古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

2017年6月が今日で終わります。

2017年06月30日 03時09分41秒 | こんな本を読みました
 2017年6月は、生きているぼくにはとても長い月でした。その6月も今日で終わります。長かった。
 天気予報は雨のようなので、合間に裏山の草刈りをして過ごすつもりです。
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とりあえず「白いヒモと髪の毛で」イノシシ対策をします。

2015年12月16日 03時46分14秒 | こんな本を読みました
 裏山の山頂にイノシシ出没のあとがあると書きましたが、きのうの朝登ってみたらイノシシが新しく掘ったところは見当たりませんでした。いまのうちに対策を講じることにします。
 きのう道子さんがとなり村の美容室に行ったとき、イノシシが裏山に出没した話をしたそうです。するとさすが美容師さん。「うちは人間の髪の毛を畑の縁に撒いてます」だって。
 で、きのうお店で散髪した人の毛髪を、ビニール袋にもらってきました。これを網の袋に入れ、白いヒモを張って、ところどころぶらさげます。動物は臭いに敏感だから効き目があるでしょう。オオカミのオシッコも売ってるらしいけど、被害が出るようになればまた考えます。
 前に新聞に書いてありましたが、いま日本には360万頭の鹿がいて、農業の被害が増えています。猟友会が頑張って駆除していますが、いまのペースで駆除すれば、10年後には500万頭を超えるそうです。
 鹿も猪も爆発的に増える。畑での野菜づくりは無理になります。どうしたらいいでしょう。

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今日でこのブログを終わります。

2015年10月04日 03時45分15秒 | 古希からの田舎暮らし
『古希からの田舎暮らし』を書きはじめたのは2009年3月でした。あれから足掛け7年になります。71歳で「ブログというもの」を書きはじめたぼくは、古希を過ぎ、喜寿も過ぎ、明日で満78歳になります。
 いつまでも「古希 / 田舎暮らし(12月で10年目になる)」というのはおかしい。
 そう思って「このブログを終わります」と衝動的に書いてしまいました。
 ではこれからどうするか。
 ひと月考えましたがいい知恵が出ません。facebook とか twitter とか LINE とかいうものがあるそうですが、ぼくにはサッパリわかりません。といって発信をやめる気にはなりません。残りの人生がまだありそうだし、のぞいてくださる方もありそうだし、発信するエネルギーもありそうだし。
 で、『とりあえず80歳へ』という題名で同じような調子のブログを書くことにしました。「爺やのつぶやき」とか「八十路へ」とという語は使いたくないし、いい題名が浮かびませんでした。自分でも「芸の無い」題名だと思います。
 『古希からの田舎暮らし』をのぞいていただき、ありがとうございました。
 『とりあえず80歳へ』ものぞいていただけたらうれしいです。
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イノシシ用電気柵があちこちに

2015年10月02日 01時49分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 イノシシが稲田や黒豆畑を荒らしています。効き目もあるし補助もつくので、あちこちの村が電気柵をめぐらすようになりました。写真の手前はうちの村のイノシシ用檻です。この田んぼでイノシシがころげまわって、向こうの稲がなぎたおされています。
                     
 あの檻だったら100キロほどのイノシシでも入れますが、問題はかかるかどうか。そういえばうちは5月下旬にイチゴをアライグマにやられ、市役所で檻を借りたのですが、サツマイモを入れてまだ畑のそばに仕掛けたままです。あれからアライグマ侵入の形跡はないし、もう返そうと思います。

 このブログは10月5日で終了すると書きました。そうします。
 が、ぼくの人生の「一巻の終り」にはまだ時間があるようです。2009年3月から足掛け7年間、1500回ほど書いてきたぼくなりの「発信」は、題名を変えてつづけたいと思います。「“facebook ”ってどんなんだろう」と考えますが、新しいことはやめて慣れているこのブログのかたちで「発信」します。よろしくお願いします。
 
