一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

今朝見た夢(2017.01.22)

2017-01-24 00:46:32 | プライベート
22日未明に見た夢を記しておく。
私はどこか荒涼とした道を移動していた。1.5メートル四方、高さ3メートルの鉄パイプで組まれたてっぺんにベニヤ板が置かれ、その上に私が乗っていた。エンジンの類はついていないから下で誰かが押してくれていたのかもしれない。場所は北朝鮮のどこかだった。
私たちは演劇一座で、どこかで演じる予定だったのだが、私はひとりはぐれてしまったようだ。
一座のメンバーにはジョナ研のHon氏らがいて、彼らは無事現地に着いたようだ。

私はその後もグズグズしていた。路面は舗装されておらず、乾いた土がむき出しだ。かなたには列車が走っていた。
…というところで目が覚めた。

なんでこんな夢を見たのか。私は現在、人生において崖っ淵状態にあり、それはどうにも回避できない。
それが北朝鮮の荒涼とした大地にイメージ化されたものだと思われる。Hon氏が出てきたのは、氏が癒し系のキャラだからだろう。
しかしHon氏が私と一緒の荷台に乗らず、先に現地に着いてしまったということは、誰も私を助けてくれなかったことを意味する。
私の今後の人生を暗示しているように思えた。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

加藤一二三九段、引退決定

2017-01-23 00:06:51 | 男性棋士
今日1月23日は「1、2、3」の日。だからというわけではないが、加藤一二三九段の話題である。
先日、加藤九段の引退が決定した。19日に行われた順位戦C級2組で、降級点候補だった棋士が勝ったため、加藤九段が残る2局を勝っても3個目の降級点が付くことが決まり、強制引退が決まったものだ。
加藤九段は当年取って77歳。一般企業ならとっくに引退の年齢だが、棋士は成績がよければ、望むだけ現役生活を続けられる。男子たるもの働けるうちは働きたいところだ。事実私の父も加藤九段より年長だが、いまだ現役で働いている。しかし父は体力の限界で、そろそろリタイヤを考えている。働く気力があるのに働けない。これはつらいものがあろう。
加藤九段はどうだろうか。加藤九段はかつて「80歳までは現役で指せる」と豪語していた。全盛時に比べて読みの精度は落ちたものの、まだまだ後輩と伍して戦える、の思いを微塵も崩していなかった。それだけに今回の引退は、残念無念の思いであっただろう。
棋士の引退はつらい。将棋は頭のスポーツだから、能力の衰えが身体に出ない。体力も気力も十分なのに、現役資格を剥奪されてしまう。そんな例を私は、植山悦行七段、大野八一雄七段などで見てきた。
植山七段は引退寸前に竜王戦で佐々木勇気四段(現五段)をほふったし、大野七段は引退の何年か前、竜王戦で5組に昇級した。どうしてこの将棋が引退なのかと私たちレヴェルでは首を傾げてしまうのだ。
現在植山七段や大野七段に指導対局や講義を受けても、両七段は最新定跡に精通し実戦譜も網羅している。それは現役時とまったく変わらず、私はそこに勝負の厳しさを痛感するのである。
ちなみに加藤九段はこの翌日、棋聖戦でB級1組所属の飯島栄治七段に勝ち、力のあるところを見せた。ツボにはまると往年の強さが出て、なおさら強制引退がもったいなく思うのだ。
ただ加藤九段の場合は、齢を重ねるごとに妙な人気が出てきて、いまやテレビでは欠かせないタレントである。次年度から公式戦は指せなくても、かつて小堀清一九段が「将棋ジャーナル」でアマと真剣勝負を指したように、加藤九段だって「将棋世界」でアマと激闘を演じればよい。新四段とお好み対局を指してもよい。そしていろいろ指導対局に出向けばよい。むしろこれからのほうが、私たちは加藤九段の将棋に接することができると思う。
加藤先生、残る対局も元気に頑張ってください。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

