古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

バイケミ農場の農作業を見学します。

2010年04月28日 03時06分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 株式会社バイケミからメールをいただき、4月30日の午前中にバイケミ農場の農作業を見学しようと思います。(9時30分事務所集合だそうです)場所は175号線を200メートルほど東に入ったところで、老健施設・透鹿園の大きな看板が目印になります。この日はトマト、ナスビなどを植え付けするそうです。もちろんバイケミの竹堆肥を使って作業されるでしょうから、その使い方を学びたいと思います。
 ようやく天候が安定して畑の仕事ができそうです。きのうは図書館に本を返しにいき、ついでにホームセンターに寄ってみました。30本798円のナルトキントキの苗を200円で売っています。葉のしおれた、見るからにみすぼらしい苗です。これではだれも植える気がしないでしょう。このまま捨てられるのかなー。
 と思いながらその苗を手にとったら、ムラムラと買う気になり、そばで道子さんが「やめたほうがいいんじゃない?」と制止するのを振り切って買ってしまいました。安売りしているからでなくて、なんというか「この苗がいのちを成就するのを手伝ってみたい」という気持ちでしょうか。
 家庭菜園が盛んで『家庭菜園事始め』のような本がいろいろ出ており、著者は自分なりにやってきた野菜の作り方を書いています。苗屋さんやお百姓さんは「こうしたらいいよ」と植え方や肥料のやり方を教えてくれます。ぼくもここ10年ほど大豆畑トラストや家庭菜園で道子さんの手伝いをしてきて、きかれたらもっともらしくなにか言います。でも野菜のことばがわかるわけじゃなく、みんなが経験的になにか言ってるだけです。
 4年前、不動産情報をもとに田舎暮らしの空き家さがしをしていたときのことです。福知山線谷川駅から車で20分ほど山に入り、民家の途切れたところで畑仕事をしている人がいて、話をしました。彼は豊中から車で来て畑をつくっているというのです。なんでこんなへんぴところまで……。
 やはり空き家さがしをして神戸市北区大沢村を通っていたとき、一反ほどの畑で作業していた人と話したことがあります。彼は三田市から畑づくりに通っていると話しました。「一人で広い畑を作ってるんですね」「ええ。みんなとやると意見が合わないことがよくありますし」
 行雲流水の気持ちで晴耕雨読なんていうけれど、みんなそれぞれに我が強いんだ。そしてどこかで仕入れた思い込みによって野菜をつくってるんだ。生きるってそういうことなんだろうな。
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苗に感謝して植えました。

2010年04月27日 02時59分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう書いた「サツマイモを植える」のつづきです。
 去年は、大豆畑トラスト『むーな村』時代にお世話になっていた種苗店に、5月の連休後しばらくして電話してみました。バイオのサツマイモ苗が欲しかったものですから。すると「もうありません。しおれた苗が20本だけ残ってますけど」という返事でした。
 店に行って苗を見たら、葉は枯れ茎は干からびています。「もう一束ありましたけど」と見せてくれた束もひどい苗でした。連休後は、どこのホームセンターも夏野菜の苗は売り尽くしたように売り場を狭くしてしまい、途中寄ったホームセンターはサツマイモの苗を売っていませんでした。我が家は連休後に植えるつもりにしていたので、仕方なくその苗を二束もらって帰りました。
 翌日植えながら「これしかないというからこんな干からびた苗でも売れるんだろうな」とわるい苗をつかまされた気分でした。十日ほど毎日水をやって様子を見ましたが、なかなか元気な苗になりません。40本植えたうち一列目の四番と二列目の一番の苗は枯れてしまいました。
 やっぱり元が枯れたような苗はダメか。せっかく堆肥を入れて畝をつくり、地温の上がるのを待ったのに……。ひと月して苗を見たら元気いっぱい。となりの畝まで伸びています。結局この40本から60本の苗をとって植え、秋には子や孫や友だちが芋掘りと焼き芋を存分にたのしみました。
 そこでことしはサツマイモを早目に植えることにしました。寒さで育たねばツルを取ってまた植えればいいし、しおれた苗でも大丈夫。ネットで『サツマイモの植え方』を見ると「わざとしおれさせて水に一晩水につけて植える」と書いているブログもあります。
 そこでことしは数日前に買った苗を放置しておき、植える前の晩に水につけました。写真は植えた苗ですが、実は葉は枯れ茎はしおれていました。それを写真で見てもらうつもりでしたが撮るのを忘れていました。そこで植える前に撮ろうと思ったら、ミイラ寸前のように見えた茎は水を吸って若返り、青年のように張りのある茎肌になっているではありませんか。
 人間はサツマイモを仕切るつもりで「つくる」だの「植える」だの「育てる」だのと言うけれど、一本の苗のいのちをつくることはできない。苗の生きる力を手伝わせてもらうだけだ。
 若葉でふっくらした山々を眺めながら、苗のいのちに感謝してサツマイモを植えました。
 
