年末年始、3男&その二つになろうかとする3男の迎え送り用に家人の使った【青春18切符】が、1 回分だけ残っていましたので、以前から 一度行ってみたいと思っていた【伊豫松山】【坂の上の雲ミュージアム】に、出掛けることを思い立ったのであります。
【JRお出かけネット】の指し示す通り動いたのでありますが、行きは 5:18 最寄駅発 12:17松山駅着、帰りは 17:40発で23:24着と、ほぼ一日 マルマルいっぱい使って、直線距離にしますと 163Kmですから、行きは 6時間59分 帰りは 6時間04分、単純計算した移動時速は 23.3Km/h および 27.2Km/h と、ほぼ自転車並みのスピ-ドで、そのときは待ち時間の余りの多さに「何とカッタルイ旅であることよ」と思いっぱなしであったのですが、やり過ごした今となりましては、「松山にも【和気】という地名があることを 初めて知ったし、新田高校野球部員とか、夜 踊りに行っている若い娘とかが見受けられたりもした、なかなかエエ旅であったのではねえかのお」と再評価しているのであります。
で、まずここへ行ったのでありますが、正直 少しではなく相当にガッカリでありました。これぞというものが見当たらないのであります。NHK放映のドラマ【坂の上の雲】に流れていた【久石譲】さん作曲の各種名曲を流していれば、気分が乗って ある程度は補えると思うのですが、それはありませんで、一言で言って、小物ばっかり それがあちこちバラバラに チマチマと展示されているだけ、といったふうに思えたのです。
オイラが期待したのは【坂の上の雲】の命、初めて国家・国民という概念と向き合った当時の日本人一般の誠に純粋なる、オイラ如き小者が言えるセリフではないのですが、健気なる、涙の出るような、真っ新な凛とした、澄み切った、覚悟を決めた 心意気・息吹が、どこまで感じ取れるか であったのであります。
といいますのも【坂の上の雲】という小説は、ご承知の通り 秋山真之 好古兄弟・正岡子規という 3人の伊豫松山出身者からの切り口で、明治中期~後期にかけての日本の有様が物語されているのでありますが、 この本によりますと 1000人以上の登場人物が書き込まれているとのことで、もちろん そのほとんどは日本人でありますから、小説のテーマとなっている事象も然ること乍ら この登場人物の多さも、本小説が【国民小説】と言われている所以であるのでございますが、
本小説を 二回通り読んだ オイラの感覚を申し上げますと、最も印象に残っている事柄は 二〇三高地の攻略に際し、無能な作戦参謀および指揮官の再三にわたる突撃命令に、黙々と従われ 勇敢に戦われた名もなき 実に多くの兵隊さん方の お姿でありまして、今 思い返すだけで 目がうるんでくるのでありますが、そのようなことを 偲ばせるような演出が とても為されていないのでありまして、先の御3方を追悼する記念館なら まだしも、仮にも【坂の上の雲ミュージアム】と銘打ってゆかれるのでしたら、ご再考願えないものかと・・・
オイラは思います。この【安藤忠雄】さん設計の建屋の中に、もしも 日清・日露戦争でお亡くなりになられた兵士さん方 全員のお名前が掲げられているコーナーがあり、入館者各位の 感謝や誠の意を捧げる場として提供されていたとしたなら、どれほど清々しい気持ちに成り得ただろうかと。
さらにこれは きっと誰しも 分かりやすくデモンストレーションされているのだろうと 当たり前に期待されている事項であろう、バルチック艦隊と帝国海軍の日本海海戦、これに如何にして勝ち得たかということであります。【T字作戦】を主とするこの戦闘場面が CG で分かりやすく再現されているとするなら、たとえそれが別料金だとしましても、皆さん 見てみたいと思われるのではないかと思いますので、今後ぜひともメニュー化していただきたいと思っている次第にございます。
【さて、どちらへ行かう風がふく】、いろいろ考えたましたが、次にオイラが向かいましたのは この句の作者が亡くなられた住処【一草庵】であります。25年ほど前、一度行っているのですが、きれいに整備されたとの情報を得ていたこともありまして、やはり、好きな人の持つ吸引力は 並み外れたものがあります。
↑ 奥の建物が【一草庵】です。 上側の白っぽい二階建ては一般民家です。