2016九州旅行・5

2017-01-22 11:22:15 | 旅行記
二の丸方面への道路は封鎖されており、私は左手の城彩苑に向かう。「桜の馬場・城彩苑」は土産物屋や食事処の集まりで、伊勢神宮・おかげ横丁のコンパクト版だ。
入口を抜けると、どこかのテレビ局が取材に来ていた。角兵衛獅子みたいな恰好をしたオニイサンがインタビューを受けている。ひごまる、なるゆるキャラもいる。しかし何より目立ったのは、その左手にいるサンタ姿のお嬢さんたちだった。
可能ならば彼女らを写真に収めたいが、そうもいくまい。彼女らを尻目に各店をぶらつくが、何も買わない。その奥に天守閣方面に抜けるルートがあったので、登っていく。
城といっても天守閣だけではなく、いくつかの櫓が建っている。中には石垣の崩れがないものもあり、ここだけ見れば何事もなかったように見える。
しかし大広場に出ると、石垣の一部が盛大に崩れている場所に出くわした。これが悲しい現実なのだ。
「どこから手を付けていいか…」
後ろにいた若い観光客がつぶやく。まさにその通りで、これは巨大な立体ジグソーパズルだ。これから気の遠くなる年月をかけて修復していくが、完全復旧までは20年かかるという。こんな地震は予期していなかったから仕方ないが、過去に来訪した時、もっと天守閣に登っておけばよかったと思う。
大広場は広く、冬の陽光が降り注ぎのどかだ。地元の女子学生と思しきグループがジョギングをしている。広場をぐるっと回ると、多くの石垣がひとまとめにされていた。これらが収まるところに収まる日が来るのかと思う。
加藤神社に出る。その名の通り、加藤清正を祀った神社であろう。とりあえずお賽銭を納め、おみくじを引いた。吉。御朱印所もあったが、今回は御朱印帳を忘れてきたので、いただかないことにした。
その先が通行止めになっており、私はいま来た道を引き返す。ここまで熊本城復旧の募金箱はあったものの、城内への入場料は取らなかった。
だけど結構観光客は来ていて、彼らから少しでも入場料を取れば、少しは復旧費用の足しになると思うのだが…。焼け石に水だが。
大広場ではところどころで、無料ヴォランティアの人が案内をしている。団体客に紛れて聞いても構わないのだろうが、私は城彩苑に戻った。
100円で饅頭とお茶を出してくれる店があったが、入店しても無視されたので、そのまま店を出た。
大道路を引き返し、さっきのクリスマスイヴェント会場に戻ると、さすがに開演していた。だが、このイヴェントの本質は日暮れ以後だろう。クリスマスツリーはライトアップされたほうが映えるからだ。各テナントでは各種軽食を売っていたが、ここも冷かして終えた。
私は対角のアーケード街に入った。この入口手前に美味いうどんを食べさせる店があった。昼にはやや早いが、そこで昼食を摂るつもりだ。
…が、そのうどん屋を通り過ぎてしまったようだ。?? そんなはずはないのだが…。
イヤな予感がして、戻ってみる。
ここ…。この不自然な空き地、以前うどん屋があったところじゃないか?? そうに違いない!
おー、もう勘弁してほしい。釧路のラーメン屋、鹿児島の山ちゃんラーメン、旭川の日本蕎麦屋、その他もろもろ…。私が馴染みにしている店が、どうしてことごとく消えてゆくのだ!? みんな代替わりをせず、閉店してしまう。それがおのが将来を暗示しているようで、なおさら私は凹むのであった。

