散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

ハリコフと『退屈な話』

2014-07-23 06:30:30 | 日記
2014年7月23日(水)
 マレーシア航空機の撃墜事件、搭乗者全員の死亡が確認された(どんな風に可能なのか・・・)。墜落現場周辺にお人形や子どものおもちゃが散見され、一部は犠牲者のもの、一部は近隣住民が犠牲者を悼んで備えたものらしい。
 ネアンデルタール人の化石が出土した時、遺体の周りに大量の花の化石が見出され、死者に手向けられたものと解釈されたことを思い出した。
 遺体や遺品はハリコフに移送され、ここから各国へ戻されるという。

 ハリコフという地名を、僕はただひとつのことで知っていた。チェーホフの『退屈な話』に出てくるのである。

***

 功成り名遂げたロシアの医学者が、死病で余命を限られているらしいのだが、病気の詳細は語られず、主人公は妻子らにそのことを告げない。ただ、親友の忘れ形見である養女のカーチャの行く末ばかりを案じつつ、カーチャにもまた内心を明かすことができない。明かすとすれば、カーチャに対する愛をも吐露せねばならないからか。
 主人公の娘に求婚者が現れるが、主人公はこの男が全く気に入らず、その素性をも怪しんでいる。乗り気の妻は、求婚者の身元確認に彼の領地を訪れるよう夫をせっつく。その場所がハリコフなのだ。
 「行かないよ、ハリコフなんか」
 そう言いながら不承不承、妻の求めに従い、案の定グネッケルなどという男の痕跡がそこにないことを知る。娘が婚約者にそそのかれて駆け落ちしたことを、留守宅から電報で知らせてくるが、主人公の心はそれを遠いことのように眺めている。

***

 翻訳次第で作品の価値がどうにでも変わることを、この作品で知った。
 最初に読んだ新潮文庫版、小笠原豊樹氏の訳が絶品である。後に旧・岩波文庫版を読んで愕然とした。
カーチャ 「私にできるのは、雑役のおばさんか女優ぐらいよ。」
主人公  「それがどうした?雑役のおばさんになれないのなら、女優になりなさい。」

 ふつうは、「女優になれないのなら、雑役のおばさんになりなさい」というのだ。この逆転がチェーホフの真骨頂で、そこを小笠原訳は見事に「翻訳」している。
 同じ部分、「雑役のおばさん」と訳された部分が、岩波文庫版では「女労働者」である。
 女労働者・・・目をつぶりたくなる。これを翻訳とは言わない。Wiki の翻訳機能と、これでは大差がない。

 『決闘・黒衣の僧』と題された短編集は表題二作のほかに『退屈な話』と『グーセフ』を収めた逸品で、修学旅行の新幹線内でMに勧められて読んで以降、いつも頭の中の本棚のいちばん手近なところにあった。残念なことに売れ行きはさほどでなかったのか、新潮文庫はこれを絶版にしてしまっている。
 岩波文庫版はその後、訳者を変えて新たに刊行されているようだ。明日にでも手に入れて読んでみよう。