どーも。ずっと痛いプーカプカです。
四十肩、最初の痛みからどれくらい経ったのか…
今となっては分かりませんが。
で、もう痛みを取ることに執着するのをやめようと決めました。
痛いながら、どうやって生活の質を上げていくか、にシフトするのです。
気持ちが固まると、今まで目にとまらなかった情報も入ってくるようになり…
特に2つ目に書かれている、むやみに慢性疼痛解消にのめり込まない、という心理的到達は、1年間やれる事を全てやった自分の、今の思いにしっくりきてます。
ひるがえって、糖尿病も完治することに執着すると、手痛い目に遭いそうだ、とも思う。
今現在、運動や食事や肉体改造で寛解状態を得たとして、しかし高齢化したり、他の病で生活態度を維持できなくなった時、肉体は、発症時と同じ状況にさらされる事になる。
完治にのめりこむ余り、「病と一緒にどうやって生きて行くか」への腐心に対する拒絶感は、出ないのだろうか。
批判しているのではなく、糖尿病が完治する、と信じたい人の心の裏側にあるモノに、純粋に興味が尽きない。
大多数の、脆弱なる精神を騙しながら生きている人間には、その克己がつらすぎる闘病方法だと推察する。
が、全患者の数パーセントも居ないであろう、強靭な精神で完治の上に君臨した人物は、強すぎる故に弱すぎる、と印象してしまうのは、まま老婆心と、一般ピープーの率直な感想である。
寛解、完治を目指してさまざまな取り組みをし、
自身の中で確立し揺るぎないものになり、
ものごとをそれベースに考えてしまう。
私自身、寛解とか完治とかは無理な話ですが、
それらに期待して突き進む心理は理解できます。
完治なくとも、それなりの利益(からだの)は、求めて取り組んでますしね。
ただ、何事にもだと思いますが、
それしか見えなくなり、それしか信じられなくなることは、私も気をつけたい所です。
いつか訪れる老いを認知した上で、
弱さを実感しつつ、精一杯、強がって、あがきまっくってみたいです。
血液検査の結果でほっと出来るよう祈っております。
これ読んでイラっとせずに、受け止めたという事は、kazukou1508さんは強すぎて弱いタイプでは無く、強すぎて本当に強いタイプかと(笑)
数字に弱いけど数字が大好きな自分としては、検査結果は真摯に受け止め、数字で測れる病である事の有り難さも受け入れていけたらと、理性では望んでいるのですが、なかなか、ね。