百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

難聴 と ベートーベンさんの『交響曲 第9番 合唱付き』について ~ NHK-BSP『偉人たちの健康診断、ベートーベン 第9誕生 ! 難聴との闘い』より

2020-05-29 23:17:37 | 日記
 昔から、いろいろの分野で 図抜けた特別な偉人さんを『〇聖』と称し敬意を表してまして、『茶聖』は利休さん、『クセェ(句聖)』でなく『俳聖』と呼ばれるのは芭蕉さん。で、これに慣えば『音聖』と思いきや『楽聖』なんですが、そのご当人 ベートーベンさんは、今からちょうど 250年前、ドイツのボンにお生まれです。


 聖人と讃えられて当然、何せ ベートーベンさんは本当に特別なのです。作曲された総ての楽曲が、『絵画』で言えば『モナリザ』級ばかりであるのはもとより、クラシック音楽界に対する貢献度もやはり、群れを抜いてるお方なのです。

それまでの音楽家さんは 王侯貴族の召使的存在でしかなく、命ぜられるまま作った成果物も、1度 演奏されたら、勿体ないことに それっきりだったそうですが、ベートーベンさんは 18歳時 勃発した フランス革命にインスパイアされ、
 ・ 音楽とは自分自身の感情を表現するもの であって
 ・ それは、市民のためにあらねばならないという考えに到達
 ・ 楽譜の出版契約という手法を考案し、作曲者の自立を図る
 ・ 身分に関係なく誰でも入場できるよう、演奏会にチケット制を導入
を実施され、音楽の あり方や芸術性を今日的レベルまで引き上げた方でもあるのです。

と、ここまでは取り立てて オイラが採り上げるまでもないのですが、ここからです。オイラは若いときから聴覚検査で「高音が聞こえにくいね」と指摘されており、特に 5年ほど前から、バイオリンのG線の顔に近い方の音は「音が出てねぇじゃん」と、ピアノの右端のほうの鍵盤の音は「カタ カタ カタ」としか聞こえないので「調律が出来てねぇじゃん」と思っており、話し声については、アナウンサーさんの場合 比較的聞き取れるも、最悪なのは わが賢妻の声。もう何回も聞き直すものですから、大概は「アンタ、耳がおかしんじゃないの、もう いいっ」と突き放されたオイラは、「アンタの滑舌がワリィんじゃ」と言い返す日常。

そういった背景のもと、R1.12.26 NHK-BSP『偉人たちの健康診断、ベートーベン第9誕生 ! 難聴との闘い』という録画を見たオイラは、「これだー、オレはー」と気付かされ、「ぜひともブログに しとかにゃぁいけん」とあいなり、上述部分は その一部ということであります。(それにしても 5ヶ月後とは、かなり遅れてしまってますが・・・)

べートーベンさんは晩年 耳が聞こえなかったというのは知ってたですが、実際は、31歳時に親友へ出した手紙に「聞こえているのに、意味がさっぱり判らない」とあることから、20代で既に発症していたということでして

国際医療福祉大学三田病院 岩崎聡教授によりますと、これは内耳の病気の特徴で、高い音が聞こえづらくなると起きる症状だと。

脳は、高い音は子音を聞き取り、低い音は母音を聞き取り 判別しているので、”ア列”の音なら ”ア”しか聞き取れなくなる結果、意味がさっぱり分からなくなってしまうのだと。
..
病名は ”難聴”でして、オイラの場合は ”加齢性難聴" のようですが、

40代未満の場合ですと、日本では現在 4000人ほどいて 難病指定されている "若年発症型両側性感音難聴" と言う病気ですと。


難聴のみならず、耳が一日中 ブンブン ザワザワ 鳴ったりで 精神的に追い詰められ、ひきこもったりもするのですが、そこは史上屈指の大天才と言われる所以でしょう、それを逆手に取り、結果的に 前人未到の領域の音楽を生み出してゆかれたのであります。

ますますひどくなってゆく難聴に対抗するため、ピアノの上に ”コの字”の囲いを設置し音を振り向けたり、大きな集音器を設置したりし、少しでもナマの音を追い求める一方で

究極の領域まで研ぎ澄ました凡ゆる感覚を根こそぎ、自分自身の深い深いところに振り向けることで、湧き上がり奏でられる音楽を譜面に紡いでゆかれたのであります。病気が若い時分から発症してますから、もうほとんどの作品が 多かれ少なかれ該当してるのでしょうが、

チャンピオンと言える作品は当然、亡くなる 3年前、もうほとんど聞こえなくなっていた時に作曲された『交響曲 第9番』。自由を求める不屈の精神を根底のテーマとする シラーさんの詩に、甚く感銘を受けたベートーベンさんが 第4楽章の大トリに、歴史上初めて 合唱を採り入れた それこそ渾身の集大成作品。
.


