょう」、とうとう小さな煙突掃除屋さんが言いました。
 そしてシルクハットをまっすぐにかぶり直すと、梯子を上っていきました。685段もの梯子段をよじ登った末に、教会塔のてっぺんにたどり着きました。初めは少しめまいがしましたが、慣れてくると眺めは素晴らしく美しいものでした。町の境をはるかに越え、遠くの村々や川までが一望できるのでした。
 「ユッフー!」小さな煙突掃除屋さんは叫び、それから仕事にかかりました。
 「朝日が最高さ」、不意に誰かが隣で言いました。
 「しゃべったのは誰だい?」小さな煙突掃除屋さんはびっくりして聞きました。
 「僕だよ」と声が返事しました。
 それはまぎれもなく、風見鶏だったのです。風見鶏は羽ばたき、そして口をききました。
 「君は銅でできてるんだと思ったよ」と小さな煙突掃除屋さんは驚いて言いました。
 「それがどうしたって?」と鶏。
 「だからって、黙ってなくちゃいけないのかい?」
 それから二人はいろんなことを話し合い、そして小さな煙突掃除屋さんは風見鶏をまっすぐに直してあげました。
 「どうもありがとう」と鶏は言いました。
 「夜までここにいてくれないかな、君にあげたいものがあるんだ。」
 そこで小さな煙突掃除屋さんは銅の風見鶏の背中に乗って、夜が来るのを待ちました。やがてあたりが暗くなってくると、美しい音楽が鳴り響くではありませんか。そしてどこからともなく、三羽の美しいめんどりが飛んできました。
 「こんばんは」とめんどりたちは挨拶し、風見鶏は何度も深くお辞儀して答えました。
 それから風見鶏は、いちばん太っためんどりに何か囁きました。するとめんどりは
 「卵よ卵!」と叫び、たちどころに卵をひとつ産み落としたのです。
 けれどもそれは、ただの卵ではありませんでした。なんと純金でできた卵だったのです。
 「これを君にあげる」と風見鶏は言いました。
 小さな煙突掃除屋さんは、何度もお礼を言ってから長い階段を降りて行きました。
 「いったい、こんなに長くどこにいたんですか?」と人々は尋ねました。
 「風見鶏とお話ししてたんですよ」と小さな煙突掃除屋さんが言うと、皆は大笑いしました。
 「それに、風見めんどりたちもいたんです」と続けると、皆はもっと笑いました。
 「金の卵を、贈り物にくれたんです!」小さな煙突掃除屋さんは腹を立てて叫びました。
 この場で皆に見せてやろうかと、小さな煙突掃除屋さんはポケットの中で卵を握りました。でもその時、ふとそんな気がなくなってしまったのです。
 小さな煙突掃除屋さんは家に帰ると、金の卵を枕の下に置きました。それからというもの、夜はきまって素敵な夢を見るようになりました。毎晩、煙突掃除屋さんは眠りながら微笑みを浮かべていました。そして朝は、幸せな気持ちで目覚めるのでした。

***

 今日の原文の中に、gerade (真っ直ぐな/真っ直ぐに)という言葉が二回出てくる。
 小さな煙突掃除屋さんが覚悟を決めて、シルクハットを「まっすぐに」かぶり直すところ。
 そして、傾いた風見鶏を「まっすぐに」直すところ。
 
 小さな煙突掃除屋さんの信念が、風見鶏をまっすぐに立て直す。
 この呼応が素敵だ。
 まっすぐに生きる小さな者に、夜は美しい夢を与えてくれる。
 

農業のこと ~ 千字文 082~084/トウモロコシを育てる工夫

2014-07-24 09:48:22 | 日記
2014年7月24日(木)
 農業に関することが3題続くので、まとめて行ってしまおう。

○ 治本於農 務茲稼穡  
 本を農に治め、この稼(カ)と穡(ショク)を務む

「稼」は作物を植えること、「穡」は取り入れることとある。
国を治めるには農業を根本とし、作物の植え付けと取入れに励む。

○ 俶載南畝 我藝黍稷  
 俶(はじめて)南畝に載(こと)とし、
 我、黍(もちきび)と稷(うるちきび)を藝(う)えたり

 キビにも「もち」と「うるち」があるのか。

○ 稅熟貢新 勸賞黜陟
 熟を税し新を貢す、勧賞し黜陟す

 その年にとれた熟した穀物を税としておさめ、恩賞を与えて農業を勧め励まし、
 黜(功なきものを降格)陟(功あるものを昇進)を行う。

***

 昨日また田舎の便りあり。以下、父より。

「調べてみると、当地ではトウモロコシを栽培していない。カラスの害を防げないからだ。
 カラスの死体に似せて、黒いボロきれを幟(のぼり)のように立てたりしているが、ボロの上でカラスが羽を休めている。
 一人だけトウモロコシを育てている人があり、そこは1m四方ぐらいの小区画でやっている。10本ぐらいを植え、全体をネットで覆う。
 これなら大丈夫だが、10本程度が限界だ。全体をネットで覆うのは難しいから、大量には育てられない。」

 セントルイスからシカゴへ向かう国道の両側に、地平線まで見渡す限り続いていたトウモロコシ畑を思い出す。そして『フィールド・オブ・ドリームズ』なんて映画も。
 あれもトウモロコシ、これもトウモロコシ、1平米にわずか10本のトウモロコシが、何ともみずみずしくて美味しいのだ。

朝刊紙面の風景いろいろ

2014-07-24 09:00:11 | 日記
2014年7月24日(木)
 今治西 0-1 松山東、愛媛県大会3回戦のこれはどうしちゃったんだろう?

