たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

ホテルの浴室に閉じ込められる!

2011-06-30 23:25:27 | Weblog

2011年6月27日(月)、昨夜、東ゴビのシャインシャンドに到着したのは午後8時を回っていた。 一旦ホテルにチェックインしてから夕食に出かけた。 昨年は新装開店したばかりの新しいホテルだったが、設備もまだ完全ではなく、従業員も慣れていないためサービスも悪かった。 そのため、今年は別のホテルにしてもらった。 食事を終えて部屋に戻ったのは10時頃だったと思う。  11時近くにお湯がチョロチョロしか出ないシャワーを浴びてから浴室を出ようとしたらドアのノブがない! ノブの抜けた後の金具だけが突き出ているがペンチでもない限り指の力では回らない。 いじくり回しているうちに、その金具も抜けて取れてしまった。 自室のバスルームに閉じ込められてしまったのだ。 普通ならバスルームに電話が備え付けてあるが、それもない。 もちろん非常呼び出しボタンもない。 こちらは素っ裸なので大声で助けを呼ぶのも躊躇される。仕方がないので、ドアの中央に細長くはめこんであったステンドグラス風のガラスを破り、そこから手を伸ばして外のノブを回すことにした。 しかし、ガラスを叩き割る固いものが何もない。 仕方なく手にバスタオルを巻いて思いっきりガラスを叩く。 だが、ガラスは割れない。 3度ほどやってみたがタオルが厚過ぎてクッションになってしまっているようだ。 今度は普通のタオルを1枚だけにしてやってみた。 手は痛かったがやっとガラスが割れて外側のノブに手が届いた。 部屋中にガラスが飛び散ったが、何とか自力で脱出することができた。 とりあえず服を着ようとして手首から血が流れているのに気がついた。 ガラスが割れたときに上のガラスが落ちてきて切ったようだ。 あまり深くなかったが2センチほどの長さの傷があった。 ちょうど動脈の上のヤバイ場所だった。 大きめのカットバンを貼って事なきを得たが、ホテルを変わっても同じだということがわかった。 ただ、このホテルは有料だがインターネットにつなぐことができるのは助かる。 おかげでメールの確認とブログの更新は可能となった。

〈ぶち破ったバスルームのガラス〉

〈こういう状態で内側のノブがないことに気付かないままドアを閉めたのだ。〉

 

【午前中はドルノゴビ県庁とサインシャンド市役所で打ち合わせ】

今日の午前中は、ドルノゴビ県のガンホヤック知事と会う予定だったが、急きょウランバートルに出張になり、金曜日に延期されたため、ドルノゴビ県とサインシャンド市の担当者レベルの打ち合わせを中心に行った。

 

〈今日はドルノゴビ県庁とサインシャンド市で打ち合わせを行う。〉

 

 

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今年も東ゴビ砂漠に雨を降らせる!

2011-06-29 23:45:53 | Weblog

2011年626日(日)、今日はウランバートル駅から列車で約460㎞南のサインシャンドに向かう。所要時間はちょうど10時間である。 列車で行くのは昨年に続いて2度目である。

 昨年は初めてだったので車窓を眺めながらそれほど飽きなかったが、今回は見慣れた景色のため、10時間はかなり苦痛であった。 

サインシャンドに近付くにつれて雲が低く垂れこめ、遠くでは雨が降っているようだった。 昨年来た時に砂漠に雨を降らせた雨男の私であるが、まさか今年も雨が降ろうとは予想もしていなかった。 同行の仲間からはさすがに雨男のパワーはすごいと驚かれる。

サインシャンドの駅に着くと、雨だけでなく風も強く、大荒れの天気になっていた

 

〈サインシャンド行きの列車の乗務員は、白鵬の妹のようだった昨年と違って細身である。〉

 

 

 〈ウランバートルを出てしばらくはモンゴルの草原地帯を走る。〉

 

〈サインシャンドに近付くにつれ空は暗くなり、遠くでは雨が降理始めたようだ。〉

 

  

 

〈サインシャンドに着くと暴風雨のようになり、路面も濡れて砂漠の中とは思われない。「また、今年も雨をfyらせるかも」と言ったのが冗談ではなくなった。

 

