一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

最年長五冠

2022-02-13 14:35:02 | 将棋雑記
11日・12日に第71期王将戦第4局が行われ、挑戦者の藤井聡太竜王が渡辺明名人に勝ち、4勝0敗で王将を奪取した。これで藤井王将は竜王、王位、叡王、棋聖と合わせて五冠王となり、19歳6ヶ月・最年少での達成となった。
このスコア、私は半分予想していた。そして同じ予想をした将棋ファンも少なくなかったと思う。それを無謀と思わせないところが、藤井五冠の強さである。
それにしても「19歳五冠」。小説やマンガで将棋を題材にしたとき、こんな設定にしたら、編集者から即ダメ出しを喰らう。それを藤井五冠はやってしまったわけだ。
私などは門外漢だが、もし同年代の奨励会員だったら、劣等感に苛まれておかしくなりそうである。
では、当ブログで恒例となった「最年長」シリーズ、今回は「五冠」を調べてみよう。
なお、肩書の赤字は、そのタイトルを取られて五冠が崩れたことを示す。

大山康晴名人・十段・王将・棋聖・王位 1970年12月11日 47歳8ヶ月
羽生善治竜王・王位・王座・棋王・王将 2002年3月12日 31歳5ヶ月
中原誠名人・十段・棋聖・王位・王将 1979年2月8日 31歳5ヶ月

五冠王達成者はわずか3名で、いずれも歴史に名を残す大巨人である。その中で、大山十五世名人の「47歳」がひときわ大きく輝いている。
何度も五冠王を達成したが、それを崩したのはやはり、後の天敵・中原十六世名人だった。1970年・第9期十段戦で、中原八段がいきなり3連勝。あとのなくなった大山十段は、第4局で横歩取りを採用。両者初の相居飛車戦となった。
しかし大名人はどんな将棋でも指しこなす。終盤に▲3七飛(図)の名手を指し、一矢を報いた。

続く第5局も穴熊の名局だったが、第6局で力尽き、四冠に後退した。

羽生九段も五冠多数。2001年には第72期棋聖戦で郷田真隆八段に敗れ四冠に後退したが、第14期竜王戦で藤井猛竜王から奪取、五冠に復帰した。
しかし翌年の第51期王将戦で佐藤康光九段に敗れ、四冠に後退した。
この第1局、佐藤九段は後手で三間飛車に振り、羽生王将は穴熊に囲った。そこで佐藤九段は美濃囲いを崩し、スズメ刺しを実現。以下の端攻めが強烈で、快勝した。
これがのちの佐藤変態流(ホメ言葉)の嚆矢で、佐藤九段にとっても忘れられないシリーズとなった。

中原十六世名人は1979年、第28期王将戦で加藤棋王の挑戦を受けた。中原十六世名人は一時期、加藤九段に20勝1敗とカモにしていたが、前年の第3期棋王戦では加藤九段に0-3で敗れていた。よってこの王将戦も、好勝負が期待された。
将棋は第4局まですべて相矢倉の好局で、第4局を加藤棋王がトン死で勝って3勝1敗。
そして第5局は中原王将が中飛車に振った。そこで加藤棋王は舟囲いから中央を厚くし、中央の歩を突いた。これが常識外れの名手で、以降も加藤棋王の攻めが鮮やかに続き、快勝。中原五冠の一角が崩れたのだった。

藤井五冠が大山十五世名人の記録を破るとすれば、28年後。そのころ私が生きているとは思えず、それを見届けられないのが口惜しい。
思えば羽生九段が売り出し中のころも、羽生九段の活躍を見届けたいと思いつつ、天国に召された将棋ファンが多くいたはずである。いまは私たち中年や老年がその立場にいるわけだ。
歴史は繰り返すのである。
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