 
 
 
 
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裏山にブランコを設置しました。

2010年04月26日 03時30分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いま裏山に咲いている『ネモフィラ』という花です。道子さんが去年の秋に播きました。ネットを見るとひたち海浜公園は青いネモフィラが大草原のように咲いて、観光スポットになっているそうです。青い花がこの時季の若葉と青空によく似合います。
 土曜日日曜日と裏山にブランコを設置するのに時間をとりました。まず横に渡す竹を持ってあがり、てっぺんの平らなところをあちこち物色して、竹を横に渡す場所はきめました。竹を渡し、ロープに板をつけて大志くんが乗ってみたのですが、腰掛ける板が安定しません。少し幅広の2×6の板を切り、二ヶ所ずつ穴をあけてロープを通すほうが安定すると思ったのがまちがいでした。あした手直しします。いい機会だから板はいまのSPF材をやめて杉の2×4材を使うことにします。せっかく自然の中にブランコをつくるのに、杉材のほうが手ざわりもいいし水にも強いですから。
 きょうはサツマイモを植えます。「ホームセンターが売らんかなと競争して早目に苗を売るから、まだ地温が上がっていないのにみんながサツマイモを植える。連休が終ってから植えればいいのに」と批判していましたが、ことしは少し考えを変えました。
 ナルトキントキが20本(ナンバで買った生き生きした苗)+25本(コメリで買ったミイラのようにしなびた苗)。ベニアズマはコメリで買ったバイオ(ウイルスフリー)の苗25本。どちらも三日前に買ってわざとしおれさせています。
 いままで「切ったばかりのピンとした生きのいい苗がいい」と思い込んでいました。水にかしておいて、葉の根元にひげ根が出たものがよく育つと思っていました。水は毎日たっぷりやるのがいいと思っていました。大豆畑トラストで20人くらいの人がサツマイモを植えるとき、お世話をしながらそう話してきました。
 しかし去年、種苗店で干からびたバイオの苗を買って植えてから考えを改めました。 (つづく)
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桃栗三年柿八年

2010年04月24日 03時09分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「桃栗三年柿八年」は語調や響きがよくて覚えやすいですね。3年前に苗で買った栗(筑波)は去年から収穫しています。まだ木の高さが胸ほどで、イガは六っつくらい。栗ご飯をつくれるほどにもなりませんが。他の種類の栗の木もいっしょに植えたほうがいいときいて、ことし2本(『利平』と『筑波』)を横に植えました。新芽のつぼみが確認できます。
 いままで買い控えていた桃の苗を2月に植えたら花が咲きました。(写真)来年くらいは桃がなるでしょうか。しかし柿はどうも。これまでに4本植えたのですが3本は枯れてしまいました。そこで西条柿・富有柿・次郎柿と三本をことし追加しました。でもよそは柿若葉が見られるようになったのに若葉のつぼみさえ確認できません。柿はあと何年したら食べられるでしょう。
 雨で畑仕事ができません。こんな日は温泉で骨休めしようと、火曜日は『ゆぴか』に木曜日は『よかたん』に行きました。そのたびにホームセンターに寄っては野菜や花の苗を買うものですからまた仕事が増えます。でも木の苗は、買いたくなってもじっと我慢しています。裏山も手前のほうは木を植え過ぎてしまい「木が大きくなったときのことも想像してね」と道子さんに言われてますから。
 土曜日は大志くんが遊びに来ます。ブランコを山の上にしっかり取りつけなくては。小屋もつくりかけのままだし。それとハンモックを自作しようとイメージがわいてきました。さー、きょうはおじいちゃんはなにしてアソボかな。 
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サツマイモの植え付け計画