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モンゴル ウランバートルに向け出発

2011-06-29 22:24:21 | Weblog

2011年625日(土)、今日から10日間モンゴルの東ゴビ砂漠の町サインシャンドに緑化の技術協力のために出発。 今年で3年目となるが、今回は具体的な植栽樹種を決め、その生産技術を含めて実際に試験的に作業を開始することにしている。 来年度からはJICAの支援でモデル地区の施工を行う予定である。20日にサンフランシスコから戻って時差ボケが治らないまま出かけるのは辛いものがあるが、モンゴルは時差が1時間しかないので助かる。 パスポートの盗難にあい、サンフランシスコにひとり残してきたA君も2日遅れで無事帰ってきたという連絡を受け、まずは一安心。 朝930に新潟空港から韓国のインチョンに向かう。 乗り継ぎ時間が6時間ほどあるが、今回は外へ出ず、インチョン空港でそのままトランジットすることにした。 今回は同じ大韓航空の乗り継ぎ便が満席で取れず、モンゴルのミアット航空になった。 1時間遅れでインチョンを出発。 機体はデコボコ道を走るバスのようにかなりひどい揺れが続いたが、午後10時前に30分ほどの遅れで無事ウランバートルに到着した。

 

 

〈新潟空港から大韓航空でソウルに向かう。〉

 

 

 

〈ソウル、インチョン国際空港はさすがハブ空港だけあってやたらと広い。トランジットも簡単にはいかない。複雑に延々と移動させられる。〉

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帰国当日の朝、パスポートの入ったA君のバックが盗まれる!

2011-06-23 17:23:59 | Weblog

2011619日(日)、いよいよ今日は帰国の日である。 このホテルは朝食付きだったので、食事後そのまま空港に行けるよう荷物と身支度を整えて食堂に向かった。 

 席はまだ十分空いていたが、私はジュースとコーヒーを入れたコップをまずテーブルに置いて場所を確保した。 すぐ後からA君とS君がやってきて、3人でパンをトーストに入れた。 焼き上がったトーストを皿に乗せてテーブルに戻ると、A君が「バックがない!」と叫んだ。 S君が「あっ!やられたな!」と言って入口の方へ走った。 S君は、不審な人物らしいのがいることに気づいて、一旦イスに置いた自分のバックを取りに戻ったという。 A君にバックの中身を聞くと、パスポートも航空チケットもカメラも現金とカードまで入っていたという。 ガ~ン まさか手で持ち歩くバックに大事なものを全て入れていたとは思わなかったので、我々も特に注意はしていなかった。

今まで困った時には周りの人たちがとても親切に対応してくれたので、つい用心を怠ってしまったこともある。 ここはアメリカなのだ! バックをイスに置いて席取りをするのは日本人の習慣のようになっている。 S君はパンの皿を持って振り返った時に、その不審者らしき人物が急ぎ足で立ち去るのを見たと言う。 ほんの数秒、一瞬の出来事だった。 完全に狙われていたのだ!

すぐ、ホテルの受付に話し、警察を呼んでもらう。 10分ほどでサンフランシスコ市警察のパトカーが来て、若い坊主頭の警官が1人降りてきた。 現場での説明や事情聴取を終えたところでその若い警官は、どこへ行ってきたのか?旅は楽しかったか?サンフランシスコの印象はどうだった?などと聞いてくる。

こんなことがあって印象がいい訳はないが、「Berry Good!」とお世辞を言ってしまう。 A君が、「パスポートのコピーをホテルからもらったが、これで帰れないか?」 と警官に尋ねると、「私の仕事はここまでだ。 この先は航空会社のカウンターに行って聞いてくれ。もし私のレポート(多分調書のこと)が必要なら、後でこれを持って警察署に来てくれれば渡すことができる。」と言って両手を上げて首をかしげる例のポーズで言う。 さらに「今日は日曜日なので今電話してみたが、サンフランシスコの日本領事館は休みで誰も出ない。したがってパスポートの再交付は明日以降でないと無理だ。」と言う。 再びガ~ンである。 さて困った、あと数時間でデルタ航空の成田行きは出発してしまう。 ここでこのままA君を1人残して行く訳にはいかない。 とにかく空港へ行ってデルタ航空のチェックインカウンターでどうすればよいか尋ねるしかない。

