百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

光悦寺に行ってきました(10月9日のこと)~9月9日付ブログの続編

2015-10-12 14:14:01 | 日記


 遅ればせながらで恐縮ですが、これは スーパームーンの翌早朝(H27.9.29 6:02)の、わが在所の とある民家の裏山に沈もうとしている月を撮ったものであります。実際には 月はもっと明るく輝いており、全体的にも もっと明るい情景だったのですが、何分 撮影技術が未熟なもので、こんな写真にしかなり得ませんでした。本題に入ります。

 本阿弥光悦さんの作られた国宝の抹茶茶碗「不二山」のホンモノと諏訪湖畔に建つサンリツ服部美術館で初めて対面してから 6日後のこと、、、産経新聞に載った 伊藤謙介さんが担当された「書評倶楽部」、その中の「光悦殺し」というショッキングなタイトルおよび「光悦作の茶碗の魔力に魅了され…」云々の記述に、「こりゃぁ不二山のことじゃがな」と直感した老生は、直ぐ様 その本「実業之日本社」発行「京都綺談」を取り寄せるべく動いたであります。


           
              


「光悦殺し」というは ちょっと行き過ぎのタイトル設定でありましたが、光悦寺は お寺それ自体より庭およびその庭内に 大正・昭和に建てられた「太虚庵(たいこあん)」「三把亭(さんばてい)」「了寂軒(りょうじゃくけん)」等の「光悦寺の茶席」と称される「貸し茶席」によって名高いと述べられたりしてい、俄然 行ってみたくなったのであります。

で 同居の長男からは 3千円で「JR西日本一日乗り放題きっぷ」が発売中であることを知り、三連休前の 9日金曜日 朝一の上りで出掛けたであります。


           ↑ 鷹峯(たかがみね)の三叉路   光悦寺は 左へ150m
                     


光悦寺の素晴らしいアプローチ ↑    これだけで もうオイラは 大満足 !!!



                       ↑ 本阿弥光悦先生の墓所

                  「光悦垣」を繞らせた「太虚庵」   ↑ ↓ 


    案内板があっても ↑ 結局のところ、どの山が鷹峯か鷲峯か天峯か 判らずじまいでした


          「光悦ギャラリー」さんでいただいたマップ  ↑

               入場料と引換えの 一枚ものパンフ 表裏  ↑ ↓ 


お陰さんで とても楽しい一日を過ごさせていただきました。ちょっと ぶり返してきたリウマチの痛み(特に左足首 クルブシ外側の捻挫したような痛み)を、ボルタレンSR錠で 抑えて行った甲斐があったというものです。

 なお H27.10.8 Pm 8:00~ BS11 にて放送された「京都 国宝浪漫」「琳派400年 風神雷神図から知る日本の美」に、光琳さんの肖像画が出てました。穏やかな とってもいいお顔をなすっておいでです。




 < 追 伸 > R5.6.24 記
 R5.6.21 NHK-G 『歴史探偵』『謎の芸術家・本阿弥光悦』で、京都 鷹峯の『光悦村』の CGが示されましたので、ここに取り置きしときます。

   中ほどにある光悦さんのお屋敷

稀代の自由人である故(家康さんから)半ば遠ざけられ気味に宛がわれた土地は洛中外、当時は物騒な場所であった鷹峯。されど光悦さんが住まわれるのならと、仕事仲間さんたちも こぞって居を移された結果、一種 芸術村が誕生したのだと。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする