古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

棚をつくりました。

2022年11月30日 17時24分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家は裏に小屋があります。幅3メートル長さ6っメートルの小屋です。2009年に自分で建てました。吹さらしの小屋ですが、前後の軒は深くしています。ぼくは大工道具を置いてるし、道子さんは家庭菜園の道具や肥料などを置いています。
 雨の日でも気が向くと作業ができます。道子さんは苗づくりをするし、ぼくは大工仕事をします。
 今日は、はめ込みの棚をつくりました。

 明日ペーパーをかけて、ニスを塗って仕上げます。
 
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「癌」について

2022年11月29日 18時36分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 日本の負けた、あの戦争のあとも、世界のどこかでは戦争がつづいています。戦争のない地球は絶望的に遠い。
 いま読んでいる早川暁の『戦艦大和日記』第3巻にこんな文が書いてありました。
 日本もその『癌』にかかろうとしているのか。『癌』にかかって、もがいているのか。
 どうすればいいのでしょう。


 元来、軍備というのは、敵に負けないためのものである。想定される敵に勝てるくらいの軍事力が要求される。軍備を持つ思想とは、負ける戦争ぐらい悪いものはない、敵に勝つだけの軍事力を持っていなければいけないと考えるに至る。ところが敵に勝つだけの軍事力というのは、絶対値がない。必ず勝つためには、常に軍事力、防衛力が膨張し続ける運命にある。
 もう少し軍事力があれば、もっと安心。しかし相手も軍事力を膨張させているだろうから、さらに強化しなければ、安心できない。一度守ろうとし、また攻めようと考えて軍事力を持つと、それは悪性の癌細胞のように無限大に増殖していって、とどまるところがないものである。

 今日は軽自動車を自動車屋さんに持っていって、冬用タイヤに替えてもらいました。70歳代前半の頃は、ジャッキで車を持ち上げて、自分でタイヤ交換をしていました。この5年ほど〈やる気〉ゼロです。タイヤを一輪ずつ車に積みますが、結構重く感じます。「何歳まで、自分でタイヤを車に積めるかなあ」と思いました。
 タイヤ交換をしてもらう間、店で待っていました。以前なら車を借りて「ちょっと買い物しよう」と出掛けたものです。今日はどこにも寄らないで帰ってきました。「歳とったなあ」と思いました。
 帰り道で、細川町金谷の銀杏を見ました。

 雨ですが「いい色」です。この銀杏は戦後に植えたそうですが、いい樹形になってます。毎年遅めの落葉ですが(12月3日前後)今年はちょっと早めです。
 裏山に銀杏を植えているのですが、生長は実に遅いです。こんな樹が裏山にあるといいなあ。
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アオジ/シロハラ/はいつ帰ってくるかなー。

2022年11月28日 17時23分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日、庭先で雄のジョウビタキを見ました。北のほうからもどってきたんだ。
 去年のブログで、アオジ/シロハラ/が「いつもどってきたか」チェックしてみました。シロハラは12月26日、アオジは12月27日に確認したと書いてます。ずいぶん遅かったんだ。
 でも「今年は早いかもしれない」。と思って〈バードフィーダーまわり〉をきれいにしました。まず草を刈りました。あまり伸びてませんが、粟粒をついばみやすいように。夏の間すぐに伸びた最強の雑草〈ハマスゲ〉は25度以下になると生えてきません。
 小鳥用水浴びプールの水もかえました。

 アオジさま、シロハラさま、早く帰ってきてください。  
 裏山への登り口も芝生を刈りました。

 道子さんは春の花壇を飾ろうとポット苗を植えます。冬の水管理にずっと気をくばります。花の好きな人はえらいなあ。
 落ち葉がしきりです。演出一切なしのたき火場です。

 風が吹くと地面に散らばりますが、ベンチにもたき火のカバーにもよく散っています。
 イスにすわって見上げていると、一枚の葉がスーッと落ちてくる。静かな林。秋の空気。この情緒がなんともいい。

