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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『ワクチン』というものはうけません。

2021年06月30日 04時38分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日電子書籍で購入した『コロナ・ワクチンの正体』という本を読了しました。
 この本を読んで『ワクチン』注射はうけないことにしました。

 時代劇で、貧乏長屋があって、そこに痩せ浪人がおって、奥の寝床に嫁さんが寝ていて、咳をする。浪人は漢方薬を手に入れようと …… 。
 嫁さんは『労咳』(ろうがい=死の病)。「労咳なら死んでも仕方がない」とあきらめたでしょうか。明治大正昭和の時代になっても〈結核〉は死につながる病でした。敗戦後ペニシリンで治ることがわかるまで。
 ぼくたちは子どものころ、学校でツベルクリン注射をされました。2日後、注射のあとをお医者さんが測ります。赤が大きければ『陽転』しているからBCGの注射をうけなくてもいい。ぼくたちは、ツベルクリン注射の後を「叩いたり」「つねったり」して赤くする。でもばれて、BCG注射をされることになる。BCGの跡はジクジクして、かさぶたになり、あとがつき、なかなか治らない。 
 偉人伝を読むと、ジェンナーは天然痘をなくすために種痘を我が子にした …… 。病原菌を発見した偉人もいろいろ。お医者さんはえらい。人類が元気に生きてるのは「ワクチン」のお蔭か。

 そう思って生きてきました。しかし、この本を読んで『自然免疫力』に頼ることにしました。
 人間の体は、外は皮膚に守られています。内は粘膜に守られています。そこにウイルスやばい菌がとりついても、免疫力で防ぎます。その免疫力をとびこえて、ワクチンで体内に〈抗体〉をつくろうをする。ぼくはそう読みました。
 インフルエンザのワクチンを一回受けたことがあります。お医者さんにすすめられて。年寄りは肺炎予防のワクチンも一定の年齢になると受けられますが、受けたことはありません。(受けるのを見逃していただけですけど)
「今度の病気はこわいぞ」おどす。先をあらそってワクチンを受けようとする。製薬会社やお医者さんはもうかる。それにしても、このたびは、なんで世界中がコロナ恐怖にはまったのだろう。

 

 
 
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黒豆を〈本植え〉しました。道子さんの〈百合園〉は閉園です。

2021年06月28日 20時22分35秒 | 古希からの田舎暮らし

 これは昨日までの百合園です。今日、道子さんは百合の花をすべて摘み取り、施肥しました。また来年の花をたのしみにします。
 下の広い畑(一反三畝=約400坪)をつくっていたときは、裏山の花にあまり力をそそげませんでした。前の畑(60坪)になってからは裏山の花園に手がまわるようになりました。
 道子さんは、少しでも時間があると裏山や前庭の花の手入れをしています。ぼくは何もしないで、感心して見ています。マムシには気をつけてね。
 ぼくは、こんな「モノ」を作りました。

 イチゴ・ネットハウス天井の動物ネットを切開して、木の枠をつけたのです。何と呼ぶか。「天窓」と言うかな。こんな窓をつけると、ヒヨドリがイチゴをねらうし、アライグマもネットをよじ上って入るかも。ええ、イチゴ・シーズンには動物ネットで入れないようにします。
 では何のために切開したか。スズメに虫をとってもらうためです。いまは動物ネットで入れない。その入口をつくったのです。
 今日は黒豆を〈本植え〉しました。

 先日と同じく、鉄筋の棒でスリバチ状の穴をあける。苗を挿し、水を入れて根元をかためます。
 50センチ間隔で、ゆったり育てます。イチゴ・ネットハウス内の黒豆は枝豆用です。11月にはイチゴの苗を植えるので、それまでに枝豆として消費しなければ。
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はじめて〈電子書籍〉の本を買いました。

