古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

萌ちゃんのお話を感心してききました。

2023年04月30日 17時38分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 就職した萌ちゃんの一家がやって来て、福祉介護の話に聞き入りました。成長ぶりがすごい。道子さんと「すごいねえ」と言い合い、しきりに感心しました。ほんとに、おじいさんおばあさんのためになるお話でした。これからの成長がたのしみです。
 雨のあと裏山を歩いて、よろこびいっぱいです。

 これは「次郎柿」の花芽です。植えてから10年近くなる次郎柿は、樹が生長しないし、花は咲かないし、「枯れないだけだな」とあきらめていました。ところが今年は花芽がいくつもついています。「蜂谷柿」を見たら、これも花芽がいっぱい。
 どちらも実をあきらめている木ですが、今年は柿がなるかもしれません。じっくり生長するので、2年や3年では結果が出ない。そんな植物の息の長さに敬意を表します。
 道子さんに話したら「今年はヤマボウシも咲くよ!」。

 ヤマボウシの樹を見たら花芽がいっぱいです。「こりゃ、見事に咲くだろうな」。たのしみです。
 道子さんがコープ宅配でフキを買って、キャラブキをつくりました。それなりにおいしい。筋張っていますけど。道子さんはさらに池のまわりに生えているフキでキャラブキをつくりました。こちらは筋張ってなくて、やわらかく、さらにおいしい。

 池のまわりのフキです。我が家でとれるのが一番なんや。
 
 裏山をうろうろしていたら、道子さんが「今年のマムシ第一号」とツルハシにマムシをぶら下げてきました。タケノコを掘っていたら、マムシがいたそうです。ツルハシをもっていたので、それでやっつけたといいます。
 いつもいいますが「どうか夫婦ともマムシに咬まれないで一生をおえる人生でありますように」。
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ゴミ・ステーションの草刈り

2023年04月28日 20時59分31秒 | 古希からの田舎暮らし
「まいどー!」と声を掛けたくなりますが、ゴミ・ステーションの草を刈りました。

 いつも同じアングルの写真ですみません。
 去年の秋だったか、ここの草刈りは「満八十五歳になるまで刈ります」とブログで宣言していました。いまから考えると、無理してそんな区切りにしなくてもよかった。年齢を意識しすぎてます。
 今日は特に困難を感じないで、草刈りをしました。まだ悲壮感で頑張らなくても、草が刈れそうです。
 この歳になっても自分で歩ける/身辺自立ができてる/この程度の草は刈れる/認知症にならずに暮らせる/一人暮らしにならないで生きてる/まわりの景色をたのしめるところに住んでる/ささやかなボランティアでいい気分になれる/などなど、感謝することがいっぱいある老後で、〈めぐまれている〉と思います。
 ご先祖やまわりの人たちや身内の者たちや知人友人、村の方たちのお陰で、今日も元気に一日がすぎてゆきました。
 ありがとうございます。

「いつから村のゴミ・ステーション前の草刈りをしていたのだろう」。このブログは2009年3月から、もう15年書いています。過去のブログを出して「ゴミ・ステーション/草刈り」を探してみました。いつからはじめたかわかりませんが、2006年12月にこの村に住みはじめて2年後くらいに村の役員会に出るようになりました。順番がまわってきたのです。
 そのとき、保健衛生委員の役もあたって、ゴミ・ステーション管理をすることになりました。草刈りはボランティア・サービスのつもりではじめたのでしょう。2013年9月26日のブログに「ゴミ・ステーションの草を刈った」と書いていました。その前から草刈りをしていたのでしょうが、10年以上春から秋にかけて草刈りをしていたのですね。
 ボランティアでいい気分になる。もうしばらく、このボランティアをつづけたいです。
  
 
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タケノコが生えてますけど。

2023年04月27日 18時22分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんが「タケノコがかたまって生えてる」というので裏山に出てみました。

 わかりにくいのでタケノコに黄色マスキングテープを貼った写真です。14本かたまっています。こんなにかたまって生えてるのをはじめて見ました。地下の根はどんなふうになっているのか。
 しかし今年は生えても、ここから生長しません。一週間たってもこのままです。そして枯れたようになります。
 竹の花がどんどん広がり、竹藪に陽が射しています。枯れた竹が倒れていきます。60年(または120年)に一度の「竹の花」に出会ったので、この経過と結果はしっかり見ておきたいです。