 
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〈田園交響ホール〉の音楽会に行きました。

2022年11月27日 18時09分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 篠山町は1995年から、中学校に勤めながらアパートを借りて2年間暮らした町です。
 篠山は味の観光名所で、たくさんの人が訪ねます。いろいろ見て、食べて、土産を買って、「ああ、行ったなあ」と思い出します。しかし「行く」と「暮らす」は全然ちがいます。「暮らす」と思い出がいっぱい。町の通りを歩き、店を見るだけで、なつかしい。その篠山に久しぶりに行く。朝から〈たのしみ〉でした。

 これは、アパート近くにあった『石くど』という、古墳時代後期(6世紀後半)の古墳です。「この地の有力者の古墳ではないか」といわれます。休みの日に散歩に出て、よくながめました。篠山に暮らしたのはもう27年も前になりますが、こころに残る遺跡です。
『石くど』から奥のほうに車で行きました。行先は『藤岡ダム』。

 雨が少なく水位は下がっていますが、灌漑用のダムです。このダムにもよく行きました。お泊りのお客さんがあり、朝食をバスケットに入れて、ダムで食べたこともあります。いまはイノシシ防護柵がありますが、中には入れます。
 ダムの縁を歩きながら「あの頃は若かったなあ」(実際は結構な歳だったけど)といろいろ思い出しました。
 今日は田園交響ホールで音楽会があって篠山に来たのです。

 篠山を拠点に活動する『メロマン室内管弦楽団』の定期演奏会です。先日、西神のホールであった音楽会(三木室内管弦楽団の定期演奏会)のときにチラシをもらいました。「よーし、篠山であるなら聴きに行こう」とたのしみにしていました。
 シューマンの交響曲第三番「ライン」を演奏しました。管楽器が練習を積んでほどよく演奏されるし、弦楽器の音がきれいでした。年に一度の演奏会のようですが、来年も聴きに来たいと思います。
  
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〈皇帝ダリア〉が満開です。

2022年11月26日 17時24分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 庭の柵沿いに植えてある〈皇帝ダリア〉が満開です。

 道子さんは「背が高くならないように」手当したのですが、それでも伸びて3メートルくらいになってしまいました。ズーム・アップして撮りました。車で走っていると、ときどき庭先に高い皇帝ダリアを見かけます。花のとぼしい季節ですが、みなさんこの花が好きなんですね。

 我が家の玄関には、写真のような石の置物を置いてます。

 25年前、カナダのイエローナイフという北の町で買いました。イエローナイフは「オーロラの見えるさいはての町」です。マイナス40度になる夜、外に出て空を見るので防寒具を貸してもらいます。
 これはイヌイットの人たち(エスキモーという言葉はつかいません)がつくっています。氷の平原で目印に立っている道標です。それをミニチュアにした土産品です。実際の道標は鳥居のように高く、大きく、人が下をくぐれます。この道標は「イヌクシュク」という名前です。
 ツアーに参加したとき「オーロラを見ると人生観が変わる」といわれました。そんなことはなかったけど、空いっぱいに広がって波打つ光は気持ちよかったです。
 いまもこの石を見ると「あのオーロラの波うつ夜空をまた見たいな」と思います。
 
 
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二つの音楽会が〈たのしみ〉です。

2022年11月25日 17時51分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 11月は〈三木室内管弦楽団〉の演奏会が西神のホールであり、生の音楽をたのしみました。そのとき入口でもらったチラシに、〈メロマン室内管弦楽団〉の演奏会がありました。
 聞いたことがないけど、どんな楽団か。会場は「(丹波篠山市立)田園交響ホール」です。秋の篠山はいい。ぜひ出掛けたい。
 この室内管弦楽団は篠山を中心に結成され、50年も活動しているそうです。知らなかったなー。11月27日(日)午後、シューマンの交響曲第三番「ライン」を演奏します。
 あのホールは、篠山で2年暮らして、ときに音楽を聴きました。エマ・カークビーの歌もこのホールで聴きました。なじみがあります。秋の買い物もしたいし、音楽もききたいし、たのしみにしています。

 今日、東条の図書館に本を返し借りに行ったら、ポスターが貼ってあります。
 エッ? 今年もやるのか。NHK交響楽団・コンサートマスターの篠崎史記(マロ)さんの演奏会が、今年もコスミックホールであります。4年か5年連続になるのかな。チケットを買いました。
 2020年は、チケットを買っていたのに行くのを忘れてました。残念! 毎年のたのしみが今年もある。うれしいです。
 篠崎さんがコスミック・ホールではじめて演奏したとき、マイクでこんなおしゃべりをしました。

「三田市のホテルに泊まったのですが、演奏会場に行くことになり、自動車に乗せられ、高速道路で山の中を走ります。どんな田舎に行くのか不安でしたが、こんな響きのいいホールに着きました」

 マロさんは、よほどこのホールを気に入っておられるのでしょう。音楽が聴けてしあわせです。

 ドアにチラシを貼って、ながめています。西宮の芸文センターには定期演奏会で2年間通いました。でもいまはもう「行くのがしんどい」。無理しないでおきます。

 
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〈干し柿〉づくり

2022年11月24日 17時05分26秒 | 古希からの田舎暮らし

 朝、ロールカーテンを開けて、日の出前の山/雲/村の景色を見ながら、スワイショウをします。今日の眺めです。見ていると光が変化していきます。「毎日富士山を見ながらスワイショウをする人もいるんだろうな」とちょっとうらやましい。でも日の出の位置が少しずつ動き、光が変わる。いい気分で眺めています。

 一ヶ月以上前に注文していた〈あたご柿〉20キログラムが届きました。道子さんが干し柿にしてつるしました。

 あたご柿は、いままで〈三木・道の駅〉で買っていた〈西条柿〉より大きくて、手ごたえがあります。これがみんな干し柿になって、美味しく食べられる。うれしいですね。
 うちの干し柿は、色が変わり、柔らかくなったところで、取り入れて冷凍します。固くなり、粉がふくまで干しません。干し柿にすると小さくなりますが、それでも〈あたご柿〉は大きい。半分に切って、二人のおやつにします。今年の冬は、毎日のように食べられそうです。

 福地池のまわりを散歩しました。落ち葉におおわれたアスファルトの道を、かさかさ音をたてながら歩きます。
 秋はいいなあ。
 
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『戦艦大和日記』第三巻 おもしろくなってきました。

2022年11月23日 18時04分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 早川暁の『戦艦大和日記』第一巻は〈英・米〉もびっくりするような巨大な大砲を備えた軍艦の話が中心でした。技術的なところは、読んでいるとついウトウトしてしまいました。今日は雨で、第二巻をグイグイ読んで第三巻に入りました。(敗戦まで全部で五巻)まだ昭和13年12月のところです。
 中国での戦争は昭和12年7月にはじめましたから一年半たったところです。(昭和20年まで8年間つづく戦争)作家・早川暁の力技に引き込まれるように読んでます。こんな調子で書かれています。長くなりますが、引用します。

昭和13年12月26日
(水野広徳・海軍大佐が〈退役した軍事評論家〉として、学習院校長・野村吉三郎大将に会いに行って) 
 ヒットラーのねらいは、英ソをアジアに釘づけにすることである。オーストリア、チェコスロバキアの征服計画を成功させるためには、英ソの妨害干渉を阻まねばならない。そのためには日本が中国侵攻で成功を収め、アジア全土に勢力を伸ばし …… 。
 ソ連内で日本非難の論調が高まり、対日牽制以上の政策を模索しはじめること。
 そういう動きを背景として、米英海軍の共同戦略が秘密裏に …… はじまったのである。
「日本は、日中問題が国際化しないうちに、支那事変を解決すべきだったのです。しかし、もうすでに支那事変に米・英・ソ・独が深く関わってきました。このままでは、恐るべき日米戦、あるいは日対英米戦は避けられないでしょう」
 水野は、ちょっと息をととのえてから、一気に、宣誓するように言った。
「中国から日本兵100万を引きあげること。さらに、満州国を中国に返すこと。以上です」
 …… (長い中略)
「水野さん、陛下に直訴して、中国大陸から100万の日本軍撤退の命令をもらえるだろうか」 
 これが、水野広徳の破天荒な提案に対する野村の答えである。
「野村さん、あの方の命令でしか、陸軍は言うことを聞かないのです」
「 …… あの方でも、無理なような気がする」
「陛下に無理なことがあるものか!」
「陛下は、大変穏やかな気質のお方だ。素手でビルを動かすような真似は、なさらない気がする」
「冗談じゃない! 国が亡びるのだぞ。天皇がそれを救わなくてどうする!」
 野村は大きな声をあげた水野を、指を口にあてて制した。
「すまん。昂奮して、すまなかったです」
「統帥権は、いわば毒薬です。大劇薬です」と野村はつぶやいた。
「それを、水野さんは使えというんですね」
「稀にですが、毒薬が救命の薬になることがあります」  …… (中略)
「陛下にそんな怪力を期待するのは間違っているかもしれないが、悲しいけれど、いまや私にはあのお方の力を信じてみるしかないんだ」    (中略)
「水野さん、松岡洋右という人物を知っているかね」
「松岡洋右 ……。 あの国際連盟の脱退を演じた男かね」
「そうです。あの松岡洋右なら、あるいは100万の兵士を引き揚げさせることができるかもしれない」
「なぜ……」
「彼は危機のときほど、信じられない力を発揮する男です」
「しかし、彼は軍部寄りの、右傾政治家でしょう」
「水野さん、右を動かそうとしたら、右の人間をつかうことですよ」
「そうか、右を動かすのは、右の人間か」    (中略)
「野村さんが、それほどまでに言われるのなら、会ってみます。紹介してくれますか」
 しかし水野は、写真でしか見てないけれど、松岡洋右という小柄な男に、なぜか不吉なもの、不穏なものを感じているのだ。

※ さすがは脚本家/小説家です。こんな場面があったかどうかわかりませんが、歴史上の実在の人物が立ち上がってきます。
  

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〈伽耶院〉の紅葉は12月まで見られそうです。

2022年11月22日 17時30分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日の慈眼寺は、銀杏が散っていました。「今年の紅葉ははやいかもしれない」と今日は伽耶院に出掛けました。
 頃合いからいうと、伽耶院は〈見ごろ〉です。お客さんもつぎつぎやってきます。いっぱい写真を撮りましたが、一枚。

「芸のない」写真ですね。紅葉の最中という樹があり、まだ青い葉っぱばかりの紅葉の樹がかなりあります。これから12月初旬まで長く紅葉をめでることができそうです。
 落ち葉を踏んで境内を歩く。気持ちがしっとりしました。

 毎年のように二本の銀杏の樹を見ることにしています。一本は〈志染愛真ホーム〉の銀杏の樹です。

 葉が〈散りかけ〉ています。太陽が出ていたらもっとよかったけど、こんな感じです。
 もう一本はJAガソリンスタンドの向こうに見える銀杏です。戦後に植えたそうですが、もう80年近くなる立派な樹形です。この銀杏はまだ落葉していません。色も「あと5日」というところかな。
 
 85歳になったら「村のゴミ・ステーションのアプローチ草刈りをやめよう」とブログに書きましたが、まだ元気です。「11月末に草を刈ろう」と思っていたました。昨日見たら「きれいに刈ってあります」。村のどなたか、気持ちをこめて刈られたのでしょう。ありがとうございます。
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慈眼寺の銀杏は散ってしまいました。

2022年11月21日 17時51分20秒 | 古希からの田舎暮らし

 朝、日の出前にシャッターをあけたら、遠くに霧がはっていました。しばし見とれていました。スワイショーの10分間、眺めながら手を振ります。景色は見る見る変化していきます。
 午前中は、ネットハウスにつかっていた材木を、電動丸鋸でタキギ用に切りました。

 薪がいっぱいできました。毎日たき火ができます。家の中でうずくまってないで、外に出てたき火をする。落ち葉を燃やす。火が燃えるのを見ていると、無心になる。なんかいい。
 ヘルマン・ヘッセの『デミアン』には「二人の少年が暖炉に燃える火を黙って見つめている」場面が出てきます。BSテレビ(NHK)には『魂のたき火』という番組で延々とたき火が映し出されます。ブラウン管/液晶画面/で〈たき火〉を見るのはどうでしょう。あれをずっと見る人もいるのでしょうね。
 木が燃える炎をただ見る。裏山で好きなだけたき火ができる。恵まれてます。ときどきは〈焼き芋〉もします。
 三木の〈紅葉狩り〉はどうか。午後慈眼寺に行ってみました。

 お客さんはちらほら。境内に入ってみたら、地面に銀杏が散り敷いています。5日前が見頃だったか。紅葉の木には青い葉っぱもあります。これから紅葉します。でも銀杏がおしまいでは見ごたえが半減します。残念でした。
 明日は伽耶院で〈紅葉狩り〉をしようかな。
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ネットハウスは取り払いました。

2022年11月18日 20時09分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 老人でもいろいろすることがあるものです。
 今日は ⓵ 予約の歯医者さん(歯の掃除など) ② 稜庵で昼食の蕎麦 ③ 青山に出て散髪 ④ 三木の図書館で本を返して借りる(早川暁の『戦艦大和日記』第1巻を返して2,3,4巻を借りる) 道子さんはウエルシアで買い物 ⑤ 家で昼寝のあとネットハウス撤去の残り作業。 道子さんはウッドデッキ前の花壇手入れ。
 日の暮れるのが早くなり、5時半を過ぎると外仕事は無理です。
 ネットハウスの材料は、やはり相当劣化してます。木材も動物ネットも。ですから動物ネットはプラスチックゴミとして出します。木材は裏山に運びました。電動丸鋸で50センチに切って、薪としてつかいます。

『戦艦大和日記』はおもしろくはありませんが、あの戦争に突入した歴史の流れがよくわかります。すらすら読める本ではありませんが、食いついたら最後まで読みます。16歳のときに敗戦を体験した少年の思いを、あとにつづく者としてうけとめたいです。
 
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イチゴ・ネットハウスを撤去します。

2022年11月17日 23時20分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 いまのイチゴ・ネットハウスは2019年4月に建てました。あのときは左膝の手術をする前でしたから、足を引きずって作業しました。ブログを見ると建てるのに10日以上かかっています。
 このネットハウスで、4年間イチゴをつくり、アライグマに悔し涙を流させてきました。

 ネットハウスは、まだ2,3年はこのままつかえそうです。でもイチゴの4年間連作は長すぎる。「新たにネットハウスを建てる」としたら「来年くらいまでかな」という気がします。
 そこでネットハウスを壊すことにしました。
 作業してみると「実に頑丈につくったもんだ」と感心します。「アライグマには一粒のイチゴもやらないぞ!という思いがこもってます。壊すのに時間がかかりました。資材で使えるものは再利用するつもりでしたが、4年間の使用で劣化しています。木材は薪に、動物ネット/金網/は廃棄します。
 一日しこしこ作業して、やっとここまでやりました。

 隣りの畑との境はそのまま残すつもりです。
 いままで二畝でしたが、ネットをとると三畝つくれそうです。
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垣根を刈りました。

2022年11月16日 17時05分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝から大将軍神社へのお参りを意識して、10時頃にお参りしました。お昼は当番の方にいただいたお餅。昼寝のあと午後は垣根を刈りました。

 垣根として植えた〈カイヅカイブキ〉がチョンチョン伸びています。刈ったほうがいい。
 電動バリカンで刈ります。

 コード式の手持ちのバリカンで刈りながら、「テレビでいまも宣伝しているあの高枝バリカン(バッテリーの)は先が重くて使いにくい。やっぱり手持ちの軽いバリカンがいい。あの高枝用は買わんでもよかった」と思いました。しかしどうしても手の届かないところがある。高枝用を持ち出して全部刈ることができました。
 高枝用が役に立ってよかったです。