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『やすらぎの森診療所』の診察予約をしました。

2015年10月01日 06時04分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは足の親指が「巻き爪」で少し痛むので、以前ぼくが整形外科に行ったときついでに診てもらったことがあります。そのときお医者さんに「巻き爪の治療は皮膚科です」と言われました。いつか行きたいと思っていた『やすらぎの森診療所』には皮膚科があります。で、きのう二人で診療所に行って診察予約をしてきました。
                      
 診療所は静かな森の奥にある建物です。道路から180メートル(と書いてある)のアプローチは、右は自然のままの森、左は芝生が広がり、桜が2列に植えてあります。あと5年もすれば素敵な『お花見スポット』になりそうです。中に入って診察の予約をしました。(皮膚科の診察は<木・金>)待合室は、どこか奥ゆかしく、ゆったりした空間で、なにしろ造りが立派です。ぼくもついて行って、診察の間待合室で「やすらぎ」をもらってくることにします。
 きのう、大豆と黒豆の、ふくらみかけたサヤをゆがいて、試食してみました。大豆はあと一週間もすれば枝豆として賞味できそうです。居酒屋で出される枝豆は「おいしい!」という代物ではありませんが、うちの大豆枝豆は味がいい。手がつぎつぎと出てしまいます。
 黒豆のほうはまだ未熟です。ふくらみも不十分だし、黒豆枝豆のあの風味が出てない。10月20日前後が食べ頃になるでしょうか。その頃には大豆のほうは固くなって枝豆としては食べられませんが。
 試食していませんが落花生の枝豆もあります。こちらは土の中にできているのは間違いなく、10月にはいつでも枝豆として食べられそうです。うちは落花生(枝豆)外交というか何軒かの方に毎年賞味してもらっていますので、今年も賞味してもらおうと思います。乾燥して炒った落花生も味がいいのですが、枝豆として賞味できるように粒の大きな『オオマサリ』という品種を植えています。そういえば国産の落花生は、枝豆としての消費が年々増えているそうです。一度食するとあの味が忘れられないのでしょうか。
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ブロックと足場パイプで焼却炉をつくりました。

2015年09月29日 03時29分48秒 | 古希からの田舎暮らし
                      
 畑の焼却炉です。ブロックを4段に積み、倒れないように曲げた鉄筋を差し込んで補修しました。ここで8年間刈った草や野菜くずなどを燃やし、草木灰は畑に撒いてきました。燃料は裏山の竹です。青草などを上に積み、下で竹を燃やします。そのサンを足場パイプで作り直しました。いままでは60センチに切ったパイプをブロックの上に並べただけでした。燃やすたびにパイプを並べ直していました。4年間燃やしてパイプは熱でボロボロになったので、新しいパイプをクランプでとめたのです。これで燃やしやすくなります。
 きのう、遊歩道や畝間を刈った草、野菜くず、掘ったサツマイモのツル、ゴマの株(根がすごい)を集めてみたら山のようになり、早速燃やしました。でもまだ燃やすものがいっぱいです。
 道子さんは工夫して胡麻の干場をつくり、胡麻を落とし、洗いゴマにしたりピンセットでゴミをとって収穫しました。一升超できました。
 防風ネットの中でつくっている小豆は、今年順調のようです。ぼくはネットハウスには一切入りません。道子さんがよく手入れしており、小豆も立派に育っています。たくさん採れそうです。まだわかりませんが。
 黒豆・大豆もよく育っているのですが、ムシがいっぱい。道子さんが、枯れ葉を取り除き、馬酔木・ニンニク・唐辛子・それにクララを混ぜた煎じ薬をずっと散布しているのですが、ムシの勢いは衰えないようです。道子さんの話では、あのクララは苦いと思って舐めてみたら、「苦くなかった」そうです。そういえばミキサーで粉末にしたとき、立ち込めた粉は薬湯のにおいがしました。クララは実に多様な病気に効く日本薬局方の薬ですから、ひょっとして体調不良のカメムシや夜盗虫が元気になっているかも。そんなことになったら「なにしとることやら」。
 人間と夜盗虫は、ちょぼちょぼの勝負をしとるんかもしれん。
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赤松さんが『カミーノ』を歩き通しました。