2010年04月22日 03時18分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 コバノミツバツツジとヤマツツジはとてもよく似ています。花の色は同じだし、樹形もそっくりです。ヤマツツジも三枚の小葉がツンと立って芽を出します。裏山のツツジは二本自生しており、どちらもコバノミツバツツジだと思っていました。ところが北側のツツジは4月10日頃には落花。南側のツツジは開花が遅れ、まだ咲いています。
 ネットで調べたら「コバノミツバツツジの葉は裏が網目のようになっている」と書いてあります。葉をとって比べてみました。なんと! すぐわかりました。ヤマツツジは裏に毛が生えています。やっぱり竜神を祀ってある神社への山道はコバノミツバツツジです。
 西宮市の広田神社にはコバノミツバツツジの群生があり、天然記念物になっています。ネットで写真がいっぱい紹介してありました。なつかしい!
 我が家は子どもたちが幼稚園に上がる前、三年間広田神社のそばに住んでいました。自分のうちの庭のように道子さんは娘たちを連れて毎日散歩し、神社のハトにパンくずをやりました。
 さてきょうも雨ですが、この雨までにサツマイモの畝をつくっておこうと(土・日・月)の三日間はよく働きました。20メートルの三畝を四畝にして、幅をせまくして高畝にします。まず耕運機で何度も耕して雑草をとりまとめ、コープ瑞穂農園の堆肥と草木灰を入れます。それから耕運機で畝立てをして鍬で土を上げていきます。全部で80メートルのサツマイモ用の畝ができました。
 苗と苗の間を30センチにすると260本ほどになります。ベニアズマとナルトキントキはそれぞれ100本、それに安納芋を40本、シモン一号を20本という配分にしましょうか。
 安納芋は去年くらいから急に人気が出てきました。ホームセンター・ナンバでも苗を売っていますがすぐ売り切れます。シモンはことしはつくらないつもりでしたが、他のサツマイモとちがい冬でも腐りません。一度植えたところは五年以上つくれませんがどうしようかな。
 去年は20本だけ買ったバイオのベニアズマから80本くらい苗をとりました。勢いがよく、芋がよくできました。(写真は去年の我が家のナンバー1ベニアズマです。そばにあるのはマジック)ことしもバイオの苗を主力にしたいので水田種苗店に予約します。サツマイモは地温の上がるゴールデンウイーク後に植えることにしていましたが、世間はだんだん早く植えるようになってますね。うちもそうなりそう。
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『軍師竹中半兵衛』を再読しました。

2010年04月21日 06時57分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 これは3月末の寒い朝、孫たちの家族と散歩したときの写真です。裏山の向こうにある福地池の堰堤を下りているところです。この日はまず蛇ガ池の堰堤を歩き、それから福地池の堰堤も初めて歩いてみました。元の道に戻りかけたら孫たちが土手を下りはじめたのです。でも写真を撮ったおじいちゃんおばあちゃんは、そんな危ないことはしません。
 慎重に下りるから絶対大丈夫。しかし転ぶかもしれない。そんなところはできるだけ避ける。時間がかかっても安全な道を歩く。どこか無鉄砲に生きてきたのに、いつの間にかそんな智恵が身についているのをうれしく思いました。
 さて長編歴史小説『軍師竹中半兵衛』は笹沢佐保の作品です。一昨年図書館で借りて読みました。三木城の別所長治はどんなふうに羽柴秀吉の軍とたたかったか、軍師の竹中半兵衛はどんな作戦で三木城を攻めたか、よくわかりました。歴史小説ですから創作もあります。織田信長の妹のお市の方は、どの歴史小説にもとても美しい女人として描かれます。彼女は浅井長政に嫁すのですがある小説では秀吉の憧れの女性となり、この小説では竹中半兵衛の憧れの女性として描かれています。しかし歴史の大筋はだれが書いても変わりません。だれを主人公にするかです。
 半兵衛を主人公にすえたこの小説を読み返してみたくなり、図書館で借りて10日ほどかけて仕事の合間に読みました。やっぱりおもしろくて、途中でやめることなく最後まで読みました。半兵衛がこの通りの人であったかどうかわかりません。しかしみんなが野心をもち、疑心暗鬼になり、野合したり対立したりした時代に、半兵衛のように潔く生きた人がいたと知るのは気持ちがいい。
 若葉の季節になったので、また近いうちに半兵衛の墓所や秀吉の平井山の本陣跡を散歩してみます。
 
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コバノミツバツツジは花期を過ぎていました。

2010年04月20日 01時48分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 18日朝の散歩はとなり村の竜神を祀ってある山に登りました。いまごろは山道のコバノミツバツツジが満開だろうと思ったのです。ところが写真のようにツツジの若葉ばかりです。わずかな落花を見て花期がおわったことを知りました。
 うちの裏山のコバノミツバツツジを見て、そろそろ竜神さんへの参道のツツジを見にいこうと思いながら一週間ほど過ぎてしまいました。おそらく花盛りは4月5日~10日頃だったでしょう。はじめて竜神さんにお参りした一昨年は、ツツジの木がいっぱいだから花の咲く頃に来ようと思い、去年はいつの間にかその時期を逸し、ことしは意識していたのにやっぱり花期を過ぎてしまいました。
 ツツジは何千種とあるようですが、落葉して花が先に咲くコバノミツバツツジは春の山を彩ってくれる大切な植物です。やせた岩山などに自生するこのツツジは、ふもとから這いあがる竹薮やよくはびこる常緑樹のヒサカキに攻められながら、参道の両側にたくさん生えています。先に花が咲き、それから葉が出るのでことしも花の頃は見事だったでしょう。
 クヌギやコナラの落葉の積もった参道は、朽ちた竹や枯れた木が三ヶ所通せんぼをしていました。おそらく強風で倒れたのでしょう。三月下旬の強風の頃から「だれも登っていない証し」のような木や竹を取り除きながら「これだけのツツジが花をつけるのだからきれいだっただろうな。だれも見なくても精いっぱい咲いたのだろうな」と思いました。
 お参りした帰り道は石段の数を数えました。鳥居から上は山道のところどころに石段が120段あります。参道にとりついて鳥居までは200段の連続した石段で、休まず上ると息が切れます。
 北谷川の桜は4月5日、桃園の満開は4月10日、竜神さんの参道のツツジは4月8日と意識しておきます。来年こそコバノミツバツツジの花盛りにぴったり出会えますように。
 