その先の居酒屋で、食事にする。居酒屋のランチがなかなかで、新潟県のそれで食べた時、白飯のあまりの美味しさに感激したものだった。
今回はステーキランチとする。2日前の夜、ガストのステーキで失敗したので、ここで取り返すつもりだった。
出てきたステーキは写真よりも小ぶりだったが、ガストほどではない。玉子スープとサラダ、食後のコーヒーがついて830円?はおトクだ。
実際は、コーヒーはセルフサービスだったようで飲まずに店を出たが、値段はランチ一律価格だったようで、780円という安さだった。ガストももう少し勉強してほしい。
水前寺公園に行こうと思う。同公園は学生時代に訪れたことがあるが、大きな池に小山がポツポツあって、えらく地味だった印象がある。しかし同公園の先の大地震で甚大な被害に遭っており、当初は池の水が枯れた、という報道があった。
最近池の水が復活したようなので、「快気祝い」に向かおうというわけであった。
アーケード街を縦断し左に折れると、通町筋電停に出た。水前寺公園行きはこの系統である。
本日2度目の熊本市電に乗った。電車はかなり年季が入っており、戦前の造りと思われる。ウチの会社のポンチング機械と同じだ。電車は大事に使われていて、動く博物館になっているのは頼もしい。
7つ先の水前寺公園で下車した。と、その先にバス停があり、福岡行きの高速バス乗車場もあった。…ということは、もう市電に乗るチャンスはないだろう。ここ水前寺公園の入園料の値引きは利かないみたいだから、結果的に160円を損することになる――。まあ熊本市電も儲かってないだろうし、この赤字は目をつぶる。
水前寺成趣園は入園料400円だった。入ってすぐ右で、鯉のえさが50円で売られていた。だが買わない。
先に進むと、池にはなみなみと湧水がたたえられていた。元に戻っていたのだ。自然の回復力は素晴らしいと、私はひとり静かに感動していた。
目を左にやると、橋の袂で、晴れ着姿のお嬢さんを、キャメラマンが撮影していた。成人式の写真かもしれない。私がしっかりした人生を送っていたら、彼女くらいの娘がいてもまったくおかしくない。私ほどの親不孝はいないと思う。
池の周りを反時計回りにまわると、鳥居が立ち並ぶ神社があった。いわゆる稲荷神社だ。が、先の加藤神社と同じく、お賽銭のみで御朱印はいただかなかった。
その先ににもまた神社がある。今度は徳川家を祀る出水神社だ。しかしここも同様に、お賽銭のみのお参りとした。
少し迷ったが、やはり高速バスに乗ることにした。バス会社に電話で確認すると、乗車予約はいらないとのこと。水前寺公園を出て、13時53分のバスに乗った。
熊本交通センターからの先客は6人。恐ろしいまでの閑散ぶりである。
高速バスはちょこちょこ止まる。そのたびに客が乗ってきて、けっこう混んできた。やはり熊本―福岡間は需要があるのだ。
さてこのまま福岡まで行ってもいいのだが、まだ明るい。それで、今さらという感じだが、太宰府天満宮に寄ることにした。
ただ、天神バスセンターから西鉄に乗ると、かなり電車賃がかかってしまう。太宰府天満宮に近いバス停があってもよいのだが、それがどこか?
私はスマホを繰るが、今一つよく分からない。
こんなに迷うんだったら、そのまま天神まで行って西鉄に乗る方が簡明だ。だがそうしないのが私の面倒なところで、結果的に見れば損するのを承知で、どこかで降りてしまうのだ。
筑紫野・二日市温泉入口、なる高速バス停が近づいている。ここで下車すれば、しばらく歩いて西鉄の駅に着きそうである。
降りるか、降りないか?
(27日につづく)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

谷川浩司会長、辞任

2017-01-21 12:41:12 | 将棋雑記
この18日、谷川浩司会長(十七世名人有資格者)が会長職を辞任した。三浦弘行九段の一連のもめ事の責任を取ってのものである。ついに決断したか、という印象だった。ただ直接の理由は、「自身の体調不良」とのこと。合わせて島朗常務理事(九段)の辞任も発表された。
2012年12月、米長邦雄会長(永世棋聖)の逝去に伴い会長に就いた谷川九段だったが、私は新会長の手腕に期待していた。正確に書けば、その存在感に期待していた。
谷川会長は14歳で四段になり、21歳で名人を獲り、十七世名人の称号も有する、天才中の天才である。そのブランド力は、並の棋士が束でかかっても敵わない。
将棋イベントで谷川会長が将棋ファンの前で挨拶をする。それだけで私たちは神様にお目にかかったような、幸せな気持ちになれるのだ。
谷川会長は、「そこにいるだけ」でいい。その意味では、就任後の会長は重責を十分に果たしていたと私は思う。
むずかしいことは側近がうまく立ち回ればよい。今回の騒動は、周りがしっかりしていなかった。例えばこれが大山康晴会長や米長会長だったら、おのれが中心に動いて、絶対にコトを表面化させなかった。あらゆる手を使って、隠蔽する。二上達也会長も、似たようなことをしたと思う。谷川会長は、正直すぎたのだろう。
この「挑戦者を替えた」という措置、レヴェルはまったく違うが、私も似たような経験がある。
説明の煩雑は避けるが、私が広告代理店に勤めていた時、ある会社の無料取材記事を、間に立っていた私が、独断で断ってしまったのだ。
後になってその会社の社長から大目玉を食らい私は出入り禁止になったのだが、確かに当時の判断は誤りだったと、今も消せないキズとして残っている。
谷川会長は騒動以後「胃がキリキリした」というが、幼少の頃から将棋一直線で、挫折はあってもそれは将棋内のことだった。慣れない政治が相手では、精神的にもかなり堪えたと思う。
まあよい、今回の騒動はまだ収束しないが、谷川会長が辞任すれば、もはやひとりの現役棋士である。これで指し将棋に専念し、谷川将棋に昔の冴えが戻ってくれれば、個人的にはうれしい。ともあれ谷川先生、お疲れ様でした。