2015年09月27日 03時23分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 赤松さんは「野菜づくり」を体験しようと街から毎週うちの畑に来ていた青年です。この2年間、種を蒔いて芽を出したといってよろこび、実がなったといってよろこび、素直に野菜と向きあってきました。この彼が「勤めをやめてスペインの巡礼の道『カミーノ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ』を歩き通す」ときいて応援していました。山あり谷ありの巡礼道を800キロ以上、遍路宿に泊まりながら一カ月以上かけてひたすら歩くのです。
 きのう赤松さんが元気な顔で訪ねてくれました。
                     
 おみやげといっしょに帰朝記念撮影。32日間足が痛くなっても一日も休まず800キロを歩き通したそうです。その間に日本人には4人出会った、食事はなんといっても日本が一番、コミュニケーションは英語だけどはやくしゃべるのでなれるのに苦労した、そうです。巡礼で何かを得て、若者はこれからフィリピンに行き、しばらく暮らすそうです。前途有望の人生を開拓してください。
                     
 次の写真はレンタルしてもらった電動ベッドと机です。今日、母・妙子さんはショート・ステイから帰ってきます。(こちらが午後迎えに行くのですが)いままでベッドが低くて着替えなどを介護するのに腰が痛くなっていました。また食事のたびに車イスに移していました。
 写真はベッドを一番上まで高くしたところです。相当な高さになり、腰をかがめなくてすみます。背もたれが立ち上がるので、食事のたびに車イスに移る必要もなくなりました。介護がらくになります。
 車イスのレンタル料金は一カ月200円と安かったのですが、ベッドや机も数百円くらい(介護保険で)ときいてびっくりしました。手厚いし、行き届いており、国民のみなさまにお礼をいいたい気持ちです。
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運転免許を更新しました。

2015年09月26日 03時11分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 母のショートステイ中に、明石の運転免許センターに出掛けて免許証を更新してきました。
 78歳で更新しますから次の更新は81歳です。もし神戸の街で暮らしていたら「81歳になるか。運転免許証を返上するほうがいい年齢だな」と思うでしょう。歩いて15分で地下鉄の駅に行けるし、駅へのバスも15分も待てばあるし、スーパーや文化センターへは5分ほどで行けるし、どうしても車がいるときはタクシーが走ってるし、自家用車がなくても不自由は感じないでしょう。それに「もう運転しなくていいんだ!」という解放感が素敵です。
 しかし田舎に暮らしておればそんなわけにはまいりません。「元気に手足が動いて、認知症にならなければ」という前提条件をつけて「86歳まであと2回は免許証を更新して運転しないと不便だろうな」といまは思います。とりあえずこれから3年間じっくり考えてみます。
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『SEALDs』のさわやかな風を感じつつ。

2015年09月24日 04時16分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 22日の平和講演会でもらった資料を見ていたら、『SEALDs』(シールズ)という団体の「戦後70年宣言」というチラシがありました。Students Emergency Action for Liberal Democracys (自由と民主主義のための学生緊急行動)という団体です。
「学生がやっと立ち上がったか」という気持ちで、チラシを読みました。わたしたちは学生たちの背後をかんぐったり色眼鏡で見ようとしますが、一読して20歳前後の青年を感じました。ちょっと長文ですが宣言文を紹介します。


      自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs) 戦後70年 宣言文  2015年9月2日

 アジア・太平洋戦争が終わりを告げてから、70年の歳月が流れました。私たちは、そのうちの20年程度しか生きていません。戦争の時代を生きていない私たちには、知らないこと、知りえないことが数多くあります。しかしだからといって、過去と向き合うことを諦めません。私たちは、過去を真摯に引き受け、平和な未来をつくります。

 満州事変に端を発する先の戦争において、日本は近隣諸国をはじめとする多くの国や地域を侵略し、その一部を植民地として支配しました。多くの人々に被害を及ぼし、尊厳を損ない、命を奪いました。私たちは、この国が二度と同じ過ちを繰り返さないために、その過去と真剣に向き合い、自らの責任を果たしていきます。

 先の戦争においては、民間人を含む多くの日本人も犠牲になりました。地上戦の舞台となった沖縄では、旧日本軍の強制による集団自決が行われました。広島・長崎には、原子爆弾が投下されました。数多くの兵士が、望まない戦闘に加担させられ、命を落としました。他にも多くの人々が、空襲や飢え、病気などで命を失いました。私たちは、決してこの悲劇を忘れるわけにはいきません。  (中略)

 日本は戦後70年間、直接的には戦闘行為に参加せず、曲がりなりにも平和国家としての歩みを続けてきました。その歩みは、多くの先人たちが、先の戦争をふまえてつくられた日本国憲法の精神、とりわけ平和主義の理念を持ちつづけ、幾多の努力を重ねてきた結果です。だからこそ私たちは、平和国家のありがたみを噛みしめ、次の世代に受け継いでいこうと思います。   (中略)

 私たちは、戦後70年という節目にあたって、平和の尊さをあらためて強く胸に刻みます。私たちは、戦争の記憶と多くの犠牲のうえにあるこの国に生きるものとして、武力による問題解決に反対します。核の恐ろしさを目の当たりにした被爆国に生きるものとして、核兵器の廃絶を求めます。私たちは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」、ナショナリズムにおとらわれず、世界中の仲間たちと協力し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを」目指します。 (中略)
  
 私たちは、自分の頭で思考し、判断し、行動していきます。それを不断に続けていきます。偏見や差別を許さず、思想・信条・宗教・文化・人種・民族・国籍・性別や性的指向性、世代・障害の有無などの様々な違いを超えて、他者を尊敬し、共に手をとりあって生きる道を切り開いていきます。
 平和な未来をつくるために、過去と真摯に向き合い、努力していくことをここに誓って、戦後70年にあたっての宣言とします。
 
              自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)

 
青年たちは、大人やいろんな思想の人に気をつかいすぎてるし、生硬な感じです。でも<青年のこころ>は伝わります。「おう、芽を出したか」とぬくもりのある目で見守ります。



 
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「行雲流水を愛でるご隠居」のつもりですが、なかなか。

2015年09月23日 02時30分11秒 | 古希からの田舎暮らし
                       
 22日小野市のエクラホールで元自衛隊員の平和講演会があり、参加しました。大会議室はいっぱいでした。「戦争法案は国会で成立してしまった」のに、不思議に挫折感はなくて、戦争反対の熱気があふれていました。自民党の国会議員連中は、ほんとにこれでいいと思っているのでしょうか。鉄砲もって外国に出掛けて行って、人間を殺せ! と命令する政府がいい、と思っているのか。
 講演を聴いて「日本の国力と智恵と技術と誠意があれば <武器を持たなくても> いや <憲法9条があって武器を持たないからこそ> できる貢献がある」 ことがよくわかりました。 
 講演会のあと道路に並んで「戦争反対! 9条守れ!」のスタンディングがあり、ちょっとだけこれに参加したのが上の写真です。西脇の9条の会の人たちの横に、関係者のような、関係者でないような、顔をしてぼくが立っています。
 30歳代の頃には組合の「戦争反対!」の活動に参加したこともありますが、遠いむかしの出来事になっていました。30年も40年も前のことですし。定年退職のあとは、田舎暮らしを愛し、行雲流水の心境で畑仕事をするおじいさんになりたい。そして時期が来れば人生の幕を引く。そう思ってました。
 ところが『ご隠居』の心をかき乱すような社会情勢です。それに思ったより長生きしそうです。「自分を『ご隠居』の枠に無理にはめるのはやめよう」。生きておれば何歳になろうと日本の社会の一員です。街に暮らしていようと田舎に暮らしていようと。自分なりに考え、自分なりに発信しよう。
 なにもできないでしょうがそんな気概をもっています。
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曼珠沙華 イノシシ 電気柵

2015年09月22日 02時58分25秒 | 古希からの田舎暮らし

 お彼岸を過ぎてもまだほとんど芽を出さない年もありましたが、今年は植えて7年目の曼珠沙華が満開です。朝日のあたる東側の土手は「おー、咲いてるな」と思うほどの花列になりました。15センチ~20センチ間隔に1球ずつ植えたのですが、年々鱗根が増えてこんなに咲くようになりました。500球植えた中で360株ほど咲いています。これからは年々この花列が見られるでしょう。今年は冷え込みと雨が早咲きの引金になりました。9月10日までに草を刈って正解でした。(例年なら15日までに刈るところでした)。
 ところでこの写真で、手前の防草シート上に3段に張っているのは我が家の畑の電気柵です。その向こうに黄色の2本の電線が見えます。これは営農組合のみなさんが20日(日)に総出で張ったイノシシ用の電気柵です。今年営農組合では例年より増やして3町歩ほどの黒豆畑をつくっているのですが、山寄りの畑をイノシシが荒らしています。なんとか締め出さないと収穫がありません。で、長い長い電気柵を張ることになったのです。草が伸びて電線に触れないように気をつかうし、電線と支柱で刈りにくくなるけど仕方ありません。
 曼珠沙華は他の草が生えなくなる冬に、葉を茂らせ養分をたくわえます。だから花が終わって葉が出る前に土手の肩を刈ります。根にたっぷり養分を取り込んでほしいから。花の盛りが過ぎようとしているので近日中に刈ることになります。
           
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シルバーウィークもデッキBBQで。

2015年09月21日 03時15分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 世は秋のシルバーウィーク。
 田舎暮らしの高齢者には関係ありませんが、5連休ともなれば子たち孫たちは行楽地に行くとか何かたのしいことをするとか。でも混むのはわかってるのにわざわざ行楽地に出掛けるのは気が重い。こういうときは三木のおじいちゃん・おばあちゃんのところでBBQするが手っ取り早くて安上がり。というわけできのうもデッキでBBQ。
                        
 日が短くなりましたから6時前なのに照明灯をつけ、道子さんが蚊のバリアーを張り、ぼくはコンロの準備。昼間なら裏山で林間BBQをするところですが夜にかかるので家のデッキでたのしみました。毎年やってきた同じパターンのBBQだと、孫たちの成長につれておしゃべりの中身は変わっても、安心感があるというか情緒が安定しています。「ふるさと」というのは「こころの感じ」なんでしょうね。

 サツマイモを少しずつ掘っています。去年今年と畝に黒マルチをかけたので、カナブンの幼虫(白いイモムシ)は入ってません。よくできています。小芋を試し掘りしてみましたがまだ小さい。10月中ごろまで待ちます。落花生の味を覚えたのかカラスが地中の豆を掘って食べます。道子さんがテグスを張ってからあきらめたようです。
 イノシシがじわじわ活動範囲を広げています。村の営農組合でつくっている黒豆畑がイノシシに荒らされ、全部の黒豆畑に電気柵をすることになりました。きのうは総出で、一日中かかって張る作業をされてました。ごくろうさんです。
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戦争法案は成立しても平和を希求する姿勢を!

