たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

妙高高原笹ヶ峰

2020-08-21 07:58:31 | Weblog

2020年8月20日(木) 今日は天気が良かったので、妙高市の現場に打ち合わせに行くスタッフの車に同乗して、環境省の集団施設地区である笹ヶ峰に行ってみた。40年以上前に行ったことはあったが、湖と牧場があったことくらいしか覚えていない。 そのころ環境省のキャンプ場はなかったと思う。 今日は厳しい残暑が続く暑い日だったが、1,300mの高原は木陰に入ると爽やかな風が吹き抜ける。 コロナ禍の中で、ほっとできる貴重なひと時であった。 キャンプ場も三密を避けてテントはまばらであるが、思ったより多くの家族連れが訪れていた。 昔は夏休みには、友人家族と毎年キャンプにでかけたが、家族だけで出かけることはほとんどなかった。 キャンプは大勢で出かける方が楽しかった。 しかし最近の状況下では、人との接触を避けるために、キャンプも家族だけというのがほとんどである。 なので、このキャンプ場も広大な敷地にテントが散在していて、いたって静かである。 ここは妙高山への登山口の一つでもある。 毎年、今年こそは妙高に登るぞ!と思い続けて早5年、今だ果たせないままである。 帰る頃、同世代と思われる夫婦連れが下山してきた。 秋になったら是非と思っているが、今年は他にも鳥海山と燧ケ岳にも行きたいと思っており、また先送りになってしまうかも知れない。 そのうちに体力的に断念せざるを得ないということにならなければいいが・・・。

 

〈妙高戸隠連山国立公園内にある環境省の笹ヶ峰集団施設地区〉

〈農業用水用ダムによってできた乙見湖〉

 

〈乙見湖畔とキャンプ場を結ぶ林間遊歩道〉

 

〈笹ヶ峰キャンプ場〉

〈オートキャンプ場〉

〈キャンプ場の中を流れる沢もある〉

〈妙高山の山頂付近は雲の中〉

〈受付、案内所〉

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奥会津の町(福島県只見町)

2020-08-07 07:29:54 | Weblog

2020年8月6日(木) 梅雨明けの猛暑となった今日は、福島県只見町へ仕事の打合せに同行した。只見町は新潟県の魚沼市と三条市に接する奥会津と呼ばれる山々に囲まれた人口4000人ほどの町である。 只見町には豊かなブナ林が多く、ユネスコ・エコパークに登録されている。エコパークは国内に10ヶ所登録地があるが、同じユネスコの世界自然遺産ほど知られていない。 自然資源の保護保存を目的とする世界自然遺産に対し、エコパークでは、保護と活用の両面で地域の活性化にも寄与することを目的としている。 うまく自然と共生してきた日本人にとっては、エコパークの方がなじみやすいと思うのだが、PRの仕方が悪いのかも知れない。 今日は打合せ後、この秋から映画が封切られる予定の「峠」の主人公河井継之助の墓を訪ねた。 長岡藩士の河井継之助は、戊辰戦争で新潟県の長岡から会津に向かう途中に、この只見町側の八十里越えの山中で亡くなった。 遺骨は、ここ只見町と長岡市の分骨埋葬されているらしい。 映画が当たれば、この墓にも多くの人が訪れることになると思うが、果たしてどうなるか?

〈河井継之助の墓〉

〈先日途中まで登った会津のマッターホルンと呼ばれている蒲生岳828mを望む〉〉

 

 

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創業90年の老舗蕎麦店が惜しまれ閉店

2020-08-03 09:21:34 | Weblog

2020年8月2日(日) 私の女房の実家である新潟市の老舗蕎麦店”むらた”が先月7月25日に店を閉じた。 これは昨年から決めていたことで、新型コロナの影響とは別の意味での決断である。 3代目の義兄は、加齢と腰痛のため仕事を続けることが困難になってきたこと、長男がそば粉や小麦粉アレルギーで、体質的に跡を継ぐことができないこと、その長男と同居する2世帯住宅を建てる予定になっていたことなどによって、このタイミングで店を閉じることになった。 この蕎麦屋は、昔は県庁、今は市役所の職員、医学部の学生や大学病院の医師や職員など、古くからの常連客が多い。 閉店日が近づくにつれて開店前から長蛇の行列ができたそうだ。 私たちが食べに行った閉店3日前も、ソバが品切れとなり、何とかギリギリありつくことができたような状況だった。 昔、長男が生まれた時、私も女房の実家に居候させてもらっていたことがあった。 その時は毎日ソバを食べさせてもらったが、全く飽きることはなかった。 そのソバが食べられなくなるのは非常に残念だが、義兄夫婦の体のことを考えると、やむを得ない決断だったと思う。 初代、2代、3代とも頑固な一徹職人だった。 マスコミの取材は、一切受けつけず、常に常連さんを大切にする店だった。 かつて、なぜマスコミの取材をかたくなに拒むのか?を尋ねたことがあった。 その答えは、「マスコミに出れば客は増えるだろうが、その分常連のお客さんに迷惑がかかるから」ということだった。 単なる頑固ではなく、常連客を大切にする、まさに老舗の重みのある言葉だった。 今日は取り壊す前に写真を撮っておこうと思い立って女房の実家に出かけた。 しかし、残念ながらもうソバは食べられない。

〈今なら登録文化財になるほどの古い木造建築物だが、今月中に解体されてしまう〉

 

 

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