 若い警官は親指を立て「Good Luck」と言い残して帰って行った。

 

〈南サンフランシスコ市警の若い警官に状況を説明するA君とS君〉

 

 

【A君をサンフランシスコ国際空港にひとり残したまま、4人で帰国の途につく】

 

 

 空港でレンタカーを返し、タイヤ購入の保険請求の手続きをしてデルタ航空のチェックインカウンターに急ぐ。 デルタ航空のチェックインカウンターでも、日本領事館でパスポートの証明書をもらわないと日本に帰ることはできないと言われ、残された時間で何とか対策を考えようということになった。 A君がカードの差し止めをしようと日本に電話をしまくっている間に、私はダメもとで「地球の歩き方」の巻末にある、「困った時の連絡先」にあったサンフランシスコの日本領事館に電話してみた。 すると番号の指示に従ってプッシュボタンを押していくと、何回目かに日本人職員らしい女性につながった。 訳を話すと、彼女は、「明日の900に領事館が開きます。その時に必要なものがあるので、あらかじめ準備してきてくれれば手続きも早くできるので説明しておきます。」と言うので、本人に替わった。 

 その説明によれば、パスポート用の写真2枚と身分を証明するもの(免許証でも良いらしい)、警察の盗難証明の書類があれば良いということが分かった。

 デルタ航空では「チケットはなくてもコンピューターに記録されているので問題ない。 成田便は11本しかないので、とりあえず明日か明後日の便に予約変更すれば問題ない。」ということだった。 結局手続きの時間を考えてA君のチケットは明後日に変更してもらうことにした。

 領事館と話がつながったことで先が見えてきたため、A君も1人で大丈夫だと言うし、我々4人は彼を残して予定通り今日帰国することにした。 

 出発の時間まで、空港内の写真サービスを探したり、担当警官の所属の南サンフランシスコ市警察署の場所を地図で探したり、国際電話ができる携帯をN君が貸してやったりして、あとは1人でも何とかなりそうなところまでこぎつけた。

  私は25日からモンゴルの東ゴビ砂漠に行かなければならず、まだ何も準備ができていない。 多少後ろ髪を引かれる思いをしながらもA君を空港に1人残し、例の若い警察官がしたように親指を立てて、「Good Luck」と言って我々4人は空港ロビーをあとにした。

 

 

〈あと2時間ほどでようやく成田。 色々あったがA君が無事帰国できることを願いながら、この同級生グループでの4回目の海外逃亡の旅も終わろうとしている。〉

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開通したばかりのタイオガ・ロードでシェラネバダ山脈を横断

2011-06-22 21:16:09 | Weblog

2011年6月18日(土)、昨夜はヨセミテ渓谷のあるシェラネバダ山脈の反対側に位置するスキー・リゾート地のマンモスレイクに泊まった。 このあたりはクマが多く、食べ物を外に置いたり捨てたりすると必ずクマがやってくるから気をつけるようにと言われた。 夜は久しぶりにまともなレストランに行くことにしたが、シーズンオフのためか開いている店は少ない。 多くの店が入る施設も空き店舗が目立つ。 ようやく探し当てたのが日本食レストラン。キリンビールに寿司と焼鳥などを注文。 経営者は日本人らしいが、味は予想通りアメリカン・テイストの日本食である。しかし、生寿司は結構うまかった。

 今日は、ヨセミテ国立公園を横断する唯一の車道タイオガ・ロードを通ってサンフランシスコまで戻る。 シェラネバダの2,000m以上にはまだ雪が多い。 幸運にも今日からタイオガ・ロードが開通して通れるようになった。 もし冬期閉鎖のままだったら、シェラネバダの北端まで迂回しなければならないところだった。 朝は6時に出発し、山麓のリー・バイニングの町でガソリンを入れ、開いていたレストランでトーストとベーコンエッグとコーヒーで朝食をとる。 全部で500円くらいだった。 安いのは円高のせいだけではなさそうである。 地元の人達が利用しているスーパーやレストランばかりを使っていると物価は日本より格段に安い。