恥ずかしながら オイラは今まで、ダイクは キリストさんを崇める宗教的な楽曲とばかり思ってたものですから、「何で信者でもない日本人が年末に歌うんか。歌うんなら信時潔さんと北原白秋さんの『海道東征』だろう」と、かなり怪訝な気持ちで眺めていたのですが

そうではなかったのです。「自由こそ 最大の喜びである」ということが、高らかに謳われてい楽曲だったのです。そうであれば、今こそ 中国 および 香港で『第9』が 演奏され 合唱されるべきではないかと思ったのです。

ひょっとして 中国のテレビでは、ベートーベンさんの『交響曲第9番 合唱付き』が流れるとき、画面が ”真っ黒け" になるのでしょうか?。それとも 合唱のところだけ 雑音だらけになるのでしょうか、知りたいところであります。いや、そもそも 演奏禁止対象に指定されてるかも・・・いずれにしても、中国の方々に、第9 の本当の意味を 深く教えてあげたいものであります。

また、オイラは昔っから思ってました。モーツァルトさんは、ほとんどが 明るく弾むようなだのに、ベートーベンさんは なぜ重たく暗い感じがするのだろうと。それが分かりました。
     モーツァルト 1756 ~ 1791
     ベートーベン 1770 ~ 1827
このように大体 一世代弱 ベートーベンさんのほうが若いのです。ということは モーツァルトさんの場合は、王侯貴族さんからの依頼で作られた作品が ほとんどということなのです。レクイエムやオペラ以外なら誰だって、明るく楽しくなる楽曲のほうが好いに決まってます。

 < 追 伸 > R2.2.7 記
 昨日の NHK-Eテレ『クラシック音楽館』で、広上淳一さんの解説付きで、彼の師でもある バーンスタインさん指揮、 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団さん演奏の " 第9 " の放送がありましたので、その第4楽章で歌われている字幕を書き写しましたら、

明確な キリスト崇拝でなく、普遍性が感じられる詞であります。これなら オイラのような普通の日本人としたら、”高天が原” に御座される神々をイメージできないということでもないかなぁ と・・・でも 日本人なら、大晦日は やはり、北原白秋さん詞 信時潔さん曲『街道東征』であるべきではなかろうか と・・・

     おお 友よ 
     このような調べではなく
     もっと心地よい歌を
     喜ぶに満ちた歌を

     歓喜よ

     歓喜よ 美しい神々の火花よ
     楽園からの乙女よ
     我々は感激して あなたの
     天上の楽園に 足を踏み入れる
     あなたの魔力は 世界が厳しく
     分け隔てるものを 再び結び付け
     すべての人々は あなたの優しい
     翼のもとで 兄弟となる

     一人の友を 真の友とするという
     幸運に恵まれた者
     優しい妻を持つことができた者は
     共に喜びの声をあげよ
     ただひとえりでも この世で
     友と呼べる人のいる者も

     しかし それができなかった者は
     涙と共に この集いから去るのだ
     すべて この世で生を受けた者は
     自然の乳房から 喜びを飲み
     すべての善人も悪人も
     自然のバラの道をたどる
     喜びは 我らに口づけとぶどう酒と
     死の試練をも恐れぬ友を与える
     虫にも 喜びは与えられ
     天使は 神の前に立つ
     虫にも 喜びは与えられ
     天使は 神の前に立つ
     天使は 神の前に立つ
     神の前に

     楽しそうに 太陽と多くの星が
     壮大な天の軌道をめぐるように
     走れ 兄弟たちよ
     あなたがたの道を
     喜び遺産で 勝利に向かう
     英雄のごとく