 シイタケの「ほだ木」置き場がくずれてしまいました。そこで単管パイプの横棒を、木の杭にとりつけました。3年くらいでダメになるでしょう。そのうちパイプの杭にかえます。単管パイプがすべるので、滑り止めにトラロープを巻きつけました。

 モッコウバラを道子さんが植えて、それが玄関先からどんどん向こうに伸びていきます。

「生長は極めてはやく、大きくなるので栽培はむずかしい」と書いてありますが、山のほうに50メートルくらい伸びていけます。そんなに伸びるのかなあ。
 
 
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我が家の〈オオデマリ〉は立派です。

2023年04月24日 17時55分39秒 | 古希からの田舎暮らし

 いつも自慢してすみませんが、我が家の〈オオデマリ〉は立派です。まわりに樹はなくて、芝生にやる肥料を取り込んでいるようです。部屋から撮った写真です。窓からこの樹を眺められる。しあわせです。
 庭木を剪定した薪をもらったので、今日は〈焼き芋〉をしました。

 今日は少し肌寒かった。たき火のお守りをするのは、なんとなく幸せな時間でした。

 NHKの大河ドラマのほか、テレビの時代劇番組はほとんど消えました。「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「必殺仕事人」「銭形平次」などもBSで再放送があるだけです。我が家は『時代劇専門チャンネル』を見るので、いろいろ見ますけど。
 ところで小説のほうは時代劇がいっぱい出版されています。藤沢周平の時代劇はほぼ全部読みました。繰り返し読んでいます。剣豪モノでは、鳥羽亮/池波正太郎/小杉健治/藤井邦夫/などをときどき読みます。
 いま読んでいるのは青山文平の『励み場』です。葉室麟/青山文平/は作家の気合が少しちがう。ずっしりした重さを感じます。

 青山文平というと思い出すことがあります。ぼくのブログを読むのをたのしみにしていた芦屋市の親友がいました。ぼくが東条の図書館で青山文平の本を借りて読み「面白い時代小説です」とブログに書いたことがあります。
 親友はそれを読んで、芦屋の図書館で借りようとしました。すると予約して順番待ちになったそうです。「借りるまでに17人待ちだって」と彼がメールをくれました。
 彼が急死したのは2017年でした。もう6年にもなるのか。この世に友だちが少なくなりました。いまも彼のことを思い出します。「おしゃべりしたいこと」が山ほどありますけど、さみしくなりました。
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二本のミモザを植えました。

2023年04月22日 17時44分43秒 | 古希からの田舎暮らし
「ミモザ」は我が家でヒイキにしている樹です。裏山に一本高い樹を植えていますが、もっとあってもいい。
 先日新三田のイオンシネマに映画を見に行ったとき、ミモザの苗を二本400円で売っていました。安い! 花の時季(3月)が過ぎたので安売りしているのでしょう。買ってかえりました。
 ミモザは生長のはやい樹だそうです。「4年で4メートルになった」とネットに書いてありました。おそらく一年生の苗でしょうけど、ていねいに植えてやれば育ってくれる。
 昨日掘った穴に、畔シートの枠をはめて、植える用意をしました。

 この穴に何を入れたか。忘れるので、今後思い出すように植え方をメモしておきます。
① 穴を掘って、畔シート(30センチ)の枠をはめる。枠の外まわりは土を入れて固める。
② 中に水が6センチたまるくらい入れる。落ち葉を〈手箕〉(てみ)に三杯くらい入れる。
③ 「花と野菜の土」(14リットルプラス7リットル)を入れて、苗を植える。
④ 上にバーク堆肥の土を5リットル入れて、落ち葉でおおう。上から水をかけておく。
 もう一本の苗はキウイデッキのそばに植えました。

 こちらは土が掘りやすくなっており、快適に作業ができました。
 道子さんはスマホを見て、いろんなニュースをしゃべってくれます。ひたち海浜公園の「ネモフィラ祭り」は車が2時間以上渋滞してるとか。きれいでしょうけど大変ですね。

 オオデマリの下にテーブルとイスを移動しました。緑陰ティー・タイムはいかが。どうぞおいでください。
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地面まで陽が射す、明るい竹藪になります。

2023年04月21日 21時58分34秒 | 古希からの田舎暮らし

 花が咲いて先端が重くなり、通路に倒れかかった竹です。枯れています。竹藪が明るくなり、地面まで陽が射します。こんな眺めははじめてです。これから、竹藪の片づけがどうなるか知りませんが、見たことのない景色がひろがるでしょう。
 それでもタケノコは生えてきます。しかし頭を出したタケノコが、そこから生長しない。タケノコは毎日びっくりするほど背が高くなるものですが、今年はほとんど生長しないように見えます。
 もう少し観察します。
 昨日ミモザの苗を二本買ったので、「どこに植えようか」と裏山を見てまわりました。よく日の当たるところはほとんど残っていません。なんとか場所を決めて、穴を掘りはじめました。

 この〈円筒形にした畔シート〉がスッポリ入る穴を掘ります。まだ相当掘らねばなりません。地面の下には竹の根が存分に這っています。それをツルハシで切りながら掘ります。
 ミモザは生長のはやい樹だそうです。日当たりが問題です。
 
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映画『藤枝梅安 2』を見ました。

2023年04月20日 15時59分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 何とはなしにバタバタ生活する日が続いたので「ゆっくり映画でも見よう」と新三田のイオンシネマに出掛けました。
 映画館で見るときは補聴器をつけるのですが、忘れました。画面が大きな声でやり合うときは聞こえますが、内緒話のときはわかりません。でも時代劇で、梅安とという「殺し屋」が活躍するのですから、展開の予想はつきます。
 殺陣に迫力があり、面白かったです。朝イチの上映を見たので、お昼はイオンの〈フードコート〉で食べました。前に来たときは丸亀製麺が長蛇の列であきらめました。今日は空いてました。ドーナツ/チキン/マクドナルド/など外国系のファストフードもありますが、やっぱり日本食がいい。〈思い〉を果たした気分で、おいしく食べました。
 今度この映画がWOWOWやNHKのBSで放送されるときは字幕が出ますから、1,2年先にまたテレビで見ます。

 新三田・イオンのグリーンストアで、ミモザの苗を売ってました。50センチの小さな苗で「2本400円」。花の時季(3月)を過ぎたので安売りしています。裏山のミモザは背が高くなり過ぎました。下枝がないので花を切るのに「高枝ばさみ」が必要です。「裏山にもっとあってもいいな」と言いあい、二本セットを買いました。新三田のコーナン(すごく大きな店です)で「花と野菜の土」を買いました。畔シートを円筒形にして、中にミモザの苗を植えます。
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《裏山のお陰》で花いっぱいのときです。

2023年04月18日 17時42分42秒 | 古希からの田舎暮らし
 ソメイヨシノは散りましたが、裏山は花いっぱいです。

 裏山の登り口は道子さん丹精の花壇です。「ネモフィラ」が咲いてます。青空が地面に映っているような「ネモフィラ祭り」には行けませんが、花は青空色です。花を見て広がりを想像します。
 一段登って、テント・ハウスの前も花。

 花見デッキに置いたブランコの屋根に雨水がたまっています。昨日も雨が降って、たまったのでしょう。

 天井の布がたわまないように屋根枠に桟をつけました。
 
 昨日から吉村昭の随筆『回り灯籠』(2006年・筑摩書房)を読んでいます。短いエッセイです。彼の随筆は、読むのが「気持ちいい」。吉村昭は、歴史/事実/現実/を正確にとらえて書いてます。あやふや/ごまかし/がありません。読んでると書かれた出来事が〈ひっかかり〉なしに入ってきます。
『戦艦武蔵』を書くにあたって「長崎に100回以上行った」と書いてます。生き証人に納得がいくまで食い下がる執念に、頭が下がります。先日早坂暁の『戦艦大和日記』という大部な作品を読みました。若い頃はこの種の本は避けていましたが、吉村昭の姿勢にふれて、『戦艦武蔵』を読んでみたくなりました。
 
 

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春の《手づくり野草酵素飲料》を仕込みました。

2023年04月17日 17時37分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎年〈春〉と〈秋〉に《手づくり野草酵素飲料》を仕込んでいます。砂糖11キロ/果物/野菜/などはほぼ用意しているのですが、今朝はふいに思い立って「今日仕込もう」ということにしました。
 ぼくは早速ビニール袋を持って長靴をはき、裏山で植物採集をしました。ぼくの担当は「木の芽」ですからいろんな樹の芽や若葉を採集していきました。若葉の季節ですからほんとに種類が多い。木の芽だけで30種類以上採集しました。

 これは竹藪の写真です。竹の花が咲いて、葉が落ち、暗い竹藪が明るくなっています。いままで陽が射さなかった地面まで日光がとどいています。「60年か120年に一度花が咲く」そうですが、どんな風景になるか。
 道子さんは福地池のまわりの道端で野草を採集するつもりでしたが、「家/前の畑/裏山/で全部採集できた」というので9時頃から仕込みにかかりました。

