たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

50年ぶりの再会

2024-03-07 20:06:23 | Weblog
2024年3月6日(水) 昔、家が近かったので、良く行き来していた遠い親戚の娘(当時は中学生だった)が、岐阜からわざわざ母の仏前にお参りに来てくれた。 私が新潟に来てから60年近く経つが、その間に彼女は1回遊びに来たことはあるが、この50年ほどは、全く音信普通だった。 私は一人っ子だったので、岐阜にいた子供のころは妹のような存在だった。 なので、今でも私のことを「お兄ちゃん」と呼んでいる。 
私の記憶は、彼女が中学生の頃までしかない。 結婚して子供が生まれて、夫を早くに癌で亡くし、苦労して二人の子供を育て上げ、その子たちは結婚して孫が生まれ、今では上の孫が大学を卒業して去年から社会人になっているという。 結婚したこととご主人が亡くなったことは聞いていたが、ご主人には、一度も会ったことはなかった。 
 今日は新潟駅の改札まで出迎えに行ったが、中学生の女の子が、いきなり75歳のおばあちゃんになって再会したようなものだった。 改札口で「お兄ちゃん」と呼ばれて思わず出た言葉は「大変だったな」であった。
 今年の正月に能登半島地震が発生し、新潟市も特に西区は液状化被害で全国ニュースに度々放映された。 彼女はそれを見て私の家と母のことが気になり、突然母に会いたいので施設の連絡先を教えてほしいというハガキをよこした。 それが偶然母が新型コロナに感染して緊急入院した日だった。
 彼女には、これから来たとしても、もう間に合わないかも知れないと伝えた。 彼女もデイサービスの施設で働いていたので、結局母の葬儀には来れなかった。 ようやく休みが取れた今日、新幹線を乗り継いで来てくれた。
 60年の時間は簡単には埋められないが、しかし過ぎ去った時の速さを実感したひと時であった。
 彼女が山に登っていることは聞いていたが、高校時代に山岳部に入り、これまで槍ヶ岳に29回登ったということは初めて聞いた。
 ほとんどが単独行で、昔はテントを担いで登ったが、歳を取ってからは山小屋を利用しているという。あと1回で30回なので、もう一回どうしても槍に登りたいと言っている。
 私は即座に「それはやめた方がいい」と忠告した。 歳のこともあるが、コロナ禍で何年もブランクがある。 滑落して人に迷惑をかける可能性がある。 29回も登れば十分だろうと、半分はうらやましく思いながらも諌めた。 多分いうことは聞かないだろうが・・・。
  別れ際には、「もしかしたら我々も、お互いこれが最後になるかも知れないな」と顔を見合わせた。 



〈ゆっくり新潟を案内する時間的余裕もないため、ホテル日航新潟の展望フロアから市内と、遠くかすむ山々の説明をした〉


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