古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈電動はさみ〉が故障しました。

2024年02月23日 18時06分34秒 | 古希からの田舎暮らし

 玄関先の竹藪の竹が、枯れて道路に倒れています。鋸をもっていき、切って道端に置きました。〈電動ばさみ〉で竹の枝を切ろうとしたら、動きません。故障したようです。去年の10月にアマゾンで買いました。「故障品を交換してもらおう」とネットを見ると、どうすればいいかわかりません。年寄りには無理か。明日パソコンでお世話になっている方に助けてもらいます。
 今朝は小野市のパン屋さん〈カンパーニュ〉に行きました。店内に珈琲でパンを食べれるカウンターがあります。

 10時のおやつはパン屋さんで。
 外は寒いし雨も降るし、焼き芋はできないし、家の中でぐずぐずしていました。
 池波正太郎の古い随筆の本『男のリズム』を読んでいたら、こんな文があります。


(私が子供のころ住んでいた)この家は玄関も何もない。いきなり道路から長四畳の部屋。つぎが六畳、台所。 …… (関東)大震災後の典型的な下町の家であって、 …… 近辺は、いずれもこのような家ばかりで、炭屋・油屋・洋服屋・弓師・仏師・鍛冶屋・八百屋・下駄屋・駄菓子屋・酒屋など、すべて人びとが手足をうごかして品物を造り、これを商う(あきなう)姿を、子供の私たちは朝に夕にながめて育ったのである。この時代の生活が、いま、時代小説を書いている私にとり、どれほど実りをもたらしているか、はかり知れないものがあるといってよい。

 ガスはなくとも水道があり、むかしの女たちの水汲みに要する時間は省けたにしても、近辺の女たちの労働は、いまからおもうと大変なものであった。 
 煮炊きをする火加減に絶えず気をくばりながら洗濯をし、洗濯をしながら幼い子たちを見守る。子たちの相手をしながら、夕の惣菜の事を考える。 ……

 江戸時代とあまり変わらないような大正、昭和初期の描写です。敗戦後も田舎の我が家では、木を燃やして飯を炊き、味噌汁をつくり、川や〈たらい〉で洗濯し、ほうきで掃除をしました。「いま何時ですか」ときかれると柱時計を見て時間をおしえ、「うちの時計は10分遅れです」とつけたしました。そんな時代は「はるかむかしのこと」になります。私たちは、子どもの頃そんな体験をした〈最後の世代〉になります。若い人(60歳くらいまでの)と共感するのはもう無理ですな。
 
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