 果物が多いと飲料の味がよくなるし、「一週間/朝夕まぜる」のにまぜやすい。その果物が足りません。「東条の道の駅」に買いで出ました。 ※ スーパーで買うと外国産も混じる。なるべく地元でとれた野菜や果物がいいです。
 昼ですし、ついでに食事をして帰ろうと食堂「獅子銀」に入りました。「大きなあげのそば」を注文してしばらくしたら、音楽が鳴って写真のロボットがそばを配膳してきました。

 こんなロボットを見たのははじめてです。びっくりしました。長生きしてるからこんなモノを見られるのか。
 これからはロボット時代になるのだな。長生きすると見たことのないものに出会う。
 うれしいような、さみしいような、気持ちかなあ。
 
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《日常》がもどってよかった。

2023年04月16日 19時08分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 4月11日に転倒して、5日間はふだんより大人しくしていました。膝頭や手のひらの痛みが消えたし、顔の傷は「かさぶた」になったので、今日からふつうのおじいさんに復帰します。
 今日は16日。大将軍神社にお参りする日です。二軒の方が当番です。いまは秋祭りでも日曜日にずらして行う時代ですが、《大将軍神社》は必ず16日にお参りします。当番の方は仕事を休みます。20数軒の農家の方は、1580年頃の三木合戦から四百四十年あまりずっと守ってこられたのでしょう。

 今日は日曜日でよかったです。ふだんはおじいさんおばあさんが〈萌ちゃん一家・大志くん一家〉の奉納もしますが、娘が訪ねてきたのでいっしょにお参りしました。
 今年は皆勤賞をめざします。16日を絶対忘れたくない。去年は8月にうっかり忘れました。
 そのあと市会議員選挙の事務所開きに顔を出しました。

 うちの村の青年が頑張って、三期目をめざしています。
 竹の花が咲いています。竹藪は陽が射して、明るくなっています。でも次の写真を見てください。

 タケノコが生えてきます。生えて、生長してから枯れるのだろうか。様子をみます。
 イチゴ・ネットハウスに「手すり」をつけました。

 ぎりぎりまで畝があり、まわり込むときにフラついてイチゴを踏みそうになります。大げさなようですが、手すりをつけました。筋肉が弱ってますから「これでちょうど助かる」です。
 ふつうの一日にもどることができて、うれしいです。





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転倒から立ち直り、始動しました。

2023年04月14日 21時43分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 11日に転倒して家のまわりの仕事をひかえていました。今日14日から「ぼちぼち始動しよう」。
 今日は長いこと気になっていた「キッチンのカウンターにニスを塗りました」。

 このカウンターは引っ越した2006年12月に自作しました。ホームセンターで厚い板を買って製作。キッチンと食卓の間に置いてます。長年使用して表面が傷ついてます。60/120/240/と〈三種のサンドペーパー〉をかけて汚れを落としました。
 ついでに食卓もサンドペーパーをかけて、ニスを塗りました。この食卓は神戸・元町にあった〈インテルナ・キタムラ〉というお店で1980年頃に買いました。43年前か。ふるい話ですなー。
 
 このたびの転倒はこのまま通り過ぎていきます。しかし、どんなかたちにしろ、そんなに遠くない日に、終焉のときが来ます。とくべつに〈さとる〉とか〈気のきいたことをいう〉つもりはありません。終焉は〈いきなり〉かもしれない。〈じわじわ〉かもしれません。このたびの転倒のようなことがまた起こるかもしれません。
 起こることを〈しずかにうけいれる心〉で生きたい。いまの願いです。
 
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『思い出したこと』がもう一つあります。

2023年04月13日 17時06分41秒 | 古希からの田舎暮らし

 バード・フィーダーのそばを、「コジュケイ夫妻」が散歩していました。道子さんが「カメラカメラ!」というので裏窓からズームアップして撮りました。シロハラ/アオジ/はもう旅立ったかな。また初冬に帰ってくるのを待ちます。

 忘れていましたが、「転倒事故」で思い出したことがあるので書いておきます。
 4月11日の朝、コンクリートの地面に転倒したときに、オデコをゴツンと打ちました。打ったところは押さえたら痛みが残る程度で「大丈夫」と思うのですが、『硬膜下出血』の手術をしたことがあるのでその体験を書いておきます。