ボランティアの方が 丁寧に説明して下さいます。 オイラの相手をして下さった山之内さん。
しかしながらしかしながらです。ここでもまたガッカリしたのであります。休憩所・トイレ・参考写真や資料の掲示がある手前の建物は ありがたいのですが、肝心の【一草庵】そのものが、安易にリニューアルされているものですから、外観上、歳月の重み・当時の雰囲気が全く感じ取れないのであります。松山市ともあろうお役所が、よくもまあ このような手の施しようを為されたものであります。保存するのであれば、萩の【松下村塾】の如く、寺泊の【五合庵】の如く 往時の姿を できる限りそのまま保つべく配慮すべきでありましょう。と ここまでオイラが強く申し上げますのは、【山頭火】さんは【芭蕉】さんに匹敵する、或いは それ以上の俳人さんであるだろうと思うからです。もし芭蕉さんの終の棲家となった庵があるとするならば、このような安易な修復方法を採ろうだなんて誰しも考えもしないことであろうと思います。
結局のところ今回の松山滞在は この2か所 全行程 歩いて巡ったのみでありますが、想いにそぐわず気落ちしたオイラの心持ちを救ってくれましたのは、その道すがら植えられておりましたサザンカの、この穏やかな風土に育まれ 今や盛りと咲いている 真に紅いその花々たちであり、また観光ボランティアの方の優しいご接待、そして松山駅改札口横の食堂で、帰るときも食しました【じゃこてんうどん】でありました。
おっと、【一草庵】で もうひとつ良かったことがあったのを忘れるところでした。それは この 本棚の上に設置されておりました【山頭火】さん関係の小さなグッズたちであります。オイラも欲しくなりました。
右は通り道の焼物屋さんで、そのキリリとした風情が気に入り購入しました砥部焼のマグカップです。
しゃれたミュージアムグッズがあれば良かったのですが 無かったもので、その代わりです。
<追伸>
【山頭火】さんのご仏壇へ、愚生 未だかってないお賽銭を、と申しましても たかが千円ポッキリで
ありますが、ボランティアさんへの感謝の意も含めまして させていただいております。
なお 以下は 今回 オイラが作りましたダサ句であります。
【また来たよ山頭火さん、よかったね冬】 【松山は山茶花の紅も鮮やか】
【JRお出かけネット】の指し示す通り動いたのでありますが、行きは 5:18 最寄駅発 12:17松山駅着、帰りは 17:40発で23:24着と、ほぼ一日 マルマルいっぱい使って、直線距離にしますと 163Kmですから、行きは 6時間59分 帰りは 6時間04分、単純計算した移動時速は 23.3Km/h および 27.2Km/h と、ほぼ自転車並みのスピ-ドで、そのときは待ち時間の余りの多さに「何とカッタルイ旅であることよ」と思いっぱなしであったのですが、やり過ごした今となりましては、「松山にも【和気】という地名があることを 初めて知ったし、新田高校野球部員とか、夜 踊りに行っている若い娘とかが見受けられたりもした、なかなかエエ旅であったのではねえかのお」と再評価しているのであります。
で、まずここへ行ったのでありますが、正直 少しではなく相当にガッカリでありました。これぞというものが見当たらないのであります。NHK放映のドラマ【坂の上の雲】に流れていた【久石譲】さん作曲の各種名曲を流していれば、気分が乗って ある程度は補えると思うのですが、それはありませんで、一言で言って、小物ばっかり それがあちこちバラバラに チマチマと展示されているだけ、といったふうに思えたのです。
オイラが期待したのは【坂の上の雲】の命、初めて国家・国民という概念と向き合った当時の日本人一般の誠に純粋なる、オイラ如き小者が言えるセリフではないのですが、健気なる、涙の出るような、真っ新な凛とした、澄み切った、覚悟を決めた 心意気・息吹が、どこまで感じ取れるか であったのであります。
といいますのも【坂の上の雲】という小説は、ご承知の通り 秋山真之 好古兄弟・正岡子規という 3人の伊豫松山出身者からの切り口で、明治中期~後期にかけての日本の有様が物語されているのでありますが、 この本によりますと 1000人以上の登場人物が書き込まれているとのことで、もちろん そのほとんどは日本人でありますから、小説のテーマとなっている事象も然ること乍ら この登場人物の多さも、本小説が【国民小説】と言われている所以であるのでございますが、