さて巷では、次の会長が誰か、が話題である。最右翼は佐藤康光九段のようだ。
民間人がなるべき、という声もあるが、私は賛成しない。それは免状の問題で、将棋ファンが安くないおカネで申請するのだから、会長名は実績のある棋士の署名が望ましいと思う。
日本将棋連盟の行く先をあやぶむ声が聞かれるが、新聞社など、スポンサーへの感謝を忘れなければ大丈夫だろう。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

2016九州旅行・4

2017-01-20 12:41:21 | 旅行記
表に出ると黄昏時だった。さすがに西の外れで、東京なら日が暮れている。
川棚駅に戻ると、駅員さんが「ななつ星が来るよ!」と教えてくれた。周遊型寝台列車「ななつ星in九州」がここ川棚で一旦停車するという。
私はまだ切符を買っていないのだが、好意でホームに入れてもらった。
まだななつ星は入線しない。その間私は駅員さんと、豪華列車について話した。ただ、私が他社の豪華列車に不案内で、駅員さんもそれほど詳しくなかったから、話はあまり弾まなかった。
ななつ星が入線した。特急電車にほとんど乗らず、普通列車派の私には縁のない列車だが、それだけに無料で見られるのはうれしい。私はななつ星に遭遇するほうで、これで3回目だろうか。こげ茶のボディーに高級感があった。
数枚写真に撮ったら、ななつ星はもう出発してしまった。時間が押していたのだ。
私は17時32分発の上り列車に乗る。車中では昼前に買った缶コーヒーを飲む。これがこよなく美味いのだ。
18時19分、諫早着。島原鉄道に乗る前に、ここで夕食を摂るつもりだ。が、駅の様子がおかしい。改札口付近が全体的に簡易っぽいのだ。変なところから出てくると、何と諫早の駅舎がなくなっていた。諫早が長崎新幹線の接続駅かどうかは知らぬが、取り壊すほど老朽していただろうか。
駅前に出る。昨年閉店した大型スーパーには、まだテナントが入っていないようだ。ここはおにぎりでもお茶でも安かったのだが、どうしてつぶれちゃったのだろう。
昨年も入った中華料理屋を目指した。店に入り、ちゃんぽんを頼む。たぶん、昨年と同じだ。
みかんがサービスで置いてあったので、いただく。無料大好きである。
ちゃんぽんは確かな味だった。リンガーハットもいいが、街中のちゃんぽんも美味い。
満腹になって、19時06分発の島原鉄道に乗る。意外に客が乗っていて、私は前方のロングシートに座った。明るければボックスシートに座りたいところだが、夜では車窓は関係ない。
島原外港に近づくにつれ客は降りるが、意外に乗ってくる客も多い。それでも客が減ってきて、首を右に曲げると正面が見える。ヘッドライトが暗闇を照らし、左右の家々が一瞬だけ見える。夜ならではの光景で、昼ほどではないが見応えはある。
20時21分、島原外港着。かつてはこの先も数十キロ線路が伸びていたが、2008年に廃止されてしまった。民間ローカル線の経営状態はどこも厳しいが、ここまでの路線が残っているだけでもありがたいというべきだろう。
今夜の宿は島原東洋シティホテルである。港からやや離れた高台にあるらしい。何となくそっち方面に向かっていたら、スーパーがあったので、入る。旅先の夜、灯りがあると寄ってみたくなるのは人情である。
弁当類が2割引になっていたので、のり弁当を翌日の朝食用に買った。さらにモナカアイス。こちらは130円が半額だった。
ホテルにチェックイン。部屋に入るとずいぶん狭かったが、前日のホテルが広かったのだ。
ちょっぴり緩くなったアイスを食べながらテレビを点けるが、年末なので土曜ワイド劇場をやってない。スマホを繰るが、最近は動きが重いので、動画を観ることもできない。年末まで有効のau1万円クーポン券があるので、帰京したら買い替えようか。
「日本のスゴイ所ベスト50」を何となく見た。有料ビデオのシステムもなく、あんでるせんの余韻に浸って、就寝した。