     歓喜よ 美しい神々の火花よ
     楽園からの乙女よ
     我々は感激して あなたの
     天上の楽園に 足を踏み入れる
     あなたの魔力は 世界が厳しく
     分け隔てるものを 再び結びつけ
     すべての人々は あなたの優しい
     翼のもとで 兄弟となる
     あなたの魔力は 世界が厳しく
     分け隔てるものを 再び結びつけ
     すべての人々は あなたの優しい
     翼のもとで 兄弟となる

     我が抱擁を受けよ 百万の人々よ
     この口づけを 全世界に
     この口づけを 全世界に

     兄弟たちよ 星空のかなたに
     愛する父は 必ずや住みたもう

     ひざまずいているか 百万の人々よ
     創造主の存在を感ずるのか

     世界よ
     彼を天上に求めよ

     星空のかなたに
     創造主は 必ずや住みたもう

     星空のかなたに
     創造主は 必ずや住みたもう

     歓喜よ 美しい神々の火花よ
     楽園からの乙女よ
     我々は感激して あなたの
     天上の楽園に 足を踏み入れる
     我が抱擁を受けよ 百万の人々よ
     この口づけを 全世界に

     我が抱擁を受けよ 百万の人々よ
     この口づけを 全世界に

     ひざまずいているか 百万の人々よ
     創造主の存在を感ずるのか
     彼を天上に求めよ
     兄弟たちよ
     星空のかなたに
     愛する父は 必ずや住みたもう

     歓喜よ 楽園からの乙女よ
     あなたの魔力は 世界が厳しく
     分け隔てるものを 再び結びつけ

     すべての人々は
     あなたの優しい
     翼のもとで 兄弟となる
     あなたの優しい翼のもとで
     兄弟となる

     あなたの魔力は 世界が厳しく
     分け隔てるものを 再び結び付け

     すべての人々は
     あなたの優しい翼のもとで
     兄弟となる

     我が抱擁を受けよ 百万の人々よ
     この口づけを 全世界に
     兄弟たちよ 星空のかなたに
     愛する父は 必ずや住みたもう

     この口づけを 全世界に
     この口づけを 全世界に

     歓喜よ 美しい神々の火花よ
     楽園からの乙女よ

     歓喜よ 美しい神々の火花よ
     歓喜よ 美しい神々の火花よ



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断じて 9月入学 反対 !!! です ~ ”桜” とともにある 日本および日本人の情緒、決して 壊すことなかれ & 『尖閣緊急事態宣言』発令を !!!

2020-05-21 22:57:10 | 日記

 エゴノキです。今年は、こんなにいっぱい 花を咲かせてくれました。去年はめっちゃ少なく、我が家をテリトリーとしているショウビタキが可哀想でしたが、今年は、この花の数だけ 薄緑色した直径 10ミリ ほどの実を付けるはずですから、そんときゃ大喜びで、全部食べ尽くしてくれるでしょう。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 お控えなすって おくんなせえやし、手前
渡世人に身を窶(やつ)し、標記 口上 申し上げとうごぜえやす

 gooブログさんを こうして 月 200円で借り受けまして
お粗末ながらも、ささやかな 場を結んでおりやすは
まさに こうゆうことを申し上げたき義がためのことでござんした
今 この時点で申し上げねば、我が身が立ち行かねえんでござえやす
生きとる意味がねぇっちゅうことになるんでごぜぇやす

ほかでもねぇ テドロスっちゅう偉ぇゴジン そっくりの、ほら
武漢ウイルスってぇ、えれえ タチのワリイやつのことでございます

世界中 のざばりくさり、可愛い 子たちが学校に行けねぇってんで
この際 9月入学に変えるべきだなんちゅうことを
男だか女だか判らねぇような、教育評論家と称するヤカラとか
銭儲けしきゃ目のねぇ財界人とか、全国の半数以上の知事さん、中でも 
オイラが やるじゃねぇか と見込んでた、あの吉村さんまでもが
今こそ やるべき、今やらないと未来永劫 できっこねぇ
世界標準に均すべきだ、そうせんと、優秀な人が採れんし集まらんのやと
声を大にしてぬかしとる 現 ご時世

だが、ちょっと待っておくんなせぇやし
この日本ちゅう国じゃぁのぉ、秋冬春夏じゃぁねぇ、春夏秋冬ちゅうんだ
それに 言っとくがのぉ、こかぁ 南半球じゃぁねぇ、北半球なんだ

