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2013 春 大徳寺 真珠庵の特別公開 (春の非公開文化財特別公開17)
写真は、七五三の庭。
開催期間:4/26~5/6 9:00~16:00
公開内容:方丈(重文)、長谷川等伯筆襖絵(重文)、「七五三の庭」(史跡名勝)、通僊院(重文)、茶室「庭玉軒」、他
拝観頻度分類:C-3
アクセス
・大徳寺1 アクセスと・大徳寺2 境内の地理を参照してください。
京都駅からの場合は、市バス9系統で北大路堀川で下車して徒歩が早いです。
コメント
普段は非公開ですが、分析にもあるように春と秋に特別公開をしています。
特に今回でないといけない理由は見当たらないです。
拝観の詳細は以下のとおりです。
コメント ( 17 ) | Trackback ( )
« 2013 春 大... | 2013 春 得... » |
レア物件大興寺や西方寺などありましたが、今回はここです。そして、今季は早くも終了です…
しかし、“ある方”の解説と私見を交えながら内容の濃い拝観となりました。“ある方”が真珠庵の鑑賞ポイントを語ってくれるでしょう(雑なパスでゴメンね、笑)。では、どうぞ。
真珠庵については語る能力は持ち合わせてないですw
こここそ、まさに禅僧のフィールドワークですよ~
つまり、京極堂様の分野です。
線引きとして、宗純“王”の話になりましたら僕が参戦します(笑)
私も、いつかは向き合わなければならぬ、偉大な方だと思っていますので、入門の意味を込め、分かりやく面白いエピソードをスーメテさまらしく(笑、平伏)
宮内庁が陵墓として守っているのと、公家の日記等の状況証拠からすれば一休が後小松天皇の落胤であることは定説ですね。
もっとも、一休が皇族として扱われず、出家したのは、僕にとって謎というか、理由づけが弱い気がしています。
一応、いわれているのは、一休の母方が南朝に連なる人物(花山院家?)であったので敵対政治権力に追われたという見解があります。
生まれた場所が嵯峨村であるといわれていることからも、母は宮中にいられなくなった、というのは分かりますが、どんな身分・境遇の女性からであろうと天皇の子として生まれさえすれば、尊い“皇子”です。皇位継承とかそういうのはまた別の問題と考えると、認知もされたか不明で、出家といっても門跡寺院に入るわけでもないので、天皇の子であると分かっていた人達からはどのように映ったかは興味があるところです(後々、大きくなった一休は父と対面し、相談相手となってますが、今回はそういう話ではないですw)。
茶会が行われていて少し華やかな雰囲気でした。
一休さんのおもしろ話。蓮如上人と親しくいろいろと
おもしろい話が残っています。
一休さんが蓮如上人を尋ねた際に留守だったので、
お堂に上がり仏像を持ち出して枕にして昼寝をして
しまう。そこに蓮如上人が帰ってきて、
「私の商売道具になにをする」と言って、
2人で笑ったそうです。
一休さんがあるとんちを立て札に書いておいた
ところ、それを見た蓮如上人が解けたと訪れる。
すると一休さんは、「おまえはだめだ」と言う。
「なぜだ?」と聞くと、「立て札の裏を見たか」と。
裏には、本願寺の蓮如は除くと書かれていたそう。
この2人のやりとりは他にもあって、おもしろいので
調べてみると楽しいです。
燕庵の写しといわれる“篁庵”は臨めましたか?
前回に比べ、確実に深部に達している様ですが。
もしそうならば”2/28”は最大の候補だと思うのですが、あいるさま、あんとんさまなど茶道経験者の方々、いかがでしょうか?
もちろん三玄院のリベンジを考えております(笑)。
まず、お茶室ですが、これはたぶん、どの塔頭でも同じでしょうが、大人数をはくべく、大寄せの茶会形式ですので、一度に20-40名程度を入れての広間での茶会となります。また、他の茶室を見ることはできません。
次に、これもたぶん、どの塔頭でも同じでしょうが、原則は方丈が待合と使われています。従い、前庭もじっくり見られます。ただし、三玄院は、方丈が使われない場合もありました。たまたまその回だけか、席主によって違うのか、詳細は残念ながら知りません。ご存知の方あれば、ご教示お願いします。
ごんぎつねさま
その話は初耳です。そんな、一休とんち(?)話もあるんですね。しかも、豪華キャスティングで(笑)。確かに面白いですね。
スーメテさま
ありがとうございます。勝手に読者を代表して、御礼申し上げます(笑)。
陵墓扱とは知りませんでした。勉強になりました。
真珠庵で話題になった、再建の後援者の件ですが、管見資料では見当たらないので宿題になりそうです。真珠庵方丈の再建は、本坊の伽藍再建の直ぐ後に行われています。隣接する場所の普請が連続的に行われているのは興味深いですね。“寛永13年”、キーポイントですね。
一休さんは、親鸞聖人200回忌の法要に訪れ、
親鸞聖人の絵を見て、
「襟まきのあたたかそうな黒坊主、こいつの法は天下一なり」
と詠んだそうです。今でも親鸞聖人と言えば、
黒いけさに白い襟まき?をされた絵だと思うのですが、たぶんそれを見たんでしょうね。
今で言ったら、西本願寺に大徳寺のお坊さんが訪れて
言うようなもので、一休さんの人柄がわかります。
一番、一休さんの宗派を超えた考えがわかるのが、
「分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月をこそ見れ」
だと思います。
「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月をこそ見れ」(真理の山に向かう道は違うが、我らは同じ月を我らは見ている)。という詩からも分かるように、一休は宗派の垣根を越えて交流を持ちました。
そして、注目なのは、親鸞が亡くなって200年目の1461年に親鸞200回忌に参列しているということですね。
二人とも共通してることがあるとすれば、『老いらくの恋』をしていることです(笑)
それから、550年後、
何気に、親鸞750回忌(2011年)に参加というか、西本願寺を特別拝観をしたので、なんか縁を感じます(この感覚はちょっと共有したいです)w
真珠庵の方丈の再建の件ですが、あの時は話題に出なかった、後藤益勝の線もあるかな…なんて思ったりします。
これと前後するイベントとして“紫衣事件”がありますから……妄想は止まらないですね(笑)
スーメテさま、本坊方丈再建の支援者豪商後藤益勝、なるほどです。さらに、その背後のお方、江月宗玩にアンテナが反応しました。紫衣事件、歴史の教科書の太字ですね(笑)。
江月和尚は孤篷庵の開祖でもあるんですね。色々リンクしてきました。しかし話題が、どマニア化しそうなので切り上げです。
それにしても面白いです。禅宗寺院と禅僧の世界にハマりそうです(笑)。
僕もピンときました。
この方の像が、アノ”龍光院”の本堂にあるのです。
いやむしろ孤篷庵は当初、龍光院内にあったので、龍光院の方が先に出てくるべき筋なのでは(笑)?
ちなみに龍光院の門扉にも“二重クロス”を見つけました。claudeさま御指摘のタイプです。やっぱり意匠ですかね?
同じことを考えておられる方がいて、嬉しいです。
一休寺に三本杉っていう
一休さん、蓮如上人、新右衛門さんが
それぞれが植えとって言われる杉が
あったりしますよね。