翌18日(日)。前日まではあんでるせんがメインだったので、今日が観光らしい観光といえる。
今日はフェリーで熊本に渡り、博多へ行って空路で帰る予定だ。
熊本へは07時10分の第1便があったが、それは早すぎる。08時35分の第2便利用とし、それに合わせて起床、チェックアウトをした。なお、島原半島からは高速船も通じているが、私が利用するのはもちろんフェリーである。
港に向かう途中、自販機でペットボトルのお茶を買う。定価で買うのは屈辱で、前夜にスーパーで買えばよかったのだが、この時は思い至らなかった。
九商フェリーの「くまもとフェリー」は大型船。入船の時、シャトルバスの整理券をもらった。熊本港から駅まで、無料バスが出ているのだ。
乗船客は意外に多かった。私は優雅に朝食を摂る。旅先では日頃のウサを少しだけ忘れることができる。ただの食事でもこよなく美味いのである。
私はデッキに出るが、九州とはいえ冬の朝は寒い。心にもすきま風が吹いていたので、早々に客席に戻った。
09時35分、定刻に着。すぐにシャトルバス乗り場に向かうが、バスはライトバン、客は私も含めて5人だった。
今日も天気はよい。歩道では、中学生と思しき団体が、マラソンをしていた。その脇では関係者が声援を送っていた。実にいい光景である。そんな中クルマですっ飛ばすのは申し訳ない気がする。
中学生はどこまで行ってもパラパラと走っている。先頭とビリの差が大きいのもマラソンの特長で、私の中学生の時は、ビリに近いほうだった。
定刻よりかなり早く、バスは熊本駅に着いた。だが、ふだん利用している駅の裏側に着いたようだ。玄関口には早くも門松が飾られていた。年末のこの雰囲気が私は好きである。
構内に入ってなんとなく迷っていると、ヴォランティアと思しき女性が表側の改札を教えてくれた。熊本城や水前寺公園に向かう旨を告げると、市電の1日乗車券は施設の割引もあるから便利だと教えてくれた。
「えきマチ1丁目」なる施設があったが、今日も意外に時間がなく、素通りせざるを得なかった。
駅前から健軍町行きの市電に乗る。乗車して、熊本市電1日乗車券を買った。500円だから3回乗れば元が取れるが、微妙なところだ。
発車してすぐ、志村けんのアナウンスがあり、沿線の観光名所を紹介していた。…が、よく聞くとおかしい。これはコロッケの声帯模写だった。そういえば、コロッケ氏が熊本復興のため、このアナウンスを無料で引き受けた、の記事を読んだことがある。
辛島町で下りてみる。対角の敷地ではクリスマスイベントをやっている。昨年も見たやつだ。…が、渡ってみると、まだ開会前だった。
かなり抵抗があるが、熊本城に向かう。今まで何度も天守閣に登る機会があったのに見送っていたら、登る機会が失われてしまった…。
大通りをしばらく歩くと、熊本城天守閣が遠くに見えた。異常があるようには見えないが、壁が茶色っぽい。そして何よりその横に組まれた足場が、この天守閣が修復中であることを物語っていた。
(22日につづく)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加