たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

母の納骨に京都へ、ついでに岡山まで足を延ばす

2024-04-15 17:37:14 | Weblog
2024年4月12日(金)~14日(月) 母の49日を終えたので、本山に納骨のため息子の運転で12日の朝、新潟の自宅を出発して京都に向かった。 1日目は北陸自動車道経由で夕方予定通り京都のホテルに到着した。 ホテルから徒歩圏内にある東寺が14日までライトアップされているというので見に出かけた。 昼間の東寺は何度か来たことはあるが、夜は初めてだった。 入場料1,000円だったが、圧倒的に夜の東寺の方が美しく幻想的であった。 偶然だったが、このタイミングに来ることができてラッキーだった。
 翌日は、10時からの予約をしてあった東本願寺に出かけた。 父の納骨以来だったので21年ぶりである。 同様の納骨に全国から集まった多くの人たちとともに、説教を聞き、お経をあげてもらって、受付から2時間ほどかかって式が終わった。 その後、岡山城を見に行くという息子に同行して岡山に向かった。 途中、ついでだからと姫路城と倉敷に寄ることにした。 姫路城は、昔岐阜にいたころ、母の実家である高松へ行く時に、いつも列車の窓から眺めていた城である。 しかし、近くまで行ってみたのは初めてだった。 改修を終えて間もないので、中も見たかったが、混雑していたし、時間もなかったため中に入るのは断念した。

〈東寺の五重塔。咲き残ったサクラと共にライトアップされて昼間より圧倒的な存在感がある。〉
〈21年ぶりの東本願寺。大修理あとなので、全体に新しくなっていた。〉
〈姫路城は、遠くから眺めたことしかなかったが、近くで見るとさすがに迫力がある〉
〈久しぶりの倉敷。25年ぶりくらいだろうか? 〉
〈昔と違って今は若い人たちが圧倒的に多く、店の品揃えも若者好みになっているようだ〉
〈高校の修学旅行以来、、ちょうど60年ぶりの後楽園。あの時は広島の原爆資料館と秋吉祠に行って、帰りに京都へ寄った。その頃、舟木和夫の高校3年生が流行っていて、バスの中では何度もその大合唱をしたことを覚えている。 はるか昔の青春時代だった。 その時片思いをしていた彼女は、その後同級生の友人と結婚した。 その友人と全く偶然の不思議な縁で、40年後に仕事の関係で会うことがあった。 一度だけ奥さんを連れて佐渡に行った帰りに会社に寄ってくれたが、奥さんは連れてこなかった。 どうして?と聞くと恥ずかしいから」と言ってついてこなかったという。 私が彼の奥さんに高校時代片思いをしていたことは知らないはずだ。 一瞬、もしかして彼女の方も・・・・。と思ってもう一度なぜ?と聞くと、年を取った顔は見られたくないと言っていたという。 これは内心うれしかった。 彼女の方も少なくとも多少は思い出の中に残っていたに違いない。 しかし、結局その数年後、彼女は病気で亡くなってしまった。 60歳前後だったと思う。 霊前に花を送ったが、結局高校卒業以来一度も会うことなく彼女は逝ってしまった。。 なので、私の中では、彼女は修学旅行の時の高校生のままなのだ。  その時、この後楽園で彼女を撮った写真があった。 今はどこに行ったかわからないが・・・。。〉
〈以前来た時には無かった岡山城が復元されていた〉
〈白壁の姫路城とは対照的な黒壁の岡山城〉
〈帰りに寄った故郷の岐阜。ホテルの部屋から、岐阜城のライトアップと夜景がきれいだった〉
〈ちょうどホテルの窓から朝日が昇るのが見れた。60年前、この長良川の土手を毎日自転車で高校に通った。金華山と岐阜城と長良川は昔と変わっていないが、街の景色はすっかり変わってしまっている。 今回は息子のお陰で、懐かしい時空の旅ができた。 しかし、『あんたたちが死んでも、俺は京都まで骨は持ってこないからね』。と言われた。 『死んでしまえばどうでも良いので、お前に任すさ』と息子に答えておいた。〉
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