〈マンモス・レイクの景色は、ずっと緯度が高いカナダの景色に似ている。〉

〈タイオガ・ロードの両側は巨大な岩盤が露出し、その中に樹木が生える不思議な光景が多い。〉

〈一昨日見たハーフドームを反対側から望む。〉

〈途中の休憩所にあったレッドウッドの切り株の実物大【レプリカ〉

〈4日間で約1,600kmを走破し、無事サンフランシスコに戻ってきた。〉

 

【はずれだったチャイナタウンの中国料理店】

夕方、予定より早くサンフランシスコ国際空港近くのホテルにチェックインできたので、当初は予定していなかったサンフランシスコの街に出て食事をすることになった。 A君が2,3日前から中華料理が食べたいと言っていたので、サンフランシスコの思い出に、チャイナタウンで夕食をとることにする。 

 空港からバートという幹線鉄道に乗ってダウンタウンの近くまで行き、チャイナタウンで店を物色。 若い元気なお姉ちゃんの呼び込みにつられて入ったが、酒も料理も美味くない。 考えてみれば、はやる店は呼び込みの必要なんかないはずだ。 それでも客はそこそこ入っている。 多分ほとんどが一元の観光客なのだろう。 わざわざ中国料理を食べにここまで来たのに残念だった。 これでサンフランシスコの印象はワンランク・ダウンした。

〈たまたま入った店が悪かったのだろう。サンフランシスコの印象を悪くしたチャイナタウン〉

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エドワード空軍基地は追い返され、ひたすら左にシェラネバダの山々を見ながら砂漠を北上する

2011-06-22 18:50:55 | Weblog

2011617日(金)、昨日はタイヤのバースト事故のため、宿泊予定のシェラネバダ山脈の南端モハーベには3時間ほど遅れて到着した。 街中の沿道にはモーテルも多くあり、午後7時を過ぎたが宿泊場所は問題なく確保できた。

 今日は近くの砂漠の中にあるエドワード空軍基地が、一般公開されているらしいという今回の幹事であるS君の情報により、ちょっと寄り道して行くことになった。 1時間ほど走った砂漠の中に古い大きな輸送機が捨ててあるように展示されている。その脇に検問所のゲートがあった。 とにかくそこで中に入れないか尋ねてみた。 しかし、ジェスチャーはNOである。 免許証を見せろと言われて提出すると、それを取り上げられ、「あそこでUターンして向こう側の車線に行け!」と言われて指で指図される。 そこはロータリーになっていて外に出る道路につながっていた。 検問所の反対側に先ほど免許証を取り上げた兵士が立っていて免許証を返してよこした。 結局、情報が間違っていたのか、外国人だから入れなかったのか、言葉が理解できず不明のまま戻ることになった。 少し離れたところで車を停めて写真を撮っていたら、どこから出てきたのか今度はパトカーがやってきて尋問される。 お互い言葉が通じないまま、やがて向こうは笑いながら去って行った。 

 昨日まではシェラネバダ山脈を左に見ながら南下してきたが、今日はこの砂漠の中をシェラネバダを左に見ながらひたすら北上する。 この付近の砂漠の名前は何というかわからないが、アメリカ合衆国唯一の砂漠らしい。 景観も生えている植物も、一昨年から緑化技術協力で行っているモンゴルの東ゴビ砂漠と非常に似ている。

 

  

 

〈砂漠の中の空軍基地のゲート近くに展示してある輸送機?〉

 

 

〈エドワード空軍基地の検問所? 結局入れてはもらえなかった。〉

 

 

〈砂漠と雪山という見慣れない景色〉

 

 

 

【アメリカ合衆国本土で最高峰のホイットニー山(4,418m)に近づく】

 

砂漠の中の1本道を北上する。車窓の左側は、延々とシェラネバダの山々が続く。何時間か走ってローン・パインという町に到着。 ちょうどホイットニー山の東に当たる。 ここから登山口に伸びる山岳道路があり、アメリカのアルプスを仰ぎ見ながら標高を稼ぐ。