***

 今日から張栩-山下局の棋譜解説が載る。今月初めの対局、山下の星の石に張が五線からカカった話題の一局だ。張栩のこういうところが良い。常識に追随せず、自分を変えることを恐れない。「生活感」を口にしながら地とタイトルを稼ぎまくっていた頃とは別人のようだ。
 それも四天王競合の産物という面があって、この局も相手が山下だからこそ存分に自己主張できるのだろう。いいなあ、このライバル関係。

***

 『こころ』再連載は「先生」と「お嬢さん」の出会いのあたりで、漱石の心理描写、あるいは女性心理描写の巧みさが今朝の回にはよく現れている。

 「要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の目や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返してくる反射のないために段々静まりました。」
 「奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言する如く、実際私を鷹揚だと観察していたのかもしれません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で誤魔化されていたのかも解りません。」

 碁でいえば、乱戦を避けて息の長い勝負をめざすといった感じだ。「照り返してくる反射のない」どころか、反射が反射を呼んで合わせ鏡状にお互いを巻き込んでいくのは、ドストエフスキーの流儀である。とはいえ、若い男女が一つ屋根の下に住めば、反射のないままで済みはしない。

 「私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。」
 「それでいて御嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼には能くそれが解っていました。能く解るように振る舞って見せる痕跡さえ明らかでした。」

 無意識の偽善 unconscious hypocrite と漱石が呼んだ仔細を連想させる。漱石の作中に、良い女性像というのはあったっけかな?

ルビーとサファイヤ/同一化/死生学の時代?

2014-07-24 07:35:47 | 日記
2014年7月23日(水)
 前日に関東も梅雨が明け、いよいよ熱暑の始まり。電車内は天国。

 液晶トリビアは宝石の話、ルビーはコランダム(酸化アルミニウム)のアルミニウムイオン3+が部分的に3+のクロムに入れ替わったものだそうだ。それではクロムの代わりに3+の鉄が入ったら、どんな宝石になるかというのが問題。
 瞬時に答えは浮かぶんだが、そのカラクリが不思議である。クロム自体は錯塩として発色する際は緑色を呈する。2+なら黄色(クロム・イエロー)で、何しろその系統だ。そのクロムが入ってコランダムが赤くなるなら、赤に親和的な鉄が入れば逆のことが起きるだろう。緑になるならエメラルドだが、たぶんちょっと違うかな。正解はサファイヤなのだ。でも何でかな、不思議だ。

 『退屈な話』を、ロシア語で読んでみたいな。

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 TA協会大会では、「同一化」のメカニズム一本で話してみたんだが、つくづくこの機制の支配的であることを思う。先週の土曜日に中延の野球用具店でも痛感した。「スポーツ」と「マスメディア」がキーワードとして付加される。
 テレビで活躍する甲子園球児らがA社の製品を使っていればA社のものが売れ、プロの人気選手が白の肘あてを使っていると白ばかりが売れる、要はそういうことである。
 同一化の威力は比類がない。教育者は理屈をこねまわしすぎて、要するに人は目標に自分をなぞらえ、これに同一化しつつ人になるのだという単純なことを忘れがちである。もうひとつ、同一化されるのは目標とする人物の行動であって、その人物が語る言葉の内容ではない。「ではない」は言い過ぎかもしれないね、行動への同化圧力は言葉の内容の影響力を圧倒する、と言い直そう。
 だから、親の言動が不一致をきたしている場合、子どもは親の言葉ではなく行動に同一化する。始末の悪いことに、「言動が一致していなくても構わない」というメッセージまでも添えて受けとるだろう。

 「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け」(マタイ 7:5、ルカ 6:42)

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 17日(木)のセミナーが好評であったことを、広報関係の別々の人から午前と午後に聞かされた。
 帰りがけにエントランスホールで声をかけてきたのは、一昨夏に類似のテーマで公開講演した時の担当者だ。
 「すごい反響ですね、ほんとに。私なんかは『死生学』と聞くと敬遠するというか構えちゃうんだけど、どうもそういう時代じゃないみたいですね。」
 そうそう、あの時この人は「死生などという言葉を聞くと人が集まらないだろうから、少し表現を工夫したら」と助言したのである。お節介だなと思ったが、率直な人なのだ。結果を見て素直に説を改め、自らそのことを伝えてきている。

 キャット・コーナーにはトラ猫スフィンクス、駅近くのホテルの路上ビアガーデンが花盛り、午前の会議で顔を合わせた事務の若い女性らがテーブルにジョッキを並べていて、僕の顔を見ると照れくさそうに笑い崩れた。夏到来。