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孫守りも三時間まで。

2010年04月19日 04時46分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 土曜日の夕方、畑仕事のあとふと思いついてブランコ用に買っておいたロープを四本切り、2×6材の板を電動丸鋸で切って穴をあけ、ペンキを塗りました。大工小屋があり、道具が簡単に使えるからできたことです。すると日曜日の午後孫たちが遊びに来ると連絡があり、急いでブランコを仮に仕上げることにしました。
 写真はとりあえず裏の木の枝にのせたブランコです。ほんとうは裏山のてっぺんに持って登り、そこの立ち木に取りつけるつもりです。高さは2メートル50センチにしようと思っています。さっそく孫たちがブランコにのって遊びました。大志くんは早速次の要求です。「おじいちゃん、スベリダイもつくって」滑り台か。竹でつくると節が引っ掛かるし……と考えていると「おじいちゃん、コウエンもつくって」と要求の上積み。4歳の孫は世の中の苦労がまだよくわかっていないようです。人生はそんなに簡単なもんじゃないんだぞ!
 また雨が降るという天気予報なので、この晴れ間に胡麻とサツマイモの畝をつくろうと午後は畑に耕運機を持って行きました。孫たちも畑にやってきてまず「おじいちゃん、たき火したい」。火がつくと「焼き芋したい」といいます。芋はないと言い聞かせてあめを一つずつ。畝はコープ瑞穂農園の堆肥をたっぷり入れて耕します。孫たちは空になった円筒形の堆肥箱に入りたいといい、中に入ってふたを閉めたりして遊んでいましたが、なんかおじいちゃんの手伝いをしたいといい出し、堆肥をバケツで運ばせました。
 子どもはエネルギーがちがいますね。来るとすぐに裏山のてっぺんまで登り、すぐ下りてきて竹の棒を要求し、切って用意してやるとまたすぐにそれを持っててっぺんに登り、ブランコにのり、畑を走りまわり、同じ動物と思えないくらい実によく動きます。ぼくはきのう一度も裏山のてっぺんに登りませんでした。一度登ると息が切れるし、あとの仕事にさわりがあるから。そういえば友だちが「孫守りも三時間まで」と言ってたなー。
 
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ことしの草刈りがはじまりました。

2010年04月18日 02時05分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 散歩してたら写真のような農道の土手がありました。除草剤がよく効いたのか草が生えず、雨で土が流され荒れています。神戸市西区の郊外で大豆畑トラストをしていたときは、ぼくらは有機無農薬というコンセプトでしたから土手にも畑にも除草剤は絶対に使いませんでした。「地球にやさしく」がモットーでした。素人ばかりの集りで、自家味噌をつくれるだけの大豆づくりですからそんなことができたのでしょう。
 その大豆畑のそばの農家では、土手に除草剤を使用していました。ぼくが土手の草を刈っていると農家のおじさんが顔を出して「ご苦労さんやな。うちは刈るかわりにこれや」と言って噴霧器で除草剤を散布していました。草がだんだん少なくなり、そのうちスギナしか生えなくなりました。2、3年するとそれも生えなくなり、土が流され、石ころの斜面になりました。草を刈って溝の草を上げていると石ころがかなり溝に転がり落ちていました。あの土手はいまごろどうなっているでしょう。
 田舎暮らしで住むようになったこのあたりは、草の生えるにまかせた土手も除草剤で荒れた土手はほとんど見ません。「この村はしっかり草刈りをして、きれいな土手にしよう。そう申し合わせているのだろうか」いまの場所に家を建築することになり、毎日のように神戸市須磨区から現場を見に来てまず思ったことです。
 住んでみて、みなさんが相当の努力をして草を刈っておられることがわかりました。四輪駆動の自走式草刈り機を自前で購入している家。勤めの休みの日は草刈りを仕事と心得ている人。合間の休日には共同の草刈りもあります。昔から村中の人たちが総がかりで営々とやってきたからできることです。
 うちの畑の土手も草が少し伸びてきました。5月の連休後くらいに一回目の草刈りをしましょう。きのうきょう、畑の遊歩道にしている土手の内側の草を刈りました。ことしも元気に草刈りができてうれしかったです。 
 
 
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どんな田舎暮らしをイメージしたのか。

2010年04月16日 05時07分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは寒いので散歩はなしでプチドライブをしました。郵便局に用事があったので、兵庫東条インターチェンジ近くの道の駅まで10分余ドライブしてタケノコを買い、東条郵便局へ。それから東条湖方面に少し車を走らせると湖畔の山に。ここは秋葉台と名付けられ、バブルの頃分譲地として全山が開発分譲されたらしく、頂上までパラパラと家が建っています。
 写真は、石を積み重ねて築いた立派な煙突のあるログハウスです。その上は細い木を組み合わせたログハウス風の家で、なんと自家天文台が上にあり、通路がついています。
 山にさしかかると道は細くなり曲がりくねり、何十年か前に簡易舗装された路面はでこぼこになり、雑木林のところどころに民家が見え隠れします。売り物件と看板が立っている家もちょこちょこあります。
 車を降りて歩きながら考えました。
 ここは山のふもとの集落とは隔絶しています。耕地はありません。車なしでは暮らせないでしょうが、車を置いてある家は見かけません。ということはふだんは無人の家がほとんどでしょうか。週末にカントリーライフをたのしむ保養地のようなところでしょうか。
 田舎暮らしというけれど、ここのように山のふもとの集落とくっきり隔絶したところになると、なにか心の柱がないと暮らせないでしょう。他人とのかかわりを必要としない陶芸や木工や創作など趣味の世界で生きるとか。
『田舎暮らし』の物件を探して、淡路島の一宮から福知山線の篠山の奥や谷川駅近辺まで、あちこちの不動産屋にあたり、古家を見てまわった4年前を思い出します。ひょっとすればこの山に住むことになっていたかもしれません。
 先日は村に葬式があり、村の人と話したりしながら並んで出棺を待ちました。そのとき自分の自然な居場所がここにあると感じてうれしく思いました。
 いまにいたる自分の生活をふり返り「だれのお陰かわからないけど、ぼくは恵まれていたなー」とつくづく思います。「いま・ここに」いる自分に満ち足りています。 
 

 
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交通安全指導員の出番でした。

2010年04月14日 21時08分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きょうは『春の交通安全週間』の一斉立ち番の日です。うちの村の交通安全指導員をしているぼくは、支給されている制服を着て出動です。きょうは桃坂の交差点に朝一時間立ちました。
 写真は指導員の制服を着て、帰ってきてから撮りました。前の指導員の制服は、お巡りさんみたいなヘルメットと白い制服でした。だから交差点に立っていると車が急におとなしくなってゆっくり通過しました。でもこの黄色の制服だと登校指導のおじいちゃんとわかるから、車がなめた走り方をすると思うのはひがみでしょうか。
 交差点を通過する中学生も高校生も一年生がいて、初々(ういうい)しいのがいい。また春がめぐってきたんだなー、と新一年生に見とれました。
 きょうは家の前の草地を刈って、耕運機をかけました。神戸に住んでいた人の所有する他人の土地ですが、引っ越したらしく十年来放置されたままです。これから草がしげるのであらかじめ刈って、花の種でも播いておこうと思います。
 ときどきテレビでゴミ御殿というかゴミ屋敷が話題になりますが、その気配のある家は町にも村にもあります。でも田舎では家屋敷が広くてなかなかゴミに埋まるほどにならないし、そうなるまでにだれかが忠告したり片付けたりします。それだけ互いに関心をもち、交流し合って生きているからでしょう。そういえばぼくも田舎に住むようになってから、通りがかる車は乗っている人の顔を見るようになりました。

 
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強引な花見。

2010年04月12日 05時13分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日曜日には花見をしようと孫たち一家が打ち合わせていて、天気予報は『雨』でしたが我が家に集結しました。友だちのうちも参加予定でしたが、確実に雨なのに誘うのは気がひけたようです。でも弁当をつくった頃には雨があがり、薄日も差してきました。
 そこでみんなで弁当を持って二台の車に乗り込み出発しました。はじめにやしろ桃園です。桃の花はちょうど満開です。総がかりで摘花作業が行われているかと桃園を歩いてみると、どこもやっていません。どうやら朝から雨で作業はしないようです。花見の人は一組見かけただけです。桃園の車の通り道は軽自動車用でアスファルトで舗装してあり、みんなで雨上がりの道を散歩しました。孫たちは走ってどんどん先に行きますが、車も人もいないので安心です。
 それから北谷川の桜の花見にまわりました。桜は散り頃でアスファルトの遊歩道は花びらが散りばめられています。昼にはまだ時間がありますが、とにかくシートを敷いて弁当を食べようと公民館に車を置いて土手を歩きました。
 上流も下流も桜の土手が伸びていますが花見客はまばらです。空もあやしくなってきました。それでも花見に来たのだからとにかくシートを敷き、ござを敷いて弁当を食べはじめましたが途中からポツポツ。食べ終わった頃には、これからしっかり降るぞ! と予告するような降り方になってきました。
 孫たちは、お父さんたちが前後でござをかざした移動型屋根に歓声をあげ、はずんで歩きます。電車ごっこをしているようで、それをカメラに収めている花見の人もいます。というようなことで強引な花見も無事におわりました。
 午後は先日紹介したバイケミの『植繊機」実演と講演の会に二人で参加しました。でも話がむずかしく、静かなトーンで話されるものですからちょっぴし(本人の自覚するかぎり)居眠りしたかな。竹については、まだなにをどうするかわかりませんが、とにかく我が家の畑でも竹肥料元年にするつもりでいます。
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『やしろ桃園』は花盛りです。

2010年04月11日 02時23分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 加東市上粂(かみくめ)にある『やしろ桃園』に、車で朝の散歩に行きました。桜の満開から数日後に桃が満開になると聞いていましたから。この桃園に来るのは去年から三度目です。はじめは老人会の花見のときについでに寄りました。まだ桃の花は咲いていませんでした。
 そこで十日後の4月中旬に「もう咲いているだろう」と思って人を連れてきました。ところが花はもうありませんでした。そしてきのう。桃の花が満開で、見わたすかぎり桃色が広がっています。数本の桃の木に花が咲いているのは見たことがありますが、こんなにまとまって咲いているのははじめて見ます。
 年齢の高い人たちが、脚立や台に乗って桃の花を摘む作業をしています。片手で枝を持ち、片手で枝をしごくようにして花を落とします。木の根元は落花が散らばっています。枝をよく見ると桃の花がびっしりついています。その花をしごいて落とし、鉛筆くらいの長さごとに一つだけ花を残すそうです。ちょっと見てるだけで作業のしんどさがわかります。「上粂の100軒のうち18軒が桃園をしているけど、桃は足が速い(傷つきやすく、すぐいたむ)ので作業はしんどいしいつまでやれるかな」大変さがよく伝わりました。
 それぞれの桃園のまわりには電気柵がめぐらしてあります。イノシシを防ぐためです。実をつける6月頃から出荷するお盆頃まで通電するそうです。防鳥網はないので「カラスは?」とたずねたら、なわばりがあるのかカラスは来ないとのことでした。
 東条川に沿って帰ってくると川沿いが桜並木になっており、河岸に喫茶店があります。ちょっとこのあたりでは見かけない洒落た感じの『シャレード』という店です。朝は7時半からやってるそうで、またゴミ捨てのついでに足を伸ばしましょう。かなり伸ばすことになるけど。桜並木の河岸を見ながら店の珈琲を飲むのは年に一度の機会ですし。
 午後は裏山の切り倒してある竹を片付けました。きょうは大志くんたちが来るので、てっぺんをまわる周回道を確保しておこうとしっかり働きました。でも山仕事というのはまさに全身全力運動ですね。斜面で足場を確保し、力いっぱい枝や竹を引っ張って、切って。
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日々散歩と畑仕事をたのしんでいます。

2010年04月10日 05時19分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きょうのタイトルは『三木市老連』という広報紙に載ったぼくの作文の題です。うちの村の老人会長が広報担当だそうで、頼まれて書きました。そのまま転載します。

