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大徳寺13 特別拝観4 総見院


写真は、本堂

黄梅院と同時期に春や秋に比較的長期に特別拝観をしています。

秀吉が信長公の菩提寺として建立しました。
ですからこの”総見院”は、織田信長の戒名です。

拝観料は600円ですが、黄梅院、興臨院と3つセットで1500円でした。

まず門を入ってまっすぐに進んだ本堂の左手に樹齢400年の侘助椿と、今でも使われている“掘り抜き井戸”があります。
加藤清正が朝鮮から持ち帰った巨石を繰り抜いて作ったそうです。

本堂の内部に上がります。
内陣正面には、開祖 古渓宗陳像、右手には阿弥陀如来像と十一面観音像が、左手には信長公木像があり、秀吉のお墨付きだそうです。

本堂の右手奥へ外廊下伝いに歩いていきます。
廊下の途中の上には、本堂にある信長公像を昭和36年に本坊から総見院に移した際に使用した輿があります。

廊下左手にはお茶室が並びます。
1番手前が香雲軒で、8畳とL字に6畳と4畳の相伴席がある広間です。

その奥隣が龐庵(ほうあん)で、18畳と12畳の広間です。
両端に床の間があり、12畳の方には琵琶棚が、18畳の方には2畳の上段の間のような床の間があります。
2月だけ利休忌で釜が懸かりますが、その際は方丈を待合にしてこちらを使います。

1番奥の左手が寿安席。
寿安席は大阪に「山口商店」を興した山口玄洞が寄進したものです。
手前から5畳の間、その奥に8畳間が2つ雁行状に並んでいました。

本堂の左手奥の墓地には信長公を中心に、織田家一族のお墓があります。




コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
似ているだけじゃない (京極堂)
2012-10-16 01:18:44
このお墨付き信長像、実は一つエピソードがありまして、東寺金堂の薬師如来坐像の作者で知られる康正さんが、実際の作者康清さんと制作の請負をめぐって争ったということです。
そして、康清さん一つの伝承がありまして、信長最大のライバル信玄をモデルにして作られた恵林寺の『武田不動尊像』の作者とされているようです。残念ながら像に銘は無く、確証は無いのですが…しかし、山梨県内には康清作品が2件知られていて、伝承と一蹴出来ないようです。鈴木麻里子さんという方の成果です。もし、そうならスゴイですね。敵対したもの同士の縁ある作品を手掛けたなんて!
そして、康正さん、特展時には指定を受けて無いのですが、なかなか魅力的な『釈迦三尊像』を妙法院に残しているのです。図録をめくっていると、色々なものが繋がりました。纏まりが無く、長くなって申し訳ございません。
 
 
 
京極堂さま (amadeus)
2012-10-16 08:41:01
おはようございます。

仏像も掘り起こせば、このように”地下茎”?でつながっているように、お寺の由緒でも同じようなことがありますね。

今まで全く別と認識していた2つのものが、実は”地下茎”でつながっているのが見えてくると・・・もう抜け出せなくなりますね(笑)。
 
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