 山岳道路のどん詰まりに駐車場とトイレが整備された登山口があった。 この登山口で標高は既に2,500mを超えている。

〈ホイットニーに向かう山岳道路〉

〈終点の登山口の駐車場〉

〈ホイットニー山の看板〉

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ヨセミテ国立公園

2011-06-21 21:44:37 | Weblog

2011年6月16日(木)、昨夜はサンフランシスコの東に位置するモデスト市のモーテルにチェックイン。 このたびの宿泊は、あらかじめ予約しておいた昨夜以外は通過地点の適当な町で探すことにしている。 ルームチャージ料が4,000円から8,000円くらいで、一人平均3,000円/1泊という安さである。 食事は適当なレストランで済ませ、アルコール類などはコンビニ等で仕入れて部屋で飲む。 朝は6時から7時には出発するので、朝食はコンビニで仕入れることになる。 今日はメインの目的地の一つヨセミテ国立公園に行く。 平日にもかかわらず、結構多くの車が入っている。 中心部のヨセミテ・ビレッジに向かう途中にもビューポイントがたくさんあって車が止まっている。 ここにはシェラネバダ山脈からの雪解け水がたくさんの滝となって渓谷に落下している。 ヨセミテ・ビレッジにはビジターセンターや売店などがあり、車はここから先は進入禁止である。 そこから奥は巡回ツアーバスが出ている。 ツアーバスが出発する乗り場と駐車場が整備されている。 今回はツアーバスでゆっくり渓谷を巡る時間がとれなくなり、仕方なく宿泊地を探しながら次の場所に向かう。

 

〈昨夜泊まったモーテル。どんな小さな町にもこのタイプのモーテルがある。 ツインベッドルームと小さいキッチン、バス(シャワーだけの場合が多い)・トイレ、冷蔵庫、TVがついている。贅沢を言わなければこれで十分である。〉

〈遠くにハーフドームを望む景勝ポイント〉

〈ヨセミテ渓谷の雄大な景観〉

〈道中にも滝が多い。〉

 〈ヨセミテビレッジにあるビジターセンター〉

 

 

【右前輪タイヤがバーストして修理不能に!】

 

午後、今日の宿泊予定地のモハーベへ向かう。 途中のフレスノという小さな町の中で、レストランを探しながら運転していたS君が、右側に寄りすぎて歩道と車道を分離するコンクリートの縁石に右前輪タイヤを乗り上げてしまった。 慌ててすぐハンドルを切って車道側に戻した時にタイヤの右腹がコンクリート角に擦れて破れてしまった。 これではパンクの修理は不可能なので新品に取り換えるしかない。 近くの住宅街の交通量の少ない場所に移動して、とりあえずスペアタイヤに交換したが、まだこれから砂漠や山岳道路を1,000㎞近く走らねばならない。 華奢なスペア対アでは危険である。 とにかくレンタカー会社に連絡してタイヤを手配してもらうか、近くの販売店を探して購入しなければならない。 困っていると近所の家のオヤジがさんが出てきてどうかしたかと聞いてきた。 片言の英語で何とか状況を説明すると、彼は「任せとけ!」といって、レンタカー会社に連絡を取ってくれた。 結果は、とりあえず近いところで新品のタイヤを購入してほしい、ということだった。  そのオヤジは今度はタイヤ販売店に連絡をしてくれて、同じメーカーの同じサイズのタイヤを見つけてほしいと頼んでくれた。 しばらくして、結局そこには同じものがなく、他をあたっても見つからなかったという返事が帰ってきた。 こちらとしてはここで引き返すわけにはいかないので、とにかく合うタイヤであれば何でもいいから、とりあえずタイヤ販売店まで案内してもらえないかと頼んでみた。 S君がチップで渡した50ドル(私はちょっと高すぎるのではないか、と言ったが既に渡した後だった)が効いたのか、彼は自分の車を出して先導してタイヤ販売店まで連れて行ってくれた。 店の人は1時間以内で付け替えるから大丈夫だし、レンタカー会社にも連絡を取ってくれて、領収書を持っていjけば、保険で対応してくれることも教えてくれた。 助けてくれた現場近くの親切な黒人のオヤジに礼を言って別れ、待っている間に、近くのハンバーガーショップで昼食をとった。 これで旅が続けられる。 まずは良かった、良かった!