  日々散歩と畑仕事をたのしんでいます

 3年前の12月、私は神戸の市街地から引っ越してきました。見ず知らずの土地に移り住んで最初に感動したのは夜空の星でした。冬の空にオリオン座がくっきり光り、天の川が見えます。
 月のきれいな晩に公民館で全戸集会があり、農道を歩いて出席しました。月明かりの夜道は、子どもの時代に体験しているはずですが、初めて歩くように新鮮でした。
 今では家の周りにウッドデッキや物置をつくり、趣味の日曜大工に毎日はまり、田んぼを借りて畑仕事に精を出しています。
 定年後の田舎暮らしは一つのはやりになっていますが、私もその一人です。漠然と考えていた田舎暮らしを実現しようと空き家を探し始めたときはもう70歳近くなっていました。不動産屋さんに案内してもらって空き家を見てまわりましたが、ぴったりの家がなく、結局小さい家を自分で建てました。
 はじめは、見ず知らずの土地に移り住んでうまくなじめるかと不安でした。引っ越して三ヶ月目に伊勢講があって夫婦で参加したり、老人会に入ってグランド・ゴルフや公民館の清掃に参加させていただくうちにこの土地になじんできました。
 朝の散歩では、近くの集落を毎日コースを変えて歩いています。少し離れた口吉川町の集落、吉川町や細川町の集落に軽自動車で出掛け、公民館に車を置いて散歩するのも楽しみになりました。
 散歩道で出会った人との立ち話で、近くの福地池は堤を築くときに福寿坊というお坊さんが人柱になったという言い伝えを聞きました。それから三木市の歴史に興味を覚え、郷土の歴史冊子を見てはあちこち歩き回っています。
 引っ越して2年目には家の近くの田んぼを借りて、畑仕事に精を出すようになりました。一反余の畑は広すぎるとおもいましたが、いまでは落花生、胡麻、こんにゃく芋などもつくって家庭菜園を楽しんでいます。
 山々のふっくらする若葉の季節。木々が色づき落葉する晩秋。畑からの眺めは夏も冬も趣があり、子や孫もこの田園風景が気に入ってよくやってきます。
 車で走れば一分もかからずに通り過ぎてしまう平凡な集落ですが、住んでみると深い味わいがあります。そのささやかな田舎暮らしの様子を去年3月からブログで発信しています。
『 古希からの田舎暮らし 』 http://blog.goo.ne.jp/hatake400

 
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ジャーン! バス停に新しいベンチ!

2010年04月09日 03時34分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日に10本ほど三木の市街地に走る我が村のバス停に、ベンチが置いてあります。
 実は先日の強風でまえから置いてあったベンチが吹き飛ばされ、壊れてしまいました。相当に朽ちた木製のベンチでしたが。村の役員会でその話が出て、4班(高山の数軒)の班長であるぼくは内心、ぼくがつくろうかなと思いました。そして役員会のあと、区長の了解をもらってベンチをつくりました。
 きのうはそのベンチを設置して、写真を撮りました。この路線バスは、主に高校生が通学に利用しています。三木方面への高校生、吉川方面への高校生ともによく利用しており、朝のバスは立つ生徒もいるくらいです。市から利用券が交付されて高齢の方もバスを利用されますから、ベンチも利用してもらえるでしょう。
「オレがつくったんだぞ」と自分のブログに書くあたりが後期高齢者間近のぼくらしいところです。
 数年前、神戸のシルバーカレッジに通学していたとき『マイカークラブ』というボランティアクラブに入っていました。申し込みのある方を迎えに行き、病院に送っていったり施設に送ったりするクラブです。月に2~3回のことですが要請があって出動するとそのあと気持ちがいい。自分の中にほこほこする熱源を持ったみたいに。ボランティアって自分のためにするのですね。
 なお今回は、ベンチ用のプラスチック部材は以前安売りを買っていたのでそれを利用しました。買ったのは6フィートの2×4材四本だけです。ナフコで買ったのですが、いわゆるSPF材をつかうしかないかと思って物色してみたら、国産の杉の2×4材を売っています。100円高いですが。
 杉のベンチにしてキシラデコールを二度塗りしました。道端に置くのですから風に吹き飛ばされるかもしれない。ひょいと車の荷台に載せて他のバス停に移動してしまうかもしれない。と思って脚を60センチにして、脚の先にブロックを金具で止めて地中に埋めました。
 さー、きょうから畑仕事に身を入れることにしよう。
  
コメント (2)
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