この日本ちゅう国はなぁ、世界で一番美しい
そりゃぁそりゃぁ見事な四季と 手を携えもって生きとるんじゃ
それでのぉ、その四季折々にカタチする草木や風物と連れ添うて
共に 大きゅうなって行っとるんや
中でも 取り立てて言いてぇなぁ
日本人のココロの中にゃぁにゃぁ、桜の木が 1本や 2本は植わっとるんや
せぇでのぉ、その桜の木といっしょに生きとるんじゃぁ
国語の始まりゃ「さいた さいた さくらがさいた」やねぇか
日本人の出発点は「春」なんや、草木も大いに育ちゆく「春」なんや
それは、日本人が持っとる「生理」と言えるほどのもんなんや
「なごり雪」や直太郎さんの「さくら 独唱」や「早春賦」みたく
数多の名曲も作られとるやがで、それが
そぐわんようになってしもうて、歌えんようになってもええんか?
掛け替えない 大切な大切な 日本人の心情であり日本の 財産なんやで
はるか昔、万葉の昔から 育み積み重ねてきた日本人の季節感
日本人を日本人たらしめてる文化の大元の情緒が壊れてしまうんやでぇ
こんな 大それたことぉやる権利が、テメーら、あると思うとんかー

世界の多数に合わせるのが ええことなんか?
周りと一緒が ええことなんか?
世界にひとつだけの花を咲かそうだなんて歌っとるのに?
個性を伸ばそう、多様性が大事やなんてゆうとるのに?
国家にしたって おんなじじゃぁねぇんか
違った国民性、違った文化じゃぁからこそ 値打ちがあって
行って みてぇ、見てみてえ
体験してみてぇと 思うもんじゃねぇのか
物事にゃぁ変えてもええもんと
絶対、変えちゃぁいけんもんがあるんじゃ
会津藩の「什(じゅう)の掟」にかて あるじゃろう
「ならぬことは ならぬものです」
涙 こぼれるほど、ええ 言葉じゃだぜ

魅力がありゃぁ 人は集まってくるもんだ
どんなに遠くたって、それこそ世界の果てまでだって
えんえん待たされたって、苦を苦と思わんと集まってくるもんだ
魅力アップに力を入れるでもねぇ、そんな努力を怠りおって
手前に魅力がねぇのを棚に上げてじゃ
時期がズレとるから 人が集まらん だなんて
よくもまぁ言えたもんだ
笑わしちゃぁ いけねぇぜぇ
「アホかー !!! 、オメエらー !!! 」
オラー、怒鳴り散らしてぇぐれぇだぜ
ほら、茨木のりこさんの有名な詩に あるやろが
「ばかものよ」たぁ こんなことのことぉ ゆうんだぜ

日本人本来の、「武士道」が規範の精神のあり方
神様は ひとりじゃねぇ、凡てのものに神様は宿られるんだ
ちゅう 考え方、自然との付き合い方ぁ 世界に誇れるもんだぜ
世界遺産に登録したってええぐれえ、価値あるもんだぜよ
自信を持とうよ 皆々さん
世界の大方ぁ まだ、日本が到達してる領域までゃ達してねぇんだよ
「俺が俺が・・」じゃねぇ、タゲェに思いやる 日本人の生き方ぁ
人類全体で共有し、希求すべきものだっちゅうぐれぇの
自信と誇りを持って生きてゆこうじゃぁねぇか、のぉ 皆さん
そう思われんか?、のう、みなさんよう・・・

以上 思うとること、でえてえは 吐き出させていただきやした
てえへん うすぎたねぇ言葉で、失礼いたしやした
最後まで お目通し下さって、ありがとさん 申します
どうか ごめんなすっておくんなせぇまし

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 最後の〆は さすが産経新聞さんといったところの、施光恒(せてるひさ)九州大学教授さんの『「国民の絆を壊す9月入学論』という R2.5.19 の『正論』を掲載させていただきます。実はこういった応援記事、いつ出るのかと待ってたところです。ただし、心情的あるいは精神的な側面に もっと触れていただけてれば、さらに良かったのになぁという思いが残ります。



