gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録   はざま

2017-07-26 13:48:05 | 日記
 <strong> 木陰にて  暑さしのぎて  一休み  流れる汗や  冷やすそよ風


                                  <strong>ひのひら  ろくべえ



    <strong>「はざま」とは、物と物との狭い所、谷あい、あいだ、(広辞苑)とある。つまり間という事ではないだろうか

    昨日の国会閉会中審査という中継放送を見ていて、感じた公人と私人の「はざま」で質問したり、答弁で応えたり

    時には異次元の人物となり、記憶を無くしたり、この国会で何を伝え、何を知ってほしいのか、国民を見下げた、

    「ね」語尾の言葉を繰り返す人たち、公人としてその場に立ってるにもかかわらず、個人的には知らない、記憶に

   ないなどを繰り返す。そのような事を国民は知りたいわけではなく、如何に真摯に問題解決、経緯を知りたいだけな

   のに、ご都合主義的に私人と公人を使い分けての議論には、国民はうんざりしたのではないだろうか。国民の印象は

   茶番劇と映ったのではないだろうか。

    私人と公人の「はざま」で誰も社会生活を営んでいる。そのことを自覚している人は少ないであろうが、このこと

   を自覚して働く必要があるのではないだろうか。

    対人援助の場でも、働いている時は公人である。公人として意識した言動を心がけることが大切であるが、そのこと

   を理解していない人も多いのではないだろうか。つまり個人的価値観でケア計画やアセスメントを行っていないだろう

   か、個人的価値観ではなく、チーム価値観を理解したプランというものを立案しなければならないのだが、個人価値観

   的プランになってしまうと、そのプランをできる者と、てできない者が、現れることになる。これではいくら素晴らし

   いプランでも役に立たないのではないだろうか。

    つまり、公人としての援助者は、援助者の個人的問題価値観だけでなく、チームとしての価値観やレベルというもの

   を把握している必要があるという事ではないだろうか。

    これがチームケアというもであろう。チームケアという事であれば、スタッフは働いている時は公人という立場を堅

   持しなければならないのである。そのためにも個人的に努力をしなければ、私人の領域を出ることはできなくなってし

   まう。公人と私人の「はざま」で右往左往するだけの者になってしまう。そうなってしまうと、仕事そのものに嫌気が

   さし、対人援助という素晴らしい職業を失う事にもなってしまう。そうならないためにも日頃から、公人と私人を整理

   して考え、その「はざま」に落ち込まないように心掛けておくことが大切ではないだろうか。

    その時々で公人であったり私人であったりする、今の時点はどちらなのかを自覚した言動が大切ではないだろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