真夜中の血糖

どうやってケムニマコウか煩悩ちう。

四十肩、結論。

2017年09月23日 | 真夜中の血糖バナシ

どーも。ずっと痛いプーカプカです。

 

四十肩、最初の痛みからどれくらい経ったのか…

今となっては分かりませんが。

 

で、もう痛みを取ることに執着するのをやめようと決めました。

痛いながら、どうやって生活の質を上げていくか、にシフトするのです。

 

気持ちが固まると、今まで目にとまらなかった情報も入ってくるようになり…

トラウマ型の痛みに決着をつける

「記憶」に上書きしていく意味

特に2つ目に書かれている、むやみに慢性疼痛解消にのめり込まない、という心理的到達は、1年間やれる事を全てやった自分の、今の思いにしっくりきてます。

 

ひるがえって、糖尿病も完治することに執着すると、手痛い目に遭いそうだ、とも思う。

今現在、運動や食事や肉体改造で寛解状態を得たとして、しかし高齢化したり、他の病で生活態度を維持できなくなった時、肉体は、発症時と同じ状況にさらされる事になる。

完治にのめりこむ余り、「病と一緒にどうやって生きて行くか」への腐心に対する拒絶感は、出ないのだろうか。

 

批判しているのではなく、糖尿病が完治する、と信じたい人の心の裏側にあるモノに、純粋に興味が尽きない。

大多数の、脆弱なる精神を騙しながら生きている人間には、その克己がつらすぎる闘病方法だと推察する。

が、全患者の数パーセントも居ないであろう、強靭な精神で完治の上に君臨した人物は、強すぎる故に弱すぎる、と印象してしまうのは、まま老婆心と、一般ピープーの率直な感想である。


2 コメント

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Unknown (kazukou1508)
2017-09-24 13:49:11
深いですね。おもわず後半、唸りました。
 
寛解、完治を目指してさまざまな取り組みをし、
自身の中で確立し揺るぎないものになり、
ものごとをそれベースに考えてしまう。

私自身、寛解とか完治とかは無理な話ですが、
それらに期待して突き進む心理は理解できます。
完治なくとも、それなりの利益(からだの)は、求めて取り組んでますしね。

ただ、何事にもだと思いますが、
それしか見えなくなり、それしか信じられなくなることは、私も気をつけたい所です。

いつか訪れる老いを認知した上で、
弱さを実感しつつ、精一杯、強がって、あがきまっくってみたいです。

血液検査の結果でほっと出来るよう祈っております。
kazukou1508さん (プーカプカ)
2017-09-24 16:53:39
なかなかに、書くのをコトバ選んだ記事でございます。

これ読んでイラっとせずに、受け止めたという事は、kazukou1508さんは強すぎて弱いタイプでは無く、強すぎて本当に強いタイプかと(笑)

数字に弱いけど数字が大好きな自分としては、検査結果は真摯に受け止め、数字で測れる病である事の有り難さも受け入れていけたらと、理性では望んでいるのですが、なかなか、ね。

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