 < 追 伸 > R2.5.22 記
 興奮のあまりか、重要な 申し上げたきことが抜け落ちてましたで 追記です。政府専門家会議の副座長として、日夜 ご奮闘 下さってる尾身茂さんのことです。このお方に対する慰労の念、皆さん ちょっと疎かになっちゃいませんか ということです。R2.5.20の『産経抄』で知ったことですが、尾美さんは、今から14年前の WHO事務局長選挙に立候補されるも、政府の政治力の差が出て、中国人の マーガレット・チャン氏に敗れたお方なのです。

それほど立派な 世界に誇れるお方であるに拘わらず、威張るなんてこと微塵もなさらず、誠実・謙虚なるご姿勢に終始、しかも毅然として これ以上はないだろう 日本人を守る 実質的な総責任者としてのご職責を、黙々と こなして下さってるのであります。そのプレッシャー、如何ほどのものでしょう。皆様 想像してみて下さいますか。オイラだったら とっくに自殺してるかも です。尾美先生に、心からの謝意を表します。ほんとうに ありがとうございます。

おっとっと、また失念するところでした。何たって総責任者・総指揮者の安倍総理、および最前線でご奮闘いただいてる西村さん、加藤さん以下、政府のご関係各位さん方々にも、心から 感謝 申し上げなくてはなりません。さらに、建設的なことは疎かに イチャモンばかりつけてる、どっかの野党さんや反日マスコミさんに対する ブーイングもまた、決して忘れちゃならないことであります。

 < 追 伸 > R2.5.23 記
 昨日の産経新聞 山田吉彦東海大学教授さんの『尖閣諸島守る緊急事態の宣言を』という『正論』記事、切羽詰まった重大な危機に対する重要な提案をして下さっています。仰られる通り、現状況は本当に差し迫った重大な危機であります。命を懸け何としても守り抜くんだという強い信念と行動がなくば、アメリカが助けてくれることはありません。どうするのか、早急(さっきゅう)に国会審議に掛かるべきです。そして、こんな状況なのに習近平さんを国賓で招こうだなんて、考えるだけでも常軌を逸っしてると思います。安倍さん、このところ どうかしてます。どうか お目をお覚まし下さい。天安門の汚辱、決して繰り返すまじ !!! 。



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姫野美南さん、暫し当地の自慢です & マーラーさんの交響曲第2番『復活』 と弦哲也さんの『蛍』、今 毎日 聴いてます  

2020-05-17 20:45:10 | 日記

 この誠に以て美しいお方は、昨 6月 NHK岡山放送局に配属された 姫野美南 さん。オイラは思います。この方は、日本放送界史上 NO1の 女子アナになられるのではないかと。

まだ このお姿と お声にしか接してないのですが、スケールの大きさとかカリスマ性に、とてつもない奥深さを感じてまして、紛れなく 50年か100年に一人 の逸材でらっしゃるのではないかと・・・.。直ぐに東京へお帰りかと存じますが、しばし こうしてお目にかかれること、幸せに思っている者にございます。何せ オイラと誕生日が一緒なんでありますから、なホのこと・・・・

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 『武漢・勅怒賂巣ウイルス』ごときにゃ 負けちゃぁおられん と、ここんとこ毎朝、一ヶ月ほど前になりますか、NHKさんのBSプレミアムとEテレで立て続けに放送された 2種類の、グスタフ・マーラーさんの交響曲第2番『復活』を聴いております。

とは申しましても、5楽章トータル演奏時間=約88分 と長いうえ、CDが2枚に及んでしまう悩ましさも伴ってか、通しでラストまでとは なかなか行かないのが実情ではございますが。


ソース BSプレミアム『プレミアムシアター』  Eテレ『クラシック音楽館』
指揮        グスターボ・ドゥダメル  クリストフ・エッシェンバッハ
楽団 ミューヘン・フィルハーモニー管弦楽団  NHK交響楽団
ソプラノ          チェン・ライス  マリソル・モンタルヴォ
メゾゾプラノ    タマーラ・マンフォード  藤村実穂子 
合唱          カタルーニャ合唱団  新国立劇場合唱団
       カタルーニャ音楽堂室内合唱団

