王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

国家の品格論 第六章 下

2006-05-08 08:01:20 | 国家の品格論

良く付き合ってくださいました 第六章 上 の続きです
先生は「情緒や形」が大事な理由をさらに続けます

その2:「情緒と型」は文化と学問の創造に大切である
岡潔という代数学者がいるが数学とはスミレの花に感動する様な美的感覚が必要である 偏差値や知能指数よりもはるかに重要な資質である
 

文学でも数学でも昔からノーベル賞があればたくさん得たであろう それは日本人が美的情緒がとりわけ秀でているからだ 日本人は独創的であるといえよう
 
その3:「情緒と形」は国際人を育てる
国際人とは英語をしゃべれる事ではない アメリカやイギリス(の英語を母語としてしゃべる人達でもとの意味であろう)人でも国際人は数%だ 
日本人にとって英語が難しいのは英語と余りにもかけ離れている事と英語を(使う事を)何ら必要としないからである

であるから日本人が小学校で2~3時間勉強しても何の足しにもならない 専門的にやれば本科である国語や数学がおろそかになり、そのような教育を中高で続ければ英語の実力がアメリカ人の5割 日本語のそれが5割と言う人間になりアメリカでも日本でも使い物にならない

真の国際人には英語は関係ない 幕末の下級武士 福沢諭吉、新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心等は欧米に出向いて賞賛を受けて帰って来る 彼等は例外であるが他の多くは英語さえままならなかった筈だ
では彼等の身に付けていたものは何か 日本の古典・漢籍をよく読んでおり加えて武士道精神を身に付けていたからである 「美しい情緒」と「形」で武装していたわけである 

国際人とはオーケストラの様な物でヴァイオリンはヴァイオリンのように鳴って価値がある如く日本人は日本人として思い・行動して(国際社会で)価値がある

若いときに(時間的余裕があり感性が失われない時期)感動の涙と共に大量の名作を読むことが「情緒や形」を育てる力なのだ

その4:「情緒と形」は人間のスケールを大きくする
いままで説明してきた様に「論理がきちんとしている」「筋道が立っている」だは誤りだ 数学と違い俗世の事は公理が無いから「論理の出発点」を定める事が必要でこれを選ぶのはその人の「情緒と形」にかかている

出発点を適切に選べば総合判断力が高まります
実社会では普通の人は論理的な筋の通る話をする そうした「論理的に正しい話」はごろごろしているからどれを選ぶか その能力が総合判断力だ 逆に言えば情緒力なのだ

しかし世界中の人間の脳の99%は利害得失で占められている 残りの1%を何で埋めるか これが非常に重要である
例えば食料自給である 脳の100%が利害得失で占められている人は経済原理でものを考える 海外からの安い食料をどんどん輸入すれば国内生産より効率が良い
農民はより効率の良い産業に転業させよう そうすれば消費者は喜ぶし国全体はますます反映すると考える

他方 もののあわれという情緒を持つ人は農業をつぶしては田畑が荒れてしまう 美しい田園こそは文化や伝統の源泉である 経済的利益等とは比べものにならない価値だ なんとしてでも農家を守り自給率の向上を唱えるであろう
もののあわれとか美的感受性とか惻隠の情、こういうものがあるかどうかで、その人の総合判断力が違ってくる 人間の器が違ってくる

その5:「人間中心主義」を抑制する
欧米の世界支配と共に世界を覆った「人間中心主義」を「情緒と形」が抑制する
「人の命は地球より思い」との言葉が垂れ流されているが、本当は人間の命など宇宙の一点、真っ暗闇の一瞬の閃光の如きものだ かくも軽く儚いから大事にしようというのが正しい 人間中心主義というのは欧米の思想でその裏側には「人間の傲慢」が張り付いている

環境問題を考えても「人間は偉大な自然の一部に過ぎない」という謙虚さを教えてくれる 現代人の感じる閉塞感・虚脱感なども人間と自然の対立関係が深く影響している気がする この対立が精神の安定を傷つけている 美しい情緒がはささくれ立った心を癒し暗く沈んだ心に力を与えてくれる

その6:「戦争をなくす手段になる」
論理や合理だけでは戦争を防げなかった事は歴史が証明している 論理は「自己正当化のための便利な道具」でしかない しかし時代と共に賢くなれば戦争はいつか戦争はやめる事が出来る しかし人間の賢さとか知恵はそのまま後世に残らない
一代限りです 従って論理や合理では戦争をやめることはできません

まとめ
(先生はこの様な表題をつけませんがこれ以降は今までの6つの理由ではありません)
人類の究極の目標については(私には良く分かりません しかし)当面の目標についてははっきりしている 「二度と大戦争を起こさない」という事です
何度も述べたように日本人の持っている「情緒と形」が戦争を阻止する有効な手立てとなる

卑怯を憎む心や惻隠の情があれば争いごとを避けます 美的感受性があれば戦争をためらいます
欧米人の精神構造は「対立」に基づいています 自然は征服すべき対象だが日本人にとっては自然は神であり自然の一部として一体化しています この自然観の違いが欧米人と日本人の本質的差異を作っている
精神に対立がある限り戦争を始めとする争いごとが絶えない 

日本人の美しい情緒の源にある「自然との調和」も戦争廃絶という人類の悲願への鍵になる 

日本人はこれらを世界に発信しなければならない 欧米人を始めとした今だ啓かれていない人々に本質とは何かを教えなければならない
それが「日本の神聖な使命」なのだ


爺の後知恵:「情緒と形」が何故普遍的価値か?を説明するのがこの章の目的ですが 上巻でも述べたように「理由を説明するのにその理由を藤原先生が断定している」様にしか聞こえないのです
但し先生の断定を元にすれば後に来る結論は耳に心地よいのです でも欧米人とは「自然を征服する」と一括りで論じられる問題なのか? 爺にはすごく疑問に思うのです
日本人は近隣諸国といさかい・争いごとを起こさなければ取敢えず十分である しかし 最近は中韓朝と揉め事が耐えない 日本の精神を世界に対し教えるなんて勇ましい事を提言するより自分の頭のハエを追うことが先ではなかろうか?!
先生の言葉を借りれば国際オーケストラで日本人は日本人の音色をしっかり出していれば良い筈です それを世界に広めたり教えたりしたら世界中日本一色に成ってしまって可笑しいですよね?

いよいよ 最終章 国家の品格です

 
写真は能登の千枚田
  

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