2015年09月20日 07時06分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 また『日本戦後史論』より引用します。ちょっと長いですが、自衛隊の現場の人たちの真剣さが伝わります。

内田: 僕はこの3年連続で、自衛隊に講演に呼ばれているんです。防衛研究所に呼ばれて、日本の安全保障について講演します。聞いているのは佐官将官クラスの制服組と官僚たちと軍事産業の社員たちが3分の1ずつ。制服組はこのあと将官に任官して第一線の指揮を執る人たちなんだけれども、僕の話を実に真剣に聞いてくれます。
 最初呼ばれたときはどうせ「色物」見たさの一回限りの企画だろうと思って、言いたい放題言って、そのまま逃げ帰ってきた。そしたら、翌年もまた呼ばれた。2年目は研究所長が代わって、その人はいささか懐疑的な様子で僕の講演を後ろで聞いていたので、これはもう呼ばれないだろうと思ったら、また次の年も呼ばれた。その所長に「いあ、去年の話は大変おもしろかったです」と言っていただきました。
 僕がどういう主張をしているかは先方はもとよりご存じのはずで、そんな人間に日本の安全保障についての講演を依頼するということは、「日本はアメリカの属国である」という話をしても構わないのだろうと思って、そういう話をしました。それを自衛隊員たちが黙って聞いている。 (中略)  政治的に正しい意見を聞きたいわけじゃない。ほんとうの話を聞きたいわけです。軍事上のパートナーであるアメリカが何を考えているか、どういう世界戦略の中で自衛隊をどう位置づけているか、それを理解したい。だからどんな政治的立場の人間からもたらされる情報でも構わない。自分たちの役に立つなら聴く。そういう態度ですね。自衛隊はさすがプロだなと思いました。

白井: 現場のプロは冷静ですね。全然現場を知らないような連中に限って、タカ派的な言動をする。基本的には安倍晋三もそういう気質だと思うんです。最近やっていた『NHK特集』の自衛隊についての番組を非常に興味深く見ましたけれども、やっぱり自衛隊の現場と「積極的平和主義」のような政治スローガンとは、まったく乖離していると感じました。ここ10年、20年ぐらい自衛隊がやってきたPKO活動というのは、国際的にも結構高い評価を得ている、と。そういう実績を積み重ねたところで、安倍さんの路線「ますます活躍してもらいますよ」というのだけれど、自衛隊の現場からすれば「それは全然違う話じゃねえか」と思っているのが伝わってくる。もちろん彼らは政治的発言を規制されていますから、ストレートには言わないんですけれども、間違いなくそれが本音だろうと思うんですね。そこら辺どうですか。防衛研究所なんかで話されていて、今の政権が取っているような方向性と現場のトップとかの温度差について知りたいですね。

内田: 僕を講演に呼ぶというわけですから、バランス感覚はいいですよね。クールな人たちです。できるだけ広い範囲で情報を取ろうとしている。情報を解釈する文脈もできるだけ多様であった方がいい。憲法集会で護憲の発言をするというので、後援を拒否した神戸市なんかに比べると防衛庁の方がはるかにオープンマインドです。それだけ自分たちの職務に本気だということです。

白井: そう。だから、「積極的平和主義」なんて、現場からすればもういい加減にしてくれ、という話だと思うのです。


自衛隊とか防衛省は、安倍とか田母神某とか右翼がやってきて「さー、戦争だ!」とあおりたて、「わーわー」と鉄砲持って走り出すところではないようです。むろん彼らだって平和な世の中がいい。国民の真剣に「平和を希求する思い」がそんな彼らを応援する。
 先日温泉に入りに行ったとき、東条のとどろき荘の食堂『成山』のレジにチラシが置いてありました。

『元自衛官が語る戦争法案』 9月22日 2時 ~ 4時 (小野市 エクラ大会議室) 
 主催は「9条の会・北はりまネットワーク」(多可/にしわき/加東/かさい/おの/みき/の「9条の会」)。

 ちょうど午前中に母をショートステイに預ける日です。何もできなかったけど、法案は通ってしまったけど、午後のこの学習講演会には行けます。顔を出すつもりです。 
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あの『敗戦』を受けとめられないから反省できないんだ。

2015年09月18日 06時00分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 『日本戦後史論』をきのうも読みました。本の帯にこんな文言が書いてあります。