二つを聴き比べているのですが、甲乙付け難く、どちらも素晴らしく思います。出だしは 前者のほうが、ドラマティックでコントラストが強いかなぁと感じましたが、演奏が進むにつれ 後者が がぜん盛り返してき、結局のところ ドローかなぁ といったところです。

そして、全楽章通じ 名曲だと思います。特に 44分過ぎの第4楽章の終わり近く、最初のメゾソプラノの歌声が入ってくるところは、それまでの展開を経て、さながら、地平線から太陽が昇っているかのように思え、ジーンと 泣けてくるほど イイです。

今回、大事なことに気付いてます。CD 2枚に亘る楽曲は、2枚目優先収録方式、すなわち はみ出る時間ぶんを、たとえ短くとも最初のCDに収録。2枚目には、その箇所からラストまでを時間いっぱいフルに収録すべきではないかと。今回のケースでは、CD 1枚目には 余裕を持たせ最初から10分ほど入れ、2枚目は 79分45秒経過時点で終演時の拍手が一段落するよう収録するということです。多分 このほうが、楽興を損ねることが少なくなるように思うのです。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 何回目かの再放送ですが、R2.5.2 BSフジ『名歌復活!~弾き語り昭和のメロディー』で披露された 弦哲也さんの『蛍』という歌、本当に素晴らしかったです。ギターの腕前も まさにプロ級、スゴイ !!! です。楽曲そのものの良さにも気付かされたです。そこで YouTubeからも採り入れて、こんな CD を拵え 聴いてます。(5.31 改編)
     



もう 直(じき)に、ホタルが出てきます。なので オイラも唄いたくなって、こんな楽譜を作りました。めっちゃイイ歌なもんで 皆さんにも ぜひ歌って欲しくて、恥ずかしいですが、こんな幼稚な譜面なら JASRACさんのお目こぼしも 頂戴できるのでは?、との希望的観測のもと 掲示させていただきます。

カポタストで ご自分の Key に調整し、お楽しみ下されば・・・それにしても 弾き語り( ? ) するたんび、手前の下手さ & 弦哲也さんの凄さ 痛感してます。( R2.6.11 譜面増補改訂)

なお 上のCDには、YouTubeから 坂本冬美さん 山口瑠美さん 松原のぶえさん 香西かおりさんの『蛍』を入れていますが、弦哲也さんの情感を凌駕するぐらいの 女性歌手さんの歌が聴けないものかと、願っております。ちあきなおみさんなら叶えられるでしょうが・・・そうですねぇ、西山ひとみさんなら キレイゴトだけでは過ごせない人生の哀感を織り込んだ歌詞の情感を、見事に表現していただけるのではないかと思ったりしてるのですが・・・

< 追 伸 > R2.5.25 記
 本日 Pm 8時過ぎ、初めて ホタルを見ました。10匹ほどです。この被写体をカメラで捕える技術なく、キャラクタ情報のみにて失礼です。

< 追 伸 > R2.6.7 記
 R2.6.11 NHK-BSP『ホタル前線 北上の旅 ~ 蛍火が照らす美しき日本』からいただいた写真を追加します。(上の写真も です)

これは "ゲンジボタル" ですが、オイラは "ヘイケボタル" のほうが 好きです。

                          庶民的だし、儚げだし・・・・

                         ↓ ホタル前線 です


< 追 伸 > R2.6.25 記
 6月24日の産経新聞『朝の詩』、京都府 中西弥生さんの『ほたる』、心に留まりました。
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旧約聖書『コヘレトの言葉』の新訳に最大敬意を表します ~ これはもう まるで『般若心経』or『方丈記』の世界です

2020-05-02 19:51:20 | 日記

 4日前 (4.28) の写真で恐 縮ですが、当庵前のハナミズキ、今年は 多く 咲いてくれました。

 
 もう これに いっぺんに引きつけられました。『般若心経』はたまた『方丈記』の一節 ?。3/4 世紀 生きてきたっちゅうに、今までオイラが生きてきた世間って 何じゃったんじゃろう・・・皆さん ご存知っちゅうに、知らんかったやなんてぇーー『コヘレトの言葉』ーー