2021年06月27日 23時16分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 はじめて〈電子書籍〉の本を買いました。
『医師が教える新コロナワクチンの正体』……〈本当は怖くない新型コロナウイルスと本当に怖い新型コロナワクチン〉…… 内海 聡 著 6月15日発行 という、出たばかりの本です。
「パソコンで注文しよう」としたのですが、うっかり〈電子書籍〉のほうをクリックしてしまいました。でもそこから「どうしたらいいか」わかりません。キャンセルしようとしたけど、注文は取り消せません。あれこれさわっているうちに削除になってしまいました。
 仕方がないので、結局紙の本を注文しました。いまベスト・セラーになっており、7月中旬でないと届かないそうです。
 日曜日、パソコンでいつもお世話になっている方が来られました。
 ぼくは思いました。「これからは電子書籍の時代になる。図書館で〈紙の本〉を借りて読む時代でなくなるかも。いままで見向きもしなかったけど、電子書籍になれておくのもいいかも」。
 電子書籍をもう一度購入して、紙の本はキャンセルしてもらいました。
 そばで見ていたら、それこそ「アッ!」という間にパソコンに本が取り込まれました。
 すごいもんですね。何百ページもの本がパソコンで読めるようになる。
 読んでみると、文字は大きいし、クリックでページがめくれるし、快調です。
 えらい時代になったもんだ。道子さんは「いい時代でしょ。長生きいて、世の中を見てみようね」といいます。
「友だちや身内も少なくなったけど、もう少し長生きするのもいいかも」と思いました。

 
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「うちからの声」をきいて〈おやすみの日〉にしました。

2021年06月26日 22時06分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 このごろは「一日の歩数」が10000歩を超えることが多いです。散歩をしたり、電動ウオーカーで歩いたりします。何より家のまわりの仕事で体を動かします。しかし、今日の歩数は夜10時現在で、3468歩です。5000歩にとどきません。
 朝から「しんどい」と思ったわけではありません。ただ「あまり動きたくない」感じでした。一日をダラダラ過しました。老人はそんな「自分のうちからの声」に素直にしたがうことが大事だと思います。ここで「なにくそ!」と頑張らない。「頑張れば頑張れる」かもしれないけど「頑張らない」。
 そう。「無理しない」。
 ホームセンターで買った「小鳥の餌 …… 粟」が無くなりました。部屋から山を見ると、目の前でスズメやホホジロが餌をついばむ。なかなかいい眺めです。また一袋の粟を、買いたくなったなー。
 今日は「トレーニング・ロードを歩いてみよう」と軽トラでゴミステーションに出掛けました。しかし歩きませんでした。くもり空で、暑くなくて、歩けば歩けたのに。
 無理しない。やる気がないとやらない。
 
 ゴミ・ステーションのブロック塀の角に、大日如来がセメントでとめてあります。石コロのように見えますが。道子さんが、家のまわりでつくった花をそなえています。
 だんだん聖なる如来の感じになりました。
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「四国遍路」の本はいろいろありますが。

2021年06月25日 21時04分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 24年前、1997年3月31日にぼくは退職しました。そして1月から入院している父の看病をしました。父は5月に亡くなりました。(行年89歳)
 父の死後、退職したばかりで、時間も元気もあるので、かねて関心のあった「四国遍路」を思い立ちました。
 7月に徳島県と高知県の札所/9月に愛媛県と香川県の札所/を自動車を運転して巡拝しました。父の供養という気持ちもありましたが、物見遊山気分で、道子さんと二人。
 よく四国遍路は『同行二人』(どうぎょうににん)といいますが、「二人」(ににん)とは自分ともう一人は弘法大師です。孤独と向き合って、数十日ひたすら歩きます。「亡き人を偲ぶ」/「人生を思う」/「運命と対決する」/「生きる意味をもとめる」 …… 夫婦で、車で、巡拝するのとまったくちがいます。
 でも四国遍路には関心があり、その「歩き遍路」で88ヵ所を巡拝した人の本を読むのは好きです。いままで何十冊と図書館で借りて読んできました。
 このたびも図書館で借りた本を読みました。
『八十八か所歩き』 黒岩晶 著 (文芸社・2014年刊)
 60歳代のおじさんが、定年退職をして思い立ち、八十八か所を歩きとおした本です。お寺の解説なんか一切しないで、自分の道中の苦労を書いてあり、最後まで読めました。自費出版かな。世の中を批評するようなコメントがときどきあり、なじめませんでした。
『四国遍路』岩波新書 2001年刊 辰濃和男 著
 朝日新聞の天声人語を長く担当した著名な人の遍路体験ですが、「通し打ち」でなく、県別に区切って歩き遍路をしています。忙しい人なのでしょうが、区切りの遍路は、読者から見るとその苦労がちがいます。それに自分の体験だけでなく、あれこれ考える。それを書く。それが遍路体験を読もうと思う読者には邪魔になる。
 ぼくが一番好感をもって何度でも読み返したくなる本は、『私のお遍路日記』-歩いて回る四国88ヵ所 佐藤光代 著 です。いまも手元に置いて、また読み返そうを思っています。
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庭や畑に〈水やり〉しています。