 刈った垣根の出来栄えです。
 道子さんはイチゴを植えました。60株買ったのですが、少しあまりました。

 イチゴネット・ハウスは来年4月につくります。いまのイチゴネット・ハウスは明日から分解します。
 もうジョウビタキの鳴き声が聞こえます。シロハラやアオジはまだ来ないのでしょうか。いまはバード・フィーダーにダレも飛んできません。スズメも鳩も。
 もうすぐ飛んでくることを期待して、今日は水を新しくし、粟粒をまきました。

 飛んでくるようになると、また〈たのしみ〉がふえます。
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イチゴの畝をつくりました。

2022年11月15日 17時34分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 今年は、イチゴを一畝だけにしました。道子さんがイチゴのすべての作業をするのですが、低い姿勢で世話をするのがつらくなりました。来年はネットハウスを移動します。イチゴは、いまの畝で4年間つくりました。土の再生剤をまくよりも畝をかえたほうがいい。ネットハウスの動物ネットも日光で劣化してきました。アライグマは元気で、4日に一度くらい畑に来ているようです。
 そこで畑の中ほどにイチゴの畝をつくりました。
 まず今の細い畝を、土を寄せてふとい畝にします。その畝を割ったところです。

 耕運機は4年前に引き取ってもらいましたから、手作業です。割ったところに、秋の手づくり野草酵素飲料の〈しぼりかす〉を水でといて撒きます。それから燻炭とJA鶏糞を入れます。作業の途中、軽トラで燻炭と鶏糞を買いに出ました。
 大きな燻炭を二袋ポンと積める。軽トラは、ほんとにありがたいです。
〈割り肥〉がすんだら畝整形です。ぼくは土寄せをしてレーキ(ガンジキ、サラエ)でならすまで。あとは道子さんが素手で土をなでながら整形していきます。彼女にとっては、この仕事が極上のたのしみなんです。

 手前のほうが、道子さんが手でならした畝です。イチゴの苗(宝交早生)は60株買ってあり、明日道子さんが植えることになるでしょう。
 そうそう、明日は16日。大将軍神社にお参りする日です。10月は〈稲刈りの月〉で「お参り」がありませんでした。
 絶対忘れないぞ! 
 
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食べ物屋さんを応援します。

2022年11月14日 21時28分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 コロナで大変な人は多いですね。身近に思うのは食べ物屋さんです。客が少なくなりました。そこでささやかながら「味をたのしみつつ応援しよう」と近くの『悠庵』で「お昼定食」しました。

 刺身/天ぷら/焼き魚/煮物/などが、ほどよく入って老人は満足です。夜は多彩なメニューがありましたが、いまはお昼だけの営業だそうです。
 三木市で〈プチ田舎暮らし〉をはじめて16年。折りにふれて〈悠庵〉にはお世話になってます。高齢の母の存命中は、誕生日に兄弟がつどい、ここで会食会をしました。百歳のときは〈祝い膳〉を出前してもらいました。お客さんがあって夜の食事をたのしんだこともあります。老人会で、送迎してもらい会食したときもありました。公民館のあつまりに出前してもらったこともあります。
 世の中が、はやくコロナのトンネルをぬけたいですね。
 
「三木の最高峰」とネットに入れたら『石上山』が出てきます。211メートルです。口吉川町は標高100メートルくらいですから、百メートルほど高いだけです。我が家から東南方向に見えます。

 いまは太陽が南寄りに昇ってきます。あとひと月ほどで冬至です。
 老人二人の朝は東を向いて〈スワイショウ〉からはじまります。ロールカーテンをあけ、この〈日の出前〉をながめながら10分間腕をぶらぶらします。開始時刻は6時30分です。
 毎朝「東の空」を10分間眺める。なんかいい。気に入ってます。
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