 あれは40年近く前、48歳のときでした。明石の中学校で学年主任をして3年生を卒業させた年です。一月下旬の夜、地下鉄・名谷駅前でタクシーにはねられて、救急車で名谷の外科医院に運ばれました。病院で意識がもどり、脚の骨折もなく歩けるのでそのまま家に帰りました。
 しかし頭を打っているので「脳外科で診察してもらおう」と数日後に新開地の吉田脳外科病院で診てもらいました。そのときは異常はないようで、そのまま勤めていました。3月の卒業式まえになると、どうも調子がよくない。住んでいる北落合の近くの医院で診てもらいましたが、「風邪かな」ということで薬をもらいました。次の日に別の医院に行きました。そのとき体温を測るようにいわれて体温計を渡されたのですが、取り損ねて落とし、割ってしまいました。
 そうして卒業式の3月14日を迎えました。ぼくは「校長が400人の生徒一人一人に卒業証書を渡す」ように「式の段取り」をしてきたので、その通りに式が進行しました。そのあとぼくの記憶はありません。一応卒業式はとどこおりなくすみました。夕方には教職員みんなで打ち上げの飲み会もすみました。
 そして道子さんの話では、ぼくは夜の10時頃、タクシーで帰宅しました。しかしタクシーを降りると嘔吐し、家に入ると倒れるように寝転んでしまったというのです。そして「吉田脳外科で診てもらいたい」と言ったそうです。
 道子さんは北落合の家にタクシーを呼んで、新開地の吉田脳外科に連れていきました。診察・検査して、すぐに手術ということで頭を刈り、頭骸骨にドリルで穴を開け、硬膜下出血を抜きました。その間の記憶はまったくありません。
 記憶が戻ったのは硬膜下出血の血が抜けたときでしょう。いきなり頭がはっきりして「卒業式はどうなった。ここはどこだ。(押さえつけられて)何してるんだ」と大きな声で言いました。それは覚えています。
 5日入院しましたが、あとのことは全部覚えています。
 翌日回診にきた医師が「硬膜下出血で80ccたまっていました。あと5時間ほどで呼吸停止だったでしょう。よかったですね」と言いました。あのとき病室の窓の外を見て「ああ、生きてるんだなあ」という実感がふつふつとわきあがるようでした。1月下旬の交通事故から「じわしわ」硬膜下で出血していたのです。
 神戸の中学の卒業式は明石と一日ちがっていて、道子さんは下の娘の中学の卒業式に行くつもりにしていました。それがぼくの手術で行けなくなりました。
 その後、頭がわるくなったでなく、現在までふつうに生きています。長いこと生きてるといろんなことがあるもんです。
 このたびは大丈夫でしょうが、何かありましたら、またよろしく。
 

 
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自分の〈こころもち〉を反省します。

2023年04月12日 17時33分04秒 | 古希からの田舎暮らし
〈こころもち〉というのは心の持ち方だと思います。昨日の転倒のあといろいろ〈反省〉しました。その反省を書いておきます。
〇 転倒による負傷の具合は。
  1 おでこをコンクリートの地面で打ったので少し腫れている。しかし痛みはない。
  2 鼻の頭はかすり傷だが、眼の横が手に持っていたネジ釘で傷ついている。出血は間もなく止まったが、傷口はかさぶたに
    なっている。一週間ほどかかるだろう。
  3 膝頭を打っており、立ち振る舞いするのに痛みがある。打ち身だから数日で軽くなるだろう。
  4 転倒したときに手を突いたようで右手の手のひらに痛みがある。打ち身だから数日で軽くなるだろう。
〇 年寄りが転んだにしては軽い負傷ですんだ。骨折していない。幸運だったと思う。
  老人が転ぶとよく「大腿骨頸部骨折」がある。いまは95歳になっても手術するが、しばらく「寝たきり」になる。筋肉が
  落ちて、リハビリしても自力で歩けない。車イス生活になる。終焉までそのまま生きることになる。
〇 歩く気持ちのなかに「無意識のおごり」があった。この3月には畑向こうの「笹刈り」をした。大仕事だったが無事にやり
  とげた。4月にイチゴ・ネットハウスをつくった。あれこれ工夫もして、立派なネットハウスが出来あがった。自分でもよく
  やったと思う。「どうだ! 85歳の素人でもこれだけやったのだぞ。立派なもんだろう。」という内心の〈おごり〉が
  あった。電動ウォーカーで歩くとき「85歳。時速4,2キロで30分歩く。どうだ。」と〈おごる〉気持ちがある。
〇 「転んだらそれからの人生は自立できなくなる」といいながら、その自覚が足りない。「オレは大丈夫だ!」思ってしまう。
  この転倒で大怪我をしていたらどうするか。どうしようもない。この好運を見逃すな。常に慎重行動しろ。