〈何とか、スペアタイヤとは交換できたが、このままでは今後の1,000キロの道のりは走れない。〉 

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38年ぶりのサンフランシスコ

2011-06-21 15:41:42 | Weblog

20011年6月15日(水)、何年かおきに一緒に海外逃亡を図っている大学時代の同級生5人組で、今回はアメリカ西海岸のヨセミテ国立公園を中心に、ネバダ山脈周辺を回る旅に出発した。 

 私にとってアメリカは4度目だが、サンフランシスコは38年ぶり2回目である。成田を15日の16:00に出発し、サンフランシスコに同じ15日の午前9時頃に到着。 今はサマータイム期間で、時差は1時間縮まって16時間 ある。

 到着後、空港のレンタカーセンターに行き7人乗りのワゴンを借りる。 さすが観光地サンフランシスコである、日本語のカーナビもあるという。 しかし、セットの仕方が説明を聞いても良くわからない。 何度も聞き直していると、担当者が4階の事務所からわざわざ1階の駐車場まで降りてきて、実際にセットを手伝ってくれた。 S君のしつっこさが功を奏したようだ。

 アメリカは左ハンドルの右側通行なので日本とは逆である。 私は目が悪く、もう車の運転は無理なので乗せてもらうだけである。 しかし、駐車場を出るなり左側を走っている。 「おい右だ、右!」、「それはワイパー、ウインカーは左側!」、いきなり車内はパニック状態。 私も20年前レンタカーでアメリカを走ったことがあるが、もう少しマシだったような気がする。 やはり年のせいで反射神経は相当衰えているのだろう。 しかし、おじさんたちは気持ちだけは若い時のままである。 それでも10分ほど走るといくらか慣れてきて左側を走ることはなくなった。 間もなくゴールデンゲートブリッジを渡り、今日の目的地である「ミュアウッズ国定公園」に向かう。

 

〈サンフランシスコ国際空港のレンタカーセンターで7人乗りのワゴン車 を借りる。日本語のカーナビもつけてもらう。〉

 

〈ゴールデンゲートブリッジを渡り、サンフランシスコの北にあるミュアウッズに向かう。〉

 

 

【巨大セコイアの森があるミュアウッズ国定公園へ】

 

 

かつてカリフォルニアの海岸沿いで霧が発生しやすいシェラネバダ山脈の西側地域には、セコイアの一種レッドウッドの巨木の広大な森が広がっていたという。 ミュアウッズ国定公園は、約100年前に伐採から免れたレッドウッドの最後の原生林を国定記念公園に指定したものである。 レッドウッドは樹高が最大で115.5m、胸高直径が6.7mに達する世界で最も高く生長する樹木として知られている。

現地に行ってみると、確かに1本1本は巨大であるが、広い森ではその全体の樹高が高いため、遠景ではそれほど大きな木とは思えない。 人が近づいているのを見て初めてその巨大さに驚ろかされる。

 

 

〈ミュアウッズ国定公園の入口にある看板〉

 

〈さすがにデカイ!レッドウッドはメタセコイアの葉と形は似ているが常緑で質感がある。〉

 

 

〈人がいなければ、大きさはつかめない

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ビッグスワンで会議

2011-06-08 18:37:08 | Weblog

2011年6月8日(水)、「川上である林業者や森林組合等と、川中・川下である製材所や工務店等との連携を図る」という目的で設立された「新潟県木のネット21」の総会が、サッカースタジアムの東北電力ビッグスワンの会議室で行われた。 前にもこの会議室は使ったことはあるが、交通アクセスが良く、駐車場も十分なので市街地内の施設より車での利用は楽である。 Jリーグのサッカーは今だに一度も見に来たことはないが、その時の渋滞はひどいのかもしれない。 ほとんどの人はビッグスワン=サッカー場と思っているので、ここに貸会議室があることを知っている人は意外と少ない。 試合のない時の有効利用にはいいかもしれない。