弁解させていただくならば、、、
明治以来 幾度も翻訳を改めてきた聖書ですが、昭和62年(1987)、画期的な出来事が起こったそうな。

これが その事件を報じた新聞ですが、初めて カトリックとプロテスタントが共同で翻訳した『新共同訳聖書』が刊行されたのだと。

で、この時から 31年経った 平成30年(2018)、

「礼拝にふさわしい美しい日本語へ」を 基本コンセプトにした、
  
              全く新しい『聖書協会共同訳聖書』が、出版されたのだと。
.
..
今回、左側から右側の訳になったのですが、以前の ちっとも気を引かない 血の気のない ひ弱な文章が、それがです、日本人にとって馴染みある めちゃめちゃ魅力的な、インパクトを伴った まったく別物と言ってもいいくらいの 、生き生きとしたものへ大変身を遂げ、まだ 2年ほどしか経ってないのですから・・・・

さらに新らしい翻訳例をお示しします。


..



.

なんかもう うっとりさせられっぱなしの詞章が並んでいますが、ココロを打たれるのは、美しいはもとより、何よりも、この世の真実が述べられているからだと思います。

これらを紹介して下さったのは、R2.4.25 NHK-Eテレ『こころの時代 宗教・人生』『それでも生きる~旧約聖書「コヘレトの言葉」』。
.
.
....

素晴らしい番組でした。小友聡(おともさとし)さんは、神学校の卒論で、ご自身が最も分からなかった、指導教官さんからも「解らない」とされた『コヘレトの言葉』に挑み、以来 35年もの間、途中のドイツ留学時代を含め  研究を続けてきておられるのだと。

今回の『新共同訳聖書』編集作業に於いては、ヘブライ語で書かれている原文 ひとつひとつに zeroベースで向き合い、取り組まれたとのことですが、その中で キーとなったのは『ヘベル』という言葉の訳だったそうで、今回、全体的な趣意を総合的に鑑み、1987年以前に用いられていた『空』を復活させたとのこと。


ここで番組で説明あった『旧約聖書』、およびその中に於ける『コヘレトの言葉』の位置付けについて、簡単に記します。

上は、古代イスラエルの歴史をですが、旧約聖書は、ソロモン王の時代 BC965年以降『出エジプト記』あたりから書き始められたのではないかと。

そして、BC200年以降、『コヘレトの言葉』が 最後に書かれたのではないかと。で その
『コヘレト』とは、ヘブライ語で『集める人』という意味ですから、おそらくは ユダヤ教の教会に人を集め、ソロモン王の名を借り『知恵』を語っていた イスラエルの知者ではないだろうか、と 小友聡先生は推察されてられます。


全39巻、歴史書・文学書・預言書 で構成される『旧約聖書』は、「全てを失った イスラエルの民の嘆きと祈りの書」であって、その文学書の一つ『コヘレトの言葉』は、「人生は束の間。これを どう生きるか教えてくれている書」でありますと。なお 内村鑑三さんは、

                         このように お語しなさっていたと。

番組は、詩的芸術的感性 知性 学識はもとより、企画・構成力 展開力 表現力 エンタメ力 等々、番組を番組たらしめる能力やセンスに、卓越した才能を持ってられる 若松さんが、おそらくは この分野における トップの学識をお持ちの方でしょう 小友さんに、その知見をお話いただくというスタンスで展開されてまして、たいへん好かったですが、惜しむらくは、 小友さんの 数限りなく発せられる「・・・ですね」が 無かったならば、それはもう 完璧だったのでは と思いました。

影絵を用いた印象的な演出も、詩にぴったりマッチして 好かったです。特筆すべきは、井上二郎アナウンサーさんの "語り" です。言葉の持つ 詩情性 意味合い 説得力 が最高レベルまで 高められてまして、もう絶品 !!! 。本当に素晴らしかったです。

オイラがイチバン読みたいと思う小説は、叶うべくもない 山本周五郎さんの『おごそかな渇き』の続編でありますが、ひょっとしてこの小説は『コヘレトの言葉』をテーマに、筋立てを考えてらっしゃったのではないだろうかと思えてきました。雰囲気が とても似通ってると感じられるのです。そういった意味でも、全6回シリーズ、次回予定は まだ立ってないようですが、たいへん楽しみであります。

なお 本稿掲載の写真は すべて、NHK-Eテレさんの当該番組 および NHK出版さん発行の当該テキストから いただいてまして、このこと、謹んで 御礼申し上げます。ありがとうございます。










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