本小説を 二回通り読んだ オイラの感覚を申し上げますと、最も印象に残っている事柄は 二〇三高地の攻略に際し、無能な作戦参謀および指揮官の再三にわたる突撃命令に、黙々と従われ 勇敢に戦われた名もなき 実に多くの兵隊さん方の お姿でありまして、今 思い返すだけで 目がうるんでくるのでありますが、そのようなことを 偲ばせるような演出が とても為されていないのでありまして、先の御3方を追悼する記念館なら まだしも、仮にも【坂の上の雲ミュージアム】と銘打ってゆかれるのでしたら、ご再考願えないものかと・・・
オイラは思います。この【安藤忠雄】さん設計の建屋の中に、もしも 日清・日露戦争でお亡くなりになられた兵士さん方 全員のお名前が掲げられているコーナーがあり、入館者各位の 感謝や誠の意を捧げる場として提供されていたとしたなら、どれほど清々しい気持ちに成り得ただろうかと。
さらにこれは きっと誰しも 分かりやすくデモンストレーションされているのだろうと 当たり前に期待されている事項であろう、バルチック艦隊と帝国海軍の日本海海戦、これに如何にして勝ち得たかということであります。【T字作戦】を主とするこの戦闘場面が CG で分かりやすく再現されているとするなら、たとえそれが別料金だとしましても、皆さん 見てみたいと思われるのではないかと思いますので、今後ぜひともメニュー化していただきたいと思っている次第にございます。
【さて、どちらへ行かう風がふく】、いろいろ考えたましたが、次にオイラが向かいましたのは この句の作者が亡くなられた住処【一草庵】であります。25年ほど前、一度行っているのですが、きれいに整備されたとの情報を得ていたこともありまして、やはり、好きな人の持つ吸引力は 並み外れたものがあります。
↑ 奥の建物が【一草庵】です。 上側の白っぽい二階建ては一般民家です。
ボランティアの方が 丁寧に説明して下さいます。 オイラの相手をして下さった山之内さん。
しかしながらしかしながらです。ここでもまたガッカリしたのであります。休憩所・トイレ・参考写真や資料の掲示がある手前の建物は ありがたいのですが、肝心の【一草庵】そのものが、安易にリニューアルされているものですから、外観上、歳月の重み・当時の雰囲気が全く感じ取れないのであります。松山市ともあろうお役所が、よくもまあ このような手の施しようを為されたものであります。保存するのであれば、萩の【松下村塾】の如く、寺泊の【五合庵】の如く 往時の姿を できる限りそのまま保つべく配慮すべきでありましょう。と ここまでオイラが強く申し上げますのは、【山頭火】さんは【芭蕉】さんに匹敵する、或いは それ以上の俳人さんであるだろうと思うからです。もし芭蕉さんの終の棲家となった庵があるとするならば、このような安易な修復方法を採ろうだなんて誰しも考えもしないことであろうと思います。
結局のところ今回の松山滞在は この2か所 全行程 歩いて巡ったのみでありますが、想いにそぐわず気落ちしたオイラの心持ちを救ってくれましたのは、その道すがら植えられておりましたサザンカの、この穏やかな風土に育まれ 今や盛りと咲いている 真に紅いその花々たちであり、また観光ボランティアの方の優しいご接待、そして松山駅改札口横の食堂で、帰るときも食しました【じゃこてんうどん】でありました。
おっと、【一草庵】で もうひとつ良かったことがあったのを忘れるところでした。それは この 本棚の上に設置されておりました【山頭火】さん関係の小さなグッズたちであります。オイラも欲しくなりました。
右は通り道の焼物屋さんで、そのキリリとした風情が気に入り購入しました砥部焼のマグカップです。
しゃれたミュージアムグッズがあれば良かったのですが 無かったもので、その代わりです。
<追伸>
【山頭火】さんのご仏壇へ、愚生 未だかってないお賽銭を、と申しましても たかが千円ポッキリで
ありますが、ボランティアさんへの感謝の意も含めまして させていただいております。
なお 以下は 今回 オイラが作りましたダサ句であります。
【また来たよ山頭火さん、よかったね冬】 【松山は山茶花の紅も鮮やか】