 戦後70年、「敗戦の否認」の呪縛を直視せよ! / この国を覆う憂鬱の正体。

 そうです。
 日本は戦争を仕掛けた。そして負けた。負けたことを受容して反省すれば、仕掛けたことの反省に辿りつく。
 なぜ仕掛けるに至ったか / 誰がわるかったのか / どこがわるかったのか / 何をしたのか / が明らかになる。『敗戦』を受け入れなければ何もはじまらない。
 だが「一億総ざんげ」で口をぬぐってしまった。高級軍人も政治家も自分にうしろめたいところがあって告発し切れなかった。「自存自衛のために戦争するしかなかった」という言い訳が、いまでもまかり通るような勢いをもって語られる。
 どれだけ多くの不正義が日本軍の軍隊内で行われたか。戦争地で住民たちに行われたか。銃後の日本の社会で庶民に対して行われたか。社会問題になっている「いじめ」を甘っちょろいと思うほどの酷いいじめ、生命にかかわる脅しが行われたか。
 あのとき子どもだったぼくたちは、老人になるまで生きてきてもそれが納得できないのです。
 ぼくは、あの戦争を反省してない本、手柄話のような本、好戦的な本、もパラパラと見ます。そして思います。
「歴史を研究して本も書くような賢い人が、わずか100年後の歴史からも断罪されるような言い訳や屁理屈を、本気で書いているのだろうか」
 
 いまネットで、卑劣きわまりない上官だった 牟田口廉也 / 富永恭次 のことを読んでました。いつ読んでも「こんな上官が、敗戦後大金の軍人恩給をもらって、のうのうと生きた」ことに胸がざわつきます。「石破茂がこんな発言をした」とあるブログに書いてありました。「軍命令に従わない自衛官は死刑」
「人間を殺せ!」と命令する。そんな理不尽なことを命令するのが戦争であるから、日本は「戦争放棄」をしたのです。
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なんていう国なんだろう

2015年09月17日 05時12分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 国民は「平和」をのぞむのに、政治は「戦争へ戦争へ」と草木をなびかせようとする。
 大学の卒業式にも「日の丸を掲げ、君が代を歌え」と大臣が発言したり、学校の先生が卒業式で「君が代」を歌うとき起立しているか(起立してなければ懲戒処分)、ちゃんと口を動かして歌っているかビデオを撮って点検したり(東京の例)、教科書採択にあたって「侵略の歴史」を隠した教科書を採択するように圧力をかけたり、国民はそんなことが報道されても他所事のように受け流したり、日本全体が、国民の意識が右傾化しているかは別として、世の流れは戦争へ、戦争へと流れていく気がします。
 いま『日本戦後史論』という本を読んでいます。<内田樹×白井聰> の対談です。(徳間書店 2015年2月発行)
 ホンネで話しているので実態が浮き上がってきます。一部引用してみます。