〈なんたってデカイ施設なので、空間をうまく利用すればに会議室程度なら相当とれそうである。〉

〈先日、キリンカップが開催されたグランドでは数人が陸上の練習をしていた。〉

〈確かに巨大な施設である。果たして費用対効果は?などと考えてしまう。〉

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尾瀬を管理する環境省自然保護官事務所へ仕事で出かける

2011-06-08 06:46:05 | Weblog

2011年6月7日(火)、福島県側尾瀬国立公園の植生復元調査の初回打ち合わせに、挨拶を兼ねて福島県桧枝岐(ひのえまた)村にある環境省の桧枝岐自然保護官事務所を訪れた。 一昨日尾瀬を訪れたのは、全くの偶然で、撮影旅行のため写真同好会が竜宮小屋を3か月前から予約しておいたものだった。 今回の業務はその後に決まったもので、幸いにも仕事で尾瀬に行けることになった訳である。 現場は尾瀬沼の沼尻湿原や御池から燧ケ岳への登山道の中腹にある熊沢田代などの湿原植生の復元に関するものである。 以前にも尾瀬沼キャンプ場の設計などは受注したことはあるが、尾瀬の植生復元の仕事は今回が初めてである。 昨年は秋田県の田沢湖高原のスキー場の植生復元の業務を環境省の東北地方環境事務所から受注したので、国立公園の植生復元の仕事は2度目となる。 田沢湖の場合も調査だけではなく、試験植栽を行うところまで含まれていたが、今回もスゲ類の種子の採取から播種までが含まれており、現場に足を運ぶ機会が多くなる。 まだ行ったことのない場所の方が多いので、現地調査の足を引っぱらない程度に是非現場に行きたいと思っている。

〈福島県桧枝岐村からみた燧ケ岳(2356m)。一昨日は反対側の尾瀬ヶ原から眺めていた。〉

〈桧枝岐には尾瀬に行かなくても、尾瀬の雰囲気が味わえる?ミニ尾瀬公園というのがある。〉

〈ミニ尾瀬公園のゲート。入場料一般¥500となっていた。 中には入らずパンフレットをもらって話だけ聞いて戻る。〉

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はるかな尾瀬 遠い空♪

2011-06-05 20:34:07 | Weblog

 2011年6月5日(日)、写真同好会の仲間とその家族10人でミズバショウのシーズンの尾瀬に一泊二日で出かけた。 新潟を4日の9時に出発、戸倉の駐車場でタクシーに乗り換え、午後1時30分頃鳩待峠の登山口に到着した。 ほとんどの人達は入山したあとだったので、尾瀬ヶ原への下り道はすいていた。 しかし、もう帰りのハイカーたちで登りは既に渋滞が始まっていた。 山ノ鼻のビジターセンターに着いた時には午後3時近くになっていた。 一休みしたあと宿泊予定の竜宮小屋へ、思い思いのペースで写真を撮りながら自由に向かう。 この時間になると日帰り客はほとんど帰った後なので、木道上でも三脚を立てることができた。 竜宮小屋は超満員で、夕食は三交代で食べる。 今朝は3時半に起床、明るくなる前にカメラをかついでそれぞれの気に入った撮影場所に出かける。 残念ながら霧が立ち込め朝日は顔を出してくれなかった。 今はミズバショウがちょうど見頃となっており、他にリュウキンカやエンレイソウ、ウメバチソウ、シラネアオイなどを見ることができた。 久々の尾瀬(4年ぶりくらいか?)だったが」、やはり尾瀬は人を惹き付けるだけのものを持っている。 しかし、多くの浅い水たまりには油の膜のようなものが浮いているのが気になった。 以前はこんなにひどくいはなかったように思うが…。  次は紅葉の時期にまた来ようということになった。

♪ 夏が来れば思うい出す  はるかな尾瀬 遠い空 / 霧の中に浮かびくる やさしい影 野の小道 / みずばしょうの花が咲いている 夢見て咲いている 水のほとり / しゃくなげ色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空 ♪

 http://www.youtube.com/watch?v=mu8KdO7CbBg&feature=player_embedded

 

 〈木道の脇にもたくさんのミズバショウが咲いている。もうしばらくすると葉が大きく目立つようになる。〉

 〈竜宮小屋へ行く途中にある写真の定番スポット。 今朝4時頃から至仏山の朝やけを狙って待ったが駄目だった。〉

 〈まだ少し控えめの水芭蕉の花〉

 〈朝日を待つ間も、霧は晴れず、まさに「霧の中に浮かび来る」景色である。〉

 〈うす雲からもれる光に木道が遠くまで輝いて印象的だった。〉

 〈池塘の水鏡〉

 〈水芭蕉とリュウキンカ〉

 〈竜宮小屋の前で出発準備〉

〈全員無事鳩待峠に戻り、アイスクリームを食べながら達成感を味わう。〉

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