 この反省が役に立ちますように。毎朝仏壇に手を合わせるときに意識しよう。毎朝6時30分からスワイショウをするときに、自分の心に「慎重に行動しなさい」と言いきかせよう。
 健康寿命がある間は元気に生きる。そしてPPK(ピンピンコロリ)を待つとします。
  
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こけました。〈ヨタヘロ〉前期か。

2023年04月11日 18時05分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 ブログには、それぞれ〈トーン〉というか〈何かテーマ〉みたいなものがあって、ぼくの場合テーマは〈田舎暮らし〉ということになっています。ぼくは〈田舎暮らしのたのしさ/よろこび/めぐみ〉そして〈家のまわりの樹樹や花の自慢〉を主に伝えていますが、人生は〈しあわせ〉ばかりではありません。不幸な出来事を避けて「しあわせ感」だけを伝えようとするのは自分でも感心しません。
 で、何が起こったか。朝、玄関先でこけました。靴をはいて、昨日とどろき温泉の帰りにホームセンターで買ったネジ釘の袋などを両手に持って、裏の小屋に行こうとしました。
 2,3歩歩いて平らなコンクリートの地面でこけたのです。何かに引っかかったわけではありません。
 85歳の筋肉の弱った老人がこけるときは、丸太が倒れるように「パタン!」とこけます。いままでもちょっとしたことでこける体験はしていますが、今日はまさに「パタン!」とこけました。
 自分でも「ゴツン!」と音が聞こえておでこをコンクリートの平らなところに打ちました。しばらく倒れたままでしたが、意識はあります。痛みは感じません。ゆっくり起きあがって、立ち上がりました。顔から血がポトポト落ちます。体は動きます。痛みはありません。
 洗面所に行って、顔を洗ってみたら鼻をちょっとすりむき、ネジで鼻の上を1ミリほど切ったようです。
 血は間もなく止まり、痛みもないので〈たき火〉〈焼き芋〉をしました。畑や山の仕事をする気にはなれませんでした。
 しばらく時間がたってみると、膝頭も打っているようで動かすと痛いし、手のひらもちょっと打った感じの痛みがあります。
〈体の動く能力〉と〈動作をしようと思う気持ち〉がズレていたから、こけたのでしょう。
 樋口恵子という著名な老人はこんなことを言ってます。「70代の老人はちょっとしたモノにつまづいてこける。90歳代になると、立っているだけ/歩くだけ/でこける。」それを彼女は「ヨタヘロ期」という言葉を作って表現しています。
 ※ 樋口恵子氏はむかし『濡れ落ち葉・症候群』という言葉を作りました。定年退職後何もすることがなくて「妻にまとわりつく男」を言い表しています。
「ヨタヘロ期」をどう生きるか。樋口恵子氏の本をちょっと読もうかな。
 
 
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18ヵ月ぶり東条の温泉へ

2023年04月10日 20時43分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日もネットハウスの仕上げに時間をとりました。いろんな道具を使うのですが、「あの道具がいる」と大工道具小屋まで道具をとりに行きます。また何か別の道具を思いついて、とりに行く。そんな無駄がいっぱいです。
 作業にかかる前に道具をとりそろえ、わかりやすく並べておく。いわば仕事の「段取り」。あの一級建築士のことば「段取り六分仕事は四分」を思い出します。作業が終わるころになってから思い出しても仕方ないけど。
 これは今日の仕事にかかるまえの写真です。軽トラの荷台に、いろんな道具をわかりやすく並べています。

 この段取りのお陰で、仕事も手際よくはかどりました。
 ネットハウス入口の写真です。金具を二つつけました。留め金がかたくて開けにくいので、金づちにヒモをつけておいてます。アライグマはまさか金づちでわるさしないでしょう。

 夕方は疲れをとるために「温泉に入りました」。東条町の「とどろき温泉」にゆっくり入り、そばの成山食堂で夕食。〈いい骨休め〉になりました。温泉に入るとカードに印を押してもらえるのですが、この前はいつ入ったか。スタンプの日付を見たら、なんと令和3年10月です。ということは18ヵ月ぶりか。月に一度二度と行ってたのに、コロナで長く行かなかったのですね。
 これでネットハウスは完成です。

「よくやった」と自分で自分をほめたい気持ちです。

 
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