内田: 彼ら(安倍ら)が無意識のうちに待望しているシナリオは、尖閣をめぐって衝突が起こって、日本人みんなが逆上するケースです。「さあ、中国と一戦交えるぞ!」という話になって、国民が狂躁(きょうそう)的な興奮状態になる。もちろん日本国民は当然日米安保条約第5条が適用されて米軍が出動し、自衛隊とともに人民解放軍と戦ってくれるものだと期待する。けれども、もちろん米軍は出てきません。何が悲しくてあんな岩礁一つのためにアメリカの兵士が死ななければいけないのか理由がありませんから。でも、日本人は怒りますよ。「尖閣は安保条約の適用範囲だと前に言ったじゃないか!」と……。でも、アメリカはそういうふうに言っておけば中国が軍事的進出を控えるだろうと思って、ハッタリで言っただけで、本気で適用する気なんかはじめからない。だから、「むろんお約束通り、安保条約は発動する気持ちは十分にあるが、いざ対中戦争ということになると議会の議決がいる。中国市場に依存する企業や中国に生産拠点のある企業には『みなさんの会社の収益が激減し、在外資産も消えますけど、それでいいですか?』とお訊ねしなければならない。国内世論を『戦争してもいい』という方向にとりまとめるためにはだいぶ時間がかかるんです」と理屈をつけて、出兵をずるずる先送りにする。日本人は怒り出す。「なんでアメリカは軍を出さないんだ。70年間も基地を提供し、『思いやり予算』でさんざんムダ飯を食わせてやったのに、あげくがこの仕打ちか!」ということになります。
 アメリカがいちばん恐れているのはそのシナリオです。 中略  アメリカには中国と戦争して得られるメリットなんか何もありませんから。でも、アメリカが対中宣戦布告しなければ、次は日本国内の世論が一夜にして『反米』に染まってしまう。 …… 久しく抑圧され隠蔽されてきた日本人の反米感情が一気に噴出する。「安保即時廃棄、駐留米軍即時撤去、自主核武装」といった威勢の良いスローガンを喚き散らす人たちが出てくる。日米安保が空語だったということがひとたび露呈してしまったら、このスローガンに反論することはもう不可能です。こうなったら世界中全部敵だ、中国でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでも、どこからでもかかって来い。こうなったらまとめて戦争だ、というような常軌を逸した言葉に国民が熱狂し始める。別にそれほど奇矯な話じゃありません。すぐ横に北朝鮮というモデルがあるじゃないですか。 中略  「どうですみなさん、日本を北朝鮮みたいな国にしたら。民主制なんか要らないでしょ。 中略 核武装して、徴兵制を実施して、周りのアジアの国々をまた踏みにじってやろうじゃないですか。そうしたらもう二度とどこからも侮られることはありませんよ」というような妄言を耳にしたら、ふらふらとそれに頷く人たちが出てくるに違いない。  中略  安倍さんが夢見ているのは、そういう「強面」な日本の未来じゃないですかね。

白井: 私は彼にそこまでの根性があるとは思えないですよね。ほんとうは尖閣でドンパチが起こって、自衛隊が出て交戦状態に入ったとき、それを首相が記者会見で発表する。安倍さんはそんな感じで将軍気分を味わいたいだけじゃないか。つまり幼児性です。そんな事態が生じたら、中長期的にどうなるのかという問題は、彼の知性の身の丈には余る事柄でしょうし。   中略   問題は何かというと、安倍さんとか石破さんがやっているのは、子どもの戦争ごっこのノリにすぎないんではないかということです。閣議決定で解釈改憲して集団的自衛権行使を容認するという無茶苦茶なことをやったわけですが、その意図しうるところは何なのか。   中略
 アメリカ軍のやる戦争にどこでも付いて行かなくちゃならないということになると、 ……  自衛隊員から犠牲者が出ることになる。その棺に日章旗が被せられて羽田に帰ってくる。そこで首相として鎮痛な面持ちでスピーチをしてみたい。厳粛そのものという雰囲気の中で。そのシーンはたしかに政治家のキャリアのハイライトになるでしょう。戦後日本の政治家の誰も経験することのなかったシーンですから。彼らは、中国の台頭だの、アメリカの覇権の揺らぎだの、テロとの闘いの必要性だの、大国の責任だのともっともらしいことを言いますけれど、ほんとうにやりたいのはこれでしょう。だから幼児的だというのです。
 日本国民の安全を本気で守りたいと思っているのなら、国際的緊張を高めるような政策一本槍で行動するはずなどありません。だから、こういうもっともらしい発言は、全部建前です。ほんとうの欲望は違う。 
 改憲して戦争へじゃなくて、まず戦争してそれから改憲へというのが、彼等の作ろうとしているルートです。 自衛隊が戦争に出ていって、死人まで出しているという状態になったら、もう憲法9条は守られていない状態ができる。となると、改憲のハードルは著しく低くなる。既成事実を認めるだけのことになりますから。
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