2021年06月24日 17時55分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 火曜日、東条町のスーパーに買い物に出掛けたら、雨が降ってきました。見る見る路面がぬれていきます。「これで、今日は畑の〈水やり〉しなくていいね」。ところが峠を越えて口吉川町に入ったら、路面はぬれていません。仕方なく、この日は畑と庭に水やりをしました。
 大豆の苗200本を植えたところなので、今日も畑に水やりをしました。しおれた苗はありません。しっかり立っています。
 1本だけ「カゲもカタチも」ありません。苗のあったところをまさぐると犯人が出てきました。2センチの夜盗虫です。ムシをつぶして、苗を植えなおしました。
 今日も日射しがつよく、水やりがいります。夕方、ぼくは前の畑に、道子さんは庭と裏山に、水やりをしました。去年は8月1日から一カ月、雨が降りませんでした。毎日水やりをしました。
 今年もそんな夏になりますかねー。
 そうそう、昨日道子さんがつかまえたマムシは、朝処分しました。

 ホーロー容器にトグロを巻いている写真です。マムシには気の毒ですが、共存できないんです。
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マムシをつかまえたのですが …… 。

2021年06月24日 01時34分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 昼寝から目覚めてテレビ見てたら、道子さんが報告に来ました。
「マムシつかまえたのよ」/「あなた、どこにいたの?」/「エッ? 昼寝してたのか」/「ちょっと見てよ」/「どれどれ」/「おとなしいでしょ」
 ホーロー塗りの容器に入っていました。かま首をもたげるでもなく、おとなしくしています。
 50センチくらいの小さいマムシです。つかまえた様子をきくと「花壇の草引きをしてたら、茂みにとぐろをまいて、ジッとしてた」/「とりあえず棒で押さえて、ビニールの袋に入れて、この容器に移した」/「ふたをするから大丈夫。明日までこうしとこうか」
 容器は玄関先に置いてます。今日は始末します。まず殺すしかない。たき火して火葬にするか。埋葬するか。ビニール袋に入れて生ゴミで出したこともあるけど(殺してから)。
 今年、裏山や庭でつかまえたマムシは2匹目です。デッキ前の庭にも前の畑にもいるので注意しなければなりません。いつもいいますけど「マムシに咬まれることなく生涯を終える人生でありますように」。
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サツマイモの「ツル返し」をしました。 

2021年06月23日 14時13分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年は「ツル返し」をしませんでした。ツルボケ気味でサツマイモはあまりできませんでした。裏山でたき火をしても、焼き芋に不自由しました。
 今年はしっかり収穫したい。ツルボケを防ぐために、こまめにツル返しをしよう。
 第一回目のツル返しをしました。

 ツル返しをした写真です。これをしないと、写真のようにツルから根が出る。根は土からの栄養分を取り込んで、ツルばかりがどんどん伸びる。

 畝の片側に25センチ幅の畔シートを敷いています。

 向こう側にツルを寄せてツル返しをするつもりでしたが、こちら側にツルを返したほうがいい。10日に一度くらいやるつもりです。
 
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〈栗の花〉が咲いてます。

2021年06月23日 01時48分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま〈栗(くり)の花〉が咲いてます。

 花穂は雄花です。その根元に小さい雌花が見えます。この雌花が、イガイガにつつまれた栗(くり)の実になります。
 窓の前、バードフィーダー(野鳥の餌台)の横には、15年前に植えた栗の木(筑波)があり、毎年栗(くり)の実がなります。今年も花が咲きました。
「栗」のことを調べてみたら「虫媒花」と書いてあります。
 いま、バード・フィーダーにはスズメが集団で飛来するようになってます。10羽以上です。彼らはまず栗(くり)の木にとまり、それから地面におりて、粟(あわ)をついばみます。
 それを見るのがたのしみです。しかし「栗(くり)が虫媒花」となると、ちょっと心配です。
 毎年栗の花は「強い匂い」を出します。そしてカナブンが花によくたかります。それが今年はカナブンがいない。スズメがいるから来ないのか。飛来しても食われてしまうのか。
 栗は処理が面倒だし、少しでいい。でも実がならないと「栗(くり)ご飯」が食べたいと思うだろうな。
  ※ 「栗」と「粟」はよく似てるのでルビをつけました。
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「本植え」のやり方を考えました。

2021年06月22日 14時59分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 大豆は、15年ほど〈苗立て〉⇒〈本植え〉で作ってきました。イチゴ・ネットハウスを利用すれば〈種播き〉した芽を鳩にやられる心配はありませんし。さて、今年も本植えのときです。
 今回〈本植え〉のいい方法を思いつきました。特に目新しい方法ではありませんが、これでバッチリです。
〇 まず、「30センチ千鳥」の穴を畝にあけます。

 三角形の木は穴の位置を決める定規です。これを当てて「30センチ千鳥」の穴をあけます。鉄筋の棒が見えます。これが「穴あけ棒」です。土に15センチくらい突き刺して、グリグリまわしてスリバチ状の穴にします。(定規をつかうのは面倒でした。やめてメジャーを位置決めにつかいました)
〇 大豆の苗は根の土を落としてとります。苗は写真のように穴に入れます。

 この穴にヒシャクで少し水を入れます。根のまわりに水が入ります。あとは両手で苗の根元を閉めて本植え完了です。
 畝に穴をあけるのに多少時間はかかりますが、これでしっかり本植えが出来ます。根のまわりが水をふくむので、水やりはもう必要ないでしょう。
 これで200本近くを植えつけました。
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大豆を「本植え」しました。

2021年06月21日 19時44分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 6月8日に「苗立て」用に播いた大豆が「いい苗」になりました。13日目です。今日は50本だけ苗を「本植え」してみました。

 左の畝は金胡麻です。道子さんはこれから間引いて、一本立ちにします。右が「本植え」した大豆です。『サチユタカ』は間を15センチとるようにネットには書いてありますが、去年は20センチの「千鳥植え」にしました。10キロ超の収穫でした。今年は30センチの千鳥植えにします。風通しをよくして、気持ちよく育ってほしいです。
 味噌用の大豆は6キロ必要です。明日は残りの作業をして、全部で200本近い苗を本植えます。
 9日には苗立て用の黒豆を播きました。こちらは生長がおそいので、あと5日くらいしてから本植えします。
 街の方(かた)にコロナ・ワクチンの様子をきくと、「ワクチン接種圧力」はかなりのものだそうですね。戦時中のように、まさか「非国民!」呼ばわりされることはないでしょうね。
 でもわからんなー。体質は変わらないし、そんなに進化してないし。
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「おもいながら」畑仕事をしました。

2021年06月21日 01時40分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日亡くなった弟は昭和15年12月生れ。ぼくは昭和12年10月生れ。3歳ちがいです。
 ぼくは昭和19年に小学校(当時は「国民学校」といいました)に入学しました。田舎の学校でも登校するときは、防空頭巾を持たされました。体育の授業だったと思いますが、忠魂碑の横の石垣にむかって、枝を数センチに切った木片を投げました。手榴弾を投げる訓練です。しかし小学校の一年生が木片を投げるのです。10メートル離れた石垣でも届かなかったかも。
 運動場にスリバチのような穴が掘られ、その斜面をグルグル走る訓練もありました。敵の飛行機が飛んできたら爆弾を落とす。そのときは山の横穴に避難する。その避難訓練もありました。ごとに横穴が掘ってあり、その穴に避難します。「方地」といううちのの穴は一番深く掘ってあり、うれしかった。でも敗戦後一番早く崩れました。土が柔らかいところだったのでしょう。
 避難するときは、もちろん防空頭巾をかぶります。頭巾には、氏名/血液型/が縫い付けてあります。ぼくは「A型」と書いてあったと思います。学校で調べたのか。ずっとA型と思っていました。結婚してから調べて「O型」とわかりました。
 ほんとうの空襲警報が出たことはありませんが、訓練で警報が出たことがあります。まず警戒警報が出ます。警報は道むかいの役場の鐘が鳴ります。空襲警報が出たら防空頭巾をかぶって山の穴に避難します。それまでは授業です。でもドキドキして落着きません。
 我が家でも防空壕を掘りました。「上の畑」に祖母と母が掘るのです。お隣りの防空壕は、家の庭に早くできました。うちの防空壕は上の畑に50センチ足らず土を掘り出して、屋根もつきません。雨が降ると水がたまります。どうも本気で掘る気はなかったようです。敵の飛行機どころか味方の飛行機も飛んできたことはありません。そんな片田舎でした。
 弟は昭和22年に小学校に入学しました。戦時中の記憶はありません。戦争があったことも、敗戦後に教科書に墨を塗ったことも知りません。わずか3歳の差ですが、ぼくの「あの戦争での国民への仕打ちは許せない」思いはその間で切れてきます。彼の正義感は〈弱者の人権〉にむかいました。
 そんなことを思いながら、畑仕事をしました。大豆の畝に鶏糞を入れて耕しました。22日には大豆の苗を植え込みます。
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コロナ・ワクチン「知らぬが仏」

2021年06月20日 02時08分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 コロナ・ワクチンの本に寄せたコメントを見ていたら、こんな文に出くわしました。

 コロナ・ワクチンは危ない …… 「知らぬが仏」でなく「知らないと仏になる」だって。
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裏山を眺めて〈正義〉をおもう

2021年06月19日 17時53分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 三歳下の弟は大坂の南のほうで中学の教師をしました。社会科を教えたり、障害児教育に打ち込んだり、人権をまもる運動をしたり、いつも自分の正義と対話しながら生きてきました。退職後は団地の老人会長を長くつとめ、規模の大きな家庭菜園(有機)に精を出し、できた野菜を分かち合い、まわりの人とかかわりながら、自分の正義への思いをつらぬいてきました。
 母は64歳から神戸に暮らすようになり(父も)、ぼくが召集をかけると4人の兄弟と連れ合いは集まってくれました。昨日葬儀に大阪の南に出掛けて「いつも、いつも、電車を乗り換え乗り換えして、はるばる神戸まで夫婦で来てくれてたんだ」とあらためてその苦労を思いました。
 敗戦後の、子どもの頃の、きょうだいの思い出は、時間をかけて思い起こします。

 電撃殺虫器にはひと晩でムシがビッシリつきます。蚊も蛾もいるでしょう。遠くから呼び寄せてしまうムシもいるでしょうが、野菜の葉っぱに卵を産み付ける蛾も退治してくれています。すごい数です。
「ムシも命があるんだよ」と言われました。でも畑をやってるとやはり。せめて「ムシ塚」を作って花を供えます。下の畑にはムシ塚をつくっていたのですが、こちらではまだ。
 百合園の大きな花が咲いています。ムラサキシキブも花が咲いています。小さい、小さい花です。

 見えますでしょうか。
 
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遠くの葬式に行きしました。

2021年06月18日 22時32分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 黒いマスクをつけて、遠くのお葬式に行きました。

 あふれる思いは、反すうしながら、ととのえます。
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