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迷歩録 しゃくねつ

2018-07-17 13:10:54 | 日記
  黎明に  焦熱襲い  汗ばむや  禽獣草木  静かな目覚め


                                ひのひら  ろくべえ




       「しゃくねつ」(灼熱)の太陽が、早朝から照りつけ、気温はうなぎ登り、室内でも33度を

      超える暑さ、真夏のまっただ中、その様相が強い一日となった。豪雨水害にあった地方、地域は

      どうなっているのであろうか。援助に行ってる多くの人たちまで二次災害にならないことを願う
 
      ばかりである。

       援助とは、人間の集団心理とか、集団性の維持に欠かせない感情であるが、その行き過ぎは、

      逆に、被害者を悲しませる結果ともなってしまう。そうなれば本末転倒である。援助を行う時

      自分の能力を過信してはならない。勿論組織力もである。この判断を間違ってしまうと、個人

      も組織も崩壊してしまう。つまり援助という力は、援助を必要としている人にとって有効でな

      ければならない。その有効性を最大限求めるためにも、過信した援助を行うとそのしわ寄せが

      身体に蓄積され、病気や怪我という事に発展もする。組織であれば組織崩壊という問題までも

      発展する可能性がある。

       人間は感情に左右されながら、生きているのだが、こと援助を行う時ほど客観的冷静な判断

      が求められるのではないだろうか。

       過信な援助を行なおうとしたとき、あの大学のアメリカンフットボール監督のように大学と

      いう組織イメージを壊すことになるのと同じ事である。

       援助という行為を、軽々に行ってはならない、そこには緻密な情報収集と観察力、さらには

      判断力というものが、要求される行動である。

       助けたい、助けられないというアンビバレンツな感情は人間には存在する、大切なことは自

      分のできることを過剰にならずに行う事ではないだろうか。

       援助という行為は、その正当性から灼熱感情となりやすい。「しゃくねつ」となりすぎてし

      まうと今日の太陽と同じで、苦しみまで与えてしまうことにもなってしまう。何事も過ぎたる

      は及ばざるが如しである。

       自分の能力を高めて援助行為を行いたいものである。特に福祉、医療に携わる者は、観察力、

      判断力を向上させ援助の本質を追求できる